戦後、日本は侵略国家だったと、すっかり悪者にされ、日本人自身もそう思わされてきた。
明治期に西洋列強とぶつかった時点でも日本は冷静で控えめだった。
最も冷静だった人は?
朝鮮半島で露と対立して立ち向かわざるを得なくなった時、
明治天皇は、日露戦争の開戦にあたって危惧された。
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
1904(明治37)年 明治天皇御製
柳条湖事件を発端とした満州事変で昭和天皇が歌会始において詠われた。※
天地の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
1933(昭和8)年1月 昭和天皇御製
そして、米国との対立が抜き差しならぬ状態になりつつあった時、
昭和天皇は、日米開戦の是非を問う御前会議において、明治天皇のこの一首を読み上げられた。
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
1941(昭和16)年9月6日
米国との戦端が切られ、翌年の歌会始にて
峰つづきおほふむら雲ふく風のはやくはらへとただいのるなり
1942(昭和16)年1月 昭和天皇御製
つねに冷静に、子々孫々を見守る祖霊に祈る存在であり、日本列島で最も古く由緒ある家のあるじが、天皇である。
※【満州事変】日本と中華民国との間の武力紛争。 1931年(昭和6)9月18日の柳条湖事件を発端とし,狭義には33年5月31日塘沽(タンクー)停戦協定までの期間。