沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩268 

2010年12月19日 17時56分12秒 | 政治論
 この国の宰相が来て、辺野古がベターだといったということは決定的ではないが政府の方針が辺野古確定を示唆したと県民は受け取るだろう。「お上のお達し」と言えばまさに封建時代のたみが口にするさながら奴隷的屈従を表す言辞だが、これが現代にそのまま通用するならこの国は時代錯誤を犯しているわけだ。但し「ベター」という表現は自らベストとは思っていないと言うことだから、彼が自己の政治生命云々したならこの問題につき命を賭けた県外国外移設に舵を切る行動こそ沖縄はじめ国民が十分に納得する「宰相」としてのベストな姿勢として肯くところであろう。従って、彼がかつて市民運動家として行動した自己の過去を理念的に購う唯一の選択肢は県外国外移設の一点にしかない。それをしもなし得ないとすればこの国の未来は暗澹たる道を指し示すことになる。彼の宰相としての責任は単に一国の安全保障だけに限定されるのではなくむしろこの国の本源的未来志向を政治的に支える役割のほうがはるかに大きいと思われる。彼がその師永井陽之助を真に学んだのなら理想のない現実主義は元々形容矛盾だし実質あり得ない道だと知るべきだ。そしてここからが重要だが、現今の軍拡志向は確実に危険な道、アメリカ自身が最も警戒した日本再軍備の道であるし、沖縄を人身御供にした戦後史をそのまま踏襲し、南西諸島を軍事要塞化する本格的非人道行為だと認識しなければならない。法治国家たる本分を弁えずなし崩しに断行する違憲そのもののこういう軍事的思考転回は矛盾だらけの現状を無視して見切り発進する戦前の軍国化を再現するかのようだ。沖縄県民は先の大戦から経験的に学んだ戦争の惨劇につき生々しく本土の人間に警告しているのである。辺野古闘争は、一地域の住民闘争に限定しているのでない、この国の平和希求を実践し、学習し向上しベストな日本の未来を掛け値なく選び取る勇気こそ奮い起こさねばならないといっているのである。一方彼はどこまでも日米同盟を国民的合意の最善の安全保障だと言い切っているが、これは実質ブルジョア的階層のための最善であり決して市民自身の合意でないことはすでに世論調査に現れているのであって、かかる情報的認識不足は致命的な総合力欠如と指摘されても文句は言えまい。だから「一国の宰相」として求められるベストな姿は国家的強権的強行姿勢ではなく、一方に偏する情報によらずあらゆる多方面な情報と知識と判断に基づく総合的な論理展開を国民の目の前に開示することそのものなのだ。沖縄は新基地建設を拒否している。いかなる条件を付与してもこの要求は呑めない。沖縄は根本的に経済自律の機会を基地によって奪われている。本来国が国民の厚生福利として基本的に実施すべき施策についてさながら基地負担代償のごとく扱われている不当性は一般国民レベルでの不公平を意味し容認しがたい。したがって沖縄振興策は普天間問題とは全く別次元の扱いとしなければならない。基本的には普天間問題は安保の問題であり同盟のみを重視すれば県民を蔑ろにし、移設反対に同調すれば日米関係の悪化を招くというわけだが、アメリカのことは真に外交の問題であり普天間は国内の問題だから、二者択一といった単純な分類に収まるようなものでもなく、双方ともクリアしなければ確実には決定的といえずかくして14年間一歩も進展しなかった理由は自明のことだ。しかるにこの国の政府はアメリカとはクリアしたとして逆に地元が決して受容しない条件で合意するという片手落ちを繰り返している。これが超エリート官僚の主導的施策というなら「君らはなんて頭が悪いのだろう」と言うしかない。こいつらは消費税や歴史教育など多くの事案について実に愚かな失政を戦後日本において繰り広げてきた憎むべき張本人たちだ。なんといっても敗戦総括と旧体制の解体を怠ったつけが今になって露骨になったという事態につき識者は警告しなければならないのだが、あらゆる学者たちが「われ関せず」の無関心派や「お説ごもっとも」の御用学者で占められている昨今、いったいどこにこの国の良心を見ればいいのだろう。