沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩252

2010年12月02日 11時04分37秒 | 政治論
 一つの流れ、県知事選は対立候補がいずれも県外移設を公約としたため完全に争点が経済問題に限定的に究極した。単独に基地に対する県民投票をすればまちがいなく「基地反対」が大勢を占める沖縄で、知事一人が県内移設という裏切り(まちがいなく裏切りですぞ)を犯して無事ですむわけがないし、普天間固定化は彼らが脅迫的に植民地支配者の醜い真相を露呈している、浅はかな非現代的な意見だ。ところがこういう表層的意見を内地の人間は平気でのたまう。何故か。彼らは沖縄の歴史も沖縄戦も知らないし、知ろうともしないし、沖縄が絶対的平和主義を根本的に有する本当の心根を理解できないからだ。いずれにしろ普天間無条件返還が沖縄の唯一の主張であり他はすべて心ならざる妥協だということを内地のヤマトは知るべきだ。日本の他県で基地を持たない県が安保の負担を分担すること、アメリカの強硬な態度を正すには安保破棄しかないこと、この二つ以外になにがあるというのか。

詩251

2010年12月02日 10時33分34秒 | 政治論
 菅の沖縄独立論?は彼が彼の帝国官僚的現実主義から脱却しない限り克服できない固定観念(意識または無意識)にとらわれている姿を浮き彫りにする。琉球処分に始まる大日本帝国の沖縄処分は敗戦で滅亡しなかった帝国官僚たちが引き続き根強く保有した植民地主義に依拠したのであり、戦後の沖縄軽視の姿勢を習慣化させるに足る伝統的固定意識(または無意識)となった。この知的時代錯誤こそ戦後民主主義の第一の敵だったが雪解け自由化連帯などの戦後勃興した新しい価値の潮流とともに自ら時代遅れを認知し衰退した戦後民主主義を凌駕し、結局なんの内省も齎さないまま現代政治哲学的には敗戦国のうらぶれた実態精神という内実において堕落し果てた。恐らく日本の戦後は価値観の喪失という決定的敗北によって精神的滅亡を招いた。抜け殻、老いぼれ、生ける屍、裸の王様、これが残念ながらこの国の真姿だ。一方に戦争を絶対的に拒否し拒絶する沖縄県民がいて他方に能天気な軍拡精神の日本人がいる。この差は歴然としているにもかかわらず、沖縄軽視の毒された官僚的感受性がはびこる日本内地の単細胞たちは時代錯誤な植民地支配者として沖縄に君臨しようと、相変わらず不毛な県内移設を標榜している。このおそるべき石頭たちの脳天にハンマーを打ち下ろすにはどうすればいいのか。