2005年8月のブログ記事一覧(4ページ目)-ミューズの日記
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最近、3枚目のCD録音を意識してか、この夏の「猛暑・酷暑」に負けないくらいギターに熱くなっている。1日の大半をギターと過ごす、そんな毎日の中でおもしろいことを発見した。

コロンブスのタマゴのような話で笑ってしまうかもしれないが、涼やかな笑いでせめて暑さを吹き飛ばしていただければと思う。

 さて、タマゴである。コロンブスは、卵の底を割ることで立たない卵をりっぱに立たせ、実に「骨のあるタマゴ」にしてしまった。見事である。ところで、「卵」を「演奏」に置き換えてみたらどうであろう。喉から手が出るほどに欲しくてたまらない「骨のある演奏」である。いったいどこを割れば手に入るというのか。答は、これが笑いたくなるほどあたり前のところにあったのである。

 演奏する場合、演奏者は、当然のことサウンドホールから出る音が聴衆の方にほぼ垂直に向かうようにして座す。これが演奏スタイルの常識であるからだ。しかし、芸術の世界において常識ほど怪しいものはない。今の私は、演奏者のギターが下を向いていたら笑ってしまうかもしれないが、かなり上向きになっていたとしても、すぐには笑えない。なぜなら、ギターの「持ち方を割る」ことが、すなわち「骨のある演奏」への扉に手をかけていることに気がついたからである。簡単に言うなら、「演奏者自身が、できるだけ聴衆と同じ音色の聴こえ方で聴きながら演奏するギターの持ち方」ということである。「自分自身の演奏に首をつっ込む」と言った方が理解しやすいかもしれない。分かってしまえば、「なあんだ、そんなことか」というような話で、今まで気がつかなかった事が不思議な位である。これまで熱望してやまなかった「骨のある演奏」が、確かな手ごたえを持って近くなりつつある事が素直に嬉しいこのごろである。


 まだまだ暑さは続きそう。夏バテ対策には、暑さよりも熱くなれるものを見つけるのが一番のようです。      吉本光男


 次回は 「消えていく音にこそ」 です。お楽しみに~。


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7月19日のブログでヨーロッパツアーでレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサのレッスンを受けた話をしましたが、今日はそのツアーで聴いたセゴビアのコンサートについてです。時は1977年3月28日(月)8:00PM、所はロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでした。

セゴビアは「ギターの神様」と称され、当時の私にとっても雲の上の存在、生きている内に一度は演奏を聴いてみたいと願っていました。当時で既に84歳になっていた訳ですから如何に神様とは言え、いつまで演奏活動が続けられるのか分かりませんでしたから。その神様の演奏を聴ける喜びは言葉で言い現わせないものでした。

彼はステージに上がる時にはギターを持たず、付き添いの人にエスコートされながらステージ中央までゆっくりと進みました。それはもう足腰の弱った老人の姿でした。しかし、割れんばかりの拍手です。そして別の人がギターを持って彼に手渡しました。ギターを持って座った途端、彼は老人の姿から巨匠アンドレス・セゴビアになっていました。

格調の高い、郷愁を帯びた音色でゆったりと弾き込んで行きます。このロンドンのフェスティバル・ホールで大きなからだを折り曲げるようにしてギターを掻き鳴らす姿は84歳とは到底思えない情景でした。そして第一部の演奏が終わり何度も舞台に呼び戻されたセゴビアは手を上げて「まだ後半が残っている。そんなに拍手をしないで欲しい」と聴衆を制しました。会場はどっと沸き、それでいっそう和やかな幸福感に包まれました。

演奏の後、引率の小原先生に連れられて楽屋に行きました。大勢のファンに囲まれたセゴビアの傍にはまだ7歳の息子カルロスと、かつてセゴビアの弟子だったと言う美しい婦人が寄り添っていました。写真のサインはその時に貰ったものです。また更に私たちを興奮させたことに、楽屋にはジョン・ウィリアムスも来ていたのでした。彼の写真もしっかりと撮影してきました。

77歳で子供を作り、84歳でもリサイタルを続ける偉人。やはり偉業を成し遂げるにはそれなりの体力と精神力が必要なんだとこの時につくづく感じました。



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「上達の条件」というテーマも、3回目になりました。今回は「本物に出会う」ことの大切さについて話を進めていきたいと思います。

 先日、生徒さんと話していて「先生が、その年になっても(考えてみれば、失礼な言い方ではあります)ギターへの情熱が冷めるどころか、ますます拍車がかかってくるというのが不思議な気がします。」と言われました。そんなこと当たり前すぎて、あまり考えたこともなかったのですが、話題にして話をしながら気がついたことがあります。

 ギターを習いたての頃、ジョンとかギリアとか、いまも世界で活躍している名演奏家たちが、日本にもたくさんやってきました。私のギターの先生であった下垣先生は、本物に出会う事の大切さを知ってみえたのでしょう。それらの人がくると演奏会に連れていき、終わると私を伴って控え室まで押しかけたり、現中部日本ギター協会会長であられる荒井史郎先生にお願いをして、ホセ トーマス、パークニング、ジュリアン ブリーム、ほかたくさんの演奏家に会わせてもらうことができました。おまけに若い私の演奏を聴いてくれました。そして貴重なアドバイスまでもいただきました。その来日時に聴いた演奏、肌がぞくぞくするような感覚が、今もギターに向かうときの私を支えています。あの時に聴いた(感じた)、あの音色まで、あの表現までと、耳の底、心の奥底にあるイメージをいつも追いかけている自分がいます。

出会ったときの感動が強ければ強いほど、その人の人生をも決めてしまう。本物に出会うとはそういうことなのでしょう。
本物に出会うチャンスは、よほどの幸運なければ自分から求めなければありません。ギターに限らず、本物に出来るだけたくさん出会い、大いなるエネルギーをもらいましょう。

出会ったときに感じた素直な気持ち、「自分もあんなふうに演奏してみたい」「描いてみたい」「やってみたい」という思いが、高みへと自分を引き上げてくれるエネルギーになってくれることは確かです。時間とお金をかけてでも、本物にできるだけたくさん出会いましょう。

 全3回これで「上達の条件」と題したシリーズは終了いたします。

次回は「骨のあるタマゴ」です。おたのしみに~。吉本光男

いや~、その通りですね。私も高校生時代にイエペスのレコードを聴きながら「カッコいいな~!僕もこんな風に弾けるようになりたいな~」などと思いながら練習に精を出したものです。今は昔と違っていい演奏が生で聴けるチャンスが多いですよね。批評家も多く、難しい批評をする人もいますが、もっと単純に楽しみ、感動して自己向上の原動力としていけばいいと思います。皆さんももっといろんな演奏、本物の演奏を聴いて感動しましょう。山下高博



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7月26日のブログで大学時代に南山大学ギター音楽研究会を作ったお話をしましたが、今日はその続きです。

2年生の時には中部日本ギター協会の第5回新人演奏会に出演しました。1971年でした。この年からオーディションが設定され、オーディションを受けた結果、演奏会ではトリを飾る栄誉をいただきました。協会の歴史を見ると、第1回に野村芳生さん、吉本光男さんが出ており、第3回には酒井康雄さんが出ているんですね。今や中部ギター会の大御所として活躍されている方たちです。
そして同じ南山大学ギター音楽研究会の中川祥治君は第7回新人演奏会に出演しています。

その後1975年の第9回新人演奏会より協会賞が儲けられて審査が始まり、1992年に名古屋ギターコンクールへと変遷して行ったんですね。

新人演奏会の変遷はさておき、話を戻しますね。大学を卒業する1974年3月に中川君とジョイントリサイタルをする事になりました。どうしてジョイントリサイタルをする事になったのかはっきりとは覚えていませんが、その前の年には四日市ギター連盟を結成し、西森秀男先生が会長、私が副会長となり、ギターの普及・発展のための活動を始めた時期でもあったり、私はヤマハへの就職が決まり、ひとつの区切りをつけるのに丁度良いタイミングであった事などが重なったからだと思います。そこで写真にもあるように主催が四日市ギター連盟になっています。私が四日市在住、中川君が桑名在住と言うことで地元の皆さんの暖かい応援があって実現したものでした。今でも感謝しています。

この時のプログラムを見ると、彼がダウランド、スカルラッティ、バッハ、ソル、ビラ=ロボス、私がタレガ、三宅榛名編曲の日本の歌、ビラ=ロボス、2人の二重奏がソルの喜遊曲第2番、テデスコのカノン風ソナチネと時代を感じさせる古風なプログラムですね。

このコンサートは1974年3月25日。コンサートの前に就職が決まったヤマハの新入社員研修があり、私はギターを持って参加。気兼ねしながらもヤマハの研修会館で練習をしました。昼間の研修が終わり、夜は皆それぞれ飲みに出かけたり、館内で飲んで歓談している傍らで私はギターの練習をしていました。そのお陰で同期には私がギターを弾くことが知れ渡り、覚えてもらえる結果となりましたが・・・

そしてジョイント・リサイタルも無事終了。ある人の現代ギター誌への投稿では「中川君と私とを陰と陽の対照的な演奏」と評されたことを覚えています。

その後、当時ヤマハの名古屋店で手工ギターのアドバイザーをしていた酒井康雄さんが店長に私のことを話してくれたそうです。「今度ギターの上手い人がヤマハに入ったよ」と。そのお陰か、私の配属先が名古屋店になり手工ギター担当と言う嬉しい仕事をさせていただくことになりました。そしてアミーゴス・デ・ギターラを作っていろんな事をしましたが、その辺りのヤマハ時代の話はまた今度・・・




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今日は吉本光男さんの「上達の条件その2」です。
吉本さんが言われているように、人前で演奏すると本当に緊張して練習のときの半分の出来具合と言う事はよくありますよね。胸がドキドキして落ち着こうと思っても却って焦ってくることってありませんか?こうなるともう指が動きませんよね。指が弦にかすりもしないで空中滑走した経験はありませんか?たとえ弦を弾いたとしても普段の音は出ませんよね。蚊細い、嫌な音ですよね。

今日は吉本さんはその直接対策には触れていませんが、それを克服していく条件についてお話をされています。どういう人がそれを乗り越えて上手になっていくのかについてのお話です。いつか上がらない方法、緊張しない方法についてもお聞きしたいですね。

さあ、以下吉本さんの文章です。

前回から上達の条件ということで書いています。
人前で演奏する機会があると、普段とちがった緊張感で練習にも身がはいり自分でもうまくなった気がするものです。しかし、実際に人前で弾いてみると、普段の練習の半分も力が発揮できなかったという経験を持っている人は多いのではないでしょうか。一生懸命練習して、結果が納得のいくものでなかったら落ち込んだり、がっかりしたりするのは誰にでもあることです。しかし、その後の、心の持ちようこそが上達する為の重要な鍵をもっています。

がっかりして自分の演奏に目をつぶってしまえば、その場は楽かもしれません。しかし、苦しくても、自分の演奏の何処がまずかったのか、気になった箇所は何処だったのか、演奏の時の心の動きはどうだったのか、細部に渡って振り返る作業を積みかさねていく人は、振り返りの後で必ず何かをつかみ、上達していきます。つまり、どんなに苦しくても決してあきらめなかった人だけが、本物の階段を探し当て、本物の喜びを知る人になるのです。

 野球のイチローは、ボールを打った後、決してバットを投げないそうです。それは道具を大事にするという意味もありますが、ホームインしてベンチに戻って来たとき、今のヒットが何処にあたっていたかを見て反省材料にするためなのだそうです。あらゆる機会を自分の能力開発のチャンスととらえていくイチローのこの姿勢は、是非見習いたいものですね、

上達の条件3は ~本物に出会う~ です。 吉本光男



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