15年戦争の敗戦後、日本という国体は崩壊した。三島由紀夫はこの国体の復古(王政復古)、つまり昭和維新をしようと楯の会を創設し自衛隊にクーデタを促し聞き入れられず自裁して果てた。これが戦後25年後の日本の最も国家主義的な出来事ではあった。三島が憂えた日本の戦後25年というのはその中心に日米関係(とりわけ安保)があり、戦後民主主義というものがあり民主教育があった。なかったのはやがて実質を損ねる方向へ傾斜した日本国憲法のコンプライアンスであり、その実際的動機は米国が齎した戦勝国恣意にほかならない。その基本は共産主義忌避と撲滅であり、その異常なまでの安全保障国防政策はやがて世界覇権と警察機能の流布という世界帝国樹立意思となって、石油利権が絡む中東への様々な画策、戦争、産軍複合体による弱小国家民族への徹底した防共内政干渉と戦乱惹起行為、アジアアフリカへの防共戦争行為、内政干渉、など世界中にCIAをグラディエータとして繰り込み謀略暗殺諜報活動と軍事行為を展開してきたもので、このアメリカの国家性格は当然現在進行形にある。共産国家中国の台頭はあらゆる意味でアメリカの脅威、警戒すべき相手、戦略を必要とする事案なのは当然だが、軍事的戦略においては個別に産軍複合体としての性格を付与した、軍略外の性格さえ帯びた難解な南西アジア太平洋構想にあり、日本が単に同盟状態にあるゆえに重要な戦略パートナーと持ち上げているのか、軍需的意味で基地存続を諮っているのかわからない。つまりアメリカは今、日本に関しては、旧来の戦後日米関係保存に押さえ込もうとしているようだ。こうしたアメリカの思惑?とは別に、日本が国家的体幹を探すという「自分探し」に至って、皇室尊崇又は天皇崇拝という与件を持ち出した三島は、これが俄かに、戦後教育で育った世代から受け入れられるなどとは考えるはずもなかっただろうが、しかしながら第一級戦争犯罪人たる昭和天皇の戦争責任が彼の自然死に近い病死で幕を閉じたとき、恐らくこの国の真の国家的倫理的救済は潰えたのだと感じないわけには行かない。三島の大義は悲しいまでに大虚であったし、彼の死は日本の国家的滅亡の精神的象徴にさえ思われる。現憲法改悪、核武装、再軍備に積極的な軍国主義亜流たちの中に「大義」は見当たらない。小虚だけがある。彼らの中に「精神」は感じられない。だから三島由紀夫という「三島事件」の主人公がこの世におさらばしたときにこの国のナショナリズムの正当性は永遠に失われたのだと考えるしかないのであり、残された道は諸外国がいみじくも評価する「世界一影響力のある国」としての平和憲法遵守、平和外交、軍事的軍拡的行為への忌避という、一般国民が普通に希求しているありふれた精神の復旧以外にはないのである。(中断)