特命職 手工ギター担当 - ミューズの日記
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8月8日に大学4年の時のジョイント・リサイタルのお話をしましたが、今日はヤマハに入社してからの話をいたします。

入社前の研修と入社後約2ヶ月間の研修を終えて配属になったのが名古屋店でした。係りは楽器係、そしてなんと手工ギター担当と言ううれしい担当を拝命しました。当時は川上源一社長の特命で「一流の楽器を作れ、プロに使ってもらえる楽器を作れ」と言う大号令が暫く前から掛かっていて、技術者の海外留学や海外から一流の製作者、職人を招聘しては勉強したり、プロの演奏家に評価をもらいながら改良を重ねる作業が盛んに行われていました。ギターで言うと江崎秀行さんがスペインに留学したり、フェレールをヤマハに招聘したり、エルナンデス・イ・アグアドのエルナンデスにまで浜松に来てもらってはヤマハの職人さんたちは勉強をしていました。

そして丁度私が入社した昭和49年にGC30A, GC30B, GC30Cと言う当時30万円した手工ギターをヤマハが発売したのでした。川上社長の号令で「この手工ギターを売れ~!」と言う事になったときですから、名古屋店の店長もギターのことが分かる人材が欲しかったんですね。
丁度酒井康雄さんがアドバイザーの仕事を名古屋店でしていたときでしたので、彼が店長に「今度ギターの上手い新入社員が入りましたよ」と言った様です。それが決定打になったかどうかは分かりませんが、私は名古屋店に配属になり、しかも「特命職として手工ギター担当を命ずる」と言う辞令を頂きました。こんなクラシックギターのしかも手工ギターだけの担当と言うのは前代未聞だったようです。

私はそれまであった手工ギターの試奏ルームを2階の管楽器の売り場に移してもらい新たな手工ギター試奏ルームを作りました。写真がその試奏ルームです。
そしてアミーゴス・デ・ギターラと言う友の会を作りました。
そこで毎月コンサートを行いいろんな演奏家に来てもらいました。その頃に名古屋に来ていただいて今もお付き合いいただいている人達が藤井敬吾さん、稲垣稔さん、岩永善信さんたちです。芳志戸幹雄さんも月1回のレッスンに来てもらってました。合歓の里のギターサマースクールもやりました。イエペスの公開レッスンもしました。コンラッド・ラゴスニックやレオナ・ボイドにも来て貰いました。世界の銘器展も行いました。

当時は景気も良かったし、会社もお金があった時代ですから企画書を書けば何でもやらせてもらえたんですね。今では考えられない事です。新入社員がギターが好きだからこれもやりたい、あれもやりたいと言ってお金を使わせてもらえますか?普通はノーですよね。でも特命職の手工ギター担当だったんです。会社も手工ギターを売るのに一生懸命だったのでプレッシャーもありましたが実績も出しました。名古屋店が小売店としては日本で一番売るようになりました。

そして、4年経とうとしていたある日、支店長に呼ばれました。当時支店長なんて雲の上の人でしたから、「何か悪いことをしたかな~?」と胸に手を当てながらドキドキしながら支店長室に入りました。すると「メキシコに転勤してもらう」「海外だから少し早めに内示する」と言うじゃありませんか。いきなりメキシコと言われて何がなんだか分からない状態でした。それと困ったことにこの頃吉本光男さんとジョイント・リサイタルを企画していてチラシとチケットを配り始めていたんです。あぁ、どうしよう?と思いつつも悲しきかなサラリーマン。選択肢はありませんでした。このあたりのお話はまた今度・・・

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