いよいよ核心のアンコールワットだ。
この南北1.3km、東西1.5kmの周壁で囲まれた遺跡は
12世紀の初めにヒンドゥー教の神殿として築造された。
参道を通り、門をくぐり、脇に経蔵などを従えながらやがて本殿にたどり着く方法は東アジア共通の神殿の創り方と思う。
前述しているが、ここの参道は西から入る。
そして、この参道もまた
空中参道である。
参道に向かって立つと
参道が一段高くなっているのが分かる。
そして、遠方に見える周壁の西塔門の左右に第三回廊の四隅に建つ塔屋が見えるだろうか。
参道に上がり、西塔門に向かって歩くころ
この第三回廊の塔屋がだんだん低くなる。
そして、参道の向かって左側は発見された当時のまま、床は暴れ、不陸状態がひどいが右側は修復されている。
もう少し西塔門に近づくと
もう第三回廊の搭屋は見えない。
さらに西塔門に近づく
やがて、西塔門に入る。
そして、西塔門の向こうに
第一回廊に囲まれた中央祠堂が見えてくる。
西参道を歩く
左に経蔵が見える
ここも空中参道だ
経蔵の向こう側に聖池と呼ばれる池が参道を挟んで左右対称にある。
この池越しに見る、あるいは撮るアンコールワットが一番美しいと言われている。
修復工事中のブルーシートは残念だが、工事がもし続けられるとすれば、今後何十年たってもなくなることはないだろう。
そして第一回廊の西塔門に向かう。
素晴らしい威容だ
アンコール朝では強大な権力を持った王は珍しかったらしい。
時の王たちは地方の権力者で結んで王政を維持したのだが、聖地と交通の要所であったこの地に、前王よりも壮大な寺院を作り、
その地で王になる儀式を行うことが権力の誇示になった。
本にも書かれているが、中央祠堂と言う本殿を、より劇的に、重々しく、荘厳にそして神と王とを一体化させる効果を狙って、
視覚的な配慮がなされたんじゃないだろうか。
このアンコールワットは一寺院として残存する遺跡ではその規模が傑出している。
近くで見ても素晴らしい寺院だが、その場所その場所から見える効果を楽しみたいと思った。
この南北1.3km、東西1.5kmの周壁で囲まれた遺跡は
12世紀の初めにヒンドゥー教の神殿として築造された。
参道を通り、門をくぐり、脇に経蔵などを従えながらやがて本殿にたどり着く方法は東アジア共通の神殿の創り方と思う。
前述しているが、ここの参道は西から入る。
そして、この参道もまた
空中参道である。
参道に向かって立つと
参道が一段高くなっているのが分かる。
そして、遠方に見える周壁の西塔門の左右に第三回廊の四隅に建つ塔屋が見えるだろうか。
参道に上がり、西塔門に向かって歩くころ
この第三回廊の塔屋がだんだん低くなる。
そして、参道の向かって左側は発見された当時のまま、床は暴れ、不陸状態がひどいが右側は修復されている。
もう少し西塔門に近づくと
もう第三回廊の搭屋は見えない。
さらに西塔門に近づく
やがて、西塔門に入る。
そして、西塔門の向こうに
第一回廊に囲まれた中央祠堂が見えてくる。
西参道を歩く
左に経蔵が見える
ここも空中参道だ
経蔵の向こう側に聖池と呼ばれる池が参道を挟んで左右対称にある。
この池越しに見る、あるいは撮るアンコールワットが一番美しいと言われている。
修復工事中のブルーシートは残念だが、工事がもし続けられるとすれば、今後何十年たってもなくなることはないだろう。
そして第一回廊の西塔門に向かう。
素晴らしい威容だ
アンコール朝では強大な権力を持った王は珍しかったらしい。
時の王たちは地方の権力者で結んで王政を維持したのだが、聖地と交通の要所であったこの地に、前王よりも壮大な寺院を作り、
その地で王になる儀式を行うことが権力の誇示になった。
本にも書かれているが、中央祠堂と言う本殿を、より劇的に、重々しく、荘厳にそして神と王とを一体化させる効果を狙って、
視覚的な配慮がなされたんじゃないだろうか。
このアンコールワットは一寺院として残存する遺跡ではその規模が傑出している。
近くで見ても素晴らしい寺院だが、その場所その場所から見える効果を楽しみたいと思った。
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