消防士 兼 旅人の日記

消防署での出来事、ダラダラした日常生活を綴ります。

骨髄バンク、ドナー体験記8 その後

2013-05-07 23:03:28 | 骨髄バンク
久しぶりに、このテーマで記事を書きます。

とは言いましても、最後に書いたのが6年ぐらい前の話。久しぶりとは言いませんかね、ただの怠慢か(苦笑)

(一応)前回の記事はこちらになります。→体験記7


既にお気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、私は骨髄バンクにドナー登録をしています。

その骨髄バンクを介し、ドナーとして骨髄を提供させて頂いた経験があります。その当時の様子は過去の記事をご覧いただければ幸いです。
骨髄バンクと言うカテゴリーを参照


一通り書いたので完結するつもりではいましたが、今でも当時の記事が検索に引っかかるらしく、そこからたどってコメントを残して下さる方々がいらっしゃいました。

それに最近気がついたことなのですが、このブログの人気記事なるものが表示されるようになりました。最新で書いた記事が上位に来ることが多いのですが、ランキングの半分がドナー体験のことを書いた記事で占めることも。

随分前に書いた記事でもこうやって読んでもらっている。そのことにも感謝しつつ、頂いたコメントで触れてはいたけど改めて書いてみようかと。それに、最近職場でも当時の話をする機会がちょっとあったのも、改めて文章にして残してみようと思ったきっかけ。

さすがに曖昧になってしまった部分もあるけれど、今でもはっきり覚えている部分も。今だから書けることと、ちょっとした私の願いも込めて…と言うことで筆を取ります。



退院してちょうど1週間が経った頃でしたかね、職場に復帰しました。

当時はまだ消防署に入って日が浅い消防隊員でした。やったことはともかく、自分の都合で1週間以上の休みをもらっていたためお詫びの様なお礼の様な感じで無事に戻ってきたことを上司に報告。

骨髄採取の際に針を刺した腰の痛みはそれほど気にはならなかった覚えがありますが、負荷をかけるとちょっと…と言う感じ。血液を作る基となる骨髄液を抜いていますので、しばらくは貧血の様な症状が出るとの話。署の事務所で過ごしている分には大丈夫でしょうけど、災害出場がある仕事柄、ちょっと辛いかもよ?との医師談。

大人しく過ごせれば良いなぁ…と思っていましたが、そう言うこと言ってるとダメなもんで…。救急隊支援のために出場し、傷病者を担架で持ちあげ、ストレッチャーまで搬送するだけでも息切れするような感じがあったのを今でも覚えています。

それでも次当直では気にならないぐらい回復。通常の生活するには支障はなかったし、術後の健診時にはもうなんてこと無いぐらいでした。でも、腰に針の痕はしばらく残っていたかな。

人目につくような場所じゃなかったし、私はその傷跡が勲章に思えるぐらいでした。今ではもうキレイさっぱり無くなってしまいましたけど。


術後健診が終わってアンケートに答えたのと、今後のドナー登録の取扱いについての説明書きがありました。

ドナーとして提供した場合、健康管理など様々な事情により1年間は強制的な登録保留期間となります。つまり、この1年間の間は、例え私と患者さんのHLAの型がマッチしたとしても、ドナー候補として選ばれることはない。

1年間の登録保留期間が終わるころに再び骨髄バンク財団から手紙が郵送され、ドナー登録を継続する意志があるかどうかの確認の手紙が来るとのことでした。


術後健診からしばらく経ったある日のこと、郵便局から配達記録だったか書き留めだったでしょうか。私宛に郵便が届いてると郵便配達の方がわざわざピンポン押して届けて下さいました。

中身は国からの感謝状。厚生労働大臣名でドナーとして骨髄を提供したことへの感謝と言うことで頂きました。けど、特段それを飾ったりすることはなく。

収納する筒も一緒に届いたので、それに入れて保管。でもね、この間ちょっと部屋の荷物を整理してて思ったんですが、その筒が見つかりません(苦笑)

たぶん私の記憶が確かならば、(一応)こんなのもらったよって実家に見せに帰って、そのまま置いてきた気も…?記憶が確かならば、実家にあるでしょう。自宅にはありませんでしたから(笑)

国から感謝されることもそうそうありませんので、それはそれでありがたく頂くことにしました。でも、すごい嬉しいとか、そんな感情は湧かなかったかな。厚生労働大臣名で発出された感謝状でしたが、大臣本人(当時の)は私のことなんぞ知らないでしょうし、事務的にもらった感は否めませんでしたので。


そこからまたしばらく経ったある日、またまた配達記録だか書き留めだったかで郵便屋さんが来まして、骨髄バンク財団から私宛への郵便が…とのこと。

まだ1年間の登録保留期間中であったのでドナー選定じゃないな…とは思っていたのですが、中身が全く予想できず。封を開けてみれば、私が骨髄を提供した相手方からお手紙を頂いたので送付させて頂きます、と。

ドナーと患者、双方のプライバシーの観点から手紙の封はされず、財団関係者により拝読させて頂きましたとの一文が。点検じゃないけど、お互い個人が特定できるようなことを書いていないかを確認してからドナーあるいは患者さんに送られる仕組みになっています。

私も早速、拝読させて頂きました。

お手紙の内容を全てご紹介はできませんが、要約すると、私達の子どものために骨髄を提供して頂きありがとうございました、と。

私が提供した骨髄が無事にお子さんの身体の中で働き、無事に退院することができたとのことでした。

骨髄バンクの存在自体は知っていたけれど、ドナー登録を考えたことはなかった。でも、今回お子様が発病し移植に至るまでに色々なことを考えて学び、今後はドナー登録について一人でも多くの方に知ってもらい、登録してもらえるように活動していく決意が綴られていました。

もう少しで元気に走り回る姿をまた見られる。元気な子どもなら当たり前の光景が、また見られる喜びも綴られていました。


そして、そのお子様本人からもお手紙が。

移植して元気になって、退院して。学校にも通えるようになりました、ありがとうございました、と。

ドナー決定の最終同意後にコーディネーターの方から居住地方と年代はお聞きしてましたし、ご両親から頂いた手紙にもありましたが、お子様は(当時)10代とのこと。

10代と言っても、下は小学生から上は大学や専門学生、あるいは既に社会人として働き始めていらっしゃる方もいるでしょう。でも、お子様ご本人から頂いたお手紙の文面や字を見る限り、おそらく10代初め、小学生なのかな?との印象を受けた。

骨髄提供時私はまだ独身だったけど、結婚して父親になった今、このご両親の苦悩は痛いほどよく分かる。最終同意の面談の時に父が言ってた言葉も、私が父親になった今、その気持ちがよく分かるようになった。

その子やご両親は今どうしているかな。あのまま元気に過ごせているだろうか。


ドナーと患者間での手紙のやり取りは提供後1年間で2通ずつ、やり取りができます。でも、私からはお手紙を出さなかった。いや、出せなかった。

ごくごく普通の男の骨髄が、少しでも誰かのお役に立てるのなら…と言う思いもあって骨髄バンクに登録をした。そして同じHLAの型を持つ見ず知らずの人がいることに不思議な縁を感じた。でも、その人は病気で苦しんでおり、手を差し伸べられるのはHLAの型が合う人でないとならなかった。

ドナーの最終候補者として選ばれた時、これは私にしかできないことなんだと思った。それならば、私がその人を助ける手助けをしたかった。提供したことを恩着せがましくしたくはなかったし、私自身も今回のことでたくさんのことを学ばせて頂いたし、貴重な経験をさせてもらった。何よりも無事に生着して元気になり退院したと言うことが本当に嬉しかった。

そんな私の思いをお返事として書きたかったんですが、上手く文章にできなかった。そうこうしているうちに1年が過ぎ、お手紙を出せなくなってしまったのです。

せめて、こちらこそ…の気持ちでも伝えれば良かった。今でも後悔の念が残っています。


やがて時が過ぎて、1年間の登録保留期間も終わった。財団から今後のドナー登録についての意思確認の手紙も届いた。私は迷わず登録継続に○をつけて返送。再び、ドナーとして選定されるのを待つ身となりました。


まだ次男の妊娠が分かるちょっと前ぐらいだったかな、再び私の元にドナー候補に選ばれたと言う手紙が届きました。

断る理由なんぞありませんでしたので、再び提供の意思がある旨を書いて返送。確認検査の日程を決めて、確認検査のため病院へ。

2度目のお話でしたので、ある程度の要領は得ていた。そのせいか、説明もほどほどに確認検査を行った覚えがあります。

しかし、2度目は最終候補者として選ばれるまでには至らず、途中でコーディネート終了となりました。終了の理由については教えてもらうことはありません。

詳しい検査の結果、私とのHLAが合わなかったのか、何か至らぬ点があったのか。願わくば、私よりももっと条件の良い他のドナー候補者がいて、良い方向に進んでいれば…と願わずにはいられない。

2度目は途中で終わりましたが、今は3度目の適合通知が来るのを待っています。


骨髄バンクを通して骨髄を提供できるのは2回まで。1度提供した私は今後の財団の方針が変わらない限り、次が最後となります。55歳の誕生日を迎えるまでにもう1度提供する機会があったなら、その時はちゃんとお手紙を書こう、お返事をしよう。そう心に決めています。

そのためには、いつ声がかかっても良いように健康体でいること。仕事柄不摂生な生活リズムはどうしても変えられないけれど、健康体でいられるように維持していかなきゃと思っています。


今でも時間がある時は献血に行っています。献血に行ったり、ふとしたことで骨髄バンクだったり、白血病と言う単語に触れた時、私が提供した相手は今頃どうしているだろうかって気になっています。

その度に、一目でいいから会ってみたいと言う気持ちも湧く。面と向かって会うと向こうは気を遣うだろうし、私も恩着せがましくしたくはない。

だから、遠巻きに見るだけで良いから、言葉は交わさなくても良いから、元気に過ごしているところを見れたら良いなって思いはあります。

叶わぬ夢だとは重々承知してはいるんですけどね。


長々書いてしまいましたが、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

なかなかできない貴重な体験をさせて頂いた。この経験を通して、良いこと悪いことも、実際に提供してみて思ったこと、感じたことも全部含めて『知って欲しい』との思いからこのシリーズを書きました。

私の怠慢により、数年かかっての完結となりましたことをお詫びして…(苦笑)


ブログでも書いたし、私の周りの方々にもことあるごとにお話をさせて頂きました。

私の話を聞いてくれ、それまで面識のなかった署の先輩から直々にお電話を頂き、『俺も登録してみることにしたよ!』と言われたことも正直、嬉しかった。現にその先輩もやがてドナーとして選定されて、骨髄提供まで至ったとのことでした。

当時の署長や課長、隊長や職場の同僚、上司の理解があったからこそこの話ができたことだし、両親の同意もあったからこそ。私一人の気持ちだけではできなかった。私の提供したいと言う意志を汲んでくれた全ての方々に感謝。もちろん、コーディネーターさんをはじめ、ドクター、看護師さんなど病院のスタッフの方々にも。

もし、2度目の提供することがあったなら、1度目にはできなかったことをやって。後悔のないようにしたいと思います。



最後に、私と同じ骨髄を持つあなたへ。


その後の体調はいかがでしょうか。元気で過ごしておられるでしょうか。

辛く苦しい治療を乗り越えてたあなたなら、この先どんな境遇でも乗り越えられると信じています。

同じHLAの型を持つ人がいる。私と同じ血が流れている人がいると言う不思議な縁を感じながら、私もこれからの日々を過ごしていきます。

あなたのおかげで、私の人生観が変わった。生きると言う意味を知ったような気がします。この言葉が適切かどうかは分からないけど、ありがとう。

骨髄バンク、ドナー体験記7 術後~退院

2007-02-10 21:51:58 | 骨髄バンク
前回の記事の続き。


朝1番で手術室に入り、病室に戻ってきたのはお昼前。(らしい)

麻酔がまだ残っていたせいか、頭はボンヤリしたまま。点滴もつながれたままだし、止血のための砂袋も腰にあてられたまま。そこからは眠気も手伝って眠ったまま過ごす。

夕方になってだんだん目も覚めてくる。そして飲水テスト。麻酔が残ったままだと誤飲を起こす可能性もあるため、ちょっとずつ水を飲んで気道に入らないかを確かめる。これをパスしないと食事も取れませんが、これも難なくクリア。


飲水テストが終わった頃、母と妹がお見舞いに来る。

腰の痛みはそれなりに・・・痛いというより重たい感じがしましたが、全く歩けないほどではないので病室から出る。

個室ではないし、同室の患者さんに迷惑がかからないようにデイルームへ移動。差し入れのプリン・雑誌・菓子パンを頂く。

さすが母親、息子の好みを分かってらっしゃる。


母がお見舞いに来てから少し経ったぐらいに、今度はコーディネーターが来て簡単なアンケート。

主に術後の様子についての質問でした。

『耐えれない痛みを10だとしたら、今の痛みはどのぐらいですか?』との質問には

『1~2ぐらいの痛みです』と答える。

前述しましたが、痛いと言うよりやっぱり重たい感じ。無理な体勢をとったりするとやっぱり痛みは出てきますが、安静にしてればそれほど痛みはありませんでした。

これは個人差があると思いますので、全ての人にそれが当てはまるとは限りません。


夕方になり、点滴がようやく外れる。

ここまで何も問題なくきたかと思ったのですが、食事の時間直前になって急に吐き気が襲ってくる。

全身麻酔のため昨晩から何も口にしてなかったので出てくるものは何もなかったのですが、胃がムカムカする感じがありました。

これも麻酔の副作用?油断してました・・・。

しかしこれも一過性のもので、その後の夕食は普通に食べることができました。

24時間ぶりの食事でしたからね。あっという間に平らげてしまいました。


夜になって担当の医師が私の所へ来る。

私から採取した骨髄液は無事に患者さんの元へ行き渡り、今移植してますからねとの報告を受ける。

ひとまず安心しました。

今回は750ml採取する予定でしたが、実際に採取したのは650mlとのこと。

採取中に造血幹細胞の数を数えながら行い、650mlで必要な細胞数をクリアしたらしいので、予定の採取量よりも少なくて済んだようでした。


皮膚に穴を開けたのは4箇所。見た限りでは腰のあたりに4箇所針を刺した痕があるのですが、骨に開いた穴は100箇所以上。

針を刺して骨髄液を注射器で抜き取る形になるのですが、一度刺した所から再びやると血液が多く混じってしまい、骨髄液が取れにくくなるとのこと。なので角度や深さを変えて採取していくのだそうです。

そして骨1箇所からとれる骨髄液の量は5ml程度らしく、数多く刺す必要があるとのことでした。

見た目は4箇所小さな痕があるだけですが、中の骨は蜂の巣みたくスカスカになっている状態でした。


そういや手術前にそんな説明を聞いてたけど、すっかり忘れていました。


これでひとまず私の役目は終わり。あとは私の骨髄液が無事に生着してくれることを祈るのみ。

これからは自分の体の回復に努める。明日の朝から3日間、抗生剤が出たので毎食後服用することになりました。



・入院3日目(術後1日)


朝起きて、体温・血圧などのバイタル測定。

朝の時点で37.0℃、微熱があるぐらい。麻酔の影響で熱が出ることもあると聞かされていたので、まぁその影響なんだろうなと思うことにする。

採取部位からの出血は無し。確認後そのまま消毒してガーゼ交換。

体調的に問題は無かったのですが、起きてから首が痛い。


どうやら寝違えたようです。寝るときに寝返りをうつと痛みがありましたので、仰向けのまま寝ざるを得ませんでした。

体は仰向けのままでしたが、頭は右向いたり左向いたり・・・

手術した腰より寝違えた首の方が痛かったです。(汗)


何か変わったことありませんか?との問いに、素直に首を寝違えました、と私。

医師、看護師そろって苦笑い。予想外でした。


この日は特に検査もなく、行動に特に制約もありませんでした。

食事の時間になったら病室へ戻って食事。それ以外はテレビを見たり、歩いてみて腰の状態を確認したり、屋上でボーっとしたり。

心配してくれた職場の方、友人にもここで無事終わりました。と報告。



入院中、同室のおじいさんが私に話しかけてきてくれました。

初日にどうみても健康そうな体で入院してきたと思えば、次の日には酸素マスクや点滴付けられた状態で眠っているし・・・。

そんな私がどうして入院しているのかが気になった様でした。


もしかしたら同室の患者さんも同じ病気で苦しんでいるかもしれない。そう考えると話しにくかったのですが、正直に話をする。実はドナーとして入院して、昨日骨髄採取をしたんです。と。

私の話に興味を持ってくれたようでした。私の体と、相手の患者さんが良くなるといいね、と。

おじいさんも入院生活が長く、自分だって家に帰りたいはずなのに・・・。私や相手の患者さんの心配ばっかりしてくれました。

ただただ、相手の患者さんもおじいさんも早く良くなって、自分の家に帰ることができることを祈るばかりでした。



夕方になって、コーディネーターがまた病室へ来る。

術後の様子を見に来たのと、入院時のアンケート。

首を寝違えましたと言ったら、やっぱり苦笑い。しかし、そのことについてもしっかりとメモを取って帰られました。

こんなドナーもいたよって言う、これからの資料にするのだろうか・・・


コーディネーターと入れ違いぐらいに、今度は看護師がアンケートを持って病室へ来る。

手術前は同意書ばっかり書いてたような気がしますが、手術後はアンケートばっかりでした。

医師も看護師さんもとても良い対応してくださったので、感謝の気持ちを素直に書いて提出。

翌日の採血の結果次第で退院が決まるとのことでした。


首の痛みが夜になっても治まらないため、湿布を処方してもらい就寝。

初めての入院生活最後の夜は、首を動かせないまま眠ってしまいました。



・入院4日目(術後2日目)

前日と同じく、朝起きて体温などのバイタル測定。

朝食の前に血液検査をして、その結果次第で退院が決まる。

朝食を食べ、たぶん帰れるだろうと想定して荷物をまとめる。


朝の9時ぐらいだったでしょうか、医師が来て血液検査の結果は問題なし。

手術前と比べて数値が多少落ちてはいるものの、直に回復するでしょうとのこと。

そして退院後の注意点の説明がありました。


採取した骨髄液の量が元に戻るのは大体2週間程度かかるとのこと。それまでは体の血液を造る量が今までとは減ってくるので、貧血の症状が出るかもしれない。

腰に針を刺した痕はしばらく残るが、それはやがて見えなくなる。しばらくは採取痕のところがボコッとしていて違和感があるかもしれないが、それもやがて無くなる。

採取部の痛みは個人差があるが、平均して1週間程度で無くなる。

仕事柄そうは行かないかもしれないが、しばらくは出来る限りおとなしく過ごしてくださいと言われました。


1週間かぁ・・・手術当日から数えてちょうど1週間で当直勤務に復帰する予定でしたので、大丈夫なのか?と不安になるが安静にする他に方法が無いのでおとなしくする。間に合わせなければなりませんしね。

採取後の術後検診の予約をして、再び帰りの支度。


10時ごろコーディネーターが迎えに来て退院の手続きをする。

前日話かけてくださったおじいさんに早く良くなって元気な姿で家に戻ってくださいねと話をして、その後ナースステーションに立ち寄ってお礼を言って病院の総合受付へ。

退院手続きと言っても、ドナーの私には入院費用はかかりません。

売店で買って飲み食いしたものは自分持ちですが、入院費などは全て相手の患者さん持ち。

寝違えたときに処方された湿布代も相手の患者さん持ちになるとのことでした。


寝違えたのは自分の不注意だったところもあるので、湿布代は自分で払いますとコーディネーターに申し出る。

そこまで相手の患者さんに負担をかけてしまうのは申し訳なかったので・・・

保険証持って来ておいて良かったと思いました。


手続きも全て終わり、帰りの電車に乗るために駅へ。コーディネーターとは方向が違ったのでホームでお別れ。

術後検診の時にはまた違うドナーのコーディネートがあるため、会うのはこの日が最後。

わずか4ヶ月ほどの短い間でしたが、コーディネーターには本当にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。


帰りの電車に乗って気がついたのですが、意外と電車の揺れが腰に響くんですね。

普段なら何でもない揺れが、この日に限っては結構なダメージでした。

経験者的に、帰るときはなるべく車で迎えに来てもらったほうがいいかもしれません。


私も退院のときは父が迎えに来てくれるとの話でしたが、また仕事を抜け出して来てもらうのも悪かったので、リハビリついでに歩いて帰ると言って断ってしまいました。(あとで後悔したんですけどね)


ゆっくり歩いたため多少時間はかかりましたが、無事に実家へ到着。



今回の入院は、人生初と言うこともあり分からないことだらけ。

緊張もあれば、だるさもあり、患者さんのことを改めて考えることもしたりと色々と。

首を寝違えたのは予想外でしたが、私の人生にとってこれは貴重な経験となりました。




次回へ続きます。




追伸

骨髄採取後の針の痕の写真があったのですが、小汚い私の腰の写真を見せるのも申し訳ないと思ったので掲載中止にしました。

骨髄バンク、ドナー体験記6 入院~手術

2007-01-20 23:13:00 | 骨髄バンク

前回の続き。

手術の日がだんだんと近くなってきて、あれこれ色々と考えるようになりました。


患者さんは辛く苦しい前処置に耐えているだろうか?

それを無菌室の外から見守るしかできないであろう家族の気持ち。

私の身体を気遣って、心配してくれる職場の同期や上司、友人。

そして私の両親のことと、私自身の身体のこと。


相手の患者さんのことを考えるとやっぱり落ち着かなかったですね。


入院する何日か前に、ドナー休暇の申請をする。

官公庁や一部の企業によっては、普段の年次休暇の他に『ドナー休暇』なるのもがあるようです。

私の所属する市でも(消防職員ですが、基本的には市の職員に変わりありません)ドナー休暇はありました。

職業柄平日に休みがありますので、今までの確認検査、最終同意面談、術前検診などは平日の休みを使って行ってましたが、入院だけはそうは行かない。

一応3泊4日の入院予定でしたので、どうしても1回は当番勤務にあたってしまう。

私の勤務サイクルだと入院する前日、入院3日目に当番にあたってしまうので、その2当番と退院後1当番、合計3当番のドナー休暇を頂きました。

入院する前の最後の当番では、『しっかりやって来い』と激励を受けました。

年度末で色々忙しい時期に抜けてしまったので申し訳ない気持ちでしたが、快く送り出してくれた隊長には感謝です。



私の入院は3泊4日でした。手術する前日に入院し、2日目に手術。3日目は病院で安静にして4日目に退院。

こんな流れでした。ここからはその時つけた記録を元に書いていきます。



・入院する前日(手術の2日前)

術前検診のときにもらった入院案内のパンフレットを見ながら、入院するのに必要な物を準備する。

書いてあるものを一通り揃えてカバンに詰め込む。

しかし今まで入院したことの無い私は、

『着替えは足りるのかな?これは書いてないけど必要かな?』なんて考え込んでしまう。

コーディネーターに電話をして分からないことは聞いて、何とか準備も完了。

入院する病院は実家の方が近いため1日泊めてもらう。


手術が近いからか、もう撤回はできない状態だからか、実家でも手術の話はあまり出ませんでした。

ただ夕食は私の好物ばかりが出てきたのを覚えています。

万が一何か事故があって、これが最後の晩餐とならないようになんて思いながら・・・



・入院当日(手術前日)

いよいよ入院当日。13時までに病院に来てくださいと言われたので朝はわりとゆっくり過ごす。

電車の時間が近づいてきたのでぼちぼち支度してたら、父から電話がかかってくる。


『病院まで送ってくから、支度して家の前で待ってろ』と。

朝仕事に行ったのですが、わざわざ抜け出してきてくれたようです。

迎えに来た車に乗り込み、父と2人で会話しながら病院へ。

『今回の手術で、相手の患者さんが快方に向かってくれるといいな』なんて色々話しながら・・・。


そして病院へ到着。入院手続きも無事に済ませいよいよ病室へ。

私に用意されたのは4人部屋。

ドナーには個室が用意されることが多いらしい(他の患者さんに配慮しての事なのかもしれませんが)のですが、コーディネーターから

『ちょっと今個室がいっぱいでして、相部屋になるかもしれません』と事前に聞かされていました。


この入院するのに必要な経費はドナー負担にはなりません。

私の入院費や今まで受けた検査の費用は全て相手の患者さん持ちなのです。

個室に入院するとなれば、当然差額ベッド代がプラスされる。

ただでさえ患者さん側は高額な治療費を払い続けているのに、私の入院の分まで負担してもらっている。

なんだか申し訳ない気持ちでした。その負担を少しでも減らしたかったから、逆に個室じゃなくて良かったのかな。

元々健康体で入院するので、同室の患者さんには後ろめたい気持ちもありましたがそれもたった4日間の辛抱。

今の私の役目は、患者さんに私の骨髄を提供することだから。



病室に案内された後、着替えて荷物の整理。

少しして手術担当の看護師さんが来て、明日の手術の説明がありました。内容は

・手術は朝一番で行う。当日手術室へ行く前に血栓防止のためのストッキングと手術着に着替えて待つこと。

・全身麻酔をかけるので夜9時以降は絶食。

・麻酔が効きやすくなるよう、筋肉注射を打つ。

・点滴をうち、全身麻酔後には気管挿管と尿道カテーテルを入れる。(男性はこの尿道カテーテルを抜くときが激痛らしいです)


尿道カテーテルの激痛に恐怖心を覚えました。



今度は入れ違いぐらいに担当の看護師さんが来る。

入院中の生活の説明と採血、血圧、血中酸素飽和度(SPo2)を測定。

血圧を測った後、SPo2測る機械を渡される。看護師さんが使い方を説明する前に自分で計測してたら、

『使い方分かるんですか?』なんて言われたので、

『救急車に積んであるので・・・』なんて返す。実は消防職員なんです、とも。


指先にただ挟むだけので簡単なんですけどね。その後はコーディネーターも来て身長、体重の測定。

お風呂も今日を逃すと入れないので、準備をして入浴。


この後は夕食まで何もなし。手術は明日だし、検査も特になし。医師、看護師が時々来ては説明をしていき、それ以外は病室のベッドで過ごす。

暇つぶしにあらかじめ買っておいた本も、1日で読みきってしまいました。


18時ごろ夕食。そのほんの少し前に麻酔科の医師が来る。この間の麻酔科検診のときとは違う先生。

ここでもやはり明日の手術の説明。

この夕食の後はもう明日の夕食まで食事は無いことを告げられる。

気管挿管の説明もしようと思ったのだが、私が消防職員と言うことを知っていたのか

『消防士さんだから恐らくどんなことやるかお分かり頂けると思うんですけど・・・』と医師。

『ええもう十分承知してます。』と私。

気管挿管の説明は省略。これで麻酔科の医師の説明は終了。

5分ぐらいで終わっちゃいました。


夕食後、私のベッドのところに『朝、昼食禁止です』と大きく書いたマグネットがありました。


21時消灯。いつもなら起きている時間と言うのもあったし、明日ついに手術と言うのもあってなかなか寝付けませんでした。

『眠れないようなら軽い睡眠薬出しますから言ってくださいね』と看護師さんがおっしゃってくれましたが、薬は飲まずに眠れました。夜中何度か目が覚めましたけどね。




・入院2日目(手術当日)

6時ごろ起床。あまり熟睡はできませんでした。

どうせこれから麻酔で眠らされるからいいかぁなんて思いながら、昨日指示された薬を飲む。

朝食の時間になるが、これから手術の私は食事無し。洗面をして昨日渡されたストッキングと手術着に着替える。

ストッキングとパンツと薄いガウンだけだったので寒い寒い。

ストッキングは江頭2:50みたいでした。(苦笑)


8時過ぎになって医師と看護師が病室に迎えに来る。

点滴のルートをとり、麻酔を効きやすくするため筋肉注射をする。手術室まで歩いて行くのかと思ったら寝ていたベッドごと手術室へ。

手術室へ運ばれてる間、頭の中で患者さんに『もう少しで骨髄液がそっちに行くから、もう少し頑張れよ』って思いました。

もうこの時点で意識がなんとなくボンヤリしてましたが・・・


手術室へ到着しストレッチャーに乗り換える。手術室には医学生と看護学生かな?やたらと人が多かったような気がします。

私の手術の見学?いやいや考えすぎか・・・


ストレッチャーから手術台にまた乗り換えて、また点滴のルートを取る。薬も2~3個投入。心電図やら何やらたくさんのケーブルで繋がれる。もう動けません。

そして麻酔が入る。インターネットでドナーになった人の体験記を見ると、笑気ガスで麻酔をかけると言う話を聞いていましたが、私の場合は静脈注射でした。

左手に何か冷たいのが入ったなぁって思った瞬間、そこからの記憶が一切無くなる。・・・




『ムサシさん、終わりましたよ。起きてくださーい』

気がついたら病室へ戻ってきていました。顔には酸素マスク、足には血栓防止のための機械がつけられていました。激痛と聞いて1番恐ろしかった尿道カテーテルは既に外されていました。

麻酔をかけられたのもいまいち思い出せない私は、

『手術は?これからですか?』なんて聞いたみたいでした。こんなことを言ったのも覚えてないぐらい、意識ははっきりしなかったです。

麻酔がかかる直前からの記憶が全く無し!恐るべし全身麻酔。


この時点でまだ頭はボンヤリ、そして強い眠気。酸素マスクは付けられたまま。手術した腰の部分は痛いと言うより重たい感じ。麻酔がまだ抜けきってないような、そんな感じがしました。

止血のために腰のところに砂袋みたいなのをしばらく敷いてそのまま安静にする。


どんな感じなんだろう?と緊張する間もあまりなく、あっと言う間に手術が終わったのでした。



次回へ続きます。


骨髄バンク、ドナー体験記5 術前検診

2007-01-05 22:50:07 | 骨髄バンク

前回の記事の続き。

最終同意面談後、術前検診のお知らせと骨髄採取のために入院する病院の案内通知が届く。

確認検査、最終同意を行ったがんセンターではなく、そこからまた少し離れた海の見える大学病院でした。


実は最終同意の面談日を決める前に、あらかじめ同意が取れた場合の手術の日程を聞いていました。


確認検査の段階でコーディネーターに、私は健康面で問題が無い限り辞退はしないし、両親も必ず説得しますからと伝えていたので、最終同意も取ってない段階で『ご相談』と言う形で日程を教えてくれたのでしょう。

早い段階で手術の日程が分かってた方が休みの申請もしやすいと言うメリットもありましたし。


手術を受ける1ヶ月程前、大学病院へ行き手術前の検診へ。

血液検査に始まり、胸部レントゲン、心電図検査、尿検査、内科検診、そして肺機能検査。この肺機能検査がキツかった。

肺活量を計る機械に、最初は普通に息を吸って吐く。2回目は限界まで息を吸って、限界まで息を吐く。

上手くできなかったのか再度やり直し。また限界まで息を吸って、限界まで息を吐く。


終わった後は頭がクラクラしました。だけどここで肺活量の自己最高記録達成。

こんなところで記録だしてもしょうがないのですけど・・・


検査が一通り終わり、結果を待つ間コーディネーターと話をしました。

これからの手術に向けての注意事項と、今回移植を受ける患者さんのことを。


健康管理:風邪を引かないようくれぐれも体調管理には気をつけること。薬も飲むときは必ずコーディネーターか医師に相談する。

献血:自己血の採血があるので献血はしないこと(コーディネート開始時からでしたが)

喫煙:麻酔時に痰が出やすくなり、呼吸機能に障害をきたす可能性が高いため控えること。

飲酒:肝機能に影響がでることもあるので、暴飲は控える。

妊娠:妊娠するとドナー及び胎児の健康と安全のため骨髄採取ができなくなる。

海外渡航:感染症予防のために1ヶ月前からは控える。

スポーツ:筋肉運動は控える。運動によって血液検査の結果に異常が出る場合があり、運動による異常値なのか、病的なものかの判断が難しく、患者さんが移植の準備を始めているときは緊急事態となってしまうので注意が必要。

と、骨髄提供者向けの説明書に書いてありました。


私はタバコは吸わないし、お酒もあまり口にしない。男なので妊娠もまず無い。

しかしスポーツでは無いが、職業柄(消防隊員)筋肉運動することは十分に考えられる。

いつも行っているトレーニングはやらなければ良いだけの話ですが、災害出場の場合はそうは行かない。

手術が終わって復帰するまでどうか災害がないことを祈るばかりでしたが、そんなときに限って災害は待ってはくれない。

図面を取るために現場検証などで、時間がかかりましたが、消火活動自体はわりとすぐ終わったので助かりましたが・・・。


そしてコーディネーターから相手の患者さんの情報を聞く。

相手の患者さんの情報は、最終同意後ドナーが希望すれば教えてもらえることはできます。

ですがドナーと患者さんのプライバシー保護。骨髄バンク事業の公正さを保つために、お互いの住所・氏名は知らされません。

教えてもらえるのは居住地域・年代・性別だけ。

例えば、『関東地方に住む20代の男性』のように詳しくは分からないようになっています。

お互いのプライバシーのためにここでは居住地域を明かしませんが、患者さんは10代の女性とのこと。

10代とひとくくりに言っても幅は広い。まだ小学生の可能性もあるし、中学生・高校生・大学生かもしれないしもう就職してる可能性もある。確実に言えるのは私よりまだ若いこと。

10代なんて一番元気があって楽しい時期なのに・・・

私の不注意で移植ができなくなるなんてことの無いよう、普段の生活、災害活動にはものすごく気を遣いました。


検査の結果、特に異常も無し。とりあえずホッとしました。

そして手術担当の医師から手術当日の流れの説明。

今回の手術で私から採取する骨髄液の量は750ml。

それだけの量を一気に抜いてしまうと貧血を起こしてしまうため、前もって自分の血液を400ml抜いておき、手術当日に輸血と言う形で自分の体内に戻す。

手術前から比べて、マイナス400mlまではOKとのことでしたので、自己血は400mlだけ抜く。

採血室に行ってただ血を抜くだけなのに、私の周りに人がぞろぞろと来る。

医学部の学生さん?研修医?私とそうそう年齢は変わらなさそうでした。

カルテを物珍しそうに見て、そして手術担当の医師が私の手術の日程を学生にメモを取らせているのが印象的でした。

この年齢でドナーになるのが珍しかったのかな?たぶん当日見学させるために、担当の医師も学生に私の手術の日程を言ったのかもしれません。

ちなみに、自分の血液を自分の体に戻すので輸血を受けた回数にはカウントされないとのことでした。



そして当日の手術の際は全身麻酔ですので、1度麻酔科を受診してくださいとのこと。

術前検診に行った日は麻酔科の診察がやっていなかったので、後日改めて麻酔科を受診しました。


改めて行った麻酔科検診の日は、コーディネーターは別の方のコーディネートがあるらしく、私一人で検診へ。

ここで全身麻酔の方法と体に起こること、及びその危険性の説明がありました。


全身麻酔中は眠った状態になり意識は無くなり、自律神経の活動が弱まるとのことなので呼吸も弱くなります。

呼吸を管理するために気管挿管をして人工的に呼吸を管理する。

気管挿管をするときに歯が欠けてしまうこともある、喉に管を通すので手術後に喉の痛みや違和感が多少ある。

麻酔でショック状態になる可能性も否定できない。


このような説明をしたあと、また同意書を書く。

もう何度、同意書を書いたのだろうか・・・


麻酔科の受診も終わり、自己血採取も終了。次に病院に行くのは入院の日。

この時点で手術まで約2週間。きっと相手の患者さんは今頃、前処置で苦しい思いをしている。

自分の白血球を限りなくゼロに近くなるまで叩くので、ほんのちょっとの細菌感染でも命取りになる可能性もある。

きっと無菌室で辛い毎日を過ごしている頃でしょう。


辛い前処置を乗り越えて、無事移植の日まで頑張って欲しいと思いました。



次回へ続きます。


骨髄バンク、ドナー体験記4 最終同意

2006-12-03 15:08:10 | 骨髄バンク
前回の記事の続き。


確認検査から約1ヶ月ほどしたとき、コーディネーターから1本の電話が入る。

電話に出る前に一瞬だけど、ドナー決定か?とそんな予感がしました。


恐る恐る電話に出る。その結果、

『確認検査の結果を踏まえまして、その結果最終的なドナー候補とさせていただいて宜しいでしょうか?』と。


予感、見事的中。


『既にドナー選定の通知はお送りさせて頂きましたが、お電話でもご報告を差し上げようと思いまして』と。

本当に腰の低い方で、こっちも恐縮してしまいました。でもドナー最優先と言う姿勢が身にしみて分かりました。そのお心遣いはとてもありがたかったです。


やはりここでもコーディネーターが心配していたのは、私の提供の意思。これから行われる最終同意で署名・捺印してしまえばもう後には戻れませんとここでも念を押される。


大丈夫ですよ、辞退しませんから。


ご両親様はどうですか?なんて聞かれたので、たまたまその時実家にいた私は父に電話を代わる。

どんな話をしてたのだろうか・・・?



その日の夜、またしても家族会議。

『お前本当にやるのか?』と父。

『やるよ。最終同意面談で必ず署名する。』と私。

『骨髄提供者向けの説明書を読んだけど、事故が無いとも限らないんだぞ?』とまた父。


先日の記事でも少し書きましたが、確かにドナーにもリスクはあります。確率こそ低いものの、ゼロでは無いのです。

私が今回選ばれたのも、複数いるドナー候補者の中で一番条件が良かったのか、もしくは私しか適合した人がいなかったのか。

それは今でも分かりません。


とりあえず最終同意面談は(両)親に来てもらわないと成り立たないので、私と親とコーディネーター、そして調整医師の予定を合わせて日にちを決める。




そして最終同意面談当日、親と離れて住んでいるので途中の駅で母と待ち合わせ。

面談場所は確認検査を行った県立のがんセンター。

行く前からなんとなく重たい空気が流れてたのを今でも覚えています。まぁその日は私が当直明けの日で、眠かったってのもあったんですけど・・・


そして病院に到着。仕事先から来た父とここで合流。

仕事で来れないと聞いていたのですが、さすがに心配になって抜け出してきたとのこと。びっくりしましたが、ありがたかったなぁ。


病院の入り口でコーディネーターと弁護士(今回の面談の立会人)と待ち合わせ。

軽くあいさつをしたあと、小さな会議室みたいなところへ案内される。

そして調整医師の先生もお見えになられて、私と両親、コーディネーター、調整医師、弁護士の6名による最終同意面談が始まりました。


ここで確認検査のときの最初の説明と同じく、骨髄移植の必要性、手術の方法、それに伴うリスクなどを細かく説明。

私は一度聞いた説明でしたが、両親は今回が初めての具体的な説明。やはり両親は険しい顔をしていました。

コーディネーター、調整医師の先生もけっして熱くなることはなく淡々と説明。

その様子をしっかり見届ける弁護士。


ここでの弁護士の役割は

・コーディネーターや調整医師が説明漏れが無くしっかりと説明したか。

・ドナーになることを勧めるような説明をしていないか。

・ドナー候補者やその家族がしっかりと理解しているか。

・自発的な意思によってドナーになろうとしているのか。


このようなことを第三者の目で見て、骨髄提供がドナーの善意で行われるものかを確認しています。

通常は骨髄バンク側が弁護士なりを立会人として立てるみたいですが、申し出ればドナー候補者側から立てても構わないようです。(少なくとも私のときはの話ですが)


そして説明も終わり、同意書が目の前に出される。

くどいようですが、やっぱりここでも私の提供意思の確認。今目の前にある同意書に署名・捺印してしまえばもう撤回はできません。

最終同意が取れた場合、患者さんは『間違いなく骨髄移植が受けられる』という前提で、骨髄移植の約2週間前から前処置に入ります。

前処置で患者さんは大量の抗がん剤投与や全身への放射線照射が行われます。この処置で病的な細胞だけでなく正常な骨髄細胞も破壊してしまいます。患者さんの体内にある白血球を限りなくゼロに近くなるまで叩く。

白血球の数が極端に少なくなり、抵抗力を失って感染症が起こりやすくなるので、細菌の無い清浄な空気が流れる無菌室で過ごすことになります。

もしそんな状態で、私に何か事故があり移植ができなくなったら・・・それはすなわち患者さんの死を意味することになってしまいます。


そういったことも全部踏まえて、同意書に署名・捺印をする。

しかし父の手が動かない。母も不安な表情。やはり自分達の息子にもリスクがあると考えると抵抗があるのでしょうね。まだ独身なのでそういった親の感情は理解しにくい部分もありますが。


コーディネーターがその時口を開く。

『もし悩まれるようでしたら、また改めて時間を取っても構いません。ドナー候補者の気持ちとは別に、ご両親様の率直な気持ちでおっしゃってください』と。

実際、この最終同意で家族の同意が取れなくてドナーを諦める候補者も多いらしい。

私にもそんな不安が頭をよぎる。


しばらくして父が口を開く。

『もし逆の立場になった場合、私達はすがるような思いで色々な人に頭を下げてドナー登録を呼びかけるでしょう。もし最終同意が取れる寸前に辞退された場合、患者さんを始めそのご家族の方々の落胆ぶりは計り知れないものがあるでしょう。』

確かこのようなことを言ってたような気がします。

『今息子がこうやって誰かの役に立とうとしてる。一人前の大人の行動として尊重してやりたい。』と言って、同意書に署名してくれました。


・・・同意してくれてホッとしたのと、本当にありがとうと言う気持ちで一杯でした。両親にはただただ感謝です。ちゃんと親孝行しなければいけませんね・・・。


私と両親の署名・捺印をして、最後に弁護士からいくつかの質問がありました。

しっかりと理解できたのか?不安は無いのか?もう後に戻れないがそれで良いのか?

そしてなぜドナーになることを決心したのか?こんなようなことを聞かれました。


数百~数万分の1の確率でHLAの型が私と一致した人がいる。こんなに低い確率なのに一致した人がいる。それも何かの縁だと思う。しかし私と同じHLAの型を持っているその人は今病気で苦しんでいる。

患者さんが病気を克服するには、同じHLAを持つ私の骨髄が必要なのだと。これは私にしかできないことなのだ。

患者さんの想像のつかない苦しみに比べたら、私の苦しみなんてほんのちっぽけなものだから。

私にしかできないことならば私がやる。断る理由なんて最初から無い。


弁護士が私の自発的な意思と家族の同意を確認した後、弁護士も同意書に署名・捺印をして最終同意面談が終わりました。

昼過ぎから始めて、終わったのは夕方。私がその日当直明けだったのもあってだいぶ疲れてしまいました。

でも一番のネックだった家族の同意が取れてホッとしたかな?




この日をもって『ドナー候補者』から最終的な『ドナー』となりました。



次回へ続きます。

骨髄バンク、ドナー体験記3 確認検査

2006-11-20 21:57:00 | 骨髄バンク

前回の記事から少し間が空いてしまいました。

今回は確認検査のときのお話です。


この日指定された病院は、私の住んでいるところから電車で1時間弱の場所にある県立のがんセンター。

この場所で改めてドナーになるまでの過程と、手術の方法についての説明が行われ、そして提供する意思の確認。

提供する意思に変わりが無いと、その後さらに詳しくHLAの型を調べるために採血をします。


その結果次第で最終的なドナーになるかもしれないし、ここでコーディネート終了となるかもしれないし。

この日はあくまでも説明と検査だけの日でした。



病院の入り口でコーディネーターと待ち合わせ。骨髄バンクの封筒を持っていたのですぐに分かりました。

診察室に通されて軽く挨拶をした後、調整医師の方がお見えになりました。

この確認検査で、コーディネーターからは骨髄採取までの流れの説明。調整医師からは具体的な手術の方法についての説明がありました。


その前に骨髄と骨髄移植についての説明を。(骨髄提供者向けの説明書より抜粋)


骨髄とは、骨の中心部にある海綿状(スポンジ状)の造血組織。赤血球、白血球、血小板がここで休むことなく作られています。

骨髄は、骨髄液で満たされていて、その中には血球のもとにはる造血幹細胞が含まれています。

白血病や再生不良性貧血、免疫不全症などの病気にかかってしまうと造血幹細胞に異常が起こり、正常な血球を作れなくなってしまいます。


骨髄移植は、病気によって冒された造血幹細胞を健康なものに置き換える治療法。

ドナーから採取した骨髄液を点滴で患者さんに注入するのです。


骨髄液を採取する場所は腸骨(骨盤のこと、ズボンのベルトのちょっと下あたり)から採取します。


よく勘違いされがちなのですが、背骨から採取するわけではありません。腸骨からです。

その方法も骨を切り取るのではなく、皮膚の上から専用の針を腸骨まで刺して、注射器で吸引します。


そして手術中は全身麻酔をかけて行います。つまり完全に眠った状態。

よくあれって痛いんでしょ?と言われますが、麻酔で完全に意識をなくすのでその時の痛みは分かりません。

麻酔から覚めた後は多少の痛みはありますが・・・。またそれは追って書くことにします。


そして最後に骨髄採取や全身麻酔による事故や合併症についても説明がなされる。

確率こそ少ないものの、過去に世界で4件の死亡事故が報告されていること(骨髄バンクを介さない、血縁者間での移植で)。手術後に健康被害があった症例についてもしっかりと説明してくださいました。それを踏まえたうえでしっかり判断して欲しいと。


このような説明が約1時間ほど、骨髄採取までの流れと手術の方法についての説明が終わると改めて提供意思の確認。

しつこいぐらいに『ここで提供を辞退されても構いません』とのことを言われる。

事故の話を聞いて、また手術の方法を聞いてみて、実際怖くなって提供を断念してしまう人や家族の同意が取れない人も多いらしい。


最初のドナー候補の手紙が来て、自分なりにドナー向けの説明書を読んだりインターネットで情報を集めたり。

確認検査で言われたことも調べたこととほぼ同じ。こんなことでは動じない私は辞退することなく採血へ進む。

炎上火災の方がよっぽど怖いような・・・



採血室みたいなところへ案内されて、小さめの試験管3本ほどの血を抜きます。

この採血で今度はDNAタイピングと言う方法での精密なHLAの検査を行います。


1・血液型

2・血算(各血球の数値など)

3・肝臓や腎臓の機能検査

4・感染症の検査

も一緒に行い、この結果を踏まえて最終的なドナーになるかどうかを決定します。

この結果、健康上問題があったり、HLAが遺伝子レベルでは適合しなかったりするとそこで終了。

もしドナーが複数いるとすれば、より条件の良い人から最終的なドナーになっていきます。



過去の記事で、ドナー候補者は最大5人まで並行してコーディネートを進めることができると書きましたが、何人のドナー候補者がコーディネート進行中であるかは知らされないようです。

私は当然分かりませんが、コーディネーター、調整医師すら知らされていません。

ドナー候補者が知ってしまうとプレッシャーになってしまうだろうし、コーディネーターや調整医師が知ってしまうと、やはりドナー候補者にいらぬプレッシャーをかけてしまうかもしれないから・・・なのかな?




採血をしてくれたのはベテランの看護師さん。手際もよくあっという間に終了。

最終的な決定がされるのは約1~3ヶ月後。

帰り際に『またお会いできるといいですね』なんてコーディネーターと話しつつ、交通費をもらって(交通費はちゃんともらえる)確認検査が終わる。


最終的なドナーになるのか、ここでコーディネート終了なのか。連絡が来るまでの間、ずっと緊張した毎日を過ごしていました。


次回へ続きます。


骨髄バンク、ドナー体験記2 コーディネート開始

2006-11-06 22:19:38 | 骨髄バンク

前回
からの続き。

適合通知の手紙を持って、急遽実家へ帰っての家族会議。

父も母もただただビックリ。今回適合したと言う事実以前に、私が骨髄バンクのドナー登録をしていたことすら知らなかったのだから・・・。

まぁ私もいちいち報告なんてしてなかったのですが。



『骨髄バンク』の存在はなんとなく知ってはいた様でした。

話の途中で出たのですが、


『あんたいつから登録してたの!?』と母。

『つい半年ぐらい前だったかなぁ』と私。

『でもそれってなかなか適合しないものなんじゃないの?何で登録なんてしたの!?』とまた母が言う。


確かにその通りです。骨髄移植には白血球の型(HLA)が一致しないとダメなのです。

それは兄弟間でも1/4、血のつながっていない他人だと数百~数万分の1の確率。

稀な型だともっと一致する確率が低くなります。


登録をしたって何年、何十年経っても適合しない人もいれば、私みたいにわずか半年で適合通知が届く人もいる。

実際にはもっと早い人もいるらしいですが・・・。



この適合通知をもらった段階では、私はまだあくまでも『ドナー候補者』なのです。

最終的な『ドナー』ではないのです。

骨髄提供に関する同意書に署名、捺印をする前であればいつでも辞退することは可能です。

逆に言えば、署名捺印後は患者さんの命に関わってしまいますので撤回はできません。


患者さんは複数のドナー候補が適合した場合、最大5人まで並行してコーディネートを進めることができます。

今回私と適合した患者さんは、私を含め5人のドナー候補者と適合したかもしれないし、4人なのか3人なのか・・・。

もしかしたら私だけとしか適合しなかったのかもしれない。



とりあえず両親には今の正直な気持ちを伝えました。

ドナー側にも負担があることは確かだが、それは今病気で苦しんでいる患者さんの身体的・精神的な負担に比べたらほんのちっぽけなものだから。

これから行われる健康診断や採血の結果で不適格なら致し方ないが、問題ないようなら絶対に断りたくはないと。


それが上手く伝わったかどうか分かりませんが、とりあえず反対はしない(賛成してくれたかどうかは微妙)方向になりました。


家族の承諾も(一応)もらいましたが、仕事をしている身でありますので上司にも報告。

実際にはまだ決定ではないが、提供することになったら休みをもらっていいですか?と。


まだドナーに決定したわけでもないし具体的な手術の日程も決まってませんでしたが、そのつもりで調整するから決まり次第言ってくれと言われ、承諾して頂きました。


これで仕事も家族も承諾が取れた。早速、手紙に同封されていた問診票を記入する。

問診票には最近の健康状態についての質問と、家族の同意が取れているか。

それと検査のできる県内の病院がいくつかリストアップされていました。


『ご自宅から近い病院をお選びください、ただしご希望に添えない場合もございます。』と書いてありましたが、別に病院はどこでも良かったので、言われたところどこでも行きますと書いて問診票を財団に送り返す。


数日後、骨髄バンクのコーディネーターの方から連絡が入る。

電話での連絡でしたが、とても腰の低い方だなぁと感じました。

電話の中でも再度、提供意思の確認と問診票の内容の確認をする。

私が提供の意思が変わりないことを確認すると、改めて病院での説明と血液検査(確認検査と呼びます)をするための日にちの調整をして電話を切る。


確認検査の日にちは決まった。この日からコーディネートが終了するまでは、献血が禁止になりました。



次回に続きます。

骨髄バンク、ドナー体験記1 適合通知 

2006-11-02 14:24:19 | 骨髄バンク



『骨髄バンク』と言う言葉。

テレビのCMやそれを題材にした小説・映画・ドラマ等で1度は耳にしたことはあるのではないでしょうか?


先日、私は骨髄バンクを介してドナーとなり、とても貴重な体験をさせて頂きました。

その時の出来事、思ったことを体験記として残したいと思います。

長くなるため記事を分割して、また不定期になりますが更新していきます。

ご一読頂ければ幸いです。




ちょうど1年前の今日、仕事が休みだったので出かけていました。

用事を済ませて帰宅すると、ポストに1通の郵便がありました。宛名は当然私宛て。

差出人は骨髄移植推進財団(以下、骨髄バンクと呼ばせてもらいます)からでした。



多少前後しますが、私はよく献血をしに行きます。

私がいつも行く献血ルームにある骨髄バンクのドナー登録のパンフレット『チャンス』を読み、登録を決意する。しかし献血終了後だったので、また次回おっしゃってくださいねと言われる始末。

そんなのが2度3度続いてしまいましたが、ようやく献血前の問診のときにドナー登録の申し出をしました。それが骨髄バンクから手紙が来る半年前のことでした。



手紙の封を開けて読んでみる。そこには


『骨髄ドナーコーディネートのお知らせ』と。以下、手紙からの抜粋。


『この度、貴方様と骨髄バンクの登録患者さんのHLA型(白血球の型)が一致し、ドナー候補者のおひとりに選ばれました。そこで、今後、骨髄提供に向け、さらに詳しい検査や面談に進んでいただけるかどうかをお伺いしたく、連絡させていただきました。』と書いてありました。


いつもは骨髄バンクから年に2回ほど機関紙が届くのですが、この日届いた手紙の封筒には

『重要』と『親展』の文字が。

開封する前に『まさか』なんて思っていたらそのまさか。とりあえず続きを読む。


『骨髄提供にご協力いただくには、貴方様のお気持ちに加え健康であること、また、家族の理解と同意などが必要です。』と。


最終的にドナーとなるためには、自分一人の意思だけではできません。

未婚だったら(両)親。既婚だったら夫もしくは妻の同意が必要なのです。


とりあえず今の時点で提供の意思があるかどうかを1週間程度で返信しなければならないので、急遽実家に帰っての家族会議となりました。


次回に続きます。