沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩347 その9 日本の戦後3

2011年09月01日 11時06分33秒 | 政治論
 天皇制が何故この国の政体にとっても民衆にとっても為にならないかというと、その虚構性はもとより絶えず時の実権によりよくも悪くも利用されかつ国家の非常時には其の虚構性により仮託された「政治責任」の架空性を造出し多くの政治的管理者が古来責任逃れの架空な根拠としてでっちあげる材料となった事実があり、仮にこの国が民主主義という名の実質を有していると仮定するならば本来人民のための政治であるべき国政が為政者の都合で偏向する場合彼らの心理的精神的の脆弱さによって人々を誤った方向へ誘導するリスクはこれを担保しない傾向にあるということがおおよそこの国の政治傾向として思量されるがゆえだ。この国の非常時における国政のだらしなさは「神風」の時代はともかく江戸幕府においてしかり、明治維新においても、またましてや今次大戦の不始末においてをや。勿論今度の大震災大津波原発事故においてはまさしくあらゆる局面において統制されてない国家非常事態対応失策を我々は誰も大変な失望と絶望、苦慮、憎悪、不快、憤怒、の目で眺めていたのだ。原発公害は永久にここに放置される。子々孫々人類滅亡まで。だが多くの反論はこう、言うだろう。「それでも戦後66年、平和裡に過ごしたではないか。」馬鹿を言うでない。誰のおかげでもなく人民の平和希求の念とたゆまぬ努力があったから当然の報いとして当たり前の「非戦状態」を醸し出したというにすぎない。現に世界中が好戦家どもの巻き起こす、住民を巻き込む戦争に明け暮れているではないか。それを対岸の火事とばかりに無関心を決め込んで金の亡者になりおおしたのはどこのどいつだ。おかげで精神的なことについては何一つ分かっていないではないか。しかしながら天皇制という制度の廃棄は所詮実証されない民俗学的問題性を孕み一朝一夕には即断し得ない実質を有していることは認めないわけにはいかない。つまり欠けているのは天皇制乃至天皇の存在性に関する本質的な研究論議だと思われる。人民レベルの共通認識の欠如だ。感傷でもなく事大主義でもない真正の評価である。(中断)