犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム裁判>司法の場で基本高水の妥当性を争うことに無理があるが

2015年11月07日 | 辰巳ダム裁判
 裁判の議論では、当然ながら、裁判官は技術に関して素人であり、判断できないので、学者のお墨付きがあるかどうかが採用のポイントとなる。学者の立証がないと、単なる独自の考えとなり、採用されない!

 辰巳ダム裁判も一言で言えば、学者の立証がある基本高水1750(辰巳ダムの根拠)が採用され、原告の主張(過大だ!)は棄却されることになる。

 国の主張は(学識経験者のお墨付きをもらった)「基準」/「マニュアル」によって求めた(記載されていないところは裁量で)もので妥当なものであり、原告の主張は(誰のお墨付きもない)独自の考え方で信頼できないというものである。だから、100年確率の基本高水1750m3/秒は妥当で、原告の主張する100年確率値900m3/秒程度というのは信頼できないというものである。
 
 現実は、原告の主張どおりであり、20世紀100年間の実績がこれを示している。国の主張はまったくリアリズムがない。リアリズムのない治水などあるわけがないはずである。なぜ、このようなことになるのか。基本高水は、河道とダムに配分される。基本高水が大きくなると、河道は制約があるので、自動的にダムに配分され、さらなるダム築造の根拠となる。過大な基本高水はダム建設のための打ち出の小槌となる。ダム建設が治水の目的になっている。

 犀川の3つ目の治水ダムである辰巳ダムは、きっかけは、橋代わりのダムであり、洪水氾濫による、現実的な治水対策にせまられてのものではない。それ以前の犀川ダム、内川ダムは、昭和27,28年の洪水氾濫があってこれを防止するために、計画され、築造されたものである。

 リアリズムのない治水に導く、大きい要因は、超過確率概念を取り入れた基本高水の決め方によるものである。犀川では、最初の犀川ダムは既往最大洪水で計画された。2つ目の内川ダムは超過確率概念による100年確率の基本高水をもとに計画されたものである。3つ目の辰巳ダムは新たな降雨データが得られたと称して、再び100年確率の基本高水をもとに計画されたものである。2つ目の内川ダム時点の基本高水も現実感の薄いものであったが、辰巳ダムでさらに現実感がなくなった。
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