一年半の時間経過とともに、僕たちが考えなければならないことは、増えていると理解しています。こうした中で、僕自身、いろんなことを悩みながら、それでも前にすすんでいかないとならないと、よくよく考えるのですが、一番大切なことは、まずは我が身をどう考えるのかという事です。それは、放射能防御という観点で、考える事ばかりを指している訳ではありません。放射能防御が必要不可欠な状況となったこの日本で自分がどうするのかという事もありますが、すでにこの状況は固定化し続けているため、固定化した状況の中で、自分がどういうふうに生きていくのかということを、もう一度問い直す必要があると思っています。
皆さんに問いかけている話でもありますが、自分に問いかけている話でもあります。放射能という問題が起きているのに、それを大半の人が、気づかないふりをする、もしくは本当に気づかない状況は東日本で継続しています。それへの異論を唱え続けることは、今も今後も必要ですが、それを続けていても、結局のところ、人の意識は、それだけで、続くものではありません。その意識とは別に、自分が避難した先で、実は新しい自分の生き方を考えることが大切になっていると僕は思います。
首都圏から、西日本にこれだけ多くの方が、余儀なく移住したことは、戦中期の疎開移住を除き、明治以降、類例がありません。しかも過去の東京と異なり、爛熟して中枢文化を独占していた都市に、その都市の栄華を、一身に受けて生活をしていた人々が、その華を捨てて、移住するというのはこれまでになかったことです。 難しいのは、今まで得られたものを失って、違う生活に入ることが、いろんな形で人に負荷をかけます。その負荷は確かに苦しいものです。この負荷をどう解消するのも困難です。それでも、解消をしていくしかない。では、どうするのか。これは、実は難しくもあるのですが、難しい事ばかりではありません。新しい生き方を考えるしか、実は方法がないのです。もう少し書きます。自分がこれまで、おこなってきたことを踏まえて、自分の心の中で志向する、自分がやりたいことに基づいて、自分のいる居場所の中で、可能なアクションを始めることです。経済的に見返りができるものならなおよいですし、そうでなくても、自分が心の奥底で本当にやりたかったこと、できればまわりとの何かかかわりがある中で、やれそうなことに、新たに着手してみることです。
起業という形をとるひともいるでしょうし、あらたなコミュニティをつくる人もいるでしょう。趣味のグループかもしれませんし、違うアルバイトをはじめてみることかもしれません。 ただし大切なことは、東京にいた自分がしていなかった要素を、していなかった方法、していなかったポイントを、何か必ず踏まえることです。今までと同じことばかりするのでなく、意識して自分の人生の中で、自分が取り組まなかった要素を必ず取り込むことです。それが、肝要です。繰り返しではなく、新しいことをはじめる。それは、自分が、過去の自分を、ある部分は捨てて、再生するために必要な作業となります。何もかも捨てなくてよいのですが、身にまとわりついた何かは捨てなくてはならない。そうした感覚の中で、先にすすんでいくと、見えてくるものは必ずあると思います。
放射能というのは、残酷なものでもありますが、実はある意味革新的なものでもあります。その革新さゆえに、多くの人々は、原爆や原発にとりつかれていて、そのことにあきらめのつかない人達は今でも多くいらっしゃいます。エネルギーをだすものの本質とも思うのですが、よかれあしかれ、そのパワーはまわりにもさまざま影響をもたらします。生体的な影響はもちろんですが、実はその存在そのものが、人の意識を大きく変えていきます。もう少しいうと、その人そのものを、最後には一変させます。それは、生物としても、文明の産物としても、成立した個人の在り方を大きく変貌させるものです。そして、東京には、それが、とんでもない量、拡散して存在している状態です。
僕は、その変貌に大きくふみ込まれていくときに、人とというものは、過去の自分を、実は完全に失う状況になると確信しています。もちろん、その変化は、多かれ少なかれ、3.11.以降の人々に、おき続けているものなのですが、放射能を避けるという事は、そこで、自分を完全に毀損させないために必要な行為と思っています。生体ばかりでなく、自分という意識の防衛です。
それでも、移住したことそのものも含めて、その人に変化はあります。プラスもマイナスも、いろんな変化が。そうした変化を受けながら、戸惑う日々に押し流されている一年半だったと思うのですが、その変化が、避けられないものである以上、自分という存在の保持のために、変化を受けて、自分自身がスライドしなければならないと思うのです。
つまり新しいことを始めるというのは、まさにその自己への、最大の救済策ですし、実はそれ以外に、抜け道はないと、本質的におもいます。これは、避難移住に踏み切れていない人にも同じ構図なのかもしれません。新たに踏み切ることしか、実は何の救済もありません。どんな小さなことからでも構いません。それが、あなたを毀損しない、唯一の道になると僕は思います。
僕は、新しい生き方が、貴女に必要だと思っています。
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【9/30(日)京都ベジタリアンフェスティバル】
つぎの日曜日、9/30(日)に京都市内の梅小路公園で開催される大きなイベント「京都ベジタリアンフェスティバル」http://www.vegetarianfestival.jp/にトークゲストで参加します。今回は、10周年の大きなイベントです。
メインステージ
12:45から15分 木下黄太トーク
13:00から15分 平智之議員や長谷川羽衣子さんらとトーク
緑の館1階イベント室
14:00~16:00
特別講演「放射能汚染と今後の日本。エネルギーシフトを京都から」
平智之 議員 X 長谷川羽衣子さんX 木下黄太 ¥700 予約⇒yoyaku.nonukes.vegefes@gmail.com
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【10/13(土) 木下黄太講演 IN 金沢】
★☆★~ 大丈夫?! 震災ガレキの埋め立て ?? ~★☆★
日時:10月13日(土)14時~16時(13:30開場)
会場:金沢歌劇座 大集会室
(下本多町六番 )
参加費:500円(前売りチケットあります)
主催:子どもたちを放射能から守る石川の会
共催:そらまめクラブ、わらべうたとえんげきの広場
*お車の方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。
*会場内後方に、キッズスペース、授乳スペースあります。
鋭敏な勘と誠実さから発せられる木下さんのまっすぐな言葉は、土壌調査や被曝被害のデータと相俟って、難局の中にいる人々の命を救ってきました。
様々な無理解の中で、心身の疲労にも弛む事なく一年半ジャーナリストとしての使命を果たしてこられました。
本当にお疲れさまでした。
現状では木下さんの肩から重荷を降ろせるのはまだ先になりそうですが、いつしか重くて大きな荷物を降ろして、心底から休んでいただきたいと思っています。
私たちはそれぞれ立場は様々ですが、自分の命に責任をもち、大切に生きていきたいです。
周囲に流されず真剣に生き直すチャンスと云えるのかもしれません。
津波・地震・原発事故で肉親を亡くされた方は否が応でも「新しい人生」というか「311以前とは違った死生観」を探し求めつつ今を生きておられるようです。
この世にまだ生きている者としては弱音ははけないですね。
今回のことで何人かの被災者さまとお話ししましたが、現状を潔く捨てて新しい人生を生きておられる方に共通することは、311以前にも人生の辛い辛い岐路に立った経験があるということでした。
生死をさまようような大病をした、入退院を繰り返しまともに働けず家族に迷惑をかけたのが嫌だった、親の介護から家庭内崩壊してしまった、親戚同士で事故の加害者と被害者が出てしまっていた、夫が赴任先で不慮の死をとげ命日もろくにわからない、、、などなど。
これらのことで経済的に困ったり、自分を見失いそうになったり、けっして楽でない大きな出来事を生き抜いてこられた人たちは何より心が強く、そして生きるということに真剣!
もう一つは「縁」をすごく大切になさっているけれど、縁の無い人や物事には執着せず、既に切れてる縁に対しては速やかに切れていると認めて長々と追いかけたりされてないです。
さてと、地震にも気をつけないといけないみたいで、避難用具のチェックをこれからするつもりです。
私も汚染でこれまで住んでいた場所から生活をシャットアウトされるなんて、夢にも思わなかったし、すごい経験だな~と思います。
これからの残りの生活は、何とか子供たちのために生きていけたらと思います。(私自身は未婚で、子供もいないのですが。)
自分にできること、これからの生き方について考えています。
上記の07のコメントに東京の清掃工場に比べて北九州のものは能力が劣るのではないかと書かれています。
----------以下抜粋------------
飛灰の値が一番低い、渋谷清掃工場の例をとっても、受け入れたがれきの値の2.8倍に濃縮している。太田清掃工場では21倍。
ところが北九州市の清掃工場の場合は、日明で1.6、皇后崎で1.4、新門司では
濃縮どころか0.5で、かなり大気中に漏れ出たことが推定される。他の2つの工場でも、大気中に放射性セシウムが漏れ出ていることが考えられる。
まずは経済的に将来の見通しを建てること、それから、知り合いを作り、自分の居場所を見つけること。
それらを通して、感じることは、これまではいつ死んでも後悔しないように自分のやりたいこと(欲望)を優先して生きてきたけれど、今は、そういう生き方を強烈に否定している自分がいるという感覚。
そして、生きるとは自分が社会に必要とされることであり、仕事とは社会貢献でなければならないと、今、感じています。
高度成長期に育った私の世代は、自己実現こそが人生の目標でした。何とバカバカしい価値観に足を掬われていたことか。
これからは、社会の腐葉土となって、やがて訪れるであろう死を迎えたい。そう思っています。
ありがとうございます。
私は7才の子どもを持つ母親で、関西在住ですが、この度夫が会社より東京への転勤を言い渡され、単身赴任をお願いしました。
まさか自分の身に家族そろって暮らすことを引きはがされる出来事が起ころうとは夢にも思いませんでした。
3.11後の日本とはそういうものなのだと、ひしひしと実感するしかありません。
東日本から西日本に移住した方が、孤独な思いをされていることは、気の毒でなりません。
かくいう私も、6年前に東京から関西に夫の転勤で移住した身です。
生まれてからずっと関東で過ごし、転勤当初は誰一人知り合いがおらず、まだ小さい子どもと二人、家の中に引きこもって暮らしておりました。現実に目を向けることができるようになった頃、インターネットを通じ、お母さんの集まりに参加するようになり、徐々に関西での暮らしにも馴染んでまいりました。
木下さんがおっしゃるように、今までの自分とは違う何かを始めることは、私の体験からも新たな土地で暮らすことにプラスの作用があると思います。
どうか、移住者の皆さまが生き生きと輝かれますように心から願っております。
というような投稿をよく見かけます。
ぼくも、ごく最近体調に変化が現れているので報告します。
1皮膚に小さな赤い点が多く現れる
(血腫?)。
2目の周辺が異常に痒く、目やにが
ひどい(朝起きると目が開かない
くらい)。
3参考までに部屋の中の空間線量率
0.12~0.13μSV/h(以前は0.08μSV/h
以下くらい)。
これでは各クリーンセンター周辺でのモニタリングを
強化しないといけないかも知れません。あるいは野焼き?