喉が痛む中、新幹線で講演の会場に向かう途中に書いています。
僕がこの一年あまりの中で、いろんなことをしてきて、いろんな人々とすれ違い、いろんな人々と話してきました。
おそらく見も知らぬ人たちと、これだけ多く話すことになるとは、僕の人生でも、やはり他には考えられない経験です。
こうした経験を通して、ずっと疑問があります。
多くの人々が、あまり自分の命を守るということに、そんなに重きを置いていないのです。
というか、僕に語らいかける人々の話を聞いていても、みなさん、ご自身の都合や症状のお話はされるのですが、
自分の命をどう守るのかということについて、そんなに重視されていない。
あんまり自分の命のことを考えていない。
これは老若男女問わず、似たような状態です。
僕はなんなんだろうと考えています
「死が怖い」という感情はあると思います。「病は嫌だ」という感情も。しかし、命を守るという積極的な問いかけが少ない感じがしています。
もうちょっと書くと「生きたい」という内面の強いエネルギーを感じられる人がほとんどいない。
これは、本当に不思議なことです。
おかあさんたちが、まだ放射能を防御することに一生懸命なのは、まだこどもの命を守りたいという熱意はあるのです。
こどもに対しては、このことを意識しているほとんどのお母さんの思いはあると思います。
しかし、それも自分には向いていない感じを受けます。母という役割の義務のため、子に意識を集中している。しかし、自分に対しては薄い。
生物として、さらに人としても、自分の命への思いが本当は希薄なことを特に感じます。
「放射能防御」「健康被害からの回避」ということを強く言うと、僕が生に執着していることをおかしいというような言説があるようです。
生きるという事や命ということに、人間がこだわらなくなったことの方が僕には本質的におかしいと思います。
もし、命や生きていくことに拘らないなら、あなたたちが何に拘っているのかという事です。
家、ローン、金銭、所得、地位、会社、肩書、ステイタス、世間体、仕事、対人関係。大体こんな話ではないでしょうか。
こうしたものは個別にはいろんな問題があるとは思います。
でも、僕からみれば「命を守る」「生きていく」ことよりも大切なことはほとんどありません。
僕の考えが、今の日本人の多くの人には、まだ「奇怪な話」と受け止められています。
多くの日本人たちは、自分の命も守る意識も強くなく、生きていくことに敏感ではないのだろうと僕は思います。
これは、安定的な社会が数十年を経過し、その体制が固まった中で、循環している澱みのようなものだと考えます。
新しい流れをいろんな形でおこすことにためらいがあり、そのまま状況に流されていくことしか、多くは解決策を持たないのだろうと理解しています。
その中で澱んでいれば生の実感は希薄になり、命を守るということそのものが、ドンキホーテの所業のように見えてくるのかもしれません。
命を守ること=病院にお金を払うことやより有名な病院に行くこと。こうした図式だけの人も多いと思います。
相談の電話を聞いているとさらに強く感じます。
どうしても自分の命を守りたい、生きるという強い思いがないと、子供たちの命も守れるとは僕は思えません。大切な人の命も守れません。
自分を守らない人間が、他人を守れるレベルに達しているのかは、根本的に難しいと僕には思います。
命を守ることを我執という言い方をして、批判する愚かな人々もいます。
こういう人々がすべての欲を捨てて、無欲になって、生きているのであれば、まだ議論の余地がありますが、大概の場合において、他の日常に絡め捕られているだけです。話にもなりません。生きることよりも、緩やかな日常だと思い込み、ただ日々をごまかしているだけです。
自分の命に拘らず、子供のような大切な人の命に拘らず、違うものに固執しているだけです。
意識が浮揚することがあります。命や生きることを実感できない場合。離人症ほどひどくはないかもしれませんが、非常に軽度にはそれに近い状態です。こうした放射性物質の危険が存在するエリアでは、その危険そのものを直視したくないですし、ごまかして過ごしたいという深層心理は当然働きます。こうした中で、おこりやすいのが自分の中での意識を、身体から少し離してしまう在り様です。すこし浮揚している。その方が気持ち良いから。意識と体がゆるやかにしかつながっていないので、体の変化が微細には意識されなくなります。意識しにくくなります。
被曝エリアである関東・南東北で、こうした無意識のスタンスを、潜在下でとっている人は多いと僕は思います。だから、いろんな微細なシグナルを見落とす可能性も強まる構図です。
浮揚した意識をきちんと自分の身体性に引き戻すこと、そして微細な自分の肉体の変化を確認すること、自分が何者であるのかを確認すること、それゆえに、自分の命を守り、自分は生きていくのだという事。自分が生きていくことは、さらに、子供は当然として、自分にとって、大切な人が生きていくことも必要なのだと、はっきりと自覚すること。子供も含めて、他者との本質的な関係の構築は、その相互認証・相互関係でしかありえないということ。勿論、自分が生きるという事と密接に連関しているということ。自分が生きることは、大切な人も生きること。自分の命を守ることは、大切な人の命も守ること。
それを支えあうのが、時に「家族」であったり、また「社会」、そして本来は「国家」であるべきはずという事。
僕はこうしたことを考えながら移動しています。それでも、多くの人に書いている意味が伝わらないだろうなとも思っています。
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「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、移住するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して移住すべきです。他の皆さんも極力移住してください。被曝から一年が経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。食物、飲料のみならず、吸気による被曝も軽視できません。回避する方法は限定的です。あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。一刻も早く移住してください。」
「健康被害と思われる事象が顕著にあらわれている方は、僕までメール下さい。事故発生当時の行動記録や数値データなどを細かく教えてください。問い合わせの内容も書いてください。健康被害の状態を皆で共有化し、事態の推移をあきらかにしていく作業が最も必要です。nagaikenji20070927@yahoo.co.jp」
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講演会は、岡山市、広島市、呉市が6/16(日)と17(土)で新たに開催決定。
開催日:
2012年5月27日(日)
開催場所:
稲城市立iプラザ ホール
最寄駅:
京王相模原線「若葉台駅」北口から徒歩2分
料金:
予約した場合は1000円
(中学生以下無料。必ず保護者の付き添いが必要です。)
中学生未満のお子様は、コメント欄に人数・年齢をご記入ください。また、小さいお子様で席不要の場合【席不要】とご記入ください。
時間
チケット早期引き換え 11:00-1:00まで調理室にて。
13:10 チケット販売・受付
14:00 開演 16:30 終了
駐車場:
駅前のため無し 障害者スペース2台あり。車でご来場の方は近隣にパーキングがございますのでそちらをご利用ください。(有料)
備考:
メールインターネットが出来ない方の為に電話受付開始しました。
※出れない時がありますので再度おかけ直しください。
保育の受付締め切りました。
開催日当日は混雑が予想されます。
稲城市内にお住まいの方はWEBよりお申し込み時のコメント欄にチケットお届けと書いて下さい。チケットお届けいたします。後ほどメールまたは電話いたします。
必ず電話番号を記載してください。
なるべく、グループでまとめてお願いします。
ほか、変更がある場合 更新します。
主催:
稲城 放射能から子どもを守る会
http://www.tokyo-inagi.com/
共催:
放射No!拡散防止ネットワーク
ごみ焼却を考える会InTama
http://blog.goo.ne.jp/tama-gareki
後援:子どもと未来をつなぐ会
「松阪における瓦礫と放射能のこと」放射性物質に繊細すぎる市民ですみません。
(※「放射性物質に繊細すぎる市民」とは、市長がよく表現される言葉です。)
『 ほんとに松阪大丈夫?日本の未来はどうなりますか? 』
『 これから三重県はどうなるの? 』
日時 2012年6月1日(金) 午後6時~8時30分
会場 松阪市産業振興センター
三重県松阪市本町2176 (センターの3階です)
(0598-26-5557)
交通アクセス JR 近鉄 松阪駅より より徒歩12分
※ 駐車場が少ないので満車の際には松阪市役所(会場まで徒歩3分)
又は、市民病院の駐車場(会場まで徒歩6分)へお止めください。
参加費 事前申し込み 1000円 当日 1300円 (小学生以下無料)
申し込みと問合せ先 nanadaisaki@docomo.ne.jp
(電話でのお問合せ) 0598-20-8778 古川
※ お申し込みの際は、お名前 ご連絡先 参加人数 をご記入ください。
※ 小さいお子様を連れの方は、お膝の上でお願いします。
主催;七代先の子孫ことを考えて今を生きる会 協賛:放射能防御プロジェクト三重
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【6/16(土)「わたしたちが岡山へ逃げてきた理由」木下黄太講演 in 岡山】
◎日時:2012年6月16日(土) 14:00~16:00 (開場13:30)
◎会場:岡山市勤労者福祉センター (体育集会室)
岡山市北区春日町5-6 TEL086-233-8311
◎料金:前払い800円 当日1,000円(中学生以下無料)
◎託児:受付終了
※近隣の一時保育をご利用ください。すぐ近くの保育園などであるそうです。
◎お申込み
http://kokucheese.com/event/index/37227/
◎お問い合わせ
メール:info★rdp-okayama.net ★を半角の@に変えてください
TEL:090-4170-0736 中山
◎主催:放射能防御プロジェクト 岡山
◎協賛:さよなら原発1000万人アクションin岡山実行委員会/あかいわエコメッセ
◎後援:岡山市教育委員会/赤磐市教育委員会/財団法人おかやま環境ネットワーク
/山陽新聞社/朝日新聞岡山総局/毎日新聞岡山支局/産経新聞社/RSK山陽放送/
TSCテレビせとうち/OHK岡山放送/FM岡山
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広島にいてもひとごとではない放射能汚染
「健康にはただちに影響はない」
「基準値内だから問題ない」はほんとう?
「震災がれきを受け入れて痛みを分かち合」って大丈夫?
自らも東海村JCO臨界事故の直接取材による被爆体験があり、東日本大震災以降、独自の取材を進められ情報を発信されている木下黄太さんに現状をお聞きします。
【6/17(日)昼 木下黄太 講演 in広島 】
13:00~15:00 (開場12:30)広島市南区民文化センター2階 スタジオ
広島市南区比治山本町16-27 082-251-4120
広島会場申込:http://kokucheese.com/event/index/38422/
【6/17(日)夕 木下黄太 講演 in呉 】
18:30~20:30(開場18:00)呉市広民センター5階広公民館大会議室
呉市広古新開2丁目1-3 0823-71-2151(JR新広駅前)
呉会場申込:http://kokucheese.com/event/index/38324/
◎参加費両会場ともそれぞれ:前売り900円 当日1200円
※申込サイトでご予約の上、当日、会場にて前売料金をお支払いください。
※予約の方で満席の場合は、当日券の販売は行ないません。
※託児は応相談。
◎主催:木下黄太氏広島講演実行委員会(ヤマムラ・アラカワ・キムラ)
協賛:放射能防御プロジェクト中国&放射能防御プロジェクト岡山
>スローガンは「自分の命を守る、そして自分の大切な人の命を守る」であってほしいなぁと思います。。。
もちろんそれで間違いはありません。でも地上に降り注いだ放射能は最初に母子が骨を軋ませ背負うのです。チェルノブイリの被災者も医師も異口同音に言います。
繰り返しますが自分の命が一番大事です。でもそれでは優先順位がぼやけてしまいます。一番のリスク集団は誰か見えにくくなってしまうのです。
子供を守るのは日本民族存続のために守るのです。母でなくてもよその子でも、この地に人が生きながらえるように祈って欲しい。それだけです。
世代に関係なく全ての人に気を付けてほしいと思っていますしね。
まあ、でも、私のコメントが不快にさせたのでしょうね。ごめんなさい。以後、注意しますね。
私は幼い子をもつ母親ですが、初子さんの命への解釈は、違和感なくすんなり心に入ってきました。確かに子供は未来の宝であり被曝リスクも高く率先して守らないといけない存在ではありますが、子供を守る為に親本人のケアがおざなりになって倒れてしまったら、後誰が子供の面倒見て愛情いっぱいに育ててくれるのかと。だから私は「私はどうなっても良いが子供だけは…」なんてとても言えません。逆に無責任だと思います。
【深謝】
1.深く感謝すること。心から感謝すること。
2.心から詫びること。
辞書を引いてからコメントしてくださいね。
私は「子どもを守る」ということに対して異議を申しているのではありません。
むしろ、子どもは独力では避難すべきかどうかの判断もできませんし、判断できたとしても実行に移せないことを考えれば、親の責務は果てしなく重いと思います。
ただ、最大公約数は何なのか?ということです。
「子どもを守る」というだけでは、そこに乗れない人もたくさんいる、ということを申し上げたかったのです。
私はかつて不妊症・不育症の患者さん向けの本を編集したことがあるので、なおさら過敏になっているのかもしれませんが、抗議の際に、相手に子どもがいるかどうかもわからないのに「あなたの子どもが健康被害にあったら~」という方を見るとヒヤヒヤしますし、ましてや「命の重み、被曝の危険がわからないのは子どもを持たない女性が増えたからだ」などという暴論には閉口します。
> 05-30 20:01:34のUnknownさん
だから何ですか?
あなたの文章は、「被災地の気持ち」を盾に瓦礫を拡散しようとするロジックと同じです。
「○○は○○にしかわからない」と言いながら、「○○」以外の人に思いを馳せようとしない。
そんなことを言っていたら、立場が同じ人としかコミュニケーションが成立しなくなってしまいますよ。
恐らく、今の多くの人間は先のことが見えていない、今この瞬間を生きることに精一杯なのだと思います。
ある意味人間らしさを失っているのではないでしょうか?遠い先のことまで見通せる人間が非常に少ないのではないかと思っています。
改めてコメントを遡って読みました。この場合はやはり「お詫び」のほうではなくて「感謝」のほうで捉えてよいのではないかな。
感謝、陳謝、深謝、、、日本語はまぎらわしい(^^;
そのぶん英語などに比べ表現力が豊かなのかもしれませんね!
あくまで個人のスタンスなのではないのかな。
ただ、ひとつ言えることは、子どもがいようがいまいが放射能に注意するのは前提でありながら、母親は更にその何倍何百倍もの注意をしているだけだと思う。
それだけ大切なもの守るものへの責任感を多く抱えているのではないかしら。
「重箱の隅」ではありませんが私も老婆心ながら気になった(笑)。
このブログは当初から拝見していましたが、初めてコメントします。
311以来、全国のママさんたちの力強さには感銘を受けてきました。
けれどその一方で、「『(子どもじゃなくて)自分の命を守りたい』では奮起できないのか?」と、ずっと疑問に思っていました。
このブログにも、「子どもがいないから放射能の危険がわからないんでしょ」的なコメントがあり、少々不快です。
瓦礫問題で北九州市への抗議でも、「あんたの子どもが健康被害に遭ったらどうするの?」という発言があって、やはり引っかかってしまいます。
ママさんたちの(いや、パパさんも、ですよね)子どもを守ることにかける情熱は、素晴らしい。
私もそこからパワーをもらっています。
けれど、「子どもを守る」だけが錦の御旗ではないはず。
世の中には、様々な事情で子どもを持たない、あるいは持てない人間がたくさんいます。
子どもがいなくたって、被曝なんてしたくない。
これ、当然のことではないでしょうか。
スローガンは「自分の命を守る、そして自分の大切な人の命を守る」であってほしいなぁと思います。。。
「イェーイ 俺は 俺と 生きたーいー」
俺は自分の内なる声に素直に生きたいってことですよね。心にグッときました。自分を大切にするってこういう事かと。
しかしこんないい歌を作る奥田民生は今、東京から避難しているのだろうか…?
馬車馬の如く働いて、企業が作る新製品を買って企業に儲けさせ、そのローンを払う為に働かせるという図式を不思議に思わない為に。
そして、政治家は国民が汗水たらして必死で稼いだ金をもとに私腹を肥やす。
そんな中、多くの人は疲れきってしまっているし、理不尽だと思っていても実行に移せなかったりもする。
よくもまぁ従順な奴隷を作り出したこと。すごいですね、教育って。
anojan(Dr)さんが、「打てば響く」ようだと書いておられましたが、本当にその通りですね。これこそ、真の絆ではないでしょうか。日本政府の使う軽薄な嘘の絆とは段違いです。
今まさに日本が沈没してゆこうとするさなかにおいて、このような感覚を確かに共有できるということが実に嬉しく喜ばしいです。
「死ぬことを恐れてはなりません
いつまでも人生が始まらないことが 恐いのです」
この問題を真剣に捉えない人達というのは、 生きていない人達 なのでしょう。
その感性の境目が、放射能問題によって露見してしまっただけだと思います。
当たり前の人間が生きにくい世の中。
苦しいことですね;
私自身も仕事をもち、ここ(関東)での人との繋がりが断ち切れず、2人を説得するのに時間もかかり、正直、何度も移住をあきらめかけました。
そんな時、この木下さんの呼びかけがあったからこそ、移住まで時間を要しましたが、説得することができたと思っています。
正直、2人の子供も体に変化が出てきています。
長男は、喘息がひどくなり、次男は、原因不明の胃腸炎にかかっています。子供達には、本当に避難が遅れて申し訳なく思っていますが、
少しでも汚染されていない土地で、家族みんなが健康で暮らせることが、私の一番の幸せだと思っています。
木下さん、有難うございました。
こんな、ただの日本人のブログのコメント欄に吐き出すのでは無く貴殿の母国へ抗議しなさい。
あと日本政府へも抗議お願いします。
長い間一方的に生まれたときから、国民は法の下に平等であり人権を尊重されているという日本国憲法の甘い言葉により、自らを弱体化させ能動的な思考力を制御され精神を骨抜きにされた国民は、無気力、無関心へ陥っても何ら不思議はありません。常に理想に向け進むには、私達は、現実を見据える努力が必要であることを忘れているのです。このような現実に対応する基本的な力、あるいは「意志」を、日常生活や教育の場面で体験することが希薄なため、集団の中で自分の立ち位置を探すことが困難なのです。きれい事で済ませ、集団での議論をすることに慣れないのも当然です。それは勿論米国のやっているディベートなどとは全く趣が違い、自分の倫理感に正直に議論することです。「命どぅ宝」で戦争責任について書かれたコメントがありましたが、正にそれ以来、私たち日本人の精神が薄弱になり弱体化したと言ってもよいでしょう。そして、民主主義が、何時から多数決だの、最大多数の最大幸福というこれまた心地よい言葉の功利主義的主張に貶められたのでしょうか。
また、国としても、国民が道徳や倫理などを深く考えず、娯楽に興じ、お上の言うことを聞いてくれる人間が沢山いた方が扱いやすくてよいのです。思い通りに都合よく動いてくれる国民が、お上にとってはこの上なく良い国民なのです。しかし、結局お上自身も自分の都合の良い利権や既得権益を守るだけの体たらくをしているうちに、倫理や道徳を議論する活力を失ってしまった。現実的な規律の秩序や、格差を公正する力、そうした力は集団の公人性、規律心から生まれ来るものです。それが、本当の国の活力になるのです。本当の財産は、経済力などではなく、秩序や公平性の議論を切磋琢磨できる精神的な認識力が私たち国民の財産なのです。
そしてその基となるのは、「命」を措いて他にはないのです。なぜなら、「命」とは認識そのものだからです。それをどう育てるのか、というのが今後の私たちの課題なのです。今回のコメントは、打てば響くといいますか、シュタイナーから河合隼雄氏まで引用され様々な意見がありました。私は個人的に、現状は「内面の戦争」であると同時に、永井隆博士の言葉にあるように、日本人ひとり一人が自分の「魂」あるいは「御霊」と率直に向き合う時期なのだろうと体感しています。日本人は、もともと芸術的にも繊細であり、内面を良くも悪くも読める力を持っています。「和を以って尊しとなす」という聖徳太子の仰った言葉をもう一度深く理解し、和の国「日本」を再建するため、私は生きていこうと思います。ありがとうございました。
主人と2人で会社を始め従業員が増え、うまくは行っているがお金の怖さを感じたとき、「会社が駄目になったらどうするよ」という問いに「駄目になったら、2人でラーメン屋でバイトをしてだって子供を食わせていけるよ。死なないよ」と答えた。
何をしても命を獲られなければ生きていけるさと。
鮮明にイメージした。怖かったけど。
相手と自分の安全に対する意識の違いを感じました。
彼女は外食やスーパーに危ない米が出回るかもしれないことも知らない
でも一から全部説明するのは心が折れる。
彼女は外食もバイキングもまだ行きたい人。忠告する度、私が相手を束縛するようで嫌な気持ち。
だけど知っているのに危険を伝えないのは見殺しにしている気がして。
情報の格差。安全にたいする意識の違い。
何故私が言わなければならないのか。情報を彼女に一つ言うだけでも気が遠くなるような作業に思えます。柔らかく言う事も難しい。
せめて食品の規制を政府にしてほしかった。本当は政府が食品の危険を国民に開示すべきなのに。
彼女に情報を少しずつ話し私の注意してる高さまで(それでも私の安全レベルは低い方ですが)来てほしい思います。
北九州市東京事務所首都圏本部に抗議と要請書を持参して要請行動http://t.co/d1cimEWa
知り合いも親戚もなんのつてもない海外の土地へ、単身避難しました。
新しい土地で一から、これからの生活を考えるのはとても大変です。
実は、生きる事を考える方が、死ぬ事より遥かに難しいと思っています。
だから、今の状態のままで生きのびる事が難しい場合に、考える事を放棄したい。
元々日本人は思考することは大変苦手で、思考しなくてはならない段に来ると、
他人に任せがちだと思います。
私は、ここへ来て人生をやり直し始めて、後悔はありません。
一時期、避難した事への罪悪感に押しつぶされそうになってる時がありました。
でも、若い日本人の方が行ってくれた一言、
「欲の中でも、生きる欲だけは、捨てなくて良い」
それを聞いてから、死ぬ事より、生きのびる道こそ大変なのだから、
最後まで生き汚く生きて行こうと考えるようになりました。
戦争の中頑張って両親を育ててくれた祖父母や、
今まで自分を支えて来てくれた人達への感謝の気持ちを込めて、
今ある命を大切に、生きて行こうと思っています。
お体が心配です。ご無理をなさらぬようになさって下さい。
心の底から危険だとは思ってないから逃げないんでしょうね。まだ健康被害は出てなくても、将来子どもに、孫に、被害が出ます。その時後悔しても遅いです。
よく考えたら、こちらで支援してくださっている方々を傷つけることになりますので、お忙しいところ申し訳ありませんが、取り下げをお願いいたします。
木下様が深い考えがあって活動なさっていること、今日のブログでよく理解できました。
私はもっと卑近なことしか見えておらず、お恥ずかしい限りです。
どうぞご自愛ください。
※当方、扁桃腺が弱く、冬場に扁桃腺が腫れ、化膿して苦しんでいましたが上記のことに気をつけると喉が痛んでも軽い不快感止まりで済んでいます。311後も同じように酷くならずに済んでいますので、軽減は出来ると考えています。
そして睡眠不足はてきめんに喉に響きます。ブログの更新時間見ると、睡眠時間が足りてないのでは?と思ってしまいます。
どうかご自愛下さい。
北橋市長と市役所は莫大な補助金を手に入れるのと引き換えに市民の生命、健康と響灘の巨大埋立地を国や原発推進勢力に売り渡したのではないでしょうか。
今でも埋め立ての余裕がキャパが十分残っているというのに、さらなる大規模な埋め立てを行うという情報が出てきています。
だからこそここまで熾烈な反対運動をやっても市は受入れを止めようとしないのでしょう。よその自治体でここまで反対活動をやれば普通なら自治体は受入れを諦めますよ。北九州市は特別。国家的プロジェクトの犠牲。
相変わらず、今までの生活を捨てられない人は健康と引き換えに残り少ない猶予を呑気に暮らしていると思います。
もし、気付き始めて尚、避難をためらっているのなら考えてほしいです。
そこに残る人がせっせと物をつくって日本全国、世界に汚染を拡げています。
人も物と同じように汚染物質となって自分が気付かないうちに誰かを2次被曝させてしまいます。
チェルノブイリの時も遠く離れた場所に食材が運ばれて内部被ばくが広がりました。
誰かが伝染病になったら、隔離するのは、感染を拡大することを防ぐためです。
なのに放射能は絆で痛み分け。
意味が分かりません。
。
何よりも無関心が悪です。
北九州市在住の者です。他のブログにコメントした内容と同じになりますが、こちらにも書かせてください。
やはり試験焼却開始の翌日24日から私の周囲だけでも、続々と急性放射線障害の可能性のある症状が出た方がたくさんいます。
ご紹介します。すべて私の信頼できる知人から得た情報ですから、市役所に被害者や現認者を証人として連れて行けます。
〇日明清掃工場と同じ町内、小倉北区西港町で働く男性が24日、鼻血。その息子さんのクラスメイトも同日鼻血。
〇小倉北区在住の女子中学生が26日に小倉南で開催された、あるスポーツ大会にて試合中に鼻血が止まらなくなり試合を棄権。その中学生の校区は清掃工場から約4~5km南側。
〇小倉南区・八幡西区の女性各1名が24日から急に顔に吹き出物。
〇門司区から八幡西区まで咳が数分止まらない、喉が痛いという人がかなりの数いる模様。私(市の西部在住)の子ども(10代女)も24日に強い喉の痛み。ぐったりとして翌日まで動けない。
〇シックハウス症状に似た局所的な頭痛を訴える声も数名。私自身も24日~27日シックハウスっぽい頭痛。耳の後ろに激痛も。
〇23日に自身で小倉から八幡西区まで線量を計測ところ、小倉北区と戸畑区の海岸に近い地域で相次いで0.20μSV超えを記録。清掃工場の周囲数百mでも数回0.20超え。鼻血が出るのも分かる。
小倉北区内で定点計測した人にからは線量の異常なしという声も聞くが、移動して複数箇所で計測するとしばしば高い値が出る。23日は小倉の工場群の煙突の煙は真横に流れるほど風が強かった。
市は清掃工場内での線量計測しかしていない。意図的、悪質な行政の怠慢。
ただし北九州市では。既に民間企業が東日本の汚泥焼却灰やがれきを利用しているため、試験焼却前から線量は高くなっている。
武田 邦彦中部大教授もブログで北九州市民の線量計測結果を紹介しておられます。
転載します。
焼却開始前の線量率 北九州市民家 最低0.05―平均0.06―最高0.09μS/h
2012年5月23日から24日
日明焼却場で瓦礫焼却
同年5月24日から25日
新門司焼却場で瓦礫焼却
焼却後線量率
北九州同一箇所(民家)
最高0.14μS/h
http://takedanet.com/2012/05/post_cffd.html
広域がれき処理は憲法、地方自治法、原子力関連の規制の法(年間被爆上限1μSV)、国際的合意などあらゆる法規定に違反しています。根拠法もなし。
しかしそのことを市民が北九州市環境局に伝えても「私たちは法律のことについては答えられません。」と回答。唖然。
こんな市役所は要りません。
皆様、この事態の拡散をよろしくお願いします。試験焼却でこの有様。絶対に本焼却を止めねばなりません。
私は典型的な日本人の集団意識のようなものは持ち合わせていませんので日本ではとても生きにくさを感じます。どうして自分だけそうなったのだろう?と考えると、やはり幼少の頃から外国人が創立した学校に通ってきたからかな?と思います。幼なじみも外国人ですし。私と同じ学校出身の人たちもやはり日本社会に生きにくさを感じていると言います(器用なのでうまく立ち回っていますが)。
ホルムアルデヒド検出問題のDOWAハイテック、
どちらも、DOWAホールディングスの子会社です。
DOWAホールディングスのトップは、
「東京電力に関する経営・財務調査委員会 」のメンバーです。
そして、ホルムアルデヒド検出問題で廃液を流したとされる高崎金属工業処理タンクへの運搬を担当したのは、JFEグループ関連の廃棄物収集運搬会社。
JFEグループホールディングスは東電社外取締役になる数土氏が社長だったところです。
これから、真実が明らかになっていきます。
瓦礫焼却を、止める方向に向かうはずです。
大病をしたりしないと命、生を なかなか自分の物と受け入れられないのでしょう。
確かに 命を大切に日頃感じて生活してる方は少ないですね、癌宣告でもされると命の重みに向き合うと思います・・・
自分で土すら触らない環境で暮らしている事でしょう。
だから何もかも鈍感なんです。
誰がこの件で苦労していて、誰が実害で困っているのか
ピンとこないくらいに鈍感でぼけているのです。
特に都知事はぼけているという言葉がぴったり。
北九州は、昔からあんなところです。
わけのわからない横暴な決めつけで物事が成り立っているようなところ
けれど警察の横暴というのは実は北九州では私は体験は無かったんです。
なので、ビデオを見ていて残念でした。
彼ら警察の人達にも心や心配事はあると思います。
彼ら警察全員の本人や家族親戚、近所の人に
放射能原因であろうと思われる鼻血や体調不良が本当に
出ていないのでしょうか?
彼らが
取り締まるべきなのは、がれき反対者ではなくて
政府や市であるはずなのですが、
最近の警官の、少なくとも北九州の警官の根本には
がれき反対者=企業及び市への妨害行為
という定義だけで逮捕しているようです。
警察も時によってデモが最もだと思うともっと優しかったりしますよね。
警官も人ですから、職務以前にモラルについて
理解してほしいです。
警官も個人の意見を持って当然、持ったからといって
職務放棄にはならないと思いますよ。
かなりの時間がかかりましたが、夏に海外に避難します。
木下さん、有難うございます。
アラスカの漁村に流れ着いた津波のがれきやゴミ、そして石油タンクみたいな(ストーブの石油ですね)もののカラとなったプラスチックの容器など、アメリカ人にはそれが石油かどうかもわかりませんから「危険な毒物やケミカル」として懸念されて報道されました。放射能の言葉こそ報道では出ませんでしたが、CNNのスタッフがその場所にテントを張って取材を続けているようです。その場で放射能も測らなければならない、それが日本の責任だと思います。
私も何かできればと思うのですが、まあ個人でお金も無いので、CNNが雇ってくれれば、あるいは日本の報道が雇ってくれればアラスカまで行って、テントに泊まり込んでもいいと思います。
ただ自分のガイガーカウンターでは個人用ですから
不十分でしょうけれどね。
放射能とは言わなかったが、いずれにしてもゴミは
汚染であると報じていました。
アメリカも大声でこの事を責めるまではなくても(政治的にやってないようですが、あるいは報道で政治的にそのがれき処理を日本政府に要請したと聞きませんが)
アメリカも被害者なのです。
日本の皆さんが被害者であるとき、アメリカも被害者である。
世界はつながっていることを理解してほしいです。
この時に及んで、スパイがどうとか、くだらない話は
止めてほしいと思います。
迷惑をかけておいて、スパイも何もないと思います。
以上です。
楽天的な性格の人はより楽天的に。神経質な性格の人はより神経質になるそうです。
実際にチェルノブイリでは放射能の影響で身体が蝕まれ、明らかな症状(歯が抜け落ちる等)があるのに全く気にせず
自分の命の危機に全く対処しようとしなかった人が多数いたそうです。
メディアの安全デマを信じきっている人は別として
放射能の危険を怖いから知ろうとしない、特に何かしなくてもどうにかなる、何か対策しなきゃならないなら面倒くさいから死んだ方がマシ…等
そう思ってる人達の中には放射能の影響で、危険対処能力が低下してきているのかもしれないと思いました。
民主主義は1日にして成らず!
毎日の闘いです。これに気がついたのです。
何の為に生きるのか?
神から与えられたこの命をどう使うのか、
今、全国民に問われている事です。
先日は宇部まできてくださり、ありがとうございました。
私は宇部の隣の小野田の海辺に住んでいます。
12月に川崎より避難しました。
高校生、中学生、小学生をつれて、大変でした。
それなのに。。
海を挟んで20キロ。本焼却後、ここに住めると思われますか?もうマスク生活はこりごりです。。
彼らはまともな人達でないです。何万人の瓦礫焼却反対の署名すら捨てられるだけです。
平和ボケして目覚めない人達、教育、宗教でトップを盲信するようにしつけられた人達は
簡単には目覚めません。
全ての生き物が持っているはずの命の危機さえ失いつつあるように思える」もうだいぶ前のことでありますが、新聞に載っていたその言葉を事故後実感しています。
「気にしない」「腹をくくった」「もう歳だから」
そんな言葉を回りの知人友人から何度も聞きました。
そして命の危機を感じる
これは理屈ではなく感覚でとらえるものだということも説得を試みる過程で強く感じました
「G県の市議がツイッターで 放射線被曝地域の献血は欲しいですか?と発言しています。
ちょうど今週 K山駅前献血ルームで献血したばかりなのでビックリしました。 これって福島以外の方々は そう思っているのかな?」
今頃こんなこと言われても…。
善意の献血だから余計困る。
事故や手術で輸血を受ける際は 無理しても親族や身元がわかっている人からの血液を使うようにしないと。
厚労省の見解は
「1部の原発作業員以外 被曝している国民はいない」ですから 自衛するしかないですね。 万一に備えて 親戚や友人知人とお互いに協力しあうように話し合っておく必要があると思います。
『幽☆遊☆白書』という漫画で、主人公が敵に危機感の無さを指摘されるシーンの台詞です。
移住が出来たのは木下さんのおかげですが、こういった台詞が頭の中にあったのも、きっかけの一つになりました。
国内の原発が爆発事故を起こしたのに、多くの日本人は、この台詞を言われてしまうような状態なんでしょうね・・・。
いつもブログを拝見しています。今回のコメントを読んでショックでした!私たちは何に拘っているのか(家、ローン、金銭、所得、地位、会社、肩書、ステイタス、世間体、仕事、対人関係など)? その通りで、生きることには執着できていません。ぬるま湯の平和な日本で育ったから、なのでしょうか? 私は、朝通勤時に小学生や幼稚園の子供を見ると、心が張り裂けそうな気になります。この子供達の未来は誰が作るのかとーー。こんな子供達を犠牲にすることが判っていて、ガレキを燃やす国家、官僚は何なんでしょうか?? 早く日本国民の数%の人が目覚めてほしいです!!!
↑ 子供を産むか産まないかはその人の人生の選択ですよ。そのファシスト的、差別的考え方、改めるべきだと思います。子供を産まない選択をしている人は皆、自分や他人の命を尊重して豊かな人生を歩んでいないとでも?
その節は大変お世話になり、ありがとうございました。
木下さんのお考えにまったく同感です。
私自身が被曝二世であることを踏まえ、原発事故の現実や内部被曝の恐ろしさを周囲に懸命にお話ししてきました。
けれども、伝えても伝えても伝わることのないもどかしさ、悔しさ。
「どうせいつか死ぬのだから、私は達観している」とでも言いたげな物言い。
命より尊く、命より優先されるものはないと言う私を、逆に哀れむかのような視線。
生きるための努力を易易と放棄することと、達観するということは、本質的に全く異なります。
私は現在大阪に住んでいますが、がれき受け入れを阻止できなければ、より安全な地を求めて流浪の民となることを覚悟しています。
どの地にあっても、私は私。何にも揺るがない私自身であり続けたい。
地位、所得、肩書、周囲との人間関係などは単なる属性であり、この国難の時代には瞬時に消え去る夢幻にすぎません。
死は生の完成です。より良き生の完成を目指して、自分と大切な人を最後まで守り抜き、生き抜きたいと思います。
木下さんのご活動に心からの敬意を表し、深謝します。
どうかお体大切になさってください。
未来さんは既に実践されているのでしょうか?
【電気料金とNHK受信料をコンビニ払いに変更!】もいかがでしょう。
一人一人が口座引き落としを止めるだけで電力会社・NHKは痛手を被ります。
不払いについてはあくまでも個人の判断です。
なお、NHK受信料の集金の撃退法については、元NHK職員の方が指南します、とのことです。
こちらまで
https://mobile.twitter.com/#!/tachibanat
木下さんへ、まず自分の命を大事にする…色々考えさせて頂きました。自分は3.11前から自分も含め、あらゆる命を粗末にして生きてきたからこの状況を招いたのだと、今となって後悔とともに身に染みています。
先日の北九州のがれきトラック搬入を阻止しようと出向かれた方々に、私は無責任にも頑張ってとコメントしてしまいましたが、中には妊婦さんや小さい子供連れのママもいたと。おそらく高線量のがれきに近寄る訳ですから皆さん多少の被曝は覚悟の上で、それでも行かずにはおれなかった心情は痛いほど分かるのです。しかし果たして…。
命を守るために、何が一番善い方法なのか?正直分からなくなる時があります。
どこでボタンを掛け間違えたのか。震災がれきの受け入れで泉田裕彦知事と新潟、三条など5市長がすれ違っている。解決を見ないまま、知事は23日の会見で「首長レベルの話は終わった」との認識を示した。
事務レベルは別として、この問題で知事と市長が膝を交えて話すことはなかった。「終わった」と言われてピンとこない人も多いだろう。
この間、知事と市長は「空中戦」でお互いの主張を繰り返した。
知事は「がれきの受け入れ自体は反対ではない」としながら、焼却灰に濃縮される放射性物質の安全性を重ねて国にただす。国際原子力機関(IAEA)の基本原則から、放射性廃棄物は集約して管理し、拡散させるべきではないとする。
一方、5市は受け入れ基準とした「放射性セシウム1キログラム当たり100ベクレル以下」は、IAEAの安全指針では再利用が可能なレベルで、一般廃棄物に当たるという。
安全性を重視するのは同じだが、知事と5市長が歩み寄らないことが県民の不安を招く一因にある。
泉田知事と面会した三条市の自治会長らは、市長との調整を求めたが進展はなかった。たとえ主張が違っても、解決の糸口を探る動きを見せてほしかったのではないか。
対立する問題で、有権者は調整や解決を政治家に求める。この問題を知事と市長が直接対話していたなら、別の展開があったかもしれない。
知事選は10月21日投開票に決まった。泉田知事は3選出馬を表明済みだ。知事は自らを「半分官僚、半分政治家」とも表現する。行政官の役割は大事だが、それ以上にいま、政治家としての姿勢が求められている気がしてならない。
(編集委員・高橋直子)
・・・しかし、新潟日報のこれまで瓦礫受け入れ関連の報道では、反対派の間では常識とされている、例えば内部被曝だとかバグフィルターの問題とか島田市の試験焼却の結果とかが一切触れられずにきているのですね。
だから読者も、知事をはじめとする反対派は盲目的に危険と不安を叫んでいるとしか思わないのではないでしょうか?そういう中、先日の読売新聞新潟版が、三条市の自治会長が、バグフィルターの性能に不安を漏らしている事を報じており、正直感心させられた物です。
それに、実は泉田知事が問題視しているのは、焼却灰の濃縮問題だけではないのですよね。それこそ県が環境省に再提出した質問状を読めばわかるでしょうに。私自身、その内容について、受け入れ表明5市の市長や、新潟日報がどう思っているのか?凄く知りたいのですけど。
巧みに情報統制していれば、県民なんて簡単にコントロールできるとでも思っているのですかね、新潟日報は?
ちなみに、今日の新潟日報朝刊には、岩手県大槌町からの、瓦礫受け入れを訴えるレポートが掲載されておりました。おそらく、明日以降の読者投稿欄には、知事を批判する意見が掲載される事でしょう。
良い情報を有難うございます。
”北九州市に警視庁精強 第五機150名が史上初めて派遣される”そうです。
・ということは、北九州市議会・市長・環境課は住民の意見を聞いたり、住民への説明責任など、はなから果たすつもりなど全くなく、既に本焼却の強硬突破の準備に入っているという事です。
・なぜ、これだけの精鋭部隊を派遣するのか?北九州市で警察権力の圧倒的な力を住民に対して見せつける事で、日本全国での瓦礫拡散処理に反対する市民の動きを抑えつける為です。そうなると、沖縄から北海道まで例外なく一気に瓦礫処理を進めるのが、政府・官僚、それに従う警察組織の中で既に決定したと想定出来ます。放射能被曝の日本全国、均一化です。だから北九州市に今回、事前に発表されている数字よりも高いと思われる放射能汚染された物(現場で計測していた市民の数字によると)を試験焼却の量ではなく、本焼却とも言える80トン以上も持ち込んで燃やしたのも納得できます。市民との問題が大きくならないうちに大量に放射性物質をばらまく為に。計測の仕方が間違っているので、北九州市の計測結果では、環境への影響はなし。しかし、実際には福岡・山口だけはなく、大分・宮崎の人々でさえも、のど、目が痛いという情報も聞こえる。
・2割の気付いている人達だけではなく、情報を遮断されていて(=偏向報道のテレビ、新聞しか見ていないので)、政府・官僚に騙されているのに気付かない8割の人々の力も結集しないと、今の流れは変えられない。それも今すぐ。
愛(慈愛、アガペー)を知らない人に命の尊さは分からないのでしょう。
人が生きる根源となるのは愛し愛される経験です。
それがなければ人はこの地上にしっかりと根をはって生きていけません。
311を経て、これほど『生』を実感して生きたことはないと痛感します。
『生きる』ことは本当に素晴らしいです。
私の中にある愛も不思議と泉のように溢れ出てくるかのようです。
今日もまた新たな一日が始まります。
誰の内にも必ず在る愛が眠りから醒めて命を輝かしてくださいますように。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1301.html
報道ステーションが4号機プール問題を取り上げたことに触れながら、東電のプレスリリースでの「4号機は傾いていない」という嘘を見事に暴き、細野・枝野・片山さつき・武田邦彦らを論破し、ぶった切ってます。
監視のお勤めご苦労さん。
人の命、子供の未来の健康の為に、人間として日々労力を惜しまず使うべきですね。
警察組織、官僚組織は、生活している一般国民の為に機能すべきもので、それを外れてしまったら、悪事を働いているのと同義だと認識すべきです。本当は偉くも何ともないただの公務員が、自分個人に力があると錯覚してふんぞりかえっているのは、はたからみたら醜態ですよ。あなたの文体からはそのような心が透けて見えます。
私が東京の友人に言うとみな、こう応えます。
つまり、想像力がなくなっていると思います。
原発から放射性物質が火山灰のように降って、それが土壌や家や庭に積もってるんだよ。といってもポカーンとしています。
政治家はお勉強ばかりして、
田舎にある美しい景色に感動したり、美味しい野菜や果物をかみ締めた経験も無いのかもしれません。
だから、別に山や川や食べ物が汚染されても気にならない。そこら辺の完成が物凄く鈍い。
佐野氏も報道ステーションで言っておられましたが、人々の感情にも鈍い、鈍感なのです。
これは人として、一番悲しいことですね。
どれだけの負の遺産を残すことになってるかにも
責任も感じず、良心の呵責も無い。
お金が第一になった政治家は物凄く不幸だと思いました。
★日常の「役割」に忠実に埋没、あるいは逃避。自身の「個」を尊重し、掘り下げ、向き合おうとはしない。
★有事前と全く同じスタンスの会話。
…上記、人それぞれですが、首都圏から未だに動かない人たちです。
なかにはお子さんだけ、線量の低い場所へ下宿させた方もおられますが。かくのごとくわからんちんですが、大切な命達です。
お話し、心に染みました。
私の周りにも、東京で、放射能に対して危機意識を持っている人は(15%くらい?)はいます。食料に気を使っている人でも、木下さんの指摘する「家、ローン、金銭、所得、地位、会社、肩書、ステイタス、世間体、仕事、対人関係」を理由に、避難しない人がほとんどです。
子供たちへの愛情が不足しているのでは、といつも思います。福島第一原発事故以来、ニッポン人は価値観を変えないといけない、つまり、関東~南東北は、「戦争中」で、疎開しなければならない、位の意識が必要だと思います。
それに加えて、「メディアでは報道されない真実を追い求める力」と「自分自身の判断で行動する力」が多くの国民で欠如していると思います。
この原発事故が、万が一、ドイツで起こった場合、相当数、相当割合の人たちが、確実に避難することと思います。
そして、ロシアなど、旧共産圏の人たちは、元々メディアを信頼していない(=国営放送=国の意向を伝える手段)ですから、「このニュースの裏側にある真実は何だ?国の意図は何だ?」と、日常会話や噂を通じて、真実を推測する週間ができています。
あとは、外圧に弱いです。国内の利権に絡んでいない海外メディアであれば、真実を伝えることに対する躊躇はないでしょう。ここまできたら、今まで以上に外国のメディアに危険性を書いてもらい、国際政治問題にするしかないかもしれません。そうでないと、ニッポンを救えないかもしれません。
戦後60年の平和ボケでしょうか?
それとも、統治システムの制度疲労か?
ペーパー試験のみさえ、特技であれば、官僚になれている恐ろしい国。全くのエリートでもなく、偏った人たちが集まっているニッポンの統治機構。もう限界に来ていると思います。
ニッポンの教育や統治機構を変えていかなければ、多くの人が「自分自身の考えで判断する・行動する・真実を探す」という行動には至らないと思います。
木下さんの記事を読んでいる方、今こそ、行動(=避難)を決断、行動する時です。子供たちを守りましょう!
木下さん、ご自身の健康を大切に。いつもありがとうございます。事故以来、真実を報道しないメディアばかりだった中、貴重な情報源となり、家族で感謝しております。そして、木下さんの発信のお陰もあり、今、報道ステーションやメディアも、一歩一歩動いてきたと思います。
私も、その類いかもしれません。
食べ物を気にしている人は皆、『自分はいいけど、子どもには気をつけてあげたい。』と言います。私もそう思ってしまいます。
この感覚はなんなんだろう。と考えてみました。
子どもを守るためなら、自分の命なんて惜しくない、みたいな精神が根幹にあって・・・、なんかこう、美徳のような感じで刷り込まれています。
でも、自分を大切にできない人に、人は守れない、と思います。
体も、やっぱり大切にしないと、と思います。
また1つ気がつきました。
今まで、『死にたくない』とは思っても、『生きたい』と思うことはありませんでした。
こういうことが、感覚で思えるようになりたいと思います。
癌患者がちらほらいて聞く度に喉がつまる思いです。親戚に二人いて、それと別に心臓手術をした身内がいます。町には脳腫瘍が発見されたお婆さんや心臓が弱く知的障害がある方がいます。全て福島より前におきた事です。
私は元自律神経失調症でストレスが胃にきやすく、記憶力がとびやすいです。
私の妄想かもしれませんが町全体がどこかおかしい気がします。
布団と洗濯物を干すのも地域ゆえ抵抗があります。でも私はまだ女として諦めたくないし生きていたい。
疑問を持ってしまった時点でもう住めないのはわかってはいます。清水の舞台から飛び降りる勇気が今は出ない。ですが必ず脱出します。世論からしたら立地地域の住民は狡いと思われるかもしれません。例え汚いと思われても私が選んだことではないし(生まれる前に建ってた)この町で死にたくありません。
こちらでは仕事が少ないし、お給料も安いですが、健康はお金では買えません。
お母さん達も子供だけはと言いますが、子供が生きていても、お母さんがなくなってしまったり病気になってしまったら、子供はどうするのでしょうか。
母たるもの、子供を成人させるのが役目。
成人したその後も必要なものだと思います。
母を亡くして、どれくらい子供が母親を必要とするかを思い知らされました。親は生きていてくれるだけでありがたい存在です。自分はいいから子供だけというお母さん達、もっと欲をだして、子供の為にも自分も長生きしたいと願ってください。
細野が他国の使用済み燃料の処理受け入れに言及
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG25014_V20C12A5EB2000/
で、環境省のパブコメに
廃棄物の輸入に係る環境大臣の許可について行政手続法に基づく審査基準等を制定することに関する意見募集について
日本を世界の核ゴミの捨て場にほんとにしちゃう気でしょうか!!
深読みのし過ぎだったらいいんですが・・・・
船が半分は沈没しかかってる。
でも大半の人は船長の「大丈夫ですよ。直ちには影響は出ません。」という言葉を信じきってる。
多少不安はあってもみんな残ってるし。
万が一沈んでもこうして船室やレストランで家族や仲間と楽しく過ごせればいい。死ぬときは一緒。
先に逃れた人が自力でボートをだして、沈みかかってる様子を伝えて「今すぐ逃げて!」と言っても
聞こえない。聞こうとしない。ボートをだすお金も余裕も無い。と言う。
だから、みなが本当に沈んでいるんだと言うことを
認識し始めた時が大変だと思います。
本当にパニックにならないと良いですが。。。。
中国で漢方治療を受けられた方も、ご自身の経験を共有してくださってありがとうございました。移住の説得を何度しても、(ちゃんと聞いてくれてはいるけれども)未だ東京から動こうとしない妹・・・放射能で癌になったらぽっくり逝くと思っているようので、そうではなくて、どんなに壮絶な苦しみが待ってるのか、言い聞かせています。説得に挫折しそうになるときもありますが、この先家族に何かあって後悔したくないので、これからも働きかけていきます。
せっかく生をこの世に受けたのだから、もっと生きることに執着すべきだと私も強く思います。木下さん、どうぞお体お大事に。いつも欠かさずブログ拝見しております。命の本質的な大切さが分からない愚かな人、「思い込みで話をするな」とかほざいてる人はかわいそうな人間ですね。本当は怖くて仕方がないくせにね。どっちが「思い込み」だけで話をしてるのか、分からないんですね。
もう体が限界だと悲鳴を上げているのではないでしょうか。
当初は一年という期限での活動と言う事でしたが、もう許容範囲もタイムリミットを超えています。
放射能汚染との闘いは、時間とのかけ算だと言う事を、木下さんは重々ご承知の上での活動だと存じております。
しかし、これ以上汚染地帯での活動を続けられ、ご自身が被爆され続けるのを私は黙視できません。
木下さんこそご自身の命をもっと守って下さい!
木下さん、今まで本当に沢山の方々の命を繋げて来て下さいました。心から感謝しています。
もう充分すぎる程にその愛は人々に注がれました。
その想いは届く人には届いたはずです。
...木下さんの活動の原動力が、愛から憎しみに変わらないうちに、一日でも早く安全地帯に避難され、後を追う方々の道しるべになって下さい。そうする事で、また救われる命も多いはずです。
ごめんなさい、こんな事しか言えなくて。
決して日本を諦めたのではなく、これからも海外から出来る限りの活動を続けていきます。
人間の生きる喜び、幸せ。味わって自分を大切にしてほしい。どうか一人でも多くの若い未来の人たちにも。。。。
日本各地で少人数が集まって反対するには限度があるので
野田首相の所に何万にもの人が一度に集まって
抗議したほうが根本的に早いのでは?
という方がおりました。
その理由についてあげてみます。
・もうしょうがない。
・病気になったときに考えればいい。
・みな汚染された場所でも頑張って生きている。
・人間死ぬときは死ぬ。
・怖いからこれ以上不安になりたくないの聞きたくない。
・テレビや新聞では一言も言ってない。
こんな感じです。NHKや新聞で載せないから危機感がないし、誰一人、自分から積極的に調べようとはしていません。去年3/15の放射能大放出そして21日で雨に叩き落され、土壌を汚してそのまま残っている、という大事な事実を隠している国の責任は大きいです。まさに犯罪です。
それと放射能=死の灰という認識もない。ちょっと食べても大丈夫と思っています。
その時々に政府がちゃんと知らせて、土壌の汚染具合を調査していないからこういうことになります。それと、国も個人もチェルノブイリ健康被害から何も学んでいないと言うことが大きいです。
「調べないと!」と言うと面倒、私から聞くからいい。という返事です。
まさに平和ボケ、メルヘン王国の日本・・・、みな気づいた時は遅いし、パニックになると思います。これから先が怖いです。。。
命の重さについても日本は軽いと思います。
外国はキリスト教で命が神様から与えられたという認識ですが、日本はそういう大事なものという
気持ちがないのではないでしょうか。
むしろ、親から与えられた命だけれど、自分の好きなように今を楽しく生きればいい、たかだか70年くらいしか生きられないのだから、という感じ?東京を離れたくないのです。
あとお笑いの影響も強いと思いました。
「死ね!」みたいなリアクション、罰ゲームなどなど。。。
取りとめも無く書いてしまいました。
信じる信じないは別として、震災のかなり前から父親の知人がこんな不思議なことを十数年言い続けていました。
こんな感じでした。
米を大量に備蓄しないといけない。
避難所を確保して、そこに備蓄米を保管し、いつでも行けるようにしておく。
とにかく食べ物がなくなる。
芋や米などならなんとか食べていける。
贅沢慣れした若者は、芋や米だけでは生きていけず、自殺者が大量にでる。
何か、わからないが、大変なことが起こる。
(私が名古屋市在住なため、逃げたほうがいいかという問いに)名古屋は大丈夫、だが、三重県あたりに避難所があった方がいい、という答え。
実はこれ、十年以上前に聞いたことで、その後も会うたびにこの話題が出て、私は正直この方がおかしくなられたのかと思っていました。
でも、今回の震災で当てはまることが多いので、逆に震災直後、すぐ避難や備蓄を考えながら行動し、食べ物、いえ正確には食べられるもの、が、激減するのだとわかり、すぐに食べ物には警戒できました。
実はこの方、三重の山奥に実際に山小屋を買い、大量の玄米を保管していらっしゃったのですが、震災の前の年に、急死されたのです。親しかった父にも死因は知らされず、葬儀も身内ですまされ、いまだに何故急にお亡くなりになったか不明なのです。
ただ、無くなる二ヶ月前に、破格でその三重県の山小屋を父に譲ったのです。
譲った理由はわかりませんが、不思議というか、なんというか、、、。
言えることは一つ。
その方のお陰で、私は今回の事故が命にかかわる重大なことなんだという事を深く理解出来たということです。
もしこの話を聞いてなければ、テレビや新聞を鵜呑みにしていたことでしょう。
いまは亡きあの方に、ただただ、
ありがとうという気持ちです。
わたしは3月末に中国に移ってきたのですが、日本にいた時とおなじく、うつの症状の一つであるという早朝覚醒で午前4時、5時に目が覚めてしまいます。疲れが取れません。こちらのお医者さんに漢方薬を処方してもらいましたが、あまり効果もなく...
それとゲームやパソコンの普及のせいか、お金が大切と考えるようになったせいか芸術は淘汰され、想像力の乏しい人が増えたこと。人と人との関係が希薄なために子供は別としてこの人が泣くから生きなくちゃという信念がなく、どーせ死んでも誰も悲しまないと思っている人が多いです。
先日義父が私の夫に向かって「健康を壊しても体調を崩してもさらに働け!休むな!」と言っていてびっくりしました。あの~健康がなければ働けないんですけど。
生きていれば色々なリスクがある。放射能の危険性は確実ではない。問題ないという学者もいる。どうして自分の思い込みを前提に話をするのか。日本の放射線量はたいしたことはないという考えだってある。命が大事とかどうとか、そんなことは誰だってわかっている。安っぽい話をするな。頭を冷やせ。愚か者。
↑あなたひとりでも人間のあかちゃん産んでみてから、そういう軽い意見は言ってくださいよ。
それで、たとえがれきが燃やされても最大の防御をしようと思っているのですが、気になるのはバグフィルターで捕捉できずに気化したセシウムの行方です。
私達の生活圏で漂流し続けるのか、あるいは焼却炉から排気と同時に空高くに舞い上がるのか?いずれは雲の中に留まって雨とともに落ちて来てあちこちにホットスポットを作るのでしょうが、それまでの吸気による被曝が気になりまして...。なにしろマスクでは防げないということですので。
2年間も放射性廃棄物を一般焼却場で燃やす...このような愚行はもちろん世界でも先例がなく、調べようがありません。どなたか専門家の方がおられたら、教えていただけないでしょうか。
私は長崎出身でカトリックの学校に通っていたので永井博士のことは知っていましたが、こんな悲しみを持っていらしたことは知りませんでした。
木下さんもおっしゃっていますが、まさに今自分の気持ちそのものです。
未だに命より物質の豊かさに依存した生活をとる人たち、子供の未来を考えない人たち、がれき焼却のガスがこっちにこないでと思ってしまう自分、
みんな醜い、自分も醜い。
こんな日本ならもう別に生きていたいとは思えなくなっていた時、このブログの内容はまさに自分に向けられたもののようでした。
子供達が自分の人生をしっかり歩いて行くまでは病気になれない、だから被曝したであろうこの体を改善できるように日々努力しています。
自分のために生きることも考えないといけないのですね。
というか、そう思えないと命をまっとうできないかもしれません。
北九州の市民検討会に参加しました。木下さん、山本さん、他の先生方のお話を聞いて1年振りにまともな空気に包まれました。
自分の周りには同じ考えを持った人はわずかしかいなかったので、社会的な居場所を失っていました。
参加してパワーをいただきました。ありがとうございました。
沖縄県である程度年齢が上なら常識です。
国が人をだますのも捨石にされたオジーやオバーには当然のこと。
生きるためには権力を疑い、みんなで力を合わせて声を上げなければならないのです。
国民が権力の暴走をチェックしなければならないのです。
残念ながら日本は戦争の後、責任を追及したり、なぜそんな道に進んでしまったのかを考え、再発を防止することをしっかりとやってきませんでした。
教育も先生の言うことに従う子がいい子です。偉い人が悪いことをしているかもしれないと言う教育がありません。
よさそうなことを言うやつが実は悪い奴で、みんなをだますことはよくあることです。詐欺師はとても上手にやってのけます。
マニフェストなんて名付けたりしてね。
大体、道徳で愛国心なんて、洗脳教育ですよ。
いい国だったら、勝手に国民の方から国を愛しますって。
疑う。声をあげる。みんなの力を集める。
あきらめない。恨まない。嫌いにならない。
つらくてもへこたれない。
三線弾いて、明るく歌って、踊って元気になる。
そして、また、もっといい国を作ろうと頑張り続ける。やがてゆっくりと体制を変えていく。
本土復帰40年。その頃の沖縄の人たちが私のお手本です。
痛くもかゆくもない潜伏期間は病気のことなど気にもしていないのが普通の人間です。たいていの生活習慣病患者は悪化して表面化してからでないと、何も対策をしないのです。尿酸値が高いのにビールを飲み続け、痛風が発症して初めてプリン体を気にし始めるわけです。
それを事前に察知できる人は少数派です。
「ビール控えたほうがいいよ。」
「うるさいな。自由に飲ませろよ。大丈夫だよ。飲み会行けばみんな飲んでるだろ。俺元気だし。」
「放射能防御したほうがいいよ。」
「うるさいな。自由に生活させろよ。大丈夫だよ。みんな楽しそうにやってるじゃん。俺元気だし。」
今はこの状態なのでしょう。
大丈夫だと思いたい人に将来のために、今の幸せを減らせと言うのはもっとも聞きたくない話なのです。
しょっぱいもの大好きな高血圧気味な人に、健康のために、長生きのために、塩分を減らせと言うのはとても嫌がられます。脳卒中になって生き残った後なら誰も何もアドバイスしなくても、自分から塩分を減らしますよ。
福島や近県でこの気持ちがわかるようになるには、被害が本格化し、さらに何年も後のことでしょう。生への執着が強くなるのはその時のことです。命を守らなければならなかったのだと後悔の形で表れるのです。
沖縄のオジーやオバーもアメリカ軍が上陸してきてから、戦争のひどさがわかり、猛烈に戦争反対になったのです。
先に戦争はいけないと感じていた人は非国民でした。「この戦争は大丈夫。勝つんだ。」と思いたい人に「負けてるよ。巻き込まれて死ぬ可能性が高いよ。」なんて言おうものならどうなったことでしょうか。
昔沖縄、今福島。
捨石にされる人々。
歴史は繰り返されるのですね。
歴史に学ぶもの、学ばぬもの。
人生は分かれてしまうのでしょう。
生命力とも言えると思いますが、確かに欠けてる人が多いような気がします。
「自分で事態を打開する力」
ここにたどり着けば人を頼らずに自分で物事を判断していけると思うのですが。。
やばいと思ったらそこから離れる
これが生物として当たり前の考えだと思います。
知った上であえてあきらめてるのであれば何も言えませんが 木下さんが言われる金銭、肩書きなどの生に執着しているのに 生きるという本質には執着できないのはなぜだろうとしか思えません。
話変わりますが 福島原発周辺や東京でも見つかった放射線量の高い黒い粉、藻類が溜め込んだものとも言われていますが
放射能対策の為に飲んでいたスピルリナですが これも藻の一種で実際重金属を溜め込む性質のようです。
製造された場所や生成されているプールが屋外なのかどうかにもよると思いますが もしかしたら放射能を溜め込んでいる可能性があります。
なぜそう思うかと言うと 自分自身飲み始めてから全身がかゆくなり顔を中心にひどいアトピー症状が出てしまったからです。
持っているエステーのエアカウンターで計ってみたところばらつきがあるのですが0,1から最大で0,3マイクロシーベルトまで上昇しました。(空間線量は0,05以下です)
空間線量専用の計測器なので正確がどうかは分かりませんが 含まれてるのは確かなようです。
参考までに。
ひたちなかから 茨城県や千葉県の米が大量に北九州に運ばれていたそうです。菓子の原料になるのか そのまま売られるのかは分からないとのこと。
茨城県の汚染も相当危険です。
瓦礫だけでなく、どこまでも
運ばれ食していくのでしょう。
今 主人には 西日本への転職を説得中です。
どうかご自愛ください。
おっしゃるとおりだと思います。また、本当に鋭い観察力をお持ちですね。
体調が戻るまで、しばらく休養された方がよろしいのではないでしょうか?明日の講演会に行きますが、どうかご無理なさらないでください。
生きる事がそんなに大変じゃなく、
お金を手にする事もたいして大変じゃなく、食べ物も質の違いはあっても空腹で悲しくなるような思いをする訳ではなく、
普通に欲しいもの(贅沢ではなく日用品)が手に入る生活が当たり前の人間は、生きる事も死ぬ事も苦痛を伴わないという感覚で生きて来たので、生きる事にどん欲でないのは当然です。
生きる事をあきらめているのではなく、本来「生きる」ことはサバイバルなのだとう本質をすっかり忘れた、生ぬるい現代の日本人そのものでしょう。
誰のせい、とかではなく、染み付いた「なまけぐせ」は簡単に抜けないでしょうね。
つまり、なんらか、生きるのに苦労した経験のある人、もしくは身内に苦労した人間がいて、幼い頃からしっかりとその話を聞き頭できちんと理解しているような人間とかで無いかぎり、生きる事の辛さを知らないのです。
知らないから、今までと同じく流されるような生ぬるい生活「しか」できないのです。
病気になったら病院へいく。
これが今までの日本人の生きる事への最大の努力だった、ゆえに、病気になっていないのでそれまで何もせず生活する。
骨抜き現代日本人の、「普通」の姿であり、今更不思議でもなんでもない。
戦後の日本人とは、そんな情けない生き方をしてきたのだ。
この流れはもしかしたらいい方向に向いているのかも・・・・・・ネットでは当たり前の情報がTVで報じられた事に本当に感動しました
・A4のコピー用紙500枚で300円、プリンターの黒インク 3分の1位で300円。瓦礫焼却による健康被害とその根拠、行政が垂れ流している嘘の数々、地域経済・生活へ与えるダメージ、各自が思いつく内容を、家・マンション・会社のポストへ直接投函。これを週に1回。一人では?という方は数名でやればよりカンタン。個人名が出るのがイヤであれば、何か適当な団体名でも良いのでは。
・政府、役所はこの1年連日、多額の税金を投入して世論操作を続けています。国民全体の8割位が何となく、政府の方針に賛成してしまっているのは、それ以外の情報が彼らの目に入ってこないからです。一つのエリアで瓦礫焼却反対の人、3人がそれぞれ週に1回配れば、1軒の家で週に3回は真実に目を通す。1か月にしたら12回。読み手にとってはこれはもう少数意見ではなく、国民の大多数の意見となる。その地域住民の意識を根底から変えます。もし仮に総人口1億3000万のうち、2万人が週に500枚のチラシを配れば、2か月で8000万枚。政府・役人が実質、世論を抑えている多数派でなくなれば、世論操作も出来なくなり、瓦礫拡散処理も断念の方向へ追い込めます。各家庭へのチラシ投函は、デモなどに比べて、名前や顔が表に出る心配・リスクは圧倒的に減り、誰にでも出来、実際に社会へ与える影響は甚大です。
1,いのち(生存)を守る。
2,くらし(生活)を守る。
3,ほこり(尊厳)を守る。
ガレキ問題で逮捕者まで出ているタイミングで、なぜ警視庁最強の機動隊が登場するのか不思議です。
広域暴力団抗争など昔からあったのにと疑問は氷解しません。
9.11の新宿反原発デモでも、警視庁第九機動隊が、12名もの大量逮捕を強行しており、反原発デモに集中取締りしていることが伺われます。
「現行犯逮捕」でありながら、拘留者自宅に波状的に家宅捜索・押収が行われたそうです。
このときの不当逮捕では、48時間で6名釈放、3日目に1人釈放、そして残りの5名に10日間の勾留がついたようです。
先日のコメント欄にはある方が、「2泊3日の逮捕で留置場など恐れるなとか、運動の気勢をそがれるなと」の威勢の良い言葉をしています。
しかし、多くの幼いこどもさんを連れて抗議するお母さんたちに向けて言うコメントではありません。
警察などの治安機関の介入を無用に招き、誘う口実の「囮」としか思えませんが・・・。
・・・確かにその様な「感覚に浸っている」人間は居ると思います。現実を正確に把握出来ない人間、厭世的悲観主義に浸り、「死後の世界」の幻想に憧れを抱く者(この事、自体は悪い事ではないのかもしれませんが)
意識の浮揚・・・(特殊な呼吸法と瞑想法により、自身で意図的にその様な状態を作る場合を除いて)というのは、紛れもなく脳神経の「正常なる」働きを失いつつある状態だと思いますので、既に「低線量被曝」による影響も大いに関係していると推察できるのではないでしょうか?
・・・他に付加的に影響している原因として、日々の日常生活において使用している「携帯電話」「パソコン」「テレビ」「電子レンジ」等々・・・から発生している「電磁波」。
これも、大いに関係していると思います。
なので、たまに休日等はこれらの影響下から逃れる為に、森林浴に郊外にお出かけ・・・木々から出ている「フィトンチッド」と、「マイナスイオン」の体に優しい波動エナジーを受けて、「本来の自分を取り戻す」・・・というのも一興です。
(ですが、高濃度の放射性物質が飛散されてしまった山や森は・・・本当にお気の毒です。)
物質主義の行き過ぎでしょうか。現代のいわゆる先進国病なのかもしれませんが、日本は特に酷いと思います。
たまにつきあいで口にするグレーな食品もこの「1回だけなら」が積み重なってとんでもない被ばく量になるという危惧もあります。
気持ちと行動の間に壁があります。
木下さんが何回も言ってくれているのに、完全に理解できていない部分があって申し訳ない。
本当は死にものぐるいで、被ばくの危険が1ミリでもある物をさけ食べ、生活すべきなのだとはわかっています。
多分、壁を越えた景色を木下さんはわかっているから言ってくれているのだとも思う。だからこそ木下さんに心苦しい思いをさせていることも。
もし、私がそれについていけなければ見捨てて下さい。
多分、木下さんの言葉が届いて生き残る人も、言われる前に木下さんの様に気を付けている人も必ずいると思います。
私は私なりに諦めず防御について細かく一度考えます
命を守ること、生きることにどうしてみんなこんなにいい加減でいられるのだろうと。
放射能のことに限らず、自分の身体や心にとても無関心な人が多いように感じられてなりません。口に入れるものが身体を創り上げ、心に入れるものがその人を創り上げるのだという至極あたりまえのこと。それがなおざりにされているように思えて・・。
なんとなく生きていたら、なんとなく死んでしまうと思います。
考えることをみんながやめてしまっているかのようです。
確実に交通事故を起こす、と分からなければ
保険には絶対に入らないの?
リスクを避ける行為が愚か者なの?
そんなギャンブルな生活して、
あなたの方が安っぽくない??
確実でなければ○○しない、というのなら
木下さんのブログは読まなければ?
ここはリスクを避けるために伝えているブログです。
あなたの生き方には合っていません。
「直ちに影響ありません!」と
ハッキリ言いきっている政府を信用しましょう!
でも、被ばくし、体の異変を感じ移住の決断が出来たのは、やっぱり死にたくないからでした。もちろん、子供を守りたいからでもあります。
一方、一緒に移住した子供(成人)は、どの位のリアル感を持ってるのかわかりませんが、長生きしなくてもいいと言います。同じ年代の姪もです。ただ、そんな子でも、「50まで生きれないかもよ」と言った時にはビックリしてましたが・・・・
日本で、生きるためにもガレキ焼却止めて欲しいです。
広域処理は今すぐ中止可能を具体的なデータで
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ1502..html
北九州市が焼却後の放射線量を出して、変化無しとしてますが、
焼却場の敷地でしか計測してません。
煙突から出る方のデータは無しで安全?
昨日の雨で、何処かにホットスポット出来てたらどうしてくれるんだろう!
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/k1100003.html
再掲、新潟県の環境省への再質問
http://www.pref.niigata.lg.jp/haikibutsu/1337551290100.html
理由は、自由とお金を全部自分で使いたい。
子どもがいたら大変
旅行にもいけない、おしゃれなお店もいけない・・・など。
40過ぎたら、したいこともなくなるから、出産を考えるかな。でも、一人で十分(どうせ不妊で産めないでしょう、その頃には・・)
こうやって自分本位の生き方をしている人が、
命に執着するとは思えません。
快適な生活への執着が半端内のです。
自分本位の残念な人たちが多いゆえ、ガレキも拡散されちゃうのだと思います。
みんなが20代で結婚・出産、子どもをたくさん産むって国・時代だったら、こんなおかしなこと絶対起きなかったと思うのに!
これ以上の共通点はありませんよね。
実は同じようなことを自分も感じていました。
“生”への執着と言ったらいいのでしょうか、そういう感覚が現代の日本人には根本的に薄れている気がします。
また、東京などで暮らしていると、うつになりやすいです。
特に福島後は、エネルギーが低くなりすぎて私事ですが何度もうつになりました。
安全神話、自分の考えを主張することへの恐れ、何とかなるという根拠のない安心感、それに加え、軽度または重度のうつ。
それらまたはそれ以外の何かによって、少し前の学校教育のテーマにもなっていた“生きる力”というようなものがそがれてしまったのではないかと思っています。もちろん、ここに至るまで、何十年も本当の力をそがれ続けてきた民族ですから、そんなことだけではないのでしょうが。
ニュージーランドに移住して後は、一度もうつにはなっていません。私達もこちらでの将来がしっかりと決まっているわけではないのですが、エネルギーだけはとても健全であると感じています。
これまで友達に移住をすすめても誰ひとりとして動く人はいませんでした。
今は祈るばかりになってしまっています。
メディアによって日本の福島はすでに終息したかのように思わされている日本で、
しっかりと目を開けて、決断されていくのは大変なことかと思いますが、
何よりもまずは自分の命を大事にしていただきたいと思っています。
それも設備を担当している業者さんが実名で告発したり、米ロン・ワイデン議員の書簡を出したり、
小出さんのコメントもあれば東電の松本氏の個別インタビューさえ取り付ける。
(参考資料:「みんな楽しくHappyがいい」さんの文字起こし)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1925.html
先日は毎日新聞が原子力安全委員会の秘密会議の話を独自に記事として取り上げ、
その日の夜に報道ステーションは話題に上った飯田氏をゲストとして呼んでいます。
(参考資料:「みんな楽しくHappyがいい」さんの文字起こし)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1924.html
北九州の試験焼却は残念ですが、流れが少しづつ変わってきていることも事実だと思います。
(再掲)
福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描 (Unknown)
2012-02-12 20:23:21
7時のNHKニュースで2号機の内温上昇を報道した後、続いて
「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」(内閣府原子力委員会 委員長 近藤駿介)
が存在したことについて取り上げていましたね。
「素描」の詳細に関してはEX-SKF-JPさんの2012年2月4日付のポストを参考にして頂くとして。
参考:EX-SKF-JPさんポスト(2012/2/4)
( http://ex-skf-jp.blogspot.com/2012/02/blog-post_5776.html )
木下氏が2月8日に書かれていた意味が何となく伝わっていました。
「一部メディアの伝え方が数ヶ月前の報道の仕方よりも微妙に変化しています。」
「シナリオ」を書いた「近藤駿介」さんがいかなる方か検索すると以下のYouTubeがヒットしました。
参考:YouTube「「火事場は見てるだけ」原子力委員会 近藤駿介」
( http://www.youtube.com/watch?v=dd-IYW_jC0k )
原発事故を火事場と例え、「自分たちの仕事は火消しではない」と言い、
同じく答弁に立った委員長代理の「鈴木達治郎」さんは4月26日の火中の最中だというのに
ニヤニヤとにやけて答弁に立つ姿を見ていると、
「真の冷温停止」はまだまだ先の事と実感できると思います。
そういえば近藤氏と鈴木氏は今回の秘密会議の中心ですね。
木下さん、体調が悪いようで心配です。
白血病と同じような症状が出てきているなんて、とにかく防御に励んでくださいね。
今日の内容は、とても共感しました。
私は避難者の一人ですが、この一年同じようなことを私も何度も考えました。
私の周りは何で恐怖を感じないんだろう?何で病気が怖くないんだろう?
なんで、生きたい!と思わないのだろう??と。
私は・・・複雑なことは良く分かりませんが、とにかく怖い気持ちと、何としてでも生き残らなければ!
という本能の気持ちで九州に避難移住しました。
どのくらいの放射線量なのか?とか・・・今後どのように変化していくのか?とか・・・
そんな数値的なことをのんびり考える余地は無く、とにかく「早く逃げなきゃ!」という本能だけでした。
でも、避難し終わって周りを見渡すと、そんな人は誰一人いず、
私って・・・生きることに対して誰よりも強い執着心があるのかも・・・^^;・・と考えたりもしました。
でも、これって・・・本能の部分なんですよね。
心のどこかで「何でも良いから、とにかく逃げろ~!!」という声がして、それに従ったまでです。
生きることへの執着心は、今の人生にどれくらい真剣に向き合っているのか?にも
共通してくると思います。死ぬ瞬間まで真剣に生きて行きたい!と考えているのか、
周りの流れに乗って、楽に生きて行きたいのか、
そもそも、何で生きているのか?と真剣に考えてこなかった人に
生きるとは?などという問題をいきなり突き付けられても、思考停止だと思います。
私は・・・個人的な考えですが、どんな環境になっても最後の最後まで行きぬきたいと思います。
どん底の環境になっても、必ず幸せになれる自信があるからです
そのようになる原因には、いろいろな電子機器類などがあげられるのですが、放射性物質は最たるものと感じています。
個人的には、皆はずっと健康で、放射能で体がやられるってことがどういうことかわかってないんだと思いました。私は昔大学生のときに体調を崩して、症状から白血病や甲状腺異常、慢性疲労症候群を疑いましたが、医者に見切りをつけ、中国に行って漢方で直しました。中国の漢方の権威の病院に連れて行ってもらいました。だるくて寝ながら手を動かすのもしんどい状態で10年は苦しみました。だから今回も怖い。もう一回あのしんどい状態をやるのかとおもったらもうたまらない気持ちになります。
一部の人たちは放射能を考えるときにもういつ死んでもいいとか気軽なことを言っているけど、一言言いたい。簡単に死ねません。そんなに簡単に死ねなくて拷問を受けてるみたいにつらい日々を長く過ごすのです。体調を崩すとはたいがいそういうことです。
もちろん、ここのサイトをご覧になっている方に言うよりも他の方たちに言うべき内容なのですが。私もだんだん心が折れてきて周囲に言う勇気がくじけてきています。
木下様お体ご自愛ください。心からお願い申し上げます。木下様が日本の希望の星です。とにかくお体を大事になさってください。