米国の諜報関係者の話。災厄が本当に大災厄になればなるほど、人は安全と思いたがると聞きました。普通に考えれば、最低でもこのくらいは防御するだろうという事さえしなかったり、ほとんど何もしない場合も多いそうです。本当にこの大災厄が起きている実感が持てないまま進んでいくそうです。もちろん、防御した人と比べて、結果は悲惨なことになります。でも、よくあることなんだよと彼は言います。
押し寄せてくる津波のときに逃げ途中で立ち止まって波をみていた人がいましたよね。ああいう感覚近いのかもしれません。
すすめている土壌調査の感じから言うと、東京の汚染は、チェルノブイリの放射線管理区域並みのところはもちろん出てくる感じでしょう。当時、管理区域にされなかったキエフは、東京並みの汚染か、それより下のレベルの汚染かもしれませんが、そのキエフで子どもたちにとって、若い女性も追い詰められる事態になったのです。病気、出産のトラブルの状況を知ると、東京が大丈夫だと思える感覚が僕には理解できないままです。大災厄は、恐れる事しかありません。それが続いて、どうなるのかは、まだわかりませんが、まずできる限り逃げることしか、僕がおもいつくことはありません。
木下さん、掲示板変わりにしてしまい申し訳ありません。
>いけださま
お気に止めて戴きありがとうございます。
母乳ネットワーク存じていました。
私自身は、もう授乳していないのですが、検査して戴いた友達もいます。
ただ、母乳で日々生産なので、母親たちは悩み続けるというかそういう感じで、そこで、専門の方のお考えでは、言葉は非常に残酷ですが、汚染されているかもしれない母乳よりミルクを!と薦められるのか、それとも、初乳のみ与えた方が良い等の見解があるのかなぁと思いまして。
いずれにしましてもありがとうございます。
>ケロ様
本当におっしゃる通りです。
ただ、最近、こういう病院または産院が多くあることも事実なのです。
そして、初めての出産だったりするとそれを盲目的に信じてしまう場合あるというか・・
また、一人目と違う育児にも戸惑いがあったりするようです。
私自身は、子供の吸いが悪くミルク大目の混合ですが、子供はめちゃくちゃ丈夫なので、懸念があるならミルクのほうが・・・と思ったりするのですが。。
あと、ネットで授乳ママが相談された場合、「母乳をあげるメリットの方が大きいので」とアドバイスされているお医者さん(本当かは謎です)多くて。。。
本当にそれでいいのかなと。
今日も、明日も、沢山子供が生まれてくるので。
>医師X様
>仮に生後半年前後多少カゼをひきやすい位、被曝の影響に比べれば些細なことです。感染症は治療で殆ど治りますが、被曝は消し去りようがないです。
やはりお医者様からしてもそうなんですよね。
私もそうじゃないのかなぁと思いつつも、本当に何の専門性も無いので。
どなたかこういった見解をお医者様で示して戴ければと思うのですが。
でも、今回、こういったご意見ありがとうございます。
本当に今妊娠中の方が回りに多いので、相手の方の精神が安定しているときに話してみます。
その頃は、東電の会見もテレビで放送され、当事者とは思えないあまりにも誠意のない対応に、この人たちは真実を話しているのか、言ってる事を信じていいのか、と問いませんでしたか?
枝野官房長官の、何に対しても、直ちに影響はない、という、決まり文句に、そんな訳ないだろう、と疑問を持ちませんでしたか?
一番初めのの爆発の映像をしばらくの間、午前中の静止画とその時の静止画を見比べて、ちょっと違って見えますねえ、と暢気に言っていたNHKに、なぜに今の映像を流せない?と不審に思いませんでしたか?
私たち夫婦は、この初めの数日の出来事の報道、政府、東電保安院の対応を到底信じられず、15日の朝の顔面蒼白な武藤副社長による東電会見をみて、どうにもこれはマズイと察し、その30分後、家を出、福岡へ向かいました。
もちろんこれまでの間、ネットで木下さんやフリージャーナリストの方々や海外の報道をみて状況を判断しました。
単に、ここにいるのは安全ではないと確信したのです。
そして、避難先では駅等で寝る事もあり得る、様々な困難に遭うだろうと想定、覚悟していました。
その後2ヶ月半自宅を離れていましたが、今は家を引き払うため一時戻っています。
周りの、危機感のなさに驚きました。
あの後、原発の状況に何の変化もないのに。
相変わらず、垂れ流し、ふた無し、水蒸気モウモウ吹き出しているのに。
この2ヶ月半、貯金はだいぶ減りました。
2年しか住んでいない家のローンもあります。
娘たちの学校もあります。
でも、今後収入が減るにしても、生活レベルが落ちるにしても、すぐにここを離れる必要があります。
今までの便利の生活の裏には原発があったかと思うと、ここまで便利な生活は全然必要なかったと、愚かだった事に恥ずかしい思いです。
私たちは海外へ行きますが、そこからも日本の脱原発、そして汚染地域の方達の避難に出来る限りの事をしたいと思っています。
総ての行動は将来のあるふたりの娘のためです。この子たちの首にチェルノブイリネックレスのような事は絶対にさせません。この子たちを守るのは親である私たち夫婦しかいないのです。
免疫云々はありますが、多くの子供の発達をみていて母乳とミルクと違いはないように思います。仮に生後半年前後多少カゼをひきやすい位、被曝の影響に比べれば些細なことです。感染症は治療で殆ど治りますが、被曝は消し去りようがないです。
遠くに逃げる、食べない、飲まない、吸わない、これしか方法はありません。
必ずしもそうではないと思います。
私の知る限りでは、
今回の原発問題が生じる前から、母乳育児をするかいなかは、母親の見解次第です。
地域的な風潮なのでしょうか?
確かに、出産を手放しで喜べる状況ではなくなってしまいましたが、母乳育児をするかどうかは、それぞれの育児があるのではないでしょうか?
母乳育児は、赤ちゃんとママのリズム次第です。
それを、絶対母乳育児と決め付けるのは、原発問題がなくとも可笑しな事です。
「災厄が本当に大災厄になればなるほど、人は安全と思いたがると聞きました。
普通に考えれば、最低でもこのくらいは防御するだろうという事さえしなかったり、
ほとんど何もしない場合も多いそうです。
本当にこの大災厄が起きている実感が持てないまま進んでいくそうです。」
これが事実だとしますと、いま東京の私の周辺で起きていることはよく理解できます。
まず、マスクをかけている人が本当に少なくなりました。
花粉症や黄砂の季節が過ぎて気温も上がり、
マスクをするのがうっとおしい季節になってきたことも一因でしょうが、
四月の初めには多くの人がマスクをしていて、
明言はしないまでも、明らかに放射能を意識していました。
梅雨に入り、傘もささずに濡れて歩いている若者を何人も目にしますが、
こういう人たちはもともとあまり危機意識のないタイプだと感じます。
そうではなくて、そこそこ怖がっている人たちも、周りがあまりに普通に暮らしていると、
だんだん「なんだ、大丈夫なのかも知れない」という気分に染まっていくのですね。
慣れというより、悪い意味の狎れというのか、
「放射能を気にして暮らすストレス」に負けてしまうのかも知れません。
しかしもっとやっかいなのは、原発事故を「なかったこと」にして、
話題にもしない人たちの多さです。心理学でいう「否認」です。
私はしばらく遠方に疎開していたのですが、東京に戻りました。
料理や飲用に使う水はすべてペットボトル、魚は外国産、
野菜はなるべく西のものを買うようにしています。
うっとおしいのを我慢して、マスクもしています。
けれどもときどき不自由さに耐え切れなくなって、
マスクをはずして自転車を飛ばしてしまったりします。
毎日、原発と放射性物質のことが頭を離れません。
チェルノブイリ周辺で起きたことは、遠からず、東京にも降りかかってくると思います。
私には疎開する場所(心から歓迎してくれる友人宅)があります。
「シェアして、一緒に住もう」とも言ってくれます。
ですが、東京を捨てて移住する覚悟がどうしてもつきません。
具体的なことは省きますが、他の多くの方々と同じように
私にも肩に乗っている重荷があるからですし、
一番の問題は、移住して本当に生活できるだけのお金を稼ぐことができるのかということです。
豊かな生活を望んでいるのではなく、文字通り「食べられるのか」という不安です。
疎開地は失業率が高く、本当に賃金の安い土地だからです。
その悩みで、苦しい日々を送っています。
心は「東京にいたくない」、頭は「でも現実には難題が山積み」。
決心がつかないということは、どう生きるかを決められないということに等しく、
右と左に引き裂かれるようなものだと知りました。
東京にいればいるほど、精神状態が悪くなっていくような気がします。
いえ、気がするというより、疎開先ではとても安らかだった気持ちが、
重石を乗せられたようになって、色々なことが手につかなくなっています。
心の健康のためには、東京を去ったほうがいいとわかっています。
やはり、先立つものは仕事とお金です。
現状では、チェルノブイリの子供たちが一ヶ月の保養に出たように、
ときどき「放射能抜き」に行くことがせいぜいか、と思います。
国境を超えるメキシコ人、ベトナムのボート・ピープル、
タイのキャンプに押し寄せたカンボジア難民など、色々な人たちがいました。
木下さんは、今の東京都民はこのような人たちと同じように行動したほうが
良いとお考えになっているのかも知れませんね。
命からがら、という気分で脱出せよと。
私は今、本当に悩んでいます。もしかしたら、そうするかも知れません。
「母乳調査/母子支援ネットワーク」http://bonyuutyousa.net/
には問い合わせされましたか?
ニュースにもなっていますが、こちらは独自に、内部被爆を心配しているお母さんたちが自主的に搾乳して持込んだ母乳サンプルを継続的に調査している団体です。つい先日も、49サンプルについての結果発表会見やっていました。
茨城の放射線汚染マップ (てつ)様
貴重な情報ありがとうございました。
私は水戸市在住、那珂市勤務です。
那珂市近辺は水戸市以上に放射能被害について表だって話せる雰囲気でないことを実感しています。
メール交換させていただければと思います。
福島原発反対のフェイスブックでは「yasmin lashari」、mixiでは「あすにゃん」です。
ご連絡いただければ幸いです。
※木下さん、個人的なコメントでゴメンナサイ。茨城県内の原発に対して発言しづらい事情をお察し下さい。
そして、いつも素早い情報をありがとうございます。
コメント欄からで恐縮なのですが、母乳について何か情報をお持ちでしょうか?
母乳の検査結果が出ても、ほとんど「今まで通り授乳して大丈夫」という見解を通達されています。
しかしながら、本当に安全なのでしょうか?
現在の育児は、「母乳で絶対育児しましょうね。ね。子供のためにがんばるのがお母さんでしょ。絶対、母乳ですよ。母乳。」といった風潮です。
そのため、母親は、「うちの子のために何が何でも母乳をあげないと」と固く固く心に誓っています。
その誓いがなかなか今回の事故の状況についていけないみたいです。
母乳からミルクに切り替えた方が良いのか、免疫が構築されるといわれている初乳をあげなくて良いのか、出産にむけての恐怖に合わせて、戸惑いが本当に大きいようです。
もう、出産に向かって心から笑えた日は無いといっています。
どうか何か情報をお持ちでしたら、ご教授ください。
しーぷるKさん、あなたのコメントを見て、涙がでました 「私もそうなの…」と思いました
職場で乳飲み子を抱え仕事をしている時に被災、ある程度片付けて保育園に上の二歳児を迎えに行き校庭の真ん中でテントを張って先生方に守られていた我が子をみてほっとしながら「なにかうそみたい…」と思ったのを覚えています
電気も水道も止まった寒い我が家で布団に家族四人でくるまり、一晩を過ごし、水をくみに行ったり窓を全部あけてお掃除をしたりしながらようやく夕方電気がつきテレビをみて原発が爆発したことを知りましたが、主人が職場を置き去りにする覚悟がついた(なかば私が本能的に強引に)のは翌日の昼前の爆発の中継でした
常陸太田の主婦の方のメールを読ませていただくと、私たちはすっかりかぶっているかもしれません
13日のお昼過ぎに水戸を出、高速道路は通行止めなので下道で主人の実家に寄り、長野の私の実家に着いたのはもう夜でした
以来、私たちが水戸に行ったのは5月に一度きりです
主人は水戸で仕事をし、休みの時は長野に必ず帰ってきてくれます
今日も隣に寝ています
震災前は当たり前過ぎて感じたことがありませんでしたが、主人の寝息と体温がなんというかとてもありがたくてしかたありません
やっぱり家族は離れていてはいけないと思いますが、でも、もう子どもたちは水戸には戻れません
こちらで生きていきます
水戸や都内にいる大事な友達に危機感を伝えてもいつもあまりに温度差があります
でもこの頃、こちらがご実家のウクライナ製ガイガーカウンターを持ってる方にお願いして実家周囲を測ってもらったのですが、0.14~0.18マイクロシーベルトありました 長野県北部全体的にだそうです 誤差を加味してもショックにあまりありました
できるだけ地産ですが牛乳も子どもたちも飲んでましたそして今日も飲みました 汚泥からは最大3000ベクレル検出されています
牛乳をやめるとか九州産の野菜を取り寄せるとか踏み切れずにいるのは、うちが農家であることもあるかもしれません 危ないかもとどこかで思いながら踏み切れずにいます
どこでバランスをとっていくか気持ちの綱渡です
教えていただけたら土壌調査にぜひ参加したいです
何度も言いますが、「検査が正常でも被曝していない証拠にはなりませんし、検査が異常でも被曝した証拠になりません」。
多くの医師は被曝に関しての知識はすくなく、震災後に勉強しているのが現状ですが、少なくとも上記の「」の事は多くの医者が認識していると思いますし、現状これが医学の限界です。WBCで被曝量が分かっても、病気になったのが被曝によるのか自分の遺伝子や後天的な食生活習慣かは見分けが付きません。
検査を希望される方も血液検査(含む甲状腺)が被曝の証拠にならないことを認識した上で、あらためて検査をするのかしないのかよく考えて下さい。
かといって 以前のように思考停止になって楽になっている場合でもない、、
きょう、近くの農業公園に出かけ そこのカフェで偶然ミニコンサートに出くわしました。お茶をいただきながらひととき農業を愛する人たちと とくに放射能や政治、被災者の方の話をするわけでもなく でもお互いの傷ついた未来をいっとき共に安らわせるような時間を過ごさせていただきました。何よりこの時間を被災地のみなさんに差し上げたくも思いました。(もはや この滋賀も被災地でしょうが まだまだ顕在化してはいません)311以前の感動とは違う ただただ貴重な時間をいただけている感覚を抱くことのできた2時間でした。
木下さん、みなさま、こんな時間をわずかでも ちょっと無理しても作って過ごしてほしいなと、長丁場ゆえ 自分がつぶれないようにしていただきたいなと心から家族のような思いでお願いさせていただきます。
没落するほうは直前栄華を極める。
後継者は一度衰退するが前者を教訓に復活する。
①西暦400年頃 大和朝廷誕生 ※近畿圏の誕生。
↓400年
②西暦800年頃 平安京確立 ※近畿圏の基礎が強固になる。日本独自文化の発祥。
↓400年
③西暦1200年頃 鎌倉幕府確立 ※関東圏の基礎確立。
平安末期、平家は中央政権を牛耳り栄華を極めるが、源氏に滅ぼされる。
源氏は平家を教訓に新たな中央政権を確立。
↓400年
④西暦1600年頃 江戸幕府確立 ※東京の基礎確立。
安土桃山末期、豊臣家が天下統一し栄華を極めるが、徳川家に滅ぼされる。
徳川家は豊臣家を教訓に天下を治める。
↓ 400年
⑤西暦2000年頃 ※地方分権・真の民主主義確立。中央独裁崩壊。 東京は中央独裁政権で栄華を極めるが、関東、東海大地震で一極集中は崩壊する。
大阪は東京を教訓に地方分権を推進し、真の民主主義国家創設中心地になる。
※2015年前後(リセットポイント)に関東、東海大地震発生。首都機能崩壊。
大坂夏の陣1615年(江戸と大坂の立場逆転が決定)から400年。
2011年4月統一地方選挙で大阪維新の会が大阪府議会の過半数、及び大阪市議会と堺市議会の第一党の地位を獲得。大阪府から大阪都へなり日本の中心としての準備が整う。
阪神大震災1995年(関東、東海地震への警告、教訓、犠牲)から20年(20年間は関東、東海大地震への準備期間)。 2011年3月の東日本大震災は関東、東海大地震に備えるための直前通告。
地震直後大阪系企業が一斉に本社を大阪に戻し、それに便乗した東京企業も大阪に本社機能を移して、東西の経済が逆転する。
※2030年迄の今後の変化。
日本は地方分権した真の民主主義国家になる。
西日本⇔アジア経済中心地になる。
戦後日本を中央政権で支配してきた東京は首都の役目を終える。
首都特権(中央官庁支配、キー局出版制度による情報操作)は全廃止。
地震でリセットされた東京は東日本経済中心地になる。
なぜ400年周期のリセットポイントが大地震になると思ったのは大地震も一定の周期で必ずおきるからだ。
関東、東海大地震がおきる周期と日本の大きな転換期をむかえる400年周期が今回、重なる。 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/511745/
関東の大地震(約70年周期)
1633年:寛永小田原地震(M7.0)
↓(70年後)
1703年:元禄地震(M7.9~8.2)
↓(79年後)
1782年:天明小田原地震(M7.0)
↓(71年後)
1853年:嘉永小田原地震(M6.7)
↓(70年後)
1923年:関東大震災(M7.9)
↓(約92年後)
2015年前後(M8)
東海の大地震(約100~150年周期)
1498年:明応地震(M8.2~8.4)
↓(107年後)
1605年:慶長地震(M7.9)
↓(102年後)
1707年:宝永地震(M8.4)
↓(147年後)
1854年:安政東海地震(M8.4)
↓(約161年後)
2015年前後 (M8.5)
関東、東海ともいつもの周期より遅れているのは日本の大きな転換である400年周期にあわせて”神の見えざる手”の介入によるのもだと思う。
生きるも死ぬも自分次第だ。
生き残りたい奴は今後起きる事態に備えろ。
帰国希望のドイツ人にはなにしろ関空に来てもらい、空席があればその場でチケットを発券することもしていると。
またソウルで乗員交換と機内食積み込みをして、関空滞在リスクを最小限にしていることなど、ドイツとルフトハンザがどれだけ危機体制で臨んでいるかについて聞くことができました。
後日の妻の話によると、欧州サイドで前日にチケットを押さえてもらった関係で、機内ではドイツ人ばかりの席になったそうですが、周りの雰囲気はまるでお葬式のようだったそうです。
そしてストップオーバーしたソウルでは1時間ほどの乗員交換と機内食積み込みの際に乗客は席に留まることを強制され、トイレにすら立てなかったそうです。
そこまでして危機に対応したルフトハンザを当時日本政府は「風評被害」として非難しました。3ヶ月経ち、メルトダウンがやっと報じられました。
そのドイツは既に原発停止を決め、日本は再稼動を必死に進めています。正気の沙汰とは思えません。
海江田大臣のニュースを見て、関東を去る決意をした人たちが私の身の回り以外でも大勢生まれたのではないでしょうか。
介護する家族がいたり、家を新築したばかりだったりと、私の周りにも関東から逃げられない事情の人たちがたくさんいますが、危機を正しく深く認識することで少なくとも自分たちの事態への対応は変わっていくと思います。
逃げることがとても困難な人たちが東日本にたくさんいます。その人たちのことを思うと、政府、東電、原子力推進派に計り知れない憤りを覚えます。
反面、自分たちさえ腹を括れば子供たちを抱えて逃げることを選択できる人たちはまだまだたくさんいると思います。
できる可能性が少しでもある人は、いますぐに関東を去ることに真剣に向かい合ってみてください。
あまり時間は残されていないと思いますよ。
でも事故以来はじめて東京に足を踏み入れたとき、自分もいろんなことを「無視」していたことに、ようやく最近気がつきました。それを書きたいと思います。どんなに私の「思考」がヘンだったか、ちょっとびっくりしましたので。
東京に入って一日目、急に膝の裏側が猛烈にかゆくなりました(以下に書くことは、いわゆる健康被害とは無関係の単なる症状としてお読みください)。夜見てみたら、今まで見たことも無い形の青あざが出来ていました。どこかにぶつけたなら、ぶつけた時の形と痛みがある、虫なら虫に噛まれた跡がある。でもそれはそのどちらでもない、縦15センチ以上のとても妙な形の青あざでした。
ところが私はそれを「無視」しました。ヒバクかな、マンガみたい、と思ったのを覚えています。
翌朝、何の前触れもなく下痢をしました。え、と思いましたが、それも無視。また夜に青あざを見て、妙な形だ、こういうのは写真に取っておくといいかも、と思いながら何もせずに寝ました。
以来、そのことを忘れたわけではないけれど、誰にも話さず思い出そうともしませんでした。意識からすぽっと抜けていた感じです。記憶はあるのに。
私が東京に行ったのは4月中旬で、10日ほどの滞在でした。どれだけ怖い状況かは分かっていましたし、防塵マスクや防水のコートとズボン、ナイロンの手袋にテープまで毎日持ち歩き、もちろん毎日、なるべくしっかりしたマスクをし、滞在先に帰ったらすぐにシャワーを浴びて服を着替えていました。
東京に行ったのは用事もあったのですが、いったい何が今起こっているのかじっさいに体験した上で、今後のことを考えたかったというのも理由です。
だから毎日気づいたことは書き留めていましたし、出来る限りの用心をしていました(ざんねんながら防塵マスクはただ持ち歩いていただけですが)。
そんな私が、青あざも下痢も、顔のほてりや変な咳も、最近まで意識できなかったし、こまごま書いていた手帳にも、そうしたことを全く書きとめていませんでした。記憶や感覚が、自分の意識と結びついていない感じでした。
正常性バイアスというのは、頭が勝手にするのでしょうね。普通の出来事なら思考のプロセスに入るのだけど、その出来事があまりにヘンだったり、「処理しきれない」ものだったりすると、そのプロセスのベルトコンベヤみたいなものから頭が勝手に、出来事ははじいてしまう。そしてはじかれた出来事は思考と結びつくことが出来ずに宙に浮いてしまう。そしてそれ以外の「正常な」出来事だけを思考は処理しつづける。私の身に起きたことを言葉にすれば、なんかそんな感じです。
だから私はもう友達の無視を不可解とは言えない気がします。私もそうだったようなので。でも今のこの、友達と話が通じないという現実を、どうしたらいいのか分からない、のは変わりません。
いまふと思ったのですが、どうも私は「原発」とか「放射能」のような言葉でさえ、ここにすらすら書くことができないようです。この文章が私の好みの穏便さでなくなる、怖い、何かストップがかかりそうになる。これも正常性バイアスが働いているのでしょうか。でもそれでは、考えることがそこで停まってしまいそうです。
話は変わりますが、このブログの存在にはとても感謝しています。このコメント欄は、いろんな方が必死になって言葉を見つけ出し、考えようとしている場所だと思います。その努力に感謝します。そういう言葉を苦労して出されたいろんな方のおかげで、私も投稿することができました。
そして誰より、身を挺してこの場所を支えてくださっている木下様、ほんとうにありがとうございます。
木下さん自身への問いかけでもあると思う。
木下さんのような方が伝える本当の記事を
民主党は国民に対して隠したいと思っている。
まだ、ここを読まれる方は危機意識を持っているから大丈夫ですが、テレビ、新聞ばかり見ている人は民主党に騙されて、大損をすることでしょう。
西日本に住んでいる人から見ると、東京はチェルノイリに見えます。同じく、ドイツ人に質問してください。同じことを言うでしょう。
3月の3号機が爆発した直後に関西空港に行きました。そこにはわれ先にと祖国へ脱出する外国人であふれかえっていました。普段は閑散とした関空なのにです。その異常事態に、ドイツ政府は、ルフトハンザの前に大阪ドイツ大使館のブースを開いて祖国に帰国するドイツ人のために大使館員を常駐させていました。私は疑問に思って聞くと、ドイツの大使館の職員は、こう言いました。
今日、日本に来て福島原発事故の酷さを知ってドイツからはるばる12時間もかけて乗って来た飛行機でまったく日本観光も宿泊もしないでトンボ帰りするドイツ人もいます。と言われました。
そしてドイツの自国の民族を守るのはドイツ政府としては当然だと。
ドイツ人の危機意識は、日本の民主党のそれよりも大変優れています。あの時こんなに福島原発が深刻だと誰が想像したでしょうか。現実は、想像以上だったはずです。
木下さんは、ジャーナリストだからこそ知りえる本当の情報を握っていると思う。もちろん、政府の中枢にいる人間たちも。
要するに311以降は、全然違う世界、日本になっているので、テレビばっかり見ている人は菅直人とエダノに殺されると思います。
必死で情報を集めないと生き残れない時代になったのです。今からでも誰かに依存する生き方をやめて、自立した思考ができるように努力すべきだと思います。
木下さんのように西日本につてのある方やお金のある方と
西日本に足場がない人では
避難のハードルの高さはずいぶん違います
避難できる人は、東京に残っている人に、危機に対する想像力がないと言い、
東京の残っている人は、避難した人が、なぜ東京にまだいるの?と言うのに対し、
避難したくてもできない状況を抱えた人をおもんばかる想像力がないという。
経験したことのない事態に、お互いを理解するのは普段以上に難しいです
諜報関係者というのはご友人ですか
以前は官邸の方とかここでしか拝見できない情報がありましたが、
最近は、きいた話とかご自身の判断による懸念といった内容が多いですね
情報ソースがなくなってきたのか、
それとも、かなり危機的な状況になってきていて、軽々に書けないのか…
ここの所、東京新聞や日刊ゲンダイががんばってます。
日刊ゲンダイは独自に都内200か所の放射線を調査したりして参考になります
仙台中心部は地震後の困難がやっと落ち着いてきたところです。沿岸部、そして福島の報道に心痛めながらも、自分たちも地震被災者だったため、揺れがおちつくまでは皆動揺していました。というわけで、やはり皆、原発のことは考えたくなかったんだと思います。
私には娘が2人(中1・中2)おります。
仙台市のほとんどの小中学校では、4月から簡易給食、6月から通常の給食に戻っております。簡易給食時から牛乳が心配で、娘にも出来るだけ飲まないよう言ってきましたが「そんなこと言うのママだけだよ」と言われました。
やっと中総体が終わりましたので、娘2人と話し合い、学校にもお願いしてみようと思います。ちなみに宮城県は「牧草の給与と放牧」を禁止しておりましたが、基準値以下ということでどんどん解除していこうとしております。
宮城県ホームページの放射線測定結果では空間線量は高くないですが、野菜の品種は少なくなっていってるように思えます。この夏のプール授業に関しては県教委が調査中でしたが、昨日の発表ではプールはOKになってしまいました。いったい何を調査したのか‥。
季節がら南風も多く心配はつきませんが、やはり空間線量より土壌が心配です。県南の土壌はかなりの汚染だと思います。それと、給食は地産地消ですから‥。自分の子供達もそうですが、ずっと小さいときから一緒だった子供達、みな心配です。どうすれば、食べ物の危険を親御さんにわかってもらえるか‥。
木下さん、仙台でも講演していただけないでしようか?心配しているけどいろんな意味で行動に移せない人はたくさんいると思います。
それと私がなぜ低線量被爆の記事にいきついたのかは理由があります。
5月11日に中1の子が校外学習で山形(山寺)に行ったのですが、そのあと3日後くらいから2週間ほど生徒間で鼻血を出す子が続出しました。毎日だれかが鼻血出してるという状態で、子供は「鼻血ののろい~」とか言ってました。ところが2週間ほどで落ち着いたようです。何だったんでしょう?このことを主人に話したら「東京で鼻血出す子がいるってあったよ」と。
というわけです。
健康被害は7代どころか、どこまで祟るか分からないほどだそうです。すぐにどうこうではなく、晩発性だからこそ恐ろしい。
「目に見えないものしか信じない」頭の固さ、創造力の欠如、それから「本能」が鈍っている人ほど、今現在かろうじてまだ見えている「今まで」の日本がこれからも変わらず続くと思い込んでしまいます。
それは思考停止です。感覚の衰えです。
事故以来ずっと警戒し、また状況を固唾を飲んで見守ってきましたが、3ヶ月たった今、もう明確になったと思います。
それから、西に逃げても外国に逃げても、べつに「解決」ではないです。「解決」して「安心」しようとするから躊躇するのかも。この状況でどこへ移動したからといって手放しで安全なわけがないですから。。でもそれぞれが、出来る範囲で妥協案を出しながら、少しでも被曝を避ける策を考えるしかないです。
今ある危機から逃れる。それだけが今するべきことです。
このあいだ羽鳥氏のモーニングバードで原発事故について、かなりつっこんだ放送をしていましたが、木下さんが関与していたのでは・・・
などと妄想してしまいました。
「鼻血、リンパなどは、別要因の可能性が大きいです。懸念されるお気持ちは理解しますが、過剰な反応かもしれません。」
これ、5月9日の木下さんのコメント。
これを否定する人は当時いなかったと思う。
今、木下さんは取材によって考えが変わったのでしょう。
その辺、変化の経緯を教えて欲しいです。
木下さんでさえ、1ヶ月前の認識はこんな感じだったのに、なんで同じように原発事故に苦しむ人同士、その認識の違いで貶めあうのかな。
その言葉にハッとしました。
大学生の息子は「気にしすぎ、パソコンばかり見てイライラして・・・」と原発のことに関しては関心が全くない様子。汚染水の装置がちゃんと動かないニュースに溜息の私を見てもなんとも思っていないのではないかと思う。
福島は終わっていない、放射能がばら撒かれている今の状況だから、せめて子供だけでも海外に行かせたい。日本に住み続けていて将来的にも幸せだろうかと疑問があるので私は日本ではなく海外に行ってもらいたいと考えています。これからの長い人生は日本ではなく日本以外のところで生活して欲しいと思うようになりました。日本を離れた事がないので現実には、どうしたらいいかも分からないのですが。
・汚染水も満タンになったら太平洋に流せばいい。
・日本はチェルノブイリのようにはならない
・周りの人だって逃げている人はいない
・汚染されている野菜なんてない
・頭がおかしい。病院に行ったほうがよい。
・家族が不安に思わないからイライラしているだけではないか?
・今の生活すら大変(仕事が忙しすぎて)なのに何年後かに何かがあると言うことを考える余裕すらない・・
男と女の違いでしょうか?
単純に、自分の子供をどうやって守るか。
目に見えないから不安と思うことがおかしいのでしょうか?
一番最悪のことを考えて不安になることがおかしいのでしょうか?
抱きかかえられる子供だったら、逃げられる。
でも、抱きかかえられない大きな子供がいたら逃げられない。
不安に思わず、現状を自分で探して見ることもせず、バラエティー番組を見て笑っていられたら幸せだったのかと思う。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/612700/517369
日本は『汚染野菜も安全、被爆も大したこと無い!』と言う考えです。
誰がどう声を上げても、国には勝てません…。
わかる人だけ、自分で対策するなり避難するなりすればいいと思います。
何もしてない人を非難するのは、良くないです。。。極論ですが生きるも死ぬも個人の自由。
危険区域に留まってる人を非難するなら、その人全員の面倒も見てやれよ!と言いたい。
まず逃げます。家族で1kのアパートに住もうが構いません。
避難するのに人の目もありません。友人も近所の人は、癌に
なった時に代わりに医療費を払ってくれるのでしょうか?
避難できた人が、そこに住まざるを得ない人達に安全な
食料を送ってあげれば良いのではないでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1132646366
今後更に地震が起きるとも言っていたそうです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1264312357
(3番目の回答)
もし現実になったらこわいですね。
私は神奈川県在住ですが、冬までに西に引っ越す計画を立てています。
個人的には自給自足が出来るかどうかが運命の分かれ目かもしれないと思っています。
危機管理という言葉は知っていても、その大元となるべく危機感がないのは、想像力に欠けているからだ、という文章を目にしました。
どうしてこうも危機感がないのだろう、とずっと疑問を抱えたままだったので、ハッと気がつかされた思いです。
(無論、問題は想像力だけに留まらず、思考力、判断力にも及ぶとは思いますが)
1ミリシーベルトとは、全身の細胞に漏れなく一回ずつ放射線が突き刺さること。そして20ミリシーベルトとは、その行為が20回繰り返されるということだそうです。いくら目には見えないとはいえ、そこまでの攻撃を受け、それでも完全無敵、無事どころかぴんぴんして居られる細胞、DNAが果たしてどれくらいあるでしょうか。
一度傷ついたDNAは、備わった自爆装置が働くまでは、間違ったコピーでもそれとは知らずにコピーし続けます。その結果どうなるでしょう?
自爆しないで生き続けたDNAは、当然次世代へと引き継がれていきます。さて、その後はどうなるでしょう?
確かな数値(東電や政府機関発表の数値のことではありません)の上に、ほんの少しの、しかしピュアな想像力を働かせることが出来れば。答えは自ら見えてくるはずなのですけれどもね。
皆、運命共同体(日本国内のみならず、地球規模で危ないのですから)
状況がそんな中、〝せめて”仲間内での〝いがみ合い”はやめましょうよ。特にいい年した大人には、あまりに大人気なさすぎる行為です。責めるべき対象、闘うべき相手は他に居るのは、皆先刻承知の事実じゃないですか。
見て見ぬ振りには終止符を打って。
今こそ両目をしっかり開けて、〝先”を見据えるべき時だと思っています。
事実は無数にあるように見えるでしょうけれども(100人もの申せば、100通りの〝事実”が出てくるかも、という意味で)、真実は唯一です。見極める目を。視野の広さを。調べつくす好奇心を。そして他者への思いやりを忘れないで居たいものですね、特にこういう時だからこそ・・・です。
昔の人は本当にうまいことを言ったもんだ。
多分、被ばくしたその後の自分を想像できないからであろう。
チェルノブイリ原発事故の放射能が300km圏内で人体にどのようなダメージを与えたのかをまずは映像で見たほうがはやい。
http://www.youtube.com/watch?v=VCYnzEZZKE8
チェルノブイリで放射能被害にあった方々の犠牲を無駄にするな。
チェルノブイリ原発事故を日本人は他山の石とせよ。
枝野が言っている”ただちに人体に悪影響を与えるものではありません”というのは急性障害がおきないと言っているだけだ。
裏を返せば10、20年後にチェルノブイリのような晩発障害がおきますよという意味をちゃんと理解してほしい。
枝野は晩発障害の怖さを十分に知っているから可愛い5歳の双子の息子をシンガポールへ逃がしているぞ。
http://prayforjp.exblog.jp/13406221/
何度も言うが致命的な被ばくをしてからではもう取り返しがつかない。
座して死を待つだけだ。
文部科学省及び米国DOEによる航空機モニタリングの結果で4月末時点の放射能汚染がチェルノブイリの数倍汚染されていることは周知の事実だ。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/05/06/1305820_20110506.pdf
特に東日本の人間はチェルノブイリ原発事故の数倍の放射能被害がおきる可能性があるかもしれないという危機感のもとに事に臨んでほしい。
チェルノブイリ原発事故の放射能被害がどのようなものだったのか伝える。
■ 10年後の人体への影響
(1)小児甲状腺ガンの急増: 4年後から顕著な増大、のど切開手術
(2)死産増加: 10代で被ばくした母、通常2cmの胎盤が5cmに
(3)染色体変異: 被曝量に比例して染色体(生殖器なら遺伝情報)が破損する割合が増加していた
(4)原発作業員の平均寿命44歳: ガン・心臓病・白血病・記憶障害・神経細胞破壊・躁鬱自殺など
(5)「安全」とされていた低濃度汚染地域で大量の体内被曝が進行していた: 生態濃縮で高濃度となった放射能が、自給自足型の農村の住民の体内に蓄積していた
■ 20年後の人体への影響
(1)成人甲状腺ガンの急増: 小児甲状腺ガンは事故10年後がピークだったが成人のガンはその後に急増
(2)先天性障害児(奇形児)の増加: ベラルーシでは事故前は1万人中50人だったが2000年に110人と2倍以上に増加
(3)引き続き原発作業員の死亡相次ぐ
(4)「安全」とされていた低濃度汚染地域(原発から100 - 400km)でガンや白血病の発症が増加
俺は4月にフクシマのやばさを知り西日本への移住を決意した。
仕事が決まりようやく来月に西日本へ引越できる。
これで毎日の頭、のど、胸の痛みともお別れだ。
10年後、東日本に住み続けている人間の発言はこのようなものだろう。
”そんなはずじゃなかった”
”政府、東電、御用学者の言葉を信じて生活していたのになんでなんだ”
70年前、日本国民は大本営発表を信じて一心不乱に頑張った。
その結果、日本はリセットした。
今回も今一度、日本はリセットし新しい枠組みの日本に生まれ変わるのであろう。
賢明な人間は生き延びて新生日本の原動力になってほしいと思う。
私は勿論のこと、いつまでたっても匿名のブロガーが大多数を占める日本人。"みんなでわたれば怖くない赤信号"的な、常に誰かの後ろ盾があって大きな声を出すジャパニーズ.....そんな自分がこのブログを覗いた時に感じる、他人事の様な福島で起こった非現実的な現実が悲しい現実だと実感しても、結局 No Actionの自分。木下さん、この愚かなNo Actionの私がいつかReal Actionの人間に変身できるまで、絶対にこのブログを書き続けてください。
その測定値を丹念に拾い集めて、幼い子を持つ若いお母さんが、独力で放射線汚染マップを作成しました。多大な時間と労力を費やした労作です。
http://anecha7225.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-a3ed.html
これを見ると、県北が高いのは当然ですが、県央(水戸市周辺)よりも土浦市から霞ヶ浦にかけての地域が高く、千葉との県境の守谷市、取手市に更に放射線量の高いスポットがあることが分かります。事故現場から離れている地点の方が線量が高い場合があるというのは、チェルノブイリ周辺の汚染状況を考えれば、さほど不思議ではないと思います。
東京が大丈夫かという木下さんの懸念は、当然のことと受け止めています。
その内三基は稼動中四号基の水素爆発は使用済
燃料?炉内燃料有り説も有るようですが何れに
しても 専門家も詳細不明な素人は手も足も出
ない事態です 放出された核種も不明か後出し
です 唯一点被曝線量は体に累計として記憶と
近藤誠放射線医の本で知りました 何れにして
ももう100日に成ります 被曝の可能性が出て
からです 成り行き任せの心境ですね
横浜市青葉区です。
どの程度汚染されているかがわからず周りを説得できません。小学生の子供がふたりいます。
すぐにも逃げたいし、準備もしてます。
でも今さらなんですか?
3月に避難しなかったら子供たちの健康被害はもう防げないのでしょうか。苦しくてたまりません。
横浜在住です。5人家族ですが3人喉に異変があります。
内科に放射能の影響が心配と行ったところ扁桃腺が少し腫れていて風邪かな?位の診断で、耳鼻咽喉科でも、放射能の甲状腺の影響が心配と伝えたら、「おっしゃってる意味がわかりません。心配しすぎ。お子さんにそんな事言わないほうがいい。」と・・・
近所でものどに痰が絡む、咳が出るという人がいます。小学校でも体調不良が増えていると先生に聞きました。一クラスで5人も鼻血が出た
クラスもあるそうです。
ですが横浜でこんな心配している人は変な目で見られます。
原発事故後出続ける咳や痰。どこに行けば検査してもらえるのでしょう?
正直逃げ出したいですが主人にも神経質と言われ、でも、このままここに住み続けて娘の体が心配でなりません。
逃げられない理由を並べてしまいます。
過小評価している政府・マスコミに対して、過大評価をしている木下さんと思い、木下さんの講演会に行くことを躊躇していました。
でも、事実なのは木下さんの見解だということも心ではわかっていました。今日は、上尾にいきます。楽しみにしています。
これが私の本意です、しかしそう思わない、思っていても出来ない人が大多数なのも事実、政府の考え方は民主的発想なのでより多くの人が幸せと感じる方法を選びます。
決して今の方針が正しいとは思っていません、が表面的なデータ(過去の放射能被害での 広島 長崎での癌死亡率)が10%程度というのと、既に40年近く放射能を垂れ流しきた原発 周辺の住民の健康被害状況を考え 放射能被害を甘く見ているのです。
若い人は逃げて下さい!!
でも、そう分かっていても逃げられなくて苦しんでいる方達は心穏やかにして健康的な生活を送って下さい、キエフでは沢山の犠牲者が出ていて これからも沢山の人が苦しむでしょう、しかし それ以上に多くの人が平和に生活しているのも事実です。
あろうことか、あんな悲惨な事故の後でも原発を推進していて、さらにあろうことか放射能の残る原発見学ツアーも有ります。
逃げられ無い方は「病は気から」です、明るく元気に生きましょう。
気にするなと言っても無理でしょけど、日常が変化した事を認識して気をつける事はきちんと気をつけ、出来るだけ穏やかな精神状態になり、避難は無理でも旅行に行くなら出来るでしょ。
なぜストロンチウム90ではなくストロンチウム85なのかとか、
その男性がホールボディカウンターの検査を受けた経緯とか、
放射線の専門家が指摘したこととか、
そうしたご自分の不利になる疑問や反論には一切答えず、
推論や感想ばかりの記述。
きちんと出店や根拠や取材先(機関や個人の固有名詞)を明かしてください。
それがジャーナリズムというものです。
東京の土壌汚染も、下水道汚泥焼却炉付近の数値ではなく、ひろく一般の人が生活している土壌汚染の数値とキエフの管理区域の土壌汚染の数値とを比較したうえで、述べられてはどうでしょう。
そうでないと、センセーショナルな内容を売りにするスキャンダル誌の記事と同等かそれ以下のレベルだと思います。
「同調性バイアス」というものもあるようです。
みんなが「大丈夫」と言っていると、元々自分の危険を感じるポイントみたいなものが「大丈夫」と言っている人に引っ張られてそちらに寄ってしまうような・・・?
「正常性バイアス」「同調性バイアス」で少し検索してみられると色々でてくると思います。
食品を介しての内部被爆に関しては東京も十分に危険区域ですよね。
放射性物質はカルシウムと似た性質を持っているようなので…
個人的には、カルシウムが蓄積しやすいものには放射性物質も蓄積しやすいと考えています。
なので、カルシウムを多く含む食品を最優先に原発から離れた産地のものを選んでいけば、多少は被爆を抑えられるんじゃないかなと思っています。
もちろん、空気中に飛散した放射性物質はあらゆる物の表面につきますから、その考えだけじゃいけませんが。
今ある野菜や穀物などが消化されつくした後はカルシウムの流れに目を向ければそこそこ被爆を回避できるかも知れません。
まぁ、もちろん、それだけじゃ危機感は足らなすぎるのでしょうが…
目に見えない放射性物質をカルシウムに置き換える事で少しは〈見えるもの〉にならないかなと。
中日新聞 2010年5月1日
避難遅らす「正常性バイアス」 広瀬弘忠・東京女子大教授
http://www.chunichi.co.jp/article/earthquake/sonae/20100501/CK2010050102000172.html
アウシュビッツなどに消えたユダヤ人は、都会人だったからという話がものの本にありました。
田舎でも勤め人は、洋犬(?)を連れて散歩しています。彼ら彼女たちは私の畑に入ってきません。汚れ仕事はゴメンだからです。
都会でも汚れ仕事をされている人たちもいますが、肉体労働者は見えないことになっているようです。
私には、一番怖い人たちは「普通の人」です。皆「原発推進派」と同罪に違いないのに、責任も義務もなしに、立派な市民かのように考えているからです。
木下さんに酷いコメントをされる方もいらっしゃいますが、それは「健全」な姿かも知れません。
善人・悪人という言葉がありますが、その由来を私達は忘れているのでしょう。
週末など「農業体験」受け入れます。山はもののけだらけです。放射能は彼らにも降り注いでいます。(放射能からの休養になるかどうか?)
424-0305 静岡市清水区小島町822-1
高根山農園
これはyoutubeがその後のチェルノブイリの被害にあったベラルーシの様子です。
『5年後』
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DG8oJ9IG_JUg%26feature%3Drelated&feature=related&v=G8oJ9IG_JUg&gl=JP
『10年後』
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DFgx1mcUgHnA%26feature%3Drelated&feature=related&v=Fgx1mcUgHnA&gl=JP