malのあっちこっちブログ

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奈良・山の辺の道(北部)

2010-04-21 08:54:47 | 
分りにくいといわれている北部の山の辺の道も歩こうと考えてみたが、時間的にあまり寄り道を

していることが出来そうに無い。

観ながら歩く・・・と言う行動で、時間が無いのは致命的だ。



それなら歩くを主にして、観るを従に置こうと決め、帯解から奈良まで歩く事にした。

当初の考えでは、帯解駅から弘仁寺、正暦寺、円照寺、白亳寺と歩いて新薬師寺や入江泰吉写真館を見て、

春日大社の原生林を歩いて二月堂を下り、転轄門を廻って帰る・・・なんていうコースを考えていた。





何年か前からJR奈良駅は改装が進められていた。

あの古い駅舎が奈良には良く似合ったのだが残念だ。

遷都1300年に合わせているのだろうが、この工事まだ終わっては居ない。



カラフルなホームで電車を待つ。

奈良~京終(きょうばて)~帯解(おびとけ)と2駅で着く。

古都、奈良の地名は、正直読めないし、いちいちその理由が知りたいと思うものばかりだ。



こんな道標に従って歩いてゆくと、バス停があった。

なにげに見ると・・・



「・・・・・・・・・・・・」

これでも路線バスなのだろうか?

走っているのだろうか?

走る必要があるのだろうか?

・・・・・公共サービスというものの限界を感じた。



今日の目的は歩く事、でも路線上にある円照寺は寄り道してゆく事にした。

大和三門跡寺院の一つである。残る二つは中宮寺と法華寺である。

門跡寺院とは皇室またはそれに準ずる方々が代々門主を引き継がれてきた寺院と言う事で、

ここ円照寺は境内の参詣は出来ない。

華道の山村御流の家元でもある。



良く手入れされた石畳の参道を緩やかに登ってゆくと、やがて門前に至る。

しかし、ここから先は入る事が出来ない。

遠目から拝見させていただいた。



非常に良く手入れされているのが感じられた。

境内の小砂利にも、しっかり熊手で刷毛目がつけられていた。






参道途中に山越えでのショートカット道があったので、そっちに向かった。

藪の道を登ると、竹林の間に無縁仏の集合地があり、きちんと手入れされていた。

恐らく円照寺で手入れされているのだろう・・・

林業に従事されているらしい人が作業をしていたので、道路から離れないように裏山を下ってゆくと



崇道天皇八嶋陵の前に出る事が出来た。



ここは天皇陵と言う事で宮内庁によって比定され、厳重に管理されている。



さあ、先を急ごう・・・

車が通る街道は歩く人にとっては鬱陶しい。

この辺りまで来ると、とにかく北へ向かって歩けば奈良市内には黙って着く。

車道を離れ、カラスの鳴き声を聞きながら鹿野園町、南紀寺町を歩いてゆくと奈良教育大学のある

高畑町に着く。

ここを右に取れば、新薬師寺や白亳寺に向かう事ができる。

まっすぐ進めば春日の森、左に下ればならまちに入る。



奈良という街は、あまりにも史跡・遺跡が多すぎて紹介しきれないものが沢山あると思う。

だから、奈良に来たら歩いてみないとその良さが分らないと思っている。

2年前の冬、白亳寺に来た事がある。

帰りにまっすぐ下ってゆくと



あの宝蔵院流十文字鎌槍の宝蔵院覚禅坊胤栄の墓である。

「バガボンド」でお馴染みの名前だ。

宝蔵院と言えば、奈良国立博物館の敷地内に宝蔵院跡地と言う石柱を見た記憶がある。







墓地の一角、竹に囲まれた苔むした場所にそれはあった。

無数の地蔵仏が置いてあった。

新免武蔵が関が原に参戦したのは、17歳の頃、それから10年後として1610年頃の話になるから、

丁度400年の時間が過ぎたことになる。

幾多の人がここを訪れ、胤栄の冥福を祈って寄進していったものだろう。





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