沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩250

2010年12月01日 11時41分47秒 | 政治論
 日米同盟の深化と言うとひところの日本では右翼の再軍備論という反発を示していたのだが、今や毎日新聞でさえ平気でこの言葉を使っている(29日社説)。戦後65年の時間的経過が戦争から遠ざかる、忘却するという歩みで内実化したことが、日本の戦争意識を最も不健全で愚昧な内容に貶めたことは間違いない。これは所詮のど元過ぎての自然解消で経験として認識されるという知的努力がなされなかった日本の戦後民主主義的脆弱さとして酷評されるべき事態だ。敗戦という事態の検証総括がなく、憲法問題を十分検討せず、日米安保に価値観のすべてを放擲した日本人の精神的闇をどうすればいいのか。日米安保、自衛隊、は明確に憲法違反だ。この糾弾がいつのころから沙汰やみになったのか。戦後民主主義の沈滞消滅とともにはびこり始めたあらゆる戦無派的現象は泡沫的論議の暇つぶしには格好の論題とはなったが、所詮浮薄な実りない話にしかならない。普天間問題の根本は安保の問題であり、辺野古闘争の基本は反戦であろう。このことを本土の人間は理解しない。伊波氏は日米友好条約化といったが違うのだ、日米関係はまず軍事同盟であり日本の再軍備抑制装置であり沖縄人質化だったので、到底友好関係は望めない。沖縄に対する本土はじめ日本人アメリカ人政府が持っている異人種観の根深さは百年河清を待っても解消しない。だからまず日米安保破棄、沖縄自治権拡大、政府不干渉単独決定権の確保という線しか考えられない。武の国日本対非武の国琉球という対立軸がここで明瞭になる。外交交渉による対外関係の再構築、武器を捨て、一切の諸外国紛争に中立の宣言をする、(戦争に関する一切の論議は本土の好きものたちにまかせておく)米軍基地追放、利権むさぼり財界をつるしあげ、琉球本来の産業育成に努める。(中断)