◇ 戸倉宿から矢代宿へ
前回は5月の連休(5/)を使って追分宿から戸倉宿の途中まで2泊3日で歩いた。
夏の間はお休みで、空きの紅葉時期に歩こうと満を持していたが、生憎とほかの用事が 後から
後から入って来て、結局紅葉時期を幾分外れた11月最後の週になってしまった。
前回は戸倉宿の千曲駅が最後だった。
朝早く起きて7時58分の長野新幹線で上田駅まで。そこで「しなの鉄道」に乗り換えて千曲駅へ。
歩き出したのは10時10分だった。
この辺り寂蒔という「間の宿」だった集落がある。
珍しい地名で「水除け土堤跡」がある。千曲川が溢れた時は北国街道を一時的に塞ぐ土手を築いた。
遺構が残っている。
また松風塚という松尾芭蕉の句碑「名月や児(ちご)達ならぶ堂の掾 翁(芭蕉のこと)」があった。
◇ 矢代宿から松代宿へ
矢代宿(現地名は屋代)はきれいに整備されていて気持ち良い。しなの鉄道「屋代駅」は瀟洒。
巨大な筆塚と道祖神。
突き当たりに「須須岐水神社」があり、手前左には旧旅籠「藤屋」がある。道は曲手(かねんて)に
右折し、さらに北進する。
角に現代風酒場。
その先に「本陣跡」碑がある。(善光寺街道並び)
しなの鉄道はここで新幹線と交錯する。しなの鉄道には「屋代高校前」というバス停のような駅名
の駅がある。
昔の雑貨屋さんか。「キリンラーメン」なんてラーメンがあったのだろうか。
道標、雨宮座日吉神社(あまのみやいますひよしじんじゃ)の北に「雨宮の渡し」があった。
謡坂の紅葉。
一里塚跡があった。(北国街道松代道は一部が飯山を目指す谷街道とも重なる)
この近くの沢山川親水公園で食事をとった。
はるかに北アルプス白馬連峰の山並みが望める。
寛保2年(1742)千曲川の氾濫でこの地で1200余人が亡くなった。水難供養塔がある。
武田信玄と上杉謙信の川中島合戦で有名な妻女山(謙信の本陣があった)の紅葉が見事。
松代宿・清野小学校。
雨乞い地蔵尊、庚申塚。この辺りは信仰心が篤い。象山の紅葉。里山の美しい光景に出合った。
旧真田勘解由邸、中級武士白井家の屋敷跡、真田邸、文武学校跡(修復中)など。
佐久間象山神社。我が母校(高校)には講堂に象山先生の等身大の油絵が飾ってあった。この馬
上の象山像の表情にそっくりだった。
旧横田家(秀雄:明治時代の大審院長、正俊:最高裁長官と親子二代で司法の頂点を極めた横田家)
旧八田家(御用商人であった八田家は)
松代城(海津城)址
ホテルの居室(7階)からは松代宿を囲む山並みが望まれる。
街道には昔懐かしい縄のれん酒場が残っていた。
谷街道の道標があった。(右寺尾村を経て須坂・中野へ、右寺尾村を経て長野市へ、後松代を経
て屋代・篠の井へ)
本日の歩行距離は18.0キロ。
(以上この項終わり)