前回の記事の続き。
朝1番で手術室に入り、病室に戻ってきたのはお昼前。(らしい)
麻酔がまだ残っていたせいか、頭はボンヤリしたまま。点滴もつながれたままだし、止血のための砂袋も腰にあてられたまま。そこからは眠気も手伝って眠ったまま過ごす。
夕方になってだんだん目も覚めてくる。そして飲水テスト。麻酔が残ったままだと誤飲を起こす可能性もあるため、ちょっとずつ水を飲んで気道に入らないかを確かめる。これをパスしないと食事も取れませんが、これも難なくクリア。
飲水テストが終わった頃、母と妹がお見舞いに来る。
腰の痛みはそれなりに・・・痛いというより重たい感じがしましたが、全く歩けないほどではないので病室から出る。
個室ではないし、同室の患者さんに迷惑がかからないようにデイルームへ移動。差し入れのプリン・雑誌・菓子パンを頂く。
さすが母親、息子の好みを分かってらっしゃる。
母がお見舞いに来てから少し経ったぐらいに、今度はコーディネーターが来て簡単なアンケート。
主に術後の様子についての質問でした。
『耐えれない痛みを10だとしたら、今の痛みはどのぐらいですか?』との質問には
『1~2ぐらいの痛みです』と答える。
前述しましたが、痛いと言うよりやっぱり重たい感じ。無理な体勢をとったりするとやっぱり痛みは出てきますが、安静にしてればそれほど痛みはありませんでした。
これは個人差があると思いますので、全ての人にそれが当てはまるとは限りません。
夕方になり、点滴がようやく外れる。
ここまで何も問題なくきたかと思ったのですが、食事の時間直前になって急に吐き気が襲ってくる。
全身麻酔のため昨晩から何も口にしてなかったので出てくるものは何もなかったのですが、胃がムカムカする感じがありました。
これも麻酔の副作用?油断してました・・・。
しかしこれも一過性のもので、その後の夕食は普通に食べることができました。
24時間ぶりの食事でしたからね。あっという間に平らげてしまいました。
夜になって担当の医師が私の所へ来る。
私から採取した骨髄液は無事に患者さんの元へ行き渡り、今移植してますからねとの報告を受ける。
ひとまず安心しました。
今回は750ml採取する予定でしたが、実際に採取したのは650mlとのこと。
採取中に造血幹細胞の数を数えながら行い、650mlで必要な細胞数をクリアしたらしいので、予定の採取量よりも少なくて済んだようでした。
皮膚に穴を開けたのは4箇所。見た限りでは腰のあたりに4箇所針を刺した痕があるのですが、骨に開いた穴は100箇所以上。
針を刺して骨髄液を注射器で抜き取る形になるのですが、一度刺した所から再びやると血液が多く混じってしまい、骨髄液が取れにくくなるとのこと。なので角度や深さを変えて採取していくのだそうです。
そして骨1箇所からとれる骨髄液の量は5ml程度らしく、数多く刺す必要があるとのことでした。
見た目は4箇所小さな痕があるだけですが、中の骨は蜂の巣みたくスカスカになっている状態でした。
そういや手術前にそんな説明を聞いてたけど、すっかり忘れていました。
これでひとまず私の役目は終わり。あとは私の骨髄液が無事に生着してくれることを祈るのみ。
これからは自分の体の回復に努める。明日の朝から3日間、抗生剤が出たので毎食後服用することになりました。
・入院3日目(術後1日)
朝起きて、体温・血圧などのバイタル測定。
朝の時点で37.0℃、微熱があるぐらい。麻酔の影響で熱が出ることもあると聞かされていたので、まぁその影響なんだろうなと思うことにする。
採取部位からの出血は無し。確認後そのまま消毒してガーゼ交換。
体調的に問題は無かったのですが、起きてから首が痛い。
どうやら寝違えたようです。寝るときに寝返りをうつと痛みがありましたので、仰向けのまま寝ざるを得ませんでした。
体は仰向けのままでしたが、頭は右向いたり左向いたり・・・
手術した腰より寝違えた首の方が痛かったです。(汗)
何か変わったことありませんか?との問いに、素直に首を寝違えました、と私。
医師、看護師そろって苦笑い。予想外でした。
この日は特に検査もなく、行動に特に制約もありませんでした。
食事の時間になったら病室へ戻って食事。それ以外はテレビを見たり、歩いてみて腰の状態を確認したり、屋上でボーっとしたり。
心配してくれた職場の方、友人にもここで無事終わりました。と報告。
入院中、同室のおじいさんが私に話しかけてきてくれました。
初日にどうみても健康そうな体で入院してきたと思えば、次の日には酸素マスクや点滴付けられた状態で眠っているし・・・。
そんな私がどうして入院しているのかが気になった様でした。
もしかしたら同室の患者さんも同じ病気で苦しんでいるかもしれない。そう考えると話しにくかったのですが、正直に話をする。実はドナーとして入院して、昨日骨髄採取をしたんです。と。
私の話に興味を持ってくれたようでした。私の体と、相手の患者さんが良くなるといいね、と。
おじいさんも入院生活が長く、自分だって家に帰りたいはずなのに・・・。私や相手の患者さんの心配ばっかりしてくれました。
ただただ、相手の患者さんもおじいさんも早く良くなって、自分の家に帰ることができることを祈るばかりでした。
夕方になって、コーディネーターがまた病室へ来る。
術後の様子を見に来たのと、入院時のアンケート。
首を寝違えましたと言ったら、やっぱり苦笑い。しかし、そのことについてもしっかりとメモを取って帰られました。
こんなドナーもいたよって言う、これからの資料にするのだろうか・・・
コーディネーターと入れ違いぐらいに、今度は看護師がアンケートを持って病室へ来る。
手術前は同意書ばっかり書いてたような気がしますが、手術後はアンケートばっかりでした。
医師も看護師さんもとても良い対応してくださったので、感謝の気持ちを素直に書いて提出。
翌日の採血の結果次第で退院が決まるとのことでした。
首の痛みが夜になっても治まらないため、湿布を処方してもらい就寝。
初めての入院生活最後の夜は、首を動かせないまま眠ってしまいました。
・入院4日目(術後2日目)
前日と同じく、朝起きて体温などのバイタル測定。
朝食の前に血液検査をして、その結果次第で退院が決まる。
朝食を食べ、たぶん帰れるだろうと想定して荷物をまとめる。
朝の9時ぐらいだったでしょうか、医師が来て血液検査の結果は問題なし。
手術前と比べて数値が多少落ちてはいるものの、直に回復するでしょうとのこと。
そして退院後の注意点の説明がありました。
採取した骨髄液の量が元に戻るのは大体2週間程度かかるとのこと。それまでは体の血液を造る量が今までとは減ってくるので、貧血の症状が出るかもしれない。
腰に針を刺した痕はしばらく残るが、それはやがて見えなくなる。しばらくは採取痕のところがボコッとしていて違和感があるかもしれないが、それもやがて無くなる。
採取部の痛みは個人差があるが、平均して1週間程度で無くなる。
仕事柄そうは行かないかもしれないが、しばらくは出来る限りおとなしく過ごしてくださいと言われました。
1週間かぁ・・・手術当日から数えてちょうど1週間で当直勤務に復帰する予定でしたので、大丈夫なのか?と不安になるが安静にする他に方法が無いのでおとなしくする。間に合わせなければなりませんしね。
採取後の術後検診の予約をして、再び帰りの支度。
10時ごろコーディネーターが迎えに来て退院の手続きをする。
前日話かけてくださったおじいさんに早く良くなって元気な姿で家に戻ってくださいねと話をして、その後ナースステーションに立ち寄ってお礼を言って病院の総合受付へ。
退院手続きと言っても、ドナーの私には入院費用はかかりません。
売店で買って飲み食いしたものは自分持ちですが、入院費などは全て相手の患者さん持ち。
寝違えたときに処方された湿布代も相手の患者さん持ちになるとのことでした。
寝違えたのは自分の不注意だったところもあるので、湿布代は自分で払いますとコーディネーターに申し出る。
そこまで相手の患者さんに負担をかけてしまうのは申し訳なかったので・・・
保険証持って来ておいて良かったと思いました。
手続きも全て終わり、帰りの電車に乗るために駅へ。コーディネーターとは方向が違ったのでホームでお別れ。
術後検診の時にはまた違うドナーのコーディネートがあるため、会うのはこの日が最後。
わずか4ヶ月ほどの短い間でしたが、コーディネーターには本当にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。
帰りの電車に乗って気がついたのですが、意外と電車の揺れが腰に響くんですね。
普段なら何でもない揺れが、この日に限っては結構なダメージでした。
経験者的に、帰るときはなるべく車で迎えに来てもらったほうがいいかもしれません。
私も退院のときは父が迎えに来てくれるとの話でしたが、また仕事を抜け出して来てもらうのも悪かったので、リハビリついでに歩いて帰ると言って断ってしまいました。(あとで後悔したんですけどね)
ゆっくり歩いたため多少時間はかかりましたが、無事に実家へ到着。
今回の入院は、人生初と言うこともあり分からないことだらけ。
緊張もあれば、だるさもあり、患者さんのことを改めて考えることもしたりと色々と。
首を寝違えたのは予想外でしたが、私の人生にとってこれは貴重な経験となりました。
次回へ続きます。
追伸
骨髄採取後の針の痕の写真があったのですが、小汚い私の腰の写真を見せるのも申し訳ないと思ったので掲載中止にしました。
朝1番で手術室に入り、病室に戻ってきたのはお昼前。(らしい)
麻酔がまだ残っていたせいか、頭はボンヤリしたまま。点滴もつながれたままだし、止血のための砂袋も腰にあてられたまま。そこからは眠気も手伝って眠ったまま過ごす。
夕方になってだんだん目も覚めてくる。そして飲水テスト。麻酔が残ったままだと誤飲を起こす可能性もあるため、ちょっとずつ水を飲んで気道に入らないかを確かめる。これをパスしないと食事も取れませんが、これも難なくクリア。
飲水テストが終わった頃、母と妹がお見舞いに来る。
腰の痛みはそれなりに・・・痛いというより重たい感じがしましたが、全く歩けないほどではないので病室から出る。
個室ではないし、同室の患者さんに迷惑がかからないようにデイルームへ移動。差し入れのプリン・雑誌・菓子パンを頂く。
さすが母親、息子の好みを分かってらっしゃる。
母がお見舞いに来てから少し経ったぐらいに、今度はコーディネーターが来て簡単なアンケート。
主に術後の様子についての質問でした。
『耐えれない痛みを10だとしたら、今の痛みはどのぐらいですか?』との質問には
『1~2ぐらいの痛みです』と答える。
前述しましたが、痛いと言うよりやっぱり重たい感じ。無理な体勢をとったりするとやっぱり痛みは出てきますが、安静にしてればそれほど痛みはありませんでした。
これは個人差があると思いますので、全ての人にそれが当てはまるとは限りません。
夕方になり、点滴がようやく外れる。
ここまで何も問題なくきたかと思ったのですが、食事の時間直前になって急に吐き気が襲ってくる。
全身麻酔のため昨晩から何も口にしてなかったので出てくるものは何もなかったのですが、胃がムカムカする感じがありました。
これも麻酔の副作用?油断してました・・・。
しかしこれも一過性のもので、その後の夕食は普通に食べることができました。
24時間ぶりの食事でしたからね。あっという間に平らげてしまいました。
夜になって担当の医師が私の所へ来る。
私から採取した骨髄液は無事に患者さんの元へ行き渡り、今移植してますからねとの報告を受ける。
ひとまず安心しました。
今回は750ml採取する予定でしたが、実際に採取したのは650mlとのこと。
採取中に造血幹細胞の数を数えながら行い、650mlで必要な細胞数をクリアしたらしいので、予定の採取量よりも少なくて済んだようでした。
皮膚に穴を開けたのは4箇所。見た限りでは腰のあたりに4箇所針を刺した痕があるのですが、骨に開いた穴は100箇所以上。
針を刺して骨髄液を注射器で抜き取る形になるのですが、一度刺した所から再びやると血液が多く混じってしまい、骨髄液が取れにくくなるとのこと。なので角度や深さを変えて採取していくのだそうです。
そして骨1箇所からとれる骨髄液の量は5ml程度らしく、数多く刺す必要があるとのことでした。
見た目は4箇所小さな痕があるだけですが、中の骨は蜂の巣みたくスカスカになっている状態でした。
そういや手術前にそんな説明を聞いてたけど、すっかり忘れていました。
これでひとまず私の役目は終わり。あとは私の骨髄液が無事に生着してくれることを祈るのみ。
これからは自分の体の回復に努める。明日の朝から3日間、抗生剤が出たので毎食後服用することになりました。
・入院3日目(術後1日)
朝起きて、体温・血圧などのバイタル測定。
朝の時点で37.0℃、微熱があるぐらい。麻酔の影響で熱が出ることもあると聞かされていたので、まぁその影響なんだろうなと思うことにする。
採取部位からの出血は無し。確認後そのまま消毒してガーゼ交換。
体調的に問題は無かったのですが、起きてから首が痛い。
どうやら寝違えたようです。寝るときに寝返りをうつと痛みがありましたので、仰向けのまま寝ざるを得ませんでした。
体は仰向けのままでしたが、頭は右向いたり左向いたり・・・
手術した腰より寝違えた首の方が痛かったです。(汗)
何か変わったことありませんか?との問いに、素直に首を寝違えました、と私。
医師、看護師そろって苦笑い。予想外でした。
この日は特に検査もなく、行動に特に制約もありませんでした。
食事の時間になったら病室へ戻って食事。それ以外はテレビを見たり、歩いてみて腰の状態を確認したり、屋上でボーっとしたり。
心配してくれた職場の方、友人にもここで無事終わりました。と報告。
入院中、同室のおじいさんが私に話しかけてきてくれました。
初日にどうみても健康そうな体で入院してきたと思えば、次の日には酸素マスクや点滴付けられた状態で眠っているし・・・。
そんな私がどうして入院しているのかが気になった様でした。
もしかしたら同室の患者さんも同じ病気で苦しんでいるかもしれない。そう考えると話しにくかったのですが、正直に話をする。実はドナーとして入院して、昨日骨髄採取をしたんです。と。
私の話に興味を持ってくれたようでした。私の体と、相手の患者さんが良くなるといいね、と。
おじいさんも入院生活が長く、自分だって家に帰りたいはずなのに・・・。私や相手の患者さんの心配ばっかりしてくれました。
ただただ、相手の患者さんもおじいさんも早く良くなって、自分の家に帰ることができることを祈るばかりでした。
夕方になって、コーディネーターがまた病室へ来る。
術後の様子を見に来たのと、入院時のアンケート。
首を寝違えましたと言ったら、やっぱり苦笑い。しかし、そのことについてもしっかりとメモを取って帰られました。
こんなドナーもいたよって言う、これからの資料にするのだろうか・・・
コーディネーターと入れ違いぐらいに、今度は看護師がアンケートを持って病室へ来る。
手術前は同意書ばっかり書いてたような気がしますが、手術後はアンケートばっかりでした。
医師も看護師さんもとても良い対応してくださったので、感謝の気持ちを素直に書いて提出。
翌日の採血の結果次第で退院が決まるとのことでした。
首の痛みが夜になっても治まらないため、湿布を処方してもらい就寝。
初めての入院生活最後の夜は、首を動かせないまま眠ってしまいました。
・入院4日目(術後2日目)
前日と同じく、朝起きて体温などのバイタル測定。
朝食の前に血液検査をして、その結果次第で退院が決まる。
朝食を食べ、たぶん帰れるだろうと想定して荷物をまとめる。
朝の9時ぐらいだったでしょうか、医師が来て血液検査の結果は問題なし。
手術前と比べて数値が多少落ちてはいるものの、直に回復するでしょうとのこと。
そして退院後の注意点の説明がありました。
採取した骨髄液の量が元に戻るのは大体2週間程度かかるとのこと。それまでは体の血液を造る量が今までとは減ってくるので、貧血の症状が出るかもしれない。
腰に針を刺した痕はしばらく残るが、それはやがて見えなくなる。しばらくは採取痕のところがボコッとしていて違和感があるかもしれないが、それもやがて無くなる。
採取部の痛みは個人差があるが、平均して1週間程度で無くなる。
仕事柄そうは行かないかもしれないが、しばらくは出来る限りおとなしく過ごしてくださいと言われました。
1週間かぁ・・・手術当日から数えてちょうど1週間で当直勤務に復帰する予定でしたので、大丈夫なのか?と不安になるが安静にする他に方法が無いのでおとなしくする。間に合わせなければなりませんしね。
採取後の術後検診の予約をして、再び帰りの支度。
10時ごろコーディネーターが迎えに来て退院の手続きをする。
前日話かけてくださったおじいさんに早く良くなって元気な姿で家に戻ってくださいねと話をして、その後ナースステーションに立ち寄ってお礼を言って病院の総合受付へ。
退院手続きと言っても、ドナーの私には入院費用はかかりません。
売店で買って飲み食いしたものは自分持ちですが、入院費などは全て相手の患者さん持ち。
寝違えたときに処方された湿布代も相手の患者さん持ちになるとのことでした。
寝違えたのは自分の不注意だったところもあるので、湿布代は自分で払いますとコーディネーターに申し出る。
そこまで相手の患者さんに負担をかけてしまうのは申し訳なかったので・・・
保険証持って来ておいて良かったと思いました。
手続きも全て終わり、帰りの電車に乗るために駅へ。コーディネーターとは方向が違ったのでホームでお別れ。
術後検診の時にはまた違うドナーのコーディネートがあるため、会うのはこの日が最後。
わずか4ヶ月ほどの短い間でしたが、コーディネーターには本当にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。
帰りの電車に乗って気がついたのですが、意外と電車の揺れが腰に響くんですね。
普段なら何でもない揺れが、この日に限っては結構なダメージでした。
経験者的に、帰るときはなるべく車で迎えに来てもらったほうがいいかもしれません。
私も退院のときは父が迎えに来てくれるとの話でしたが、また仕事を抜け出して来てもらうのも悪かったので、リハビリついでに歩いて帰ると言って断ってしまいました。(あとで後悔したんですけどね)
ゆっくり歩いたため多少時間はかかりましたが、無事に実家へ到着。
今回の入院は、人生初と言うこともあり分からないことだらけ。
緊張もあれば、だるさもあり、患者さんのことを改めて考えることもしたりと色々と。
首を寝違えたのは予想外でしたが、私の人生にとってこれは貴重な経験となりました。
次回へ続きます。
追伸
骨髄採取後の針の痕の写真があったのですが、小汚い私の腰の写真を見せるのも申し訳ないと思ったので掲載中止にしました。
既に移植の方はされているのでしょうか。娘さん、提供する長男さんの体調面はいかがでしょうか。
私のこのお話はもう10年近く前になろうとしており、記事を書いたのも随分前。今でもこうやって誰かが見てくれて、それが励みになるのなら書き手としては嬉しく思います。
どうか快方に向かいますように。お祈り致します。
私がドナーになってから、何回かに分けて書いた記録。(最後はだいぶ間が空いてしまいましたけど…)
やっぱり自分の頭の中に留めておくだけでは限界があって、こうして文章に残した次第です。ドナーになるにあたって、私も色々な方の体験記を読ませて頂きました。
私はドナーになった経験もあるし、途中でコーディネート終了になった経験もあります。今は3回目のお話が来るのを待つ身です。
提供してから数年が経ちますが、今でも思うのはやっぱりやって良かったなと。誰もができるわけじゃないことです。
私の骨髄が誰かの生きる希望になれたのは自分でも誇って良いのかなって思います。
これから検査に向けて色々とお話が進んで行くと思います。ご自身の身体も大切に、良い方向に向かっていくと良いですね
またお越しください
ドナー体験談を探して一番初め読みました。
私は2010年にHAL型があった方いて、ドナー候補に選ばれつつも、診断書の時点で、当時、夫が複数の相手と接触をしていた人と定期的に接触したため、感染が疑われるということで却下されました。
その事がずっと自分の中でわだかまっていて、夫に対する怒りと、もしかしたら、ある人の生きるともしびを摘んでしまったのではないかという罪悪感で今日にいたっております。
しかし、先日、再び私のHAL型と会う方がいるということで、来週、遺伝子検査に進みます。
自分の罪悪感も少し和らいできました。
むさしさんの体験談を読んでとても感動しましたし、参考になりました。
私の骨髄を患者さんに提供できるかどうか、まだわかりませんが、むさしさんのように健康になれるチャンスのバトンを渡せればいいなと心から思っています!!
情けないことに高熱を出しまして、お返事が遅くなってしまいました。
私も少し前ですが、その当時のことを聞かれることがあります。まだ私が消防に入って初めの頃の話ですから、提供して少し時間が経っています。曖昧になってしまった部分と、今でもはっきり覚えている部分と。
私の意志だけでは提供に至ることはできなかった。やっぱり両親(当時は独身)や職場の理解があったからできた話。その点は本当に感謝だなぁ…って思っています。
今は3回目の適合通知を待つ身。(2回目は途中で終了となってしまいました)
その時に私の体調不良によりコーディネートが進められないってならないよう、健康管理には気を配っていきたいと思います。仕事柄不摂生になりがちですけど…(苦笑)
こちらこそ、昔の記事でもこうやって反響を頂けることがすごく励みになります。ありがとうございます
骨髄バンクドナーの記事を探してたどり着きました。
私は2007年10月に骨髄提供をしました。
最近になって詳細を聞かれ、記憶が曖昧でうまく伝えられなかったため、こちらのブログを拝見して様々な記憶がよみがえりました。
内容は筆者様とほぼ同じでしたが唯一違ったのは当時勤めていた会社の対応でした。
直属の上司(課長、部長)は賛成してくれ、ドナーの話を進めました。
ところが、最終同意が済んだところで、さらに上の上司、専務から待ったがかかりました。
専務は有休を認めないとその段階で話を覆す、しかし最終同意が済んでいるので、ドナーを断ることはできない。
揉めに揉めた末、なんとか有休を使って手術に望むことができました。
事前にいただいたパンフレットには、理解のある会社に勤めていらっしゃる方の話が掲載されていたので、うちの会社も理解してくれるだろうと考えていたので、大きなショックを受けました。
あれから数年、 検査や手術で休みを取らなければならないのがネックで再登録をしていませんでしたが、ある程度自由に有休を使える会社に転職したので、再登録を考えています。
ここまで詳しい内容を掲載してくださってありがとうございました。
勇気がわいてきました。
長文と申し訳ありませんでした。
お読みいただいて感謝します。
このお話はまだ私が独身時代の頃に体験したことです。提供に至ってから数年が経ち、今では結婚して子どもも2人います。
上の子が産まれて下の子を妊娠するまでの間に、また適合通知が届きました。検査の段階でコーディネート終了でしたが、それから1ヶ月ぐらいして嫁の妊娠が発覚。もう少し適合通知が遅かったら、嫁の妊娠を理由に申し訳なくお断りしていたかもしれません。
2度目の適合がどういった理由で終了となってしまったのかは分かりません。もしかしたら私の不摂生な生活により何かしらの原因があったのかもしれませんし、他の方の方が条件が良かったのかもしれませんし。
ドナー最優先の方針である以上、仕方のないことかもしれないと思いつつも、やはり私もコーディネート終了となった際に気がかりになっています。
提供をした貴重な体験も、中止になってしまったやるせなさも経験しました。1度提供をしている私は次の提供が最後のチャンスとなります。
同じくしてもやもやした気持ちは私も抱えたまま。次にまたお話を頂いたら、次こそ提供できるように…と思っています。
登録はまだ継続中でしょうか?ならば、55歳まではチャンスがある。次こそはと言う気持ちで、その時を待ちましょう。(^^)
吐き出せる場所を探していました。
私は約10年くらい前にドナー登録し、約3年前に初めて、適合通知をいただきました。
でも、その時、同じタイミングで妊娠が分かったんです。
すごく複雑な気分でしたが、妊娠していることをお伝えすると、「元気なお子さんを産んで下さい」とおっしゃってくれました。
でも、ずっとわだかまりが残っていて…
もしかしたら、私しか合わない型の人かもしれない、私は新しい命を産むのに、その方は死にまた一歩近付くのかなと…
罪悪感と言ったら言い過ぎかもしれませんが、ずっともやもやした気持ちを抱えてきて…
何を言って欲しいわけでも無いのですが、本当に吐き出させて欲しかったのでたまたま見つけたこちらでコメントさせてもらいました。
詳しい検査はされていませんが、私と少なからず適合した方、あの方は今どうしてらっしゃるのか、自分の子供の成長を見る度に、申し訳なくなります。
私も提供してからもう丸3年が経ちましたが、今でもはっきり覚えているところと、だんだん曖昧になってきている部分があります。
今回のこのコメントがきっかけで、自分のやってきたことを思い出しました。提供してから1年が過ぎた時に再度提供希望と言うことで届け出をし、今は適合通知を待つ身であります。
ブログにも残しましたし、職場でドナー体験の話をした際に興味を持った先輩がいて、同じようにドナー登録をして実際に提供をされた先輩が同じ職場にいます。こういった輪をこれからも広げていきたいと思っています。
ご家族の方にはもうお話はされたのでしょうか?
Vangleさんのお気持ちがご家族の方の理解が得られると良いですね(^^)
私もつい先日ドナー登録を済ませました。
と思ったら、登録とほぼ同時に通知が来ました。
ドナーコーディネートのお知らせが。
今日その通知を開いて、もうびっくりしています。齢3※にして初ドナー登録。そして直ぐのコーディネートの通知・・・。
以前から人のお役に立ちたいとは考えていましたが、突然に現れた状況に、情けないとは思いつつも、動揺してしまいしました。
私の骨髄で助かる命がある…実際にその現実を突きつけられ、どうするのか?の選択を迫られる状況が現れようとは、今までの平凡な日常からは想像することさえできませんでした。
いや、ドナー登録をしようと思った時点では想像はできてはいましたが…。
しかし、ムサシ様のレポートを読ませていただき、少しずつ平常心を取り戻してきました。
明日、家族に話をし、ドナーコーディネートを希望したいと思います。
ムサシ様の詳細なレポートで不安を取り除くことができました。本当によい記事を残してくださって、ありがとうございました!
2回目ですか!?だりさんのHLAの型がわりとよくあるタイプなのでしょうか。
登録後すぐに適合する人は、わりとよく2回目があると言う話を聞いたことがあります。
私も来月で術後1年が経ちます。その頃になって確認の手紙が来たときには迷わず、登録継続で行きたいと思います。登録が自動的に取り消されるまでは30年ぐらいありますからね。
2回目の提供が現実になった場合には、相手の患者さんも、だりさんにも最善の結果になると良いですね(^^)
またお越しください、お待ちしております♪
私も骨髄バンクを介して、骨髄提供しました。ハタチになってドナー登録し、それからすぐに適合通知が来たので半年あまりで提供に至りました。
色々と体験記を読みましたがさすがにハタチの女子が提供なんていう話はどこにも見つかりませんで…どきどきでした。でもやっぱり若いうち、まして学生だったりすれば都合もつけやすいし、自分と同年代の人にもっと知ってもらいたいなと思って、ノートに残していた記録を元に自分も体験記を書こうと思っていた矢先に、なんとまた適合通知がやってきまして。。
術後の保留期間が終わりこれから登録をどうするかの確認の手紙がきたので「継続」で返信したんですが、それから数日後に適合通知。
びっくりですよね。。とりあえず個人が特定できない程度に提供までチラッとレポートみたいなことをやってみようと思ってます。ムサシさんのレポートのようによくかければいいのですが…
また来ます。
長くなってしまい読みにくかったと思いますが、そういって頂けて嬉しいです!
私より素晴らしい人は身近にもいます。まだまだ私も未熟者、そういった人達を見習って努力です。
頑張らねば!
持ってきた本は読んじゃったし、差し入れられた雑誌も読んじゃったし、体験記を記すつもりも何があったとかのメモ書き程度でしたし・・・
迷惑だったかな~と後で反省。
体験記は良いかもしれませんね!私の時とはまた違うこともあるでしょうからね
私の文章力なんて全然ダメですよ
書きたいことは頭にあっても上手く文に出来てないし、やっとのことで公開して後で自分で読み返してみたら誤字脱字があったりで、こっそりと直す始末ですし
もう少し文才があればなぁ~何て常々思います。
追伸
私も先日、遅ればせながらニンテンドーDSを買いました。
日々脳トレと漢字のお勉強です。
本とニンテンドーDSを持っていこうかと思ってました
あと、折角時間が有るのでムサシさんの様に体験記として自分なりにまとめてみようかなと、思っています。
採取後の傷や自分の様子の写真を撮って小冊子の様なものを作って、自分のまわりの骨髄バンクに関心のある人たちにみて貰えたらなぁと思っています。
ムサシさんの文章力を見習わないといけませんね~
あぁっ鉄剤飲むの忘れてた
では、またね
彼氏さん、救急隊兼務ですと大変ですね
私は専任の消防隊員ですが、兼務の方を見てると大変だなって思います。
最近、一部の消防で救急車の出場が前年を下回ったとのニュースがありましたが、国内全体で考えるとまだまだうなぎ上り。1日の半分以上は救急車内もしくは現場にいる救急隊員も多くいます。
考えさせられる現場もあれば、中にはガクッとくる事案もあったりで・・・
上手く切り替えられるように、休みの日は仕事を忘れてリフレッシュです
ちなみに入院のときには、暇つぶしが出来るものを持っていったほうがいいですよ。特に手術前は・・・
本を1冊持っていったのですが、初日で全部読み終わってしまいましたから
ドナーは強制されるものではなく、あくまでも善意のボランティア。善意とほんのちょっとの決断かな?
骨がスカスカと言っても、そんな大げさなことはなく、針を刺した痕の周辺に集中して、穴が多く空いている状態です。腰の骨全体にわたってるわけではないんですよ(^_^;)
ちょっと勘違いさせてしまったかもしれませんね(汗)
ドナー体験記、全部書き終わったら最初からもう一度更新しなおそうと思います。記事が飛び飛びになっちゃってますしね(反省)
体験記、もう少し続きがありますので書き次第UPしていきます!
寝違えのところがとても参考になりました!
私も保険証もっていきます。ちょっとした事があった時、少しでも負担を減らしたいものですね。
あと、今からうつぶせ寝の練習をしときます
昨日の勤務は心に痛いものだったでしょう。お疲れ様です。
私の恋人は昨年より救急隊も兼ねているので、口数の少ない勤務の明けの日は察するものがあります。
悲しみを引き受ける仕事というのは覚悟をしていても辛いものですね。
私は福祉関係の職に就いているので共感できるところがあります。
歯がゆさや、むなしさを感じることもあると思います。受け入れるのは大変ですが、ムサシさん頑張ってください!
一番怖いのは心に痛みを感じなくなった時だと私は思うんです。
痛み=優しさ なんじゃないかなと最近思ったりもします。
ムサシさんは心根のとても優しそうな人なのでちょっと心配です。
お休みの日は羽を伸ばしてゆったり過ごしてくださいね
長々とすいません
お休みなさい
追伸
お尻