読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

篠田節子の『蒼猫のいる家』

2018年11月28日 | 読書

◇『蒼猫のいる家』著者:篠田節子 2018.11新潮社 刊



 表題作を含む短編5作。作者の長編作品はいくつも読んでいるが、短編も数多く
世に出されている作家である。作家によっては長編より短編の方がむつかしいと
される方が多いと聞く。小説に不可欠な人物造形や舞台背景などを限られた紙面
の中に手際よく書き込まなければいけないむつかしさを言っているのだろうと思
う。間違うとスケッチのような、断片だけ切り取ったような切り張りの連続であ
って主題が飛んで行ってしまうような始末になりかねない。
 さてこの作者の場合、登場人物の関係性をうまく作品構成に取り込みながら主
題を提示してしまう巧みさがある。とりわけ『蒼猫のいる家』などは、猫の毛色
が変わっていく姿と自分の家庭内での居場所の狭まる変化や思い人との関係の変
化を重ね合わせ、いつしか猫アレルギーが消え、猫の腹をさすっているシーンで、
人間感情の成り立ちの不思議さを読者に示して締めくくるなど構成が巧みである。

<トマトマジック>
 有閑マダム連中が集まってのお料理会合。そこで仲間の一人が料理に催夢効果
があるドライフルーツを混ぜた。それぞれの他言をはばかるような、心の奥底に
潜む夢が浮かび上がる。 
 作中登場人物の一人がご飯を炊いたくだりで「ステンレスボウルに米を移し始
めた女の…」という表現がある。普通お米の炊きあがったのをご飯というので、
「米を移し」という表現は乱暴で、抵抗感がある。

<蒼猫のいる家>
 猫嫌いの主人公の家で娘や義母らが勝手に飼うことになった。猫にまつわる軋
轢で自分の居場所がなくなっていく中で取引先の若者と不倫関係に陥る。
 相手の男性と待ち合わせする場所を指定する場面がある。
「東京駅の丸の内口はいかがですか」
 東京駅の出口は丸の内口でも南口、中央口、北口と三か所あって、これでは待
合場所の指定にはならない。たとえ短編小説であってもこうした場面ではしっか
りと正確に指定しないといけない。携帯、スマホがあるからいいじゃない?では
すまない。

<ヒーラー>
 「ふきながし」という実在するソコオクラウオ科の一種である深海魚を登場さ
せ、巧みに現代のおとぎ話に仕立て上げた作品。男と女のあくなき欲望をあざ笑
う。

<人格再編>
 近未来SFっぽい作品。脳軟化症的な症状を呈する老婆の側頭葉にチップを埋め
込み人格再編を図る手術を行ってみたが、皮肉な結果を生むというお話。現在進
行中の教育改革、憲法改正、倫理観の変容、超高齢化社会の出現など社会構造変
化を皮肉りながら、脳外科手術の選択肢を提供してみたが、結局は自分の親には
手術は行わず、壊れていく人格を肯定することを選択した脳外科医の自覚が面白
い。

<クラウディア> 
 落ちぶれたプロの写真家が、転がり込んでいた女の家からヤクザの連中に連れ
出され、山奥の崖に生き埋めにされた。ところが後を追ってきたクラウディアと
いうアフガンハウンドの飼い犬に助け出され、季節柄無人となっていた山小屋に
たどり着き命拾いをする。
 ところがある吹雪の夜、山道に置き去りにされ死にかけた女性を助けたその男
は、新聞や雑誌に犬とともに美談の主人公として持ち上げられてしまう。その後
山小屋の番人として雇われた男は、山の自然の姿、クラウディアを被写体に本業
の写真家のとして生きていく道を見出す。この作品の中では狩猟犬としての本性
を取り戻したクラウディアが、獲物を捕ることでその男との主従関係を逆転させ
るとともに人間の本性を見事に嗅ぎわける姿を描きだしており、いかにも短編小
説にふさわしい筋書きと結末である。
                          (以上この項終わり)

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