「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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チェルノブイリをみて、東京からいつ退避するべきなのかを考える

2011-04-23 14:38:52 | 福島第一原発と放射能

 東京から退避すべきかどうかと言うことを、僕は皆さんが考え始めるべきだと思います。きょうはシンボリックな意味もある、東京での、この後の被曝をどう考えるのから、東京からの退避について考えたいと言うことです。

 勿論、避難と言うことは、福島県内の近接エリアでは、現段階で、シビアに考えていかなければなりません。福島は一部地域を除いて、その判断は日に日にシビアになると思います。前から何回も言っているとおり、妊婦、子ども、妊娠可能な女性は、自力で退避できるのなら退避するのがベターだと僕は思います。文部科学省が子どもをある程度被曝させることについて、現地で適切な説明ができない状態です。年間二十ミリの被曝を大丈夫だと現地で説明できません。父母の方が知識もよほど正確にある状態です。判断は皆さんがするしかないのが今の実態です。政府は判断をしないと思います。

 逃げたくない人もいます。もちろん、爆発事故が再度起きた場合、本当に近接でなく、被曝してもその地域で生活をしたいという年配の皆さんは、この限りではありません。被爆と言うリスクを構わないと受け止める人は、爆発事故の場合でも短期的に亡くなるリスクがありうる場所でなければ、留まることを強固に思われるのなら、どうぞご自由にとしか僕は言えません。致し方ないと思います。そういう方たちが、退避する人を非難しなければ、後は個人個人の判断ですから、立ち入るつもりはありません。

 きょうは東京ということで考えたいと思います。でも、大半の皆さんはこういわれるかもしれません。「福島県内の心配はともかく、都内から退避するのは、また、爆発がおきるまで、まず大丈夫でしょう。木下さんは自分が退いたから、過剰に思っているのでは?」と。もちろん、僕がそういう心理状態である可能性も含めて、間引いて聞いていただいてかまいません。東京は現在、モニタリングポストの線量も落ち着いていますし(前にも書きましたし、コメント欄にもありましたが、モニタリングポストは高い場所にあるので低めにでますけど)、爆発事象が突然おきない限り、現在、慌てることはもちろんないのです。

  ただ、退避ということを考えると、状況が切迫する前が、実はゆとりがある訳で、ゆとりがあるようにも思える今が、まずは一度真剣に考える時期なのではないかと僕は思っています。自分自身が退避してみて、退避と言うことが、手間もコストもいろんなことが、大変にのしかかりかねない事態ですから、うまく方法論をみつけていないと、追い詰められます。人間関係や組織関係もそうです。周囲は過剰に反応しますし、こちらが非国民と罵られるのが、東京の人々の基本的なスタンスです。そうすると、退避するならば、準備を含めて、実は相当重層的に考えて、対応しなければならないということです。元々、準備をしていた訳でもなかったので、僕も実はかなり大変でした。

  僕は以前から、モニタリングポストが毎時2マイクロシーベルトを示したら退避準備か退避可能な人は退避、10マイクロシーべルトで、出来る限り退避、20マイクロで即時脱出と主張しています。この線量数値が出る状態なら判断に迷いはありません。また、次に爆発事象が起きた場合、東京では、最短で六時間、長ければ数日のゆとりがありますが、この場合は退避は不可欠と判断します。これは、放射性物質の降下をどう考えるのかと言うことです。もちろん、いろんな核種の危険がつきまといますから、ファクターは多いのですが、ヨウ素とセシウムという核種は、やはりもっとも分かりやすいメルクマールになります。特に半減期の長いセシウム137は、その状況が継続されると考えられるだけに、チェルノブイリの時にも土壌汚染のメルクマールになっています。降雨がどうなるのかも影響が大きいです。

  おとといと、きのう、ずっと手元にあるチェルノブイリの資料を読み続けていたのですが、発生当初に、キエフで避難の検討がされているのが、よくわかりました。キエフはチェルノブイリから南に約130キロ、ソ連のチェルノブイリ原発事故で、放射性物質の直撃を逃れるため、キエフの住民、300万人以上を疎開させる計画が、直後に検討されていたようです。しかしながら、幸運にもキエフには、風向きの都合で、高濃度の放射性物質が大量に飛散してこず、距離が近いにも関わらず、避難という事態は回避されています。チェルノブイリで、セシウム137の汚染を示す地図を見れば、キエフ市まであまり届いていない状態がわかります。しかしながら、三百キロ以上、離れているところにもホットスポットはおきていて、実際は風向きと高度、地形と言った条件にかなり左右されたことがわかります。キエフはたまたま救われたということでしょう。実態が全て反映されている訳ではないでしょうが、キエフではセシウムの被害は大きく出ておらず、一平方キロあたり1キュリー以上のゾーンにも入っていません。

 このチェルノブイリ周辺のセシウム137を調べた結果、避難する基準が一定程度定められています。土壌調査によるものですが、1平方キロあたり40キュリーを超えているところはまず避難地域になり、立ち入りが禁止されていきます。ベラルーシの最高会議が決めて移住させるようにしたのは、一平方キロあたり15キュリー以上の地域です。そして本人が希望したら、移住が認められたゾーンが5キュリー以上15キュリー未満のエリアです。放射能管理が必要なゾーンは1キュリー以上5キュリー未満になります。これだけ降下物が今後あるかどうかもメルクマールになります。

 一週間程度で、ほとんどの事態が収束したチェルノブイリの事故とは異なって、福島第一原発は、現在も収束していません。一ヶ月以上が経過していますが、おさまるまでに、東京電力の工程表を、仮に信じたとしても、半年以上、十ヶ月近くの時間が最低必要になります。爆発危険性も回避できていませんし、原子炉建屋にきちんと入れない状態がどの号機でも続いています。1号機から4号機で危険な状態は継続中です。

  とにかく、爆発可能性という危機も続きながら、実は放射性物質が、そこそこ放出が続いているだけで、日本政府の緩い説明とは異なり、ちょっとずつ危険があがっているのが、東京の実情であるという気がします。チェルノブイリでも、当局は存在していてる危険を言わないようにしてきた歴史的な経緯があって、「三百万人のキエフを移転させる先がないから相当な懸念があった」というソ連政府の本音も、後から伝わってきています。キエフは風下にならなくて、かなり助かりましたが、東京への風向きは常に可能性があります。過去の大きな事象が福島第一原発におきたときの、都内の数値を確かめれば、それは明らかです。今回の考察だと、そこまでのことがおきなくて、それでもずるずるもれ続けた場合でも、チェルノブイリより130キロのキエフよりも、福島第一原発より200キロ強の東京の方が、風向きや地形状の点から、被害を受け続けやすい可能性が高いということです。爆発事象がなく、時間の経過を追っていくだけでも、東京が追い詰めらないと、断言はできないということです。特に梅雨時や夏前には、状況をさらに考慮しなければならなくなると僕は思います。梅雨と言うのは、福島の学校の放射能を心配している専門家たちも「何とか梅雨の前にデータをまとめたい」と話しています。恒常的に降雨が続くと、被曝する危険は高まると判断しているからでしょう。

 退避という具体例もお伝えします。 僕が知っている人々の中でも、都内で勤務先があったり、仕事がある人は、いろんな対応策を考えて、行動が始まっている人がいます。例えば、中部圏や甲信越のエリアなどに拠点を構えて、都内に長時間通勤したり、仕事に行く人がいます。完全に都内の住居を引き払い、別の場所で仕事をはじめている人もいます。僕のように、強い思いがあって周りにスタンスを明確にする訳ではないのですが(僕はこれをやるので非国民扱いです)、巧く仕事先と折り合いながら、そういう行動をとっています。個人だけの場合もありますし、ご家族がいらっしゃるときには、これは、お子さんの健康と安全を優先する感覚とご自身のお仕事をうまく秤にかけて行動されています。こういうスタイルが現実的かもしれません。

 退避する場合に、結局大切なのは、どこに拠点を構えるのかと言うことです。もちろん、しかるべき場所に実家や縁戚のある方は、まずそこを頼って動くことがよいのは言うまでもありません。それがない方もいると思いますが、どのコミュニティに皆さんが入っていくにせよ、ちょっとした人間関係でも何でも構わないですから(ひょっとしたら旅先で仲良くなった人がいるレベルでも)、そういう何かの縁をベースに、行動を定めていくのが具体論としてはよいと思います。

 こういう僕の感覚をお伝えしても、「木下は大げさだよ。爆発事象がおきなければ退避しない」という方が大半かもしれません。勿論、最低限それさえできれば、僕も構わないとは思います。ただ、チェルノブイリで後で問題になっていく経緯をトレースすると、実は状況を見て、判断していく作業をしたほうがもしかしたら、後悔は少ないかもしれないのではと、僕が思ったために、こういう記事を書いているのです。ペレストロイカのゴルバチョフは、やはり優秀な指導者で、その彼がどれだけ頑張っても、チェルノブイリは様々な問題が立ちはだかりました。官僚も発電所関係者、専門家、メディアが、結局は事態をあけっぴろげにせず、収束を図ろうといったんはしましたが、数年後に健康被害が発覚して、大事になっていった経緯があります。その状況は、今の日本とだぶるところもありますが、日本では、さらに、避難地域が半径いくらになっているのかも覚えていない人物が総理大臣です。梅原猛の怒りも無視して、復興会議はこの原発危機をテーマにしないと聞きました。僕の心の中では、チェルノブイリよりも危機が深まっていて、さらに東京を懸念してるのは、妄想なのでしょうか。

 

「追記」

ご指摘どおり、換算を僕がミスしておりますので、その部分を外しました。そこから考えていたこともあったので、ニュアンスも直しました。ご指摘ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

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