ある新聞の東京社会部が、僕の日進市での講演会について、講演内容を地元に問い合わせてきたそうです。それで、こっちに直接問い合わせをと伝えましたが、電話をかけてきません。とても、不思議。これは、勝手な推測ですが、講演会で、日進市の花火の件で、ぼくがしゃべったことを、何か引っ掛けて、あやをつけたい可能性かなと思いました。わざわざその新聞の東京本社から、現地に取材を入れる話になっていますし(この程度のネタで東京から普通は取材しません。愛知まで)。残念ながら、日進の花火について、僕は講演会の当日まで、存在も知りませんでした。こちらは、特にもともと見解はありません。京都と同じで、ある種のシンボル的な話でしょうが、実質的なことの有無が大きい僕には優先事項が違います。
ただし、後で、騒動になったのを報道やネットで知り、そんな話になったのかと思い、懸念していた人を糾弾する感覚がおかしいと思い、ブログに書きました。こういう懸念する人を、大きな力が、非難するのは、ある種の暴力的行為です。こういった暴力的行為から、一般の人を守るのは当たり前のことと思います。僕はそういう主張をしているだけです。シンプルな話です。
放射能被害ということは、捉えにくいものですが、人々が懸念をしていることを、誹謗中傷することは、ソ連でもふつうに起きたことです。「放射能恐怖症」という単語はそのときに用いられました。最初は、その単語で徹底的に非難しますが、結局、後には、その言葉を用いた意味がなくなります。健康被害が顕在化したからです。寂しい事に、そうならないと、僕が主張していることの意味を正確に理解される事はないと思います。残念ですが(きょうの公営放送の番組内容からも実感)。
取材の優先事項が人々の健康ではない事も衝撃的です。そんなメディアたちに本当の存在価値などあるのでしょうか、とても不思議です。
さて、きょうは、9月27日です。僕の友人の長井さん(長井健司)が、ミャンマー軍に殺害されたのは、四年も前のことになります。このブログのアドレスや、メールアドレスがそれを示しています。放射能のことしかこの半年間書いていないこのブログは、もともと長井さん殺害に抗議し、彼のビデオカメラとテープの返却を求めるもので、その署名活動の中心でした。活動は三年間続き、去年から一年間、ほぼ停止しています。特にこの半年は、しょうがないですし、当面は無理と思いますが、長井さんは僕の優先順位は許してくれるかなと、甘く考えています。放射能被害に悩んでこのブログを見ている方も、ブログの過去記事の区分にある長井さんの人柄についての記事などを数本読んでいただければ、僕はちょっと嬉しいです。
ミャンマー軍もミャンマー政府も長井さんのビデオカメラとテープを返却していません。これを必ず返却する事を、変わらず、要求いたします。
ましたが、その一人ひとり、全員母親がいて、本当に大変な陣痛の苦しみを経てやっとこの世の中に送りこまれたものすごく大切な命ね集団なんです。その母親の大切な命達の上に、恐ろしい放射能がふってきた。私はなにもしりませんでした。原発から生活の恩恵をうけてきたのに、放射能がふってくることなんて何もしらなかった。恩恵といっても、私の生活といえばたぶん私のかんがえるつつましいものだとおもいます。政治家のような派手なもんじゃない。私はバブルも知らないし、一度も高い買い物だってしたことない。でもいつのまにか、原発から電気をもらって、つつましくも恩恵をうけたとおもう。私は馬鹿です。それなのに放射能のことを何もしらなかった。原発が爆発したらそんなことになるなんて。枝野さんやマスコミはレントゲンの話ばかりしていた。でも、なにか降ってくるなら教えてほしかった。放射能恐怖症なんて簡単にいわないでほしい。死ぬ思いで出産したから、この命の上に一粒の危険もふらせたくないんです。それは不可能です。でも、わかっているものにかんしては極力ふせぐ努力をしたい。ここのブログにつどう人は、ネット好きの若い人と新聞記事でまとめたいところでしょうが、ちがいます。三月から政治家やマスコミに裏切られたと感じる必死の母親がおおいとおもいます。このような私ですら、やっとネットをひらいてこのブログにたどりついたのですから、きっとそうです。過去にも新聞社のコマーシャルには、産後の主婦を馬鹿にするような内容もあり(たとえば、産後の主婦が頭悪そうに家でボケっとしていて、そこで新聞をよむことで賢くなって社会にでていくというような内容)ああ、マスコミやコマーシャルをつくる広告会社のひとというのは、およそ出産や育児や母親や、命がいま普通にそこにあることの大切さもわからない、地に足のつかない人達なんだなとかんじたことがあります。いま、この新聞社のあやしい動きのブログを読んで、その時と同じ気持ちです。うまく表現できず、
下手くそな長文もうしわけありませんでした。
これからも変な宗教団体、活動家に負けず放射能と戦ってください。
頑張れ木下様!
僕は今福島に住んでるので、あと数年でガンは白血病になるかもしれませんが木下様は頑張れる人だと思うので応援しています。
沢山講演して頑張ってください。
こちらの地元紙の読者投書欄では、ここ数日、その日進市の対応を批判する投書が何通か掲載されていたのですが、とうとうコラム欄でも取り上げられまして、その欄の最後の方では、福島産の農産物に抗議する人達のことまで批判しておりました。
正直、福島産の農産物を安全だと言い切ってしまうような書き方はどうか?と思いましたが。
まぁ穿った見方をすれば、福島産農産物の安全性に懐疑を示すような発言をすると、隣県である我が新潟県、それどころか東日本全体の農産物の安全性に疑問が生じかねないので、ある種のキャンペーンを張っているのかもしれませんけど。
PCを通してですが、いわき市の聴衆と同じ目線で、いま自分たちが置かれている深刻な状況を理解し、子のため、自らのため、これからどう生きていくのかを噛みしめさせていただきました。
日々の自身の活動の中で、決して忘れていたわけではない、福島に取り残されている人たちへの非道な役人たちの振る舞い。
けれども、自らの身を守るのに精いっぱいで残った人たちの窮状をどこまでわかっていたのかと思い知らされました。
視聴し終わって強く感じたことは、原発廃炉のアクションと、高汚染地域に残らざるを得ないひとたちの窮状への手助けは 自分にとって決して切り離してはいけないものだということでした。
今回学んできたように、アクションは電話でもいいし、まわりのひとに伝えることでもいい。福島あるいは近隣地域のこどもたちの疎開実現もまた私のこととして取り組まなければと思いました。
木下さん、長井健司さんのことは こちらの過去ブログをたどっていき知りました。ミャンマーでの事件後の新聞で知っている程度でしたが、いまの木下さんの姿勢は 長井さんの生きざまとだぶって見えますよ。ひたむきで まぶしく見えておりますよ。
原発利権はもはやカルト宗教にしか見えないです
思い通りにならない福島前知事を逮捕すらできる(もちろん冤罪)連中です
どうかして、最悪の場合捏造すらして失墜させようなんて必ずやるでしょうね
くれぐれもご注意ください
あいつらは明らかに頭がおかしいですよ
(署名したかったのですが、何故か私のPCでは「NOT FOUND」メッセージが。。。PDFでも同じでした。)
カメラを持ったまま撃たれて倒れられたお姿がニュースで流れたのを覚えています。
居住する国が、虫を追い払うかのように国民に銃を向けることがあるのか…と、半ば信じがたい気持ちでニュースを見たように思います。
今の日本は銃こそ向けていないまでも、国民を騙して見殺しにしようとしていることは、あの頃のミャンマーと何ら変わりないような気さえします。
命をかけてお仕事に打ち込んだ結果が、長井さんの最期となってしまわれたのでしょうが、今の日本で過ごす私達も、命がけで日々を過ごさなければならないのだと感じております。
長井さんのご冥福を祈りつつ、日本の未来にも祈りを捧げます。
私の恩師もアフガニスタンでペシャワール会の活動をしていたそうです。3.11以降ネットで知人・友人・恩師の消息を調べて知りました。
2008年8月伊藤和也氏も活動中に拉致・殺害されてしまいました。恩師も交流があったのでしょうか?わかりませんが、日本を出て、荒野で活動することの尊大さは凡人には想像もつかないことです。
いまは、野菜をよく洗う、外国産の肉を選ぶ、牛乳は飲まない、雨にあたらないという生活をするのが精一杯な私たちです。こんな日本に外国の方が支援・援助・助言してくれることも、難民になった今、ただ感謝したいと思います。