アブシンベル神殿(ABU SIMBEL TEMPLE)
たんにABU SIMBELとか、
チケットにはABU SIMBIL TOW TEMPLESと書かれている。
-(ハイフォン)があったりなかったり・・・いかにもエジプトらしい。。。
今回の旅のアタシの目的の一つでもある。
0230起床、0330ピックアップ。
アチラコチラのホテルを回ってマイクロバスの補助シートまで使って客を詰め込む。
まだ夜明け前の街外れの集結場所に行く。
ABU SIMBELへ行くためにはコンヴォイを組んで行かなくてはならないらしい。
聞いたところでは前後を警察車両が護衛して走る、というような話だったが、現実は集結した車両のナンバーを無線で各チェックポイントに送って、そこを通過するたびに確認してゆく、というやり方だった。
何年か前に、ハトシェプスト女王葬祭殿でテロがあって以来、各地での検問が厳しくなったんだそうな。
話はチョット逸れるが、とにかく至る所に警官が居る。
公共施設と観光地は全て、それ以外に銀行、ガーマ(モスクはエジプトではこう言う)、あらゆる道路にいる。
何でも警官にもランク(階級ではなく)があって、銀行とかガーマとか街角とかに居る人達の給料はかなり安く、そのためにバクシーシと呼ばれるチップを要求するんだそうな・・・
アタシはこの地に来て、混沌・喧騒・無秩序を感じた。
そして産業の無い国とも感じた。
そのために政府は雇用促進の意味合いから大量の警官を雇用したんだろうと考えた。
しかし、その給料の資源は簡単には生み出せない。都合の良いことにこの国には、バクシーシと呼ばれる持てる人が持たざる人々に分け与える喜捨の習慣がある。よってその習慣を利用して足らない給料を稼ぎ出せばいい・・・そう考えているんじゃないかと思ってしまった。
この国以外の世界では、警官に金銭を渡せば、基本的に収賄となるはずだ。
それが悪いことではない、というこの習慣で犯罪の摘発って出来るんだろうか?
この国が5000年前の栄光を取り戻せない理由が、そんなところにあるんじゃないのか・・・そんなことを考えてしまった。
夜明け前の街を抜けて砂漠に入ると、そこにある明かりは車のライトだけ。
対向車もほとんどない砂漠の道を100kmを超えるスピードでマイクロバスはぶっ飛ばす。
やがて東の空から夜が明け始めて陽が昇ってきた。
視界が利くようになると砂漠も平坦ではないことに気づいた。
何でもここエジプトの砂漠は砂砂漠は少なくて、岩やガラ、石などの砂漠なんだそうだ。
砂漠のアチラコチラに岩山っぽいのが見えてきた。
かなり遠方から見えているので、大きな山かな、高い山かな・・なんて思っていたが、実際近くでみると数メートルから精々20メートル程度しかないことが分かった。
やっぱり平らなんだよ、基本的に砂漠は。
数ヶ所のチェック関門を通って、やがてコンヴォイはABU SIMBELの駐車場に着いた。
イメージしていなかったのだが、そこは湖の側だった。
アスワンハイダムの建設に因って水没してしまう遺跡を移築したことは知っていたが、その移築場所が元の場所の真上60mだったとは今回初めて知った。
であれば、間際に水があっても不思議ではない。
チケット売り場に向かうと、入場ゲートはチケットを買う必要の無いツアー客が並んでいた。
個人旅行者はこうして並んで切符を買う。
この施設のある周辺はオアシスのようになっていた。
そういえば、来る途中でも一部緑化されているところがあった。
日本のODAかもしれないなあ・・ってボンヤリ眠い頭で考えたのを思い出した。
乾燥している土地なので、気温がかなり高くても日陰があれば涼しい。
一面砂色の砂漠の中にある緑は美しい。生命を感じさせる。
岩山を回りこんで緩やかなくだりに差し掛かると、前方にネフェルトアリの小神殿が見えた。
と言う事は、回り込んだ岩山がラムセス二世の大神殿、ABU SIMBELと言う事だ。
入り口の角度が偏角なために見えない。
下りきるとABU SIMBEL大神殿があった。
この人
ラメセス二世が約3300年前に作ったんだそうな。
サッカーラにも15mを超えるこの方の像があったし、顕示欲の強い方だったようで・・
それにしてもハンサムですよね。。。
正面に
4体の高さ20mを超える本人像がある。
こんなレリーフや
ホルス神の象徴であるハヤブサ
ラムセス像の上には日の出を喜ぶ22体のヒヒが居るんだけど・・・
見えない。
レリーフも素晴らしい
シリア人の捕虜
こちらはヌビア人の捕虜。顔も体つきも違う。
大神殿を出て小神殿に向かう
小神殿ったってデカイ。
正面にラメセスとネフェルトアリが2体づつ、そして足元には彼らの子供が居る。
この神殿には大きな木の扉が設置されているが、その鍵が古代エジプトのレリーフに出てくる鍵を模したものになっている。
観光客がその鍵を珍しがると、持たせてくれる。写真を撮ったりもしてくれる。すべてバクシーシに通じる。
そんなABU SINMBELではあったが、素晴らしいものだった。
そして、この移築事業を遂行したユネスコを賞賛せざるを得ない。
遺跡は岩山ごと大小1500を超えるピースに切断され、運び出され再構築された。
この遺跡が発見されたのが1813年とのことだが、この神殿の至る所に発見者やそれに従事した関係者の名前が無数に刻まれていたのには大いにがっかりした。
たんにABU SIMBELとか、
チケットにはABU SIMBIL TOW TEMPLESと書かれている。
-(ハイフォン)があったりなかったり・・・いかにもエジプトらしい。。。
今回の旅のアタシの目的の一つでもある。
0230起床、0330ピックアップ。
アチラコチラのホテルを回ってマイクロバスの補助シートまで使って客を詰め込む。
まだ夜明け前の街外れの集結場所に行く。
ABU SIMBELへ行くためにはコンヴォイを組んで行かなくてはならないらしい。
聞いたところでは前後を警察車両が護衛して走る、というような話だったが、現実は集結した車両のナンバーを無線で各チェックポイントに送って、そこを通過するたびに確認してゆく、というやり方だった。
何年か前に、ハトシェプスト女王葬祭殿でテロがあって以来、各地での検問が厳しくなったんだそうな。
話はチョット逸れるが、とにかく至る所に警官が居る。
公共施設と観光地は全て、それ以外に銀行、ガーマ(モスクはエジプトではこう言う)、あらゆる道路にいる。
何でも警官にもランク(階級ではなく)があって、銀行とかガーマとか街角とかに居る人達の給料はかなり安く、そのためにバクシーシと呼ばれるチップを要求するんだそうな・・・
アタシはこの地に来て、混沌・喧騒・無秩序を感じた。
そして産業の無い国とも感じた。
そのために政府は雇用促進の意味合いから大量の警官を雇用したんだろうと考えた。
しかし、その給料の資源は簡単には生み出せない。都合の良いことにこの国には、バクシーシと呼ばれる持てる人が持たざる人々に分け与える喜捨の習慣がある。よってその習慣を利用して足らない給料を稼ぎ出せばいい・・・そう考えているんじゃないかと思ってしまった。
この国以外の世界では、警官に金銭を渡せば、基本的に収賄となるはずだ。
それが悪いことではない、というこの習慣で犯罪の摘発って出来るんだろうか?
この国が5000年前の栄光を取り戻せない理由が、そんなところにあるんじゃないのか・・・そんなことを考えてしまった。
夜明け前の街を抜けて砂漠に入ると、そこにある明かりは車のライトだけ。
対向車もほとんどない砂漠の道を100kmを超えるスピードでマイクロバスはぶっ飛ばす。
やがて東の空から夜が明け始めて陽が昇ってきた。
視界が利くようになると砂漠も平坦ではないことに気づいた。
何でもここエジプトの砂漠は砂砂漠は少なくて、岩やガラ、石などの砂漠なんだそうだ。
砂漠のアチラコチラに岩山っぽいのが見えてきた。
かなり遠方から見えているので、大きな山かな、高い山かな・・なんて思っていたが、実際近くでみると数メートルから精々20メートル程度しかないことが分かった。
やっぱり平らなんだよ、基本的に砂漠は。
数ヶ所のチェック関門を通って、やがてコンヴォイはABU SIMBELの駐車場に着いた。
イメージしていなかったのだが、そこは湖の側だった。
アスワンハイダムの建設に因って水没してしまう遺跡を移築したことは知っていたが、その移築場所が元の場所の真上60mだったとは今回初めて知った。
であれば、間際に水があっても不思議ではない。
チケット売り場に向かうと、入場ゲートはチケットを買う必要の無いツアー客が並んでいた。
個人旅行者はこうして並んで切符を買う。
この施設のある周辺はオアシスのようになっていた。
そういえば、来る途中でも一部緑化されているところがあった。
日本のODAかもしれないなあ・・ってボンヤリ眠い頭で考えたのを思い出した。
乾燥している土地なので、気温がかなり高くても日陰があれば涼しい。
一面砂色の砂漠の中にある緑は美しい。生命を感じさせる。
岩山を回りこんで緩やかなくだりに差し掛かると、前方にネフェルトアリの小神殿が見えた。
と言う事は、回り込んだ岩山がラムセス二世の大神殿、ABU SIMBELと言う事だ。
入り口の角度が偏角なために見えない。
下りきるとABU SIMBEL大神殿があった。
この人
ラメセス二世が約3300年前に作ったんだそうな。
サッカーラにも15mを超えるこの方の像があったし、顕示欲の強い方だったようで・・
それにしてもハンサムですよね。。。
正面に
4体の高さ20mを超える本人像がある。
こんなレリーフや
ホルス神の象徴であるハヤブサ
ラムセス像の上には日の出を喜ぶ22体のヒヒが居るんだけど・・・
見えない。
レリーフも素晴らしい
シリア人の捕虜
こちらはヌビア人の捕虜。顔も体つきも違う。
大神殿を出て小神殿に向かう
小神殿ったってデカイ。
正面にラメセスとネフェルトアリが2体づつ、そして足元には彼らの子供が居る。
この神殿には大きな木の扉が設置されているが、その鍵が古代エジプトのレリーフに出てくる鍵を模したものになっている。
観光客がその鍵を珍しがると、持たせてくれる。写真を撮ったりもしてくれる。すべてバクシーシに通じる。
そんなABU SINMBELではあったが、素晴らしいものだった。
そして、この移築事業を遂行したユネスコを賞賛せざるを得ない。
遺跡は岩山ごと大小1500を超えるピースに切断され、運び出され再構築された。
この遺跡が発見されたのが1813年とのことだが、この神殿の至る所に発見者やそれに従事した関係者の名前が無数に刻まれていたのには大いにがっかりした。
ひゃぁ~!エジプトって感じですねぇ~!
(エジプトに行ってきたんだから当たり前ですが)
凄いなぁ。旅行記面白いです♪
写真見てても、「わぁぁ~~♪エジプトだぁ♪」って!
全然感想になってませんが、楽しんで拝見させていただいてます!
ご無沙汰しています。
膨大な量の写真と、仕事と、家事と・・・
そしてPCの不調とで、十分な表現が出来ずに
ちと苛ついていますが、何とか尻すぼみにならなように、やってみます。
観光案内は本に任せて、起こった出来事を中心に・・・
横浜行くのも億劫な賢パパですから・・・エジプトは・・・ちょっとねぇ。
myuさん、Pさんの写真で楽しませていただきますわ。