読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

『記憶を埋める女』を読む

2016年04月10日 | 読書

◇『記憶を埋める女』 著者:ペトラ・ハメスファール(Petra Hammestfahr)
              訳者:畔上 司  2002.10 学習研究社 刊

     

     この小説の主人公はコーラ・ベンダー24歳。或る日夫と幼い息子と湖に出掛ける。近くには二
  組のカップルがいた。そのひと組の男女はラジカセで音楽を聞いていた。その音楽でドラムソロ
  がハンマーのように連打されている・・・。コーラは突然絶叫をあげて女と抱き合っている男に果
  物ナイフで襲いかかり、めった刺しにする。男は死んだ。
   身も知らぬ二人連れになぜ襲いかかったのか。本当に見も知らない男なのか。

   小説の出だしはのっけから凄惨な殺人場面である。逮捕されたコーラの供述は妄想と虚言の
  繰りかえし。時折り錯乱状態になったりするために担当警部は真の動機把握ができない。
   『彼女の人生には記憶が欠落している期間があった。そこに汚れた時間が隠されていることを彼
  女は知っていたが、それが何かは全く思いだせなかった』(p7)
   最終章では意外な真実が明らかにされるのであるが、殺人の起こる数か月前からコーラの頭に
  は強烈なドラム連打とベースギター、キーボードの高音が鳴り響き、彼女の中の何かが壊れるよう
  になったのである。なぜそうなったのかは追々はっきりしてくるのであるが、コーラはこの苦しさから
  逃れるには自から命を絶つしかないと決心をし湖に出掛けたのである。そこで奇しくもあの強烈な
  ドラム連打の音楽に出会ってしまった。彼女の過去に何があったのか。

   尋問に当たる警部は、虚言と妄想を語るコーラの話しの中から真相の一部でもつかもうと努める。
  コーラは幼少の頃から過酷な人生を歩んできた。七つの大罪をあげ常に悔いを求める狂信的・盲
  信的なキリスト教信者の母、これに反発出来ない父、先天的な心臓病、白血病を抱えてベッドでの
  生活を強いられている1歳違いの妹マグダレーナ。
   マグダレーナはコーラに外の世界の様子を聞かせてとせがむ。コーラは虚実をとり混ぜて語る。
  「どんなボーイフレンドがいるのか、彼とキスはしたのか、どんな感じだったのか、彼はコーラを求め
  ないのか、彼とのセックスの感じを聞かせてほしい。どうせ私は外に行けないし、何も知らずに死ん
  でいくのだから…」 
   コーラが1年先に産まれるときに、母から妹にも分けられるべき生命力を奪ってしまったという罪
  悪感に捉われているコーラは、マクダレーナの求めには極力応えようと思っている。実はそれが今
  回の殺人事件の最大の動機だったのだが警部や検事、弁護士などは、コーラの混乱する記憶とつ
  じつま合わせの虚言を、叔母や隣人、被害者の父などの証言から真実への脈絡を紡いでいく。

   著者ペトラ・ハメスファールは17歳の時から小説を書き始め、映画・TVの脚本家として活躍、1993
  年、『静かな男ゲナルディ』で一躍脚光を浴びた。1999年の本書でドイツ・ミステリー界での地位を不
  動のものとした。

                                                  
(以上この項終わり)
   

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ふなばしアンデルセン公園で遊ぶ

2016年04月08日 | 里歩き

人気のこどものための公園
  デズニーランド、ディズニーシーに並び人気が高い子ども公園として耳にしていた船橋市の
 「アンデルセン公園」に行ってきた。春休みの4月1日。混雑度は"やや混雑"の10,000人程度。 
  敷地が広大なのでそんなに混んでいるという感じがしない。
  駐車場が4か所あるものの、行き帰りで混雑するのかもしれない。

  西宮と流山の孫3人を連れて大人が4人。65歳以上は証明するものがあればタダという高
 齢者には嬉しい施設である。事前にコンビニなどで割引の入場券を買っていく人が多い。
 年間パスポートもある。 レストランもあるが自分時は混んでいる(40分待ちなど)のでおにぎ
 りなど持って行った方が良い。

  とにかく子供にとっては楽しい公園である。40万平方メートル(後楽園球場6個相当)の敷地
 に、広大なアスレチック、水遊び場、大滑り台、わんぱくボール島、ポニー乗馬、ヤギ・ヒツジな
 どと触れ合う広場、ボート池、こども美術館、童話館、オランダの家、風車等々とにかく小学生
 までの子供なら1日目いっぱい遊んでも回りきれない。

  久しぶりに暖かい陽気で桜もほぼ満開だったが、風が強く時折り砂が舞い上がっていたの
 には閉口した。3時ころから急速に気温が下がり、ふるえながらバスを待った。

  


  


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 

                                       (以上この項終わり)



 


  
  

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旧白洲邸「武相荘」を訪ねて

2016年04月06日 | 里歩き

◇「武相荘」とは
  東京の外れ、川崎市と接した街町田市鶴川に「武相荘」はある。
  かねてより白洲次郎とその妻正子の生涯の住い「武相荘」を見てみたいと思っていた。

  小田急線で新百合ヶ丘で乗り換えて鶴川駅に降り立つ。歩いておよそ15分。小高い
 丘陵に一群の旧い屋並みが見えて来る。藁葺き屋根の家は当時この辺りに普通に見
 られたという農家の建物である。白洲次郎はこの家を手に入れるとその後何度か建て
 増しや改築などを繰り返し自分好みの家にしていったという。
  「武相荘」とは武蔵の国と相模の国の境にあることに因むが、白洲次郎独特のひねり
 を利かせて「無愛想」と掛けたようである。

  白洲次郎は裕福な実業家の子息として英国に留学。ケンブリッジに学んだ。やがて
 実家が零落し帰国、1929年(昭和4年)8歳年下の正子と出会い結婚する。開戦早々
 に太平洋戦争の行方に見切りをつけ、1942年10月、当時の鶴川村に居を移し、世
 捨て人のごとく自給自足の農業に従事した。
  戦後旧知の吉田茂の請われて占領軍との交渉に携わった。GHQ高官をして「尋常
 ならざる唯一の日本人」と言わしめた硬骨漢であった。その後通産省の設立に尽力、
 また東北電力会社会長に就いたこともあり、政界入りを勧める声もあったが、生涯在
 野を貫き83歳でこの世を去った。
  英国から戻った白洲次郎は樺山伯爵次女正子と知り合い結婚した。正子は青山二
 郎、小林秀雄などと親交があり、文筆家として、また骨董の世界で名が知られ、88歳
 で亡くなった。

    旧い農家なので梁や天井、柱は黒い。まさか全体が煤で汚れたとも思えないが。
 今の感覚ではやけに天井が低い。白洲次郎は180センチ以上の当時としては大男
 だったというので、常に背をかがめて家の中を歩いていたのではないだろうか。屋内
 の写真撮影は禁止なので詳細はお伝えできないが、書斎に使っていた部屋は壁面
 いっぱいに書籍が積まれ、窓からは林が見渡せて心落ち着く雰囲気であった。

  一般公開している旧白洲邸の散策路北側の林の中には長女牧山桂子さんの山荘
 風の家がある。

  

  

  

  

  

  

  
  

  

  

                                (以上この項終わり)
  

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新宿御苑の桜

2016年04月03日 | 里歩き

◇ 新宿御苑の桜は
  久しぶりに新宿御苑の桜を観に行ってきました。
 金曜日でしたが、31日ころが満開という触れ込みだったせいか、入場制限が掛かるという混雑。しかも前はやっていな
 かった手荷物チェックがあり、いらいらしてよそに回る人も。また意外と外国人が多く、半分は外国人ではないかという
 感じです。桜が満開というよりも全体としては7分咲きという感じでした。何しろ桜の種類が多く、すでに散った桜(ヨウコ
 ウ)、これから咲く桜(カンザン)、(シダレザクラ)今を盛りと咲き誇る桜(ソメイヨシノ)等々20種類はあります。桜だけで
 はなく、ハナカイドウやハクモクレン、ツバキ、ボケなども見事で人気を呼んでいました。
  
 
  新宿門入り口

 
  ソメイヨシノは花盛り

 


 
  日本庭園を望む

 
  ボケ
 
 

 
 


 


 


 

                                           (以上この項終わり)

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