犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【日々是好日なり】江戸期のツアーコンダクター、お伊勢さんの御師

2022年11月25日 | 日々是好日なり
 江戸期の後半、寛政から文化・文政(1800年代前半)ころ、江戸の町民文化時代ともいわれ、商品経済が盛んになり、人々の生活も豊かになった。
 年中、朝から晩まで農作業では生きてる甲斐がない。
 余裕ができたから、旅でもしようかということになったろう。
 
 「お伊勢さんにお参りしませんか」
 「ご利益がありますよ」
 「農ごよみや新種の種苗なども差し上げますよ」
 「もちろん、旅の宿のお世話もさせてもらいます」
 などとお伊勢さんの御利益を宣伝しながら、全国的で活動する有能な営業マン達がいた。
 御師(おし、あるいは、おんし)と言われる。
 はやりの言葉では、ツアーコンダクター、旅行のお世話をする旅行案内人である。

 人口が3千万程度の時代に、年に400万人もの人々がお伊勢参りをした年もあったという。
 日本人の誰もかれもが7年に1度、お伊勢参りをしたことになる。
 全員が徒歩の時代だから、お年寄りや子供は無理なので大人が数年に一度のお伊勢参りをしたことになる。

 江戸から東海道を通ってお伊勢参りすると126里(504キロ)、1日の移動距離は30~40キロ、行きで15日、帰りで15日、往復だけで1カ月かかった。

 1日の宿代は、200文(旅籠屋、朝夕の飯付き)、昼食などに100文、1日の費用が300文かかるとすると、1カ月で9,000文となる。
 (注:奥能登から伊勢へ旅した人の宿代は旅籠屋で一泊100文だったから、東海道は2倍高い)
 現在のお金に換算すると、9,000文×25円/文=225,000円(22万5千円)
 人夫日当が200文とすると、9000文は45日分の日当になるから、相当高い。

 だが、旅籠ではなく、木賃宿(米持参で薪代だけ払って自炊する)で安く泊まる旅もできたようだ。
 また、
 お伊勢参りをする旅に目印の柄杓を持っていると、道中の食べ物や宿を提供してもらえたとか 
 → 旅の人に親切をする事で自分達の功徳も高まると思う人たちがいた 
 → 相互扶助社会 ^_^;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日々是好日なり】二百年前の旅のつづきのつづき

2022年11月24日 | 日々是好日なり
 奥能登から松阪・伊勢に向かった旅人は、金貨か銀貨のどちらを持参したか。
 メモに「二朱銀通用 安永元年」とあった。 

 江戸時代の貨幣は、金貨、銀貨、銭貨(銅銭、鉄銭)の三貨制度。
 金貨は一枚の価値が定まった計数貨幣、銀貨は重さが価値を表す秤量貨幣。
 
 身分で相違があり、上級武士は金貨、下級武士と商人が銀貨、農民が錢貨(銅、鉄)を主として使用した。
 地域差もあった。商業が盛んな大坂は銀貨、江戸は金貨。
 変動相場だったので、金貨と秤量貨幣の銀貨との交換で両替商は大いに潤ったらしい。

 だが、幕府は、両者の為替レートが変動が日本全体の積極経済策の障害となっていたので、金貨と同じ計数貨幣の銀貨を発行することにした。
 安永元年(1772年、明和九年→安永元年)、二朱銀が創鋳された。
 二朱銀を二朱金と同じ価値とし、いずれも8枚で1両。

 二朱銀(2.7cm×1.1cm×0.3cm、10.19g)=二朱金(7.5mm×3mm、1.62g)=1両の1/8
 以後、1億枚以上の二朱銀が発行された。
 現在の金額にして2兆円ほどか。

 旅人は、銀貨を懐に持って出かけた。
 二朱銀は1両(4000文)の8分の1だから、銭貨で500文に相当する。
 6000文は、二朱銀12枚で122g、単一電池1個ほどの重さである。

 当方の試算では、1800年頃の寛政年間において
 一両は、現在の16万円に相当する。
 8分の一の二朱銀、二朱金は、いずれも2万円に相当する。

 ちなみに、現在の金価格8796円/g、銀価格107円/gとすると、
 二朱銀=10.19g×107円/g=1,090円
 二朱金=1.62g×8,796円/g=14,250円
 となる。
 銀を著しく過大に評価していたことになる。
 そのため、幕末に西欧の商人が銀を持ち込んで金と交換、日本から大量の金が流出した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日々是好日なり】イノシシ退治のつづき

2022年11月23日 | 日々是好日なり
 イノシシ退治のために2年前(令和2年)、狩猟免許を取った。
 だが、
 ・狩猟にかかる用具一式、箱ワナ・遺体などを運搬する車両などのハード対策、
 ・現場での実地体験、協力してくれる人的ネットワークなどのソフト対策、
 のいずれも不足のため、諦めた。
 そこで狩猟登録申請の集まりの際に、町の狩猟名人に捕獲のすべてを頼むことにして、
 当方は監視と連絡だけ、
 先日の21日に幼獣一頭捕獲できた。

 町の有害鳥獣捕獲の説明会資料によれば、
 イノシシ捕獲頭数は、
 令和1年度   953頭  (成獣311頭、幼獣 642頭)
 令和2年度 1,470頭  (成獣374頭、幼獣1,096頭)
 令和3年度   205頭  (成獣 45頭、幼獣 160頭) 

 令和3年度に激減しているのは、大雪の影響。
 雪が深いと足の短いイノシシは行動が制限されて餌が取れなくなるので飢え死にするようだ。
 令和4年度はまた増えそうだ。
 
 イノシシは繁殖力が旺盛。
 イノシシの夫婦は一度に4,5頭出産する。
 仮に、2頭の夫婦が4頭を出産すると6頭 ⇒ 3組のつがい。
  2×3=6頭
 次の年に、3組のつがいが、各4頭を出産すると12頭 ⇒ 6組のつがいができる。
 つがいが3倍に増える
  2×3×3=18頭
 ・・・・・
 鼠算で増加して
 8年後には、
  2×3×3×3×3×3×3×3×3=13,122頭
 9年後には、町の人口よりも多くなる!

 だから、町あげて退治している。 
 当方も、猪退治の対策は一応できた。
 かつ、捕獲する度に名人から脂がのった美味しそうな猪肉を少し分けてもらうことに^_^;
 
【参考】イノシシは、「猪(い)の獣(しし)」という意味から。
 「しし」は元々「肉」という意味であったが、転じて「食用にする獣」となり、さらに「獣一般」を指すようになった語なので、「ウィ」と鳴く食用動物で「ウィのしし」がイノシシの語源である。
 「い」は鳴き声を表した擬声語で、「ウィ」と発音し、古くは単に「ヰ(ゐ)」と呼ばれた。
 干支を表す際には「い(亥)」と言う。
 幼いイノシシにはシマウリに似た縦斑があるため、子供のイノシシは「瓜坊(ウリボー)」と呼ばれる。
(出典:語源由来辞典)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日々是好日なり】二百年前の旅(つづき)

2022年11月22日 | 日々是好日なり
 寛政9年(1797)の頃に流通した銭貨は、銅貨4文銭(しもんせん)があった。
 目方(重さ)は、1.3匁、4.9gである。
 銭貨6000文の目方は、7.35kgとなる。
 銅銭1文銭の場合の3分の1ほどになるが、米5升ほどの重さの荷物を担いでいくことになる。

 当時の旅人は、夜明け前に出発して日が暮れる前までに8里から10里(32~40km)歩いたという。
 毎日のことであるから、余程身軽でないと動けなくなりそうである。
 
 ちなみに、江戸時代に流通した銭貨は、以下のとおり。
 寛永通宝・銅貨1文銭   1636年初鋳  目方1.0~0.6匁(3.75g~2.25g)後年、小さい銭が鋳造された
 寛永通宝・鉄貨1文銭   1739年初鋳  目方0.8匁(3.0g)
 寛永通宝・銅貨4文銭   1767年初鋳  目方1.3匁(4.9g)
 寛永通宝・鉄貨4文銭   1860年初鋳  目方1.3匁(4.9g)
 文久永宝・銅貨4文銭   1863年初鋳  目方1.0匁(3.75g)
 天保通宝・銅貨100文銭 1835年初鋳  目方5.5匁(20.6g) 
 最初に銅貨の「寛永通宝」1文銭が鋳造された時には、一文銭の目方は3.75gだったが、
 約100年後「寛永通宝」1文銭の鉄貨(目方0.8匁(3.0g))が鋳造され、「寛永通宝」1文銭の銅貨は小さく鋳造され、目方は0.6匁(2.25)となった。
(出典:幕末の一文銭・四文銭の価値 https://coin-walk.site/J076.htm)

 追記
「一文銭の目方」は「文目(もんめ)」と呼ばれ「匁」となった。
 今では1貫目(いっかんめ)などという単位は使われないが、
 1匁目=3.75g、1貫目=3.75kg。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日々是好日なり】箱ワナでイノシシ退治

2022年11月21日 | 上水道
 猪が箱罠にかかった。
 今朝、ワナを確認すると中くらいのが一頭、鉄格子のなかで暴れていた。
 箱ワナを設置したのが、先月の10月22日、今日が11月21日なので30日目である。
 興奮状態で四方八方にぶつかるので鼻から血を流していた。
 
 中に置いてあった、寄せ餌の米糠の小さい山はすっかりなくなっていた。
 今年の春に生まれた、体長95センチの幼獣だった。
 成獣は用心深いが、若いのは警戒心が小さいので罠にかかりやすいようだ。
 
 まだ、天然の山芋と山芋の零余子(むかご)などの好物もあるようだが、少なくなってくる季節なので、つい罠にかかったかな。
 人に危害を加えるわけではないが、畑を荒らすので退治せざるをえない。
 かわいそうだが。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする