古文書の会の今回のテキストは、
森田柿園の『(前田 斉泰の)能州御巡見記』
加賀の殿様の行列が通った後の様子から
「御通りを奉拝候者共の内九十才
以上之者ハ前ニ札を逢置候様被仰渡
一人々々に身体の屈伸耳目食事など
之事まで不残御尋之上 大切ニ介抱可仕旨
御意被為在候 拝之人幾度も拝度
奉存 御通済候へハ 又御道先の方へ
走りなどして混雑仕候へとも堅制し
不申様ニとの 御意有之候よし九十才
以上七八十人御預ケ所ニ 百七才の
男一人百才以上ハ是一人之由」
藩主の前田斉泰は、通りで奉拝しているお年寄りの一人一人に体調のことや食事のことで声をかけたという。
長期間、藩主の座に座り、散財し、独裁的な政治を行ったような印象があるが、
この記述からは、予想外に人情味があり、人望が厚かったようである。
森田柿園は加賀藩の役人であったので割り引いてみるとしても、領民には良いお殿様と思われていたのだろう。
※ 森田柿園(もりた しえん、1823年3月27日(文政6年2月15日[1]) - 1908年(明治41年)12月1日[2])は、江戸時代から明治時代にかけての日本の地方行政官、歴史家。加賀藩の歴史に関する著作を残した。
※ 前田 斉泰(まえだ なりやす)は、加賀藩の第12代藩主。加賀前田家第13代当主。
外国から開国の圧力が強まり、全国的に海岸防衛・警備の重要性が問われたため、
嘉永6年(1853)4月6日~4月22日、能登を巡見した。
お供は700人ほど。金沢から江戸までの距離に近い約500㎞を3週間かけて回った。