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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

北国街道を歩く(5)

2013年11月27日 | 里歩き

戸倉宿から矢代宿へ
   前回は5月の連休(5/)を使って追分宿から戸倉宿の途中まで2泊3日で歩いた。
  夏の間はお休みで、空きの紅葉時期に歩こうと満を持していたが、生憎とほかの用事が 後から
 後から入って来て、結局紅葉時期を幾分外れた11月最後の週になってしまった。

  前回は戸倉宿の千曲駅が最後だった。
  朝早く起きて7時58分の長野新幹線で上田駅まで。そこで「しなの鉄道」に乗り換えて千曲駅へ。
 歩き出したのは10時10分だった。

   

  この辺り寂蒔という「間の宿」だった集落がある。
 珍しい地名で「水除け土堤跡」がある。千曲川が溢れた時は北国街道を一時的に塞ぐ土手を築いた。
 遺構が残っている。
 また松風塚という松尾芭蕉の句碑「名月や児(ちご)達ならぶ堂の掾 翁(芭蕉のこと)」があった。
  
      

矢代宿から松代宿へ

  矢代宿(現地名は屋代)はきれいに整備されていて気持ち良い。しなの鉄道「屋代駅」は瀟洒。
  巨大な筆塚と道祖神。
 
               

   突き当たりに「須須岐水神社」があり、手前左には旧旅籠「藤屋」がある。道は曲手(かねんて)に
  右折し、さらに北進する。
   角に現代風酒場。

            

    その先に「本陣跡」碑がある。(善光寺街道並び)
    しなの鉄道はここで新幹線と交錯する。しなの鉄道には「屋代高校前」というバス停のような駅名
   の駅がある。
    昔の雑貨屋さんか。「キリンラーメン」なんてラーメンがあったのだろうか。

            

    道標、雨宮座日吉神社(あまのみやいますひよしじんじゃ)の北に「雨宮の渡し」があった。

      

   謡坂の紅葉。
   一里塚跡があった。(北国街道松代道は一部が飯山を目指す谷街道とも重なる)
   この近くの沢山川親水公園で食事をとった。
   はるかに北アルプス白馬連峰の山並みが望める。

            

   寛保2年(1742)千曲川の氾濫でこの地で1200余人が亡くなった。水難供養塔がある。
   武田信玄と上杉謙信の川中島合戦で有名な妻女山(謙信の本陣があった)の紅葉が見事。 
   松代宿・清野小学校。
 
   
            

   
   雨乞い地蔵尊、庚申塚。この辺りは信仰心が篤い。象山の紅葉。里山の美しい光景に出合った。

         

   旧真田勘解由邸、中級武士白井家の屋敷跡、真田邸、文武学校跡(修復中)など。

            

   佐久間象山神社。我が母校(高校)には講堂に象山先生の等身大の油絵が飾ってあった。この馬
  上の象山像の表情にそっくりだった。

            

   旧横田家(秀雄:明治時代の大審院長、正俊:最高裁長官と親子二代で司法の頂点を極めた横田家) 
   旧八田家(御用商人であった八田家は)

              

   松代城(海津城)址

            

   ホテルの居室(7階)からは松代宿を囲む山並みが望まれる。
   街道には昔懐かしい縄のれん酒場が残っていた。
   谷街道の道標があった。(右寺尾村を経て須坂・中野へ、右寺尾村を経て長野市へ、後松代を経
   て屋代・篠の井へ)   

   本日の歩行距離は18.0キロ。

            

     (以上この項終わり)