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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

中西智佐乃の『狭間の者たちへ』

2023年08月16日 | 読書

◇『狭間の者たちへ

        著者:中西智佐乃    2023.6 新潮社 刊

   
  新潮新人賞受賞後第3作目。「狭間の者たちへ」、「尾を喰う蛇」2作の小説集。

<狭間の者たちへ>

 さえない、ダサいことを自認している中年男。妻と娘がいるが、妻を愛しているわ
けでもない。
 保険会社支店の営業担当であるが、成績も上がらず、年下の上司にコケにされてい
る日常の鬱憤が積もりに積もっている。二人目の子供を求める妻に迫られても必死に
拒む。

 結婚前には風俗店の「あーちゃん」という女性に入れ込んで通い詰めた。高価なプ
レゼントもしたのに結局逃げられた。彼女を「底辺から救ってやる」ような上から目
線が疎ましかったからだ。

 週2回、早番のある時間帯の電車で一緒になる女子高生。咲きたての花のような、青
みががかった甘い匂いがする。彼女の後ろに立ち息をつめてせい一杯吸い込む。元気を
分けてもらう。
 ある日間違いなくこうした邪な習性を見透かした男にズバリ指摘される。「触ったら
ガチでアウトです」その男もスマホで画像を撮って楽しんでいるらしい。
 「あの子が好きなのはわかるけど、ほどほどにしておいた方がいいよ、これ以上はヤ
バいって」その男にはバレバレだった。
 いつの間にか同類の仲間とみた男にはストーカー紛いの接近をそそのかされたが必死
で逃がれた。

 「彼女が無防備に臭いをふりまかなければ近くに立っていることはなかった」こんな
身勝手な言い訳はないだろう。責任回避、都合の悪いことは人のせいにする。こんな人
は結構どこにでもいるみたいだけど。触っていなければ痴漢ではない。そう思っている
だろうが犯罪構成要件は満たしていないにしても、頭の中で想像してることは痴漢行為
の温床ではないか。電車が揺れて彼女の背に急接近した際に下腹部が熱を帯びたり、女
子高生の硬い背中にあーちゃんを思い浮かべたりするのがその証拠だ。

 その女子高生は不審な挙動の男には気が付いていた。
 ある日彼女は「この人に痴漢されました!」と叫ぶ。近くには私服の三人の警官。
男はこう思っていた。”電車の彼女は自分を避けたことがない。彼女は自分を赦してくれ
ているのだ” 何という自分勝手な思い込みだろうか。

   この小説はリアルな犯罪とのあわいにうごめく者たちへの警告かもしれない。

<尾を喰う蛇>

 介護を担う人が直面する身近な諸問題、日常的に巻き起こる出来事に介護の当事者が
どう向き合っているか、相手となる当事者の患者はどう受け止めてるのか。権力を持つ
ものとこれを受け止めるしかない人たちが織りなすデリケートな問題を描いた短編。

 主人公小沢興毅は35歳、某総合病院の介護職員(介護福祉士)である。普通の大学は
無理だったので専門学校を出て介護職になった。ガタイが良いので職場では重宝がられ
て、本人も患者から感謝されると励みになって仕事に張り合いが出る方だった。興毅は
病院より介護施設のほうがやりがいがあると持っている。
 介護の仕事も多岐にわたる。食事や排泄の介助、入浴の世話、口腔ケア、入退院時の
ベッドメイク、権さリハビリの移動介助。排せつやおむつ替え時の便には息をつめて作
業をせざるを得ない。患者の口臭もつらい。まれにセクハラや暴力を振るう患者もいる。

 89歳になっても人間が出来ていないなと思って、興毅が89と心の中で呼んでいる患者
がいる。介助が必要なのに一人でできると頑張る、何か気に食わないことがあると言葉
がうまく出ずに手が出る。歳を取っているので何でも許されていると思っている甘えが
ある。
 89の隣のベッドの北口さんの話では最近入ったたばかりの若い女性介護士に触って
ばかりいるらしい。胸やお尻に。殴ることもあるらしい。見かねた興毅は抵抗する89に
は指に力を入れて押さえつける。非力な89は怯える。耄碌しているのに女に触る89。
やってはいけないのだが、咎め、懲らしめるためである。
 その後興毅を見ると89はおとなしくなった。89は夢の記憶をちょっと口にしたばかり
に興毅に聞きとがめられて、追及された結果、認知症の症状を悪化させてしまった。
 
 病院では医師、技師、看護師、介護士など職種によるヒエラルキーが厳しい。介護の
分野でも正規職員とパートさん、パートもフルタイムとショートでは違いがある。休憩
時間や休暇の取得などでは正規職員がしわ寄せを食らって割を食うことが多い。
 興毅は家族との間に確執が横たわる。妹は夫子ども共に実家から離れない。母親は興
毅に気遣うこともない、いら立つばかりである。
 2年ほど同棲し分かれた元カノの京子が興毅の友人と結婚するのだという。興毅のや
さしさに好意を示していた片岡さんは、別れを惜しみもせず嬉々として退院していった。
興毅の視界は荒涼として冴えない。これが患者への更なる加圧につながらなければよい
が。

 「尾を喰う蛇」は89の同室の患者北口の夢に現れる。北口はソ連兵の侵攻を逃れい
ち早く満州から帰国できたことを恥じている戦中派の老人である。

                            (以上この項終わり)