この間、インターネットのニュースでこんなのを見ました。
『電車の運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください』と。
千葉県の銚子市を走っている『銚子電鉄』が経営難で、このままだとダイヤどおり運行できなくなる恐れがあるとのこと。簡単に言えばこんなニュースでした。
このニュースを見て立ち上がったこのブログの管理人。
何を思ったか、朝の5時に自宅を出発して千葉県銚子市にある犬吠埼へ向かいました。
一般道で。
片道6時間ぐらいかかりましたよ。
エコノミークラス症候群にならないよう、1時間半ほど走って休憩。また1時間ほど走って休憩の繰り返し。
座りっぱなしでお尻が痛くならないよう、休憩中には適度に体操。
そんなことを繰り返してようやく犬吠埼に到着。
この日の天気は曇り時々ぽつぽつと雨が降りました。
やっぱり雨男伝説は生きてたんだなぁと思いつつ、遊歩道があったので軽くお散歩。
波しぶきを間近に見ることができました。遊歩道にまで波が押し寄せてきて、結構迫力がありました。
遊歩道に打ち上げられた海草を踏んづけて、滑って思いっきりしりもちつきましたけど。
座りっぱなしでお尻が痛くならないようにしてたのに、しりもちついて結局お尻が痛くなりました。
こんな話でスイマセン。
遊歩道を散歩した後、犬吠埼の灯台に上る。
灯台の最上階までは99段の階段を上る。
階段は螺旋状になっていて、すれ違えないほどではないのですが狭かったです。
99段上がって、最上階に到着。
さすがに風が強かった。ちょっと体が飛ばされそうな感じになりました。
海を見てると、水平線がなんとなくですが丸く見えました。地球ってやっぱり丸いんだなぁって感じたり
下に降りて食堂でお昼を食べて、ぬれ煎餅を買って帰る。
来るとき一般道で来たので、せっかくだからと帰りも一般道で帰る。
行き6時間、犬吠埼滞在時間2時間、帰りも6時間。
運転してるほうが長かったなぁ~。
ちょっと疲れたけど、せっかくの休みだったかから良い気分転換にはなりました。
追伸
携帯からご覧頂いてる方、写真が反映されなくてごめんなさい。
今週のお題は『休日によく行く場所はどこですか?』とのこと。
うーん・・・回答はズバリ『特に決まってない』って感じでしょうか。
私達消防職員(現場勤務)は原則24時間の交代勤務です。
ですので、当直勤務明けの日は眠くて寝てしまうときもあります。平日休みのときもありますので、土日休みの友人とは予定が合わず。家でぼーっと過ごすこともしばしば。
逆に近所をうろついたりすることもあるし、消防の同期と遊びに行くこともありますし、連休が取れれば旅に出てしまいますし。
旅に出るときは予定を立てていきますが、普段の休みは思いつきで行動してしまいます。
昨日も朝に何を思ったか、片道6時間のロングドライブに出かけました。
そのぐらい、思いつきで出かけてしまう男です。
あまり回答になってないですね、スイマセン
今これを書いている最中も、温泉につかってゆっくり体を休めたいと考えてる私がいますし
明日は連休最終日。何しようかな~
だんだん寒くなって、気がつけば季節はもう冬ですね
それに伴って空気も乾燥してきますし、火災の発生が多くなってくる季節でもあります。
皆さんは火災の原因と聞いてどんなことを想像されるでしょうか?
毎年火災の原因トップ3に入ってくるのは
1.放火(疑いも含む)
2.コンロ
3.タバコ
毎年若干の変動はありますが、ほぼ毎年この3つが上位を占めています。
『私の家はガスコンロじゃないし、タバコだって吸わないし~』とお思いの方もいらっしゃると思います。
実はそんな方の自宅でも出火する例があります。
その場所はコンセント。今日はそんなお話をしようと思います。
家電製品のコンセントを長期間電源プラグ(差込口)に差し込んだまま使用していると、火災を起こす危険性があります。
コンセントと電源プラグとの隙間に徐々にホコリが溜まり、このホコリが湿気を帯びることによってプラグ両極間で火花放電が発生します。
そして絶縁状態が悪くなりプラグ両極間に電気が流れて発熱し、そしてついには発火してしまいます。
これを『トラッキング現象』と呼びます。
プラグが不完全に差し込まれた状態で放置しておくと、接触不良による発熱によってトラッキング現象発生の確率が高くなります。
火災出場時、指令室からの情報で『コンセントからの出火』と聞くことがあります。
あまり聞いたことはありませんが、そういった出火例があるのもまた事実。
常時コンセントを差しっぱなしの冷蔵庫や、家具の後ろにあって掃除の行き届かない差しっぱなしのコンセントに、トラッキング現象は起こりやすいです。
そんなトラッキング現象を起こさないための対策。
1.台所や洗面所など湿気が多い場所、または家具の裏などホコリが溜まりやすい場所は時々プラグを抜いてホコリを取り除く。
2.コンセントは根元までしっかりと差し込む。
3.トラッキングを防止するケーブルタップ、コンセントのプラグカバーが市販されていますので、これらを活用する。
4.使用していない家電のコンセントは思い切って抜いておく。節電にもなります。(笑)
あなたの自宅にも、長い間差しっぱなしのコンセントはありませんか?
時々そんなコンセントたちにも目を向けて、お掃除してあげてくださいね!
最近火災の指令が多くなってきたってここに書いてから、こっちにもその勢いが・・・
私の守護神伝説はどこいった?
しかし幸いにも炎上することは無く。誤報ではありませんでしたが、燃えたものも無く(煙が出ただけ)なので良かったのですけど。
昨日は外での業務も無かったので、自分の仕事をチャッチャと片付けてお勉強。
覚えなきゃいけないことはたくさんありますからね
次の当番は休みを頂きました。そんなわけで非番を合わせたら5連休に。
予定な~し。旅に出る予定も立ててないから私事旅行届けも出してないしなぁ・・・
お天気が良いようならどこかへふらっと日帰り旅に(予定)出ます。
この間の当番、救急隊との合同訓練を行いました。
浴室でお年寄りが倒れていて心肺停止状態(CPA)でのPA連携を想定しての訓練でした。
その前にPA連携の説明を。
PA=ポンプ(消防車)&アンビュランス(救急車)のそれぞれの頭文字。
近年の多発する救急要請に供給が追いつかず、平均現場到着時間が年々伸びてきています。
そこで救急車が現場到着に時間がかかると予想される場合や、搬送が困難だと予想される場合に消防隊が出場し、応急処置や救急隊の支援をするものです。
実際の例ですと
・救急要請の通報内容がCPA。救急隊は現場到着まで時間がかかる。
そんなときは直近の消防隊が出場し心肺蘇生法(CPR)を実施、必要ならばAED(自動体外式除細動器)も使います。
救急隊が到着するまで実施し、救急車内まで収容。
・CPAでは無いが、救急隊だけでは搬出困難な場合。
傷病者が巨体(失礼)な場合や、その他もろもろの理由で搬出困難な場合はマンパワーが必要ですから、やはり直近の消防隊が出場して、救急隊の支援をします。活動場所が高所になる場合は救助隊や高所救助車も出場したりします。
PA連携の利点としては
・現場到着から病院出発までの時間が短縮された。
・救急隊の活動が前に比べて容易になった。
・CPAの場合、直近の消防隊が向かって応急処置をすることにより、より早いCPR、AEDを使っての処置ができるようになった。
大きな幹線道路での交通事故の場合にも、救急隊だけでは活動困難(車がたくさん通るので二次災害の危険がある)ですので、やっぱり消防隊が出場して救急隊の活動支援もしますし、危険物が漏洩していれば処理をします。
救急車を呼んだのに何で消防車が来るの?と言うのには、実はこんな理由があるのです。
実際に救急隊の先輩がおっしゃっていたのですが、人員的に活動が楽になった。マンパワーが必要なところだととても助かるとのことでした。
話は最初に戻って先日の訓練。消防隊が先に現場到着して、その数分後に救急隊が到着。
先着した消防隊でCPR、AEDを使い応急処置。救急隊は救急救命士による特定行為実施。
実際にあった症例を元にした想定でしたので、とても内容の濃い訓練でした。
まぁ全部が全部上手くいったわけではないんですけどね
失敗したところは反省しつつ、まだまだ勉強です。
追伸
CPA、CPR、AED・・・横文字ばっかり。欧米かっ!
すいません、言いたかっただけです。
昨日は1件の火災出場。ちょうど夕食時で最後の一口を食べようとした矢先の出場でした。
発生場所を確認するも遠い。最近の出場は出場範囲ギリギリのところが多いような気がします。
夕方の道路が混雑する時間帯でしたので、どこを通っても渋滞。
現場に着く頃になったとき、無線で鎮火確認との一報が入ったために部隊縮小。
そのまま反転帰署になったのでした。
良かった、小火で済んで
帰ってきてからも今度は違う場所での火災指令。
私の部隊は出場しませんでしたが、また火災だなぁなんて思ったり。
ここ最近火災指令が流れることが増えてきたなぁ~
火災の指令は多くなってきたし、朝はなかなか布団から出られなくなったり
よくよく考えたら季節はもう冬になるんですね・・・
寒いのは苦手です。
明日はお休み。何しようかな~?
今週のお題『子供の頃の夢は?そして今どうなってる?』とのこと。
うーん・・・何だったっけな?思い出せず。
もしかしたら幼稚園のときの卒園アルバムに書いてあるかもしれないと、浅はかな思いを抱いて実家へ帰る。
母親に『あんた何してるの?』と言う冷たいツッコミにもめげずに
卒園アルバムを見てみると、書いてありました!大きくなったら何になりたいかってページが!
わざわざ実家に帰った成果がありました!
さっそく読んでみる。男の子だと
・お巡りさん
・電車の運転士
が多かったような気がします。女の子だと
・ケーキ屋さん
・お花屋さん
と書いてあったのが多かった気がします。
中には『お嫁さん』って書いてあったのもいくつかありました。
今の子供達はどんなこと書いてるんだろう?なんて考えてみたり。
そんな中、私が書いたのを見つけました。
大きくなったら何になりたい?の質問に書いた私の答えは
『おとうさん』でした。
・・・これ、職業か?
子供の頃の夢は?との質問に『おとうさん』と答える小さい頃の私。
そして今どうなってる?との質問に、『その夢叶ってません!』と答える今の私。
もうちょっと頑張れ!今の俺!
明日は仕事、PA連携の訓練があります。
前回の記事から少し間が空いてしまいました。
今回は確認検査のときのお話です。
この日指定された病院は、私の住んでいるところから電車で1時間弱の場所にある県立のがんセンター。
この場所で改めてドナーになるまでの過程と、手術の方法についての説明が行われ、そして提供する意思の確認。
提供する意思に変わりが無いと、その後さらに詳しくHLAの型を調べるために採血をします。
その結果次第で最終的なドナーになるかもしれないし、ここでコーディネート終了となるかもしれないし。
この日はあくまでも説明と検査だけの日でした。
病院の入り口でコーディネーターと待ち合わせ。骨髄バンクの封筒を持っていたのですぐに分かりました。
診察室に通されて軽く挨拶をした後、調整医師の方がお見えになりました。
この確認検査で、コーディネーターからは骨髄採取までの流れの説明。調整医師からは具体的な手術の方法についての説明がありました。
その前に骨髄と骨髄移植についての説明を。(骨髄提供者向けの説明書より抜粋)
骨髄とは、骨の中心部にある海綿状(スポンジ状)の造血組織。赤血球、白血球、血小板がここで休むことなく作られています。
骨髄は、骨髄液で満たされていて、その中には血球のもとにはる造血幹細胞が含まれています。
白血病や再生不良性貧血、免疫不全症などの病気にかかってしまうと造血幹細胞に異常が起こり、正常な血球を作れなくなってしまいます。
骨髄移植は、病気によって冒された造血幹細胞を健康なものに置き換える治療法。
ドナーから採取した骨髄液を点滴で患者さんに注入するのです。
骨髄液を採取する場所は腸骨(骨盤のこと、ズボンのベルトのちょっと下あたり)から採取します。
よく勘違いされがちなのですが、背骨から採取するわけではありません。腸骨からです。
その方法も骨を切り取るのではなく、皮膚の上から専用の針を腸骨まで刺して、注射器で吸引します。
そして手術中は全身麻酔をかけて行います。つまり完全に眠った状態。
よくあれって痛いんでしょ?と言われますが、麻酔で完全に意識をなくすのでその時の痛みは分かりません。
麻酔から覚めた後は多少の痛みはありますが・・・。またそれは追って書くことにします。
そして最後に骨髄採取や全身麻酔による事故や合併症についても説明がなされる。
確率こそ少ないものの、過去に世界で4件の死亡事故が報告されていること(骨髄バンクを介さない、血縁者間での移植で)。手術後に健康被害があった症例についてもしっかりと説明してくださいました。それを踏まえたうえでしっかり判断して欲しいと。
このような説明が約1時間ほど、骨髄採取までの流れと手術の方法についての説明が終わると改めて提供意思の確認。
しつこいぐらいに『ここで提供を辞退されても構いません』とのことを言われる。
事故の話を聞いて、また手術の方法を聞いてみて、実際怖くなって提供を断念してしまう人や家族の同意が取れない人も多いらしい。
最初のドナー候補の手紙が来て、自分なりにドナー向けの説明書を読んだりインターネットで情報を集めたり。
確認検査で言われたことも調べたこととほぼ同じ。こんなことでは動じない私は辞退することなく採血へ進む。
炎上火災の方がよっぽど怖いような・・・
採血室みたいなところへ案内されて、小さめの試験管3本ほどの血を抜きます。
この採血で今度はDNAタイピングと言う方法での精密なHLAの検査を行います。
1・血液型
2・血算(各血球の数値など)
3・肝臓や腎臓の機能検査
4・感染症の検査
も一緒に行い、この結果を踏まえて最終的なドナーになるかどうかを決定します。
この結果、健康上問題があったり、HLAが遺伝子レベルでは適合しなかったりするとそこで終了。
もしドナーが複数いるとすれば、より条件の良い人から最終的なドナーになっていきます。
過去の記事で、ドナー候補者は最大5人まで並行してコーディネートを進めることができると書きましたが、何人のドナー候補者がコーディネート進行中であるかは知らされないようです。
私は当然分かりませんが、コーディネーター、調整医師すら知らされていません。
ドナー候補者が知ってしまうとプレッシャーになってしまうだろうし、コーディネーターや調整医師が知ってしまうと、やはりドナー候補者にいらぬプレッシャーをかけてしまうかもしれないから・・・なのかな?
採血をしてくれたのはベテランの看護師さん。手際もよくあっという間に終了。
最終的な決定がされるのは約1~3ヶ月後。
帰り際に『またお会いできるといいですね』なんてコーディネーターと話しつつ、交通費をもらって(交通費はちゃんともらえる)確認検査が終わる。
最終的なドナーになるのか、ここでコーディネート終了なのか。連絡が来るまでの間、ずっと緊張した毎日を過ごしていました。
次回へ続きます。
宮島での観光を終えた後、今度は高速船に乗って広島平和記念公園へ。
宮島の海から川をさかのぼって、広島の市街地へ入っていく。
途中橋の下をいくつかくぐるのですが、結構すれすれのところだったり、しゃがまないと頭をぶつけたりしてしまうところがありました。
ちゃんと船の通る場所は決められているようです。
高速船の出発から30分ぐらいして、広島平和記念公園に到着。
かつて原子爆弾が落とされて、35万人ほどの尊い命が一瞬にして奪われた場所。
そして今もその後遺症に苦しんでいる人も多い。
平和を願う石碑やモニュメントがたくさん、その地にはありました。
公園内を少し歩くと、毎年8月6日に行われる広島平和記念式典の会場が見えてきました。
写真だと小さく写っていますが、このアーチの中から原爆ドームが見えます。どうやらその様に作られたようです。
携帯からご覧頂いてる方、写真が反映されなくてごめんなさい。
そして公園内にある、広島平和記念資料館へ。
個人的に、今回の旅行で一番訪れたいところでした。
学生時代に授業で習ったことだけでは分からない。実際原爆の被害にあった地に足を踏み入れることで、そこで今まで知らなかったことが分かると思ったから。
戦争を知らない世代だけど、かつてこんな悲惨な出来事があったこと。
日本人として知らなくてはいけないこと、けっして忘れてはいけないことなのだと。
そう強く思いました。
資料館の中には、改めて1945年8月6日の出来事。戦時中の展示物などが数多く展示されていました。
実際に被爆した建物の一部、焼け焦げた学生服、原爆が投下された時間を指したまま動かなくなった時計。
被爆した人の写真も多数、展示してありました。
中には思わず目をそらしたくなるような写真や物もありましたが、その当時の様子を知るためにはしっかりと見なくてはいけないと思いました。
原爆が投下されてから数日後、日本はポツダム宣言を受諾して全面降伏。
戦争に負けて、その結果今の日本と言う国があって、今の自分がいる。
だが、もしこの戦争に日本が勝っていたとしたら、今の世の中はどうなっていたのだろう?
・・・考えてみたけど、答えは出ませんでした。
しかし、戦争と言う行為で大勢の人が犠牲になった。
亡くなった人達ばかりでなく残された家族だって、自分の大切な肉親なり友人を失った。
『私の家族はお国のために戦争に行ったんだ。これで良いのだ。』って心から思った人って本当にいるのかな?
・・・きっといませんよね。だが当時の世論がそうせざるを得ない時代だったのだと。
戦争からは不幸しか生まれない。私だけでなく何人もの人が、そう考えたのではないでしょうか。
終戦から60年ほど経って、周辺にはビルが立ち並び道路や公園は整備されている。
環境はどんどん変化しているのに、原爆ドームは多少の補修工事をしているものの、その当時のまま。
想像もつかないぐらいの痛みや苦しみがその当時、そこにあったと思うと胸が苦しくなりました。
今の世の中、広い目で見れば平和なのだなって思いました。
どうかこの先何年経っても、平和であって欲しいと願うばかりです。
広島1日目の記事の続き。
広島2日目、ホテルをチェックアウト後は日本三景の一つ、安芸の宮島へ行ってきました。
JR宮島口駅から歩いて数分のところにある宮島航路。
ここから10分ほど船に乗り宮島へ渡る。船からもだんだん厳島神社の鳥居が見えてくる。
程なくして宮島に到着。改札を出るなりいきなり鹿の大群のお出迎え
宮島にも鹿が放し飼い(?)されているんだなぁ~なんて思いながらも写真を撮る。
・・・シャッターを押した瞬間、そっぽ向かれました。鹿だけにシカト?(ダジャレです、すいません)
そんな鹿に振り回されつつも、厳島神社へ到着。
平日だからそんなに観光客もいないかな~なんて思ったのが大間違い。
修学旅行なのか、制服を着た学生がたくさんいました。
私達が行ったこの日、ちょうど結婚式だったのかな?神前挙式を挙げる夫婦がいました。
親族で何かをやっている最中だったので、邪魔にならないように横を通り過ぎる。
途中、一人いないことに気付く。・・・隊長がいない!
後ろを振り向いてみると、さっきの夫婦に握手を求めている隊長が・・・
何してんの~!(怒)
慌てて連れ戻す。ダメだって邪魔したら・・・
その時の隊長はやっぱりろれつが回ってない。目も座ったままだしやっぱり酔いが覚めてない。
そりゃそうか・・・明け方まで飲んだくれてたもんな。
せっかくの時間をすいません、ご迷惑をおかけしました
厳島神社を後にして、広島市内へ行くためにまた船の乗り場へ向かう。
その途中に、宮島の幼稚園児十数人と宮島消防署の消防職員が、
『火の用心、火事にならないよう気をつけて』とポケットティッシュを配りながら歩いていました。
幼稚園の行事だったのかな?そういえばこの日は秋の火災予防運動初日だったしね。
ハイどうぞ!って私にもポケットティッシュをくれたので、ありがたく頂きました。
商店街にはもみじ饅頭を作っているところが見れるよう、ガラス張りになっていました。
撮った写真、ガラス越しに私が写ってしまいました。携帯からだとわかりませんね、すいません。
物珍しそうに見ていたら、お土産屋のおじさんがちゃっかり商売してきました。
出来たての温かいもみじ饅頭を乗せられて買って食べて、また違うところで買って食べての繰り返し。
もうお腹いっぱい。確か琵琶湖への一人旅のときもこんなことがあったような・・・?
まぁいっか!美味しかったし。笑
船の時間もあったし職場の上司との旅行だったので、じっくりと見て回れなかったなぁ・・・。
自宅からは遠いけど、いつかもう一度来たいと思いました。
日本三景と呼ばれる松島、宮島は行った。残りは天橋立あと一つ!