遡行が終わって結構来ていたアタシは大休止。
水分と栄養を補給していると、同行のOさんが
「先に行って部屋の確保と飯を頼んでおくから・・・」と出発した。
この時点で2時、足の遅いアタシと一緒じゃあ飯の時間に間に合わなくて、ひょっとすると食いっぱぐれちゃうかも・・・
「それじゃあよろしくお願いします」と、しっかり休憩して急登を攀り始めた。
刻々と変わる周りの景色に目を奪われながら、10歩進んではシャッターをパチリ、5歩進んではパチリ・・・
マジで登りたくない!。。。
沢装備をザックにしまうと重くなるといってPは着けたままだ。
それでも景色は変わる。
去年、烏帽子から歩いて三俣蓮華のテン場に入ったとき歩いた岩苔乗越からの道が見える。
まったくPはなんでこんなに元気なんだ。。。
それでも景色は変わる。。
やがて三俣山荘の向こうに槍が見えてきた。この写真のシリーズは別に掲載しようと思うので、ここでは省く。
最後の急登を登りきると、誰かがつけたナントカ庭園と呼ばれる祖父岳南西面の巻き道に出る。
そこは岩と雪渓の残る荒涼とした場所で、とてもナントカ庭園などと呼ばれるロマンチックな感じではなかった。
それでもこの時期は花が咲く。
そんな巻き道を歩いてゆくと
見たことのある人影が近づいてきた。立ち止まって目を凝らすと台風で太郎平小屋に避難してきた、あの3人組だった。
そういえば今日は三俣山荘のテン場に泊まるといっていた。時間は2時半過ぎ・・・
出会いを喜び、またどこかでの再会を約束し、「急げ!」と声をかけて分かれた。
薄れ行く色の中で、景観を堪能していると、なだらかな斜面の向こうに雲ノ平山荘が見えてきた。
下方にはそこだけ色をつけたようなテン場が見えた。
池塘とそこに敷設された木道を通って16時前山荘に入った。
そこはまだ工事中の状態だったが、その分木の香りが心地よかった。
初めてかもしれないアキレス腱の痛みが出たが、食事までのひと時、目一杯くつろぐことが出来た。
水分と栄養を補給していると、同行のOさんが
「先に行って部屋の確保と飯を頼んでおくから・・・」と出発した。
この時点で2時、足の遅いアタシと一緒じゃあ飯の時間に間に合わなくて、ひょっとすると食いっぱぐれちゃうかも・・・
「それじゃあよろしくお願いします」と、しっかり休憩して急登を攀り始めた。
刻々と変わる周りの景色に目を奪われながら、10歩進んではシャッターをパチリ、5歩進んではパチリ・・・
マジで登りたくない!。。。
沢装備をザックにしまうと重くなるといってPは着けたままだ。
それでも景色は変わる。
去年、烏帽子から歩いて三俣蓮華のテン場に入ったとき歩いた岩苔乗越からの道が見える。
まったくPはなんでこんなに元気なんだ。。。
それでも景色は変わる。。
やがて三俣山荘の向こうに槍が見えてきた。この写真のシリーズは別に掲載しようと思うので、ここでは省く。
最後の急登を登りきると、誰かがつけたナントカ庭園と呼ばれる祖父岳南西面の巻き道に出る。
そこは岩と雪渓の残る荒涼とした場所で、とてもナントカ庭園などと呼ばれるロマンチックな感じではなかった。
それでもこの時期は花が咲く。
そんな巻き道を歩いてゆくと
見たことのある人影が近づいてきた。立ち止まって目を凝らすと台風で太郎平小屋に避難してきた、あの3人組だった。
そういえば今日は三俣山荘のテン場に泊まるといっていた。時間は2時半過ぎ・・・
出会いを喜び、またどこかでの再会を約束し、「急げ!」と声をかけて分かれた。
薄れ行く色の中で、景観を堪能していると、なだらかな斜面の向こうに雲ノ平山荘が見えてきた。
下方にはそこだけ色をつけたようなテン場が見えた。
池塘とそこに敷設された木道を通って16時前山荘に入った。
そこはまだ工事中の状態だったが、その分木の香りが心地よかった。
初めてかもしれないアキレス腱の痛みが出たが、食事までのひと時、目一杯くつろぐことが出来た。
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