沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩348 その5 現代日本という視点 5

2011年09月15日 14時53分00秒 | 政治論
 再び、「天皇」とは何者か。何故昭和天皇は沖縄をアメリカに売ったのか。本土決戦へ移行する前に沖縄戦で一矢を報いる算段乃至薄弱な希望がアメリカの圧倒的火力物量の前に玉砕壊滅した時点で天皇は最高戦争指導責任者としての意地も張りも一気に喪失し、敗残国としての身の処し方だけが連合国最高司令官ダグラスマッカーサーのまえに課題化されあのような訪問と言辞になって奇妙な記念写真とともに国民の目に曝されたということから彼の心情を忖度すると、自己保身という思惑は当然あったろうし一方天皇制国体の継続が喫緊の重大な関心事だったろうが果たして戦争責任者でしかも敗軍の将である自身の自死というのは頭に全くなかったのだろうか。いずれにしろ武士道は彼には対極概念だったろうが、後世の戦後世代の我々は冷徹に必敗至極の状況での沖縄決戦を遂行せしめようとする天皇という存在が、多くの文化人思想家をラーゲリに送り死に至らしめたスターリンを連想させるのは錯覚か。彼が人質さながら貢物として沖縄占領統治を申し出る誠に沖縄住民軽視差別視の最たるものを感得するのは、明治以来の日本帝国は勿論薩摩侵攻や秀吉の朝鮮征伐のときから(濃度は異なるが)ずっと日本人にあった中国朝鮮沖縄東南アジアその他後進国に対する、欧米への劣等感の裏返しとしての優越感であった。しかもこうしたcomplex(複合心理)は近代化以降この国の知的エリートに特徴的な心理状態であり民衆とはなんの関わりもない屈折した現実対応精神であり、ひいては日本の近代化自体がこうした醜悪さを胚胎した指導者によって始められ推進し行き着くところまで行ったという見方もある。少なくとも机上乃至想像上の戦争意思決定主体であった天皇が彼のロボットにすぎない参謀本部の無責任極まりない情報上梓に則って勝ち進む帝国軍隊幻想を拭いきれず(一人近衛文麿だけが大戦の趨勢につき降伏の勧告を行なった)沖縄戦にて起死回生の大逆転を成功させ停戦条件を有利に運ぼうと画策したのだが、参謀本部のでたらめな方針伝達と支離滅裂な作戦改変の結果人災に近い無謀さで県民巻き添えの犯罪的玉砕戦を繰り広げ結果歴史的悲劇を引き起こしてしまったのだった。つまり沖縄戦は戦争遂行作戦上最も無駄で不必要なしかも全く戦略的価値のない無謀な犠牲ばかりが目立った、愚劣な戦争行為そのものだったというべきだ。こうした惨劇の主役は天皇だったが大方は古来公家文化に引け目を負うた権力者たちの最終的仮託的無責任性によっている本質が露骨に現れており、言い方を変えれば天皇もまたこの時腐った土台の上に載せられた神輿そのものではあったのだろう。(中断)