消防士 兼 旅人の日記

消防署での出来事、ダラダラした日常生活を綴ります。

お礼

2013-05-31 23:38:42 | Weblog
先日、私のもとに1通のメッセージが届きました。

私の書いた記事、これをフェイスブックのコミュニティーサイトに掲載をさせて頂きましたとの内容で。


フェイスブック、名前もどんな物なのかも何となくは知っているけれど、私はアカウントを持っておりません。

何を掲載したのかな?見る術はあるのかな?なんて思ったんですけど、よく分からなかったのでその旨をお返事させて頂きました。

本日、私のメールにご丁寧に返信を下さって、キャプチャを参考に…と言うことで、添付されていたファイルを拝見させて頂きました。


コミュニティーに載ったのは、過去に私が記したドナー体験のこと。

結論から言えば、私のドナー体験の記事をフェイスブックで紹介して下さったと言うことですね。

今日の昼にブログの編集画面を開いた時、アクセス数が極端に増えていたことに驚いたんですが、理由はこれだったんですね

その日最も読まれた記事の『いいね!』の数がすごいことにもなっていましたし…。(実は、いいね!のしくみすらよく分かってないんですけど…


過去に記したドナー体験記、当時書いた記事にも記したのですが、やっぱり『知って欲しい』との思いから書きました。

ブログで見て下さった方、実生活で直接関わったことのある方ぐらいにしか知ってもらう術は無かったんですが、今回こうやってまた別な方法で、一人でも多くの方に知ってもらうことができました。

共感するしないは別にしろ、書いたものを見てもらえると言うのは筆者冥利に尽きるのかなって。

そこは素直に、嬉しかったな。


最後の体験記を書いた直後にも、大きな反響、コメント、メッセージを頂きました。

その節も含めて、本当にどうもありがとうございました。


こんな出来事があったので、今日はそんなお話をご紹介させて頂きました。


明日は仕事です

応急手当指導

2013-05-28 23:03:08 | 消防・救急
先日非番で、応急手当の講習に行ってきました。

管内保育園に勤める保育士さんを対象に、主に小児・乳児に対しての応急処置の方法とAEDの使い方を教えて欲しい…との内容で。


うちの署の方針で、救急隊員はなるべく非番・休みに訓練指導へは出向させない方針(労務管理のため)らしいのですが、対象が小児と乳児の…とのことなので、誰か救急隊員1名をと言うことにになり、私が手を挙げて行ってきました。

夕方(と言っても、ほとんど夜に近い感じ)からでしたので、家帰って昼寝する時間はバッチリ取れたし、訓練指導に行くのは好きな方。救命講習の講師なんかもどんどん行きたい方なのですが、署の方針が邪魔をするような感じでしてね。

なかなか無いチャンスでしたが、行って来ました。


消防隊の上司2人と救急隊員の私。上司の最初の挨拶の中で、『今日は救急隊の人を連れてきたから、救急のことだったら何でも聞いて下さいね!』の一言に妙なプレッシャーを感じつつ…。


やった内容は心肺蘇生法とAEDの使い方。ベースは大人と一緒だが、小児・乳児だと少々違ってくる部分もあるので、その辺の説明を主に。

昔やったことがあると言う方も結構多かったので、今は昔とやり方が変わったんですよと言うことをお話しました。(『ガイドライン2010』と言う記事を参照下さい)

小児・乳児の心肺停止の場合は大人と違って、不慮の事故によって心肺停止に陥るのが多い。誤飲だったり、自転車に乗せててヘルメットがなかったために…とか、チャイルドシートに乗せなかったがために…なんてことを実例を交えて。

大人の注意で防げることが大半だと言うこと。そのために、近くにいる大人が気をつけなくてはならないと言うこと。当たり前のように思えて実はできてなかったりする。

そんなお話をした後に、実際に心肺蘇生法をやってもらい、その後にAEDの使い方を指導しました。


私が心肺蘇生法の指導を行う場合、AEDの使い方はそれほど時間を割きません。AEDよりも心肺蘇生法に重点を置く。これがムサシ流。

理由は色々あるんですが、元々AEDの謳い文句は、『誰でも使える』と言うこと。スイッチを入れる手段は機種によりけりですが、スイッチを入れることさえ忘れなければ後は手順を全て教えてくれる。

私からあえて説明しなくても、この機械が全て教えてくれる。だから、その通りにやって下さいとしか基本的には言いません。

使うにあたっての注意点はいくつかありますので、私から説明するのはそれだけです。あとは、AEDがあれば必ず助けられると言うわけではないこと。心臓が電気ショックを行えるような状態でないとAEDは使えないので、誤解されている点もお話をさせて頂いてます。

(過去に、『AEDのお話』と言う記事を書いていますので、ご参照ください。)


最後に、万が一異物を飲み込んだ時の対処法を受講者の前で人形と上司を使って実際に実演。その後に全体を通しての質問タイム。

最初に上司が『何でも聞いて下さい!』と振ったのが効いたのか、色々と出てくる出てくる…

妙なプレッシャーを感じましたが、それにも負けず、無事に終えることができました。


署の方針で、私が次に講師として行く予定はありませんが、また小児や乳児が絡んでくるような場合だったら声がかかるかな?

その時はまた、行きます!って手を挙げさせてもらいましょうかね。講師として行くのは好きな方ですので


明日は仕事です

北の国から

2013-05-24 23:08:22 | 消防・救急
前回の当番は11件。でも、夜中はわりとまとまって眠れました。珍しい!

朝も定時に引継ぎができました。忙しかったのは日中だけ。夜中は寝れて、朝も定時に引継ぎできるなら日中は忙しくても良いのかな…なんて思ってしまいます。

その方が、身体には優しいし…


さて先日、消防署に実習生がやってきました。

わが消防では、消防署見学や中学生の職業体験などを積極的に受け入れていますが、医学部の大学生や専門学生の実習の受け入れも行っています。

今回来たのは救命士の専門学校に現在通学中の学生さん。タイトルにあるとおりに北の国から、はるばる北海道からやってきました。

3当直、私達と一緒に24時間の勤務(同乗実習)を行いました。


2名の学生さんが来られてて、1名男性1名女性。学生さんは2交代での実習。(私達は3交代)なので、ちょうど1当直ずつ学生さんに当たる感じ。

学生さんが乗った2当直のうち1当直は正規隊員が休みを取っていたため、私が患者室にまわっての勤務でした。

学校で知識として学んだり、救急資器材に触れたりはしてたけど、本物(実際に現場で使っている物)を見るのは初めて。本物の救急車に乗るのも初。

まだ職員じゃなく、あくまでも学生と言う身分ですので、基本的には見学が主でした。

救急活動中に少し余裕があれば解説したり、血圧計のマンシェットを巻いてもらったり、心電図のコードを付けたりしてもらったけど、基本は署に帰ってから、あるいは帰署途上に今の現場、症状は云々…とお話をしました。


救急の話もそうでしたが、それは3~4割。後はほとんど北海道の話やら身の丈話やら、消防には全く関係のないことを

やっぱりね、私達と生活環境の違う人だと色々気になったりすることもあるもので。北海道に一人旅をしたこともあったので、その辺のお話も色々と。

青い看板の話、ネズミ捕りの話、牧草ロール、マルセイのバターサンド、…その他諸々。でも、一番盛り上がったのはセイコーマート(北海道にあるコンビニ)だったかな?(笑)

ご当地ネタで色々と盛り上がっていました。


(実習生の)彼も彼女も、地元の消防ではなく、道外の消防を希望しているとのことでした。

救急救命士制度ができて20年が過ぎ、今では救急隊に救急救命士が乗っている事がほぼ常識となりました。都市部では救急隊だけに限らず、消防隊や救助隊にも救命士がいたり、現場に出ない119番を受ける指令室にもいたりしますし、毎日勤務者の中にもいたりします。飽和状態と言ってもいいぐらい。

しかし、地方に行けばまだ足りないのが現状。救命士枠を設けている消防本部もあるようですし、(救命士持ちは)面接だけで…と言うところもあるようです。

それに、地元だと専用の仮眠室やトイレ、浴室等がないため女性職員を受け入れてくれるところが圧倒的に少ないと言ってました。それが、道外に出たい理由だ…とも。


これから国家試験に向けての勉強もそうですが、消防の採用試験も始まってくる。私が所属する消防も受験するとのことでした。

短い期間ながらも一緒に救急車に乗った縁もありますので、正式に部下・後輩として来ればまたそれも楽しみだったりしますが、どこの消防であれ無事に採用が決まり、同じ目的を持って仕事ができれば良いなって思います。

もちろん、救命士の国家試験合格も願ってね


明日はお休み。

子どもたちと一緒にお留守番です


伊豆の旅

2013-05-19 20:18:06 | 
お休みを使って、伊豆へ旅行に行ってきました。

平日の1泊2日、私の勤務が終わってから一旦自宅へ戻り、すぐに伊豆へ向けて出発。運が良かったのか、夜中の出場は無く朝ちょっと早起きかな?ぐらいの出場で、まとまった仮眠が取れました。

でも、終了間際に指令がかかって、帰れませんでしたが…(苦笑)


話はちょっと遡りまして。

2月に後輩の結婚お祝いパーティーに行ってきました。彼とは私が2つ前の消防署へ異動してきた時に一緒に勤務していました。もう6年ぐらい前になりますかね。

ちょうど私が結婚するってなった時に一緒に勤務していました。諸事情によりそうなったわけで、後輩に『やらかしたな(笑)』なんて言っていた彼。それから2年ぐらい経って、彼も同じ道をたどることになって(笑)

(私と)『同じことやったよ』と報告しに来た姿が忘れられません(笑)


そんな彼が改めて結婚の報告を…と言うことで開かれたパーティー。

同期の方と、過去に一緒に勤務していた彼の先輩数名に声をかけていた様子。その中に私も混ぜていてくれていたことに感謝の気持ちと、私の結婚式の時に参列してくれたお礼もあって、二つ返事で参加させて頂きました。

非番で急いで家に帰って、着替えて支度して。会場に着いて最初にチェキで写真撮って、お祝いのコメントを書いて。


パーティーの中でゲームが行われ、そこでゲットしたのが小型の空気清浄機。この景品だけで会費の元を取ったような感じでした。

最後に参加者した方々の写真が入ったボックスを主役である彼が引いて、当たった人には高額な商品が当たると言うゲームが行われました。


で、彼が最後に引いた写真が私のもの。その景品が今回行った伊豆のホテルの招待チケットでした。

こんな良いものもらっちゃって良いのかなぁ…と逆に恐縮しつつ、ありがたく使わせてもらうことになりました。


チケットが大人2名1泊朝食付きのもので、平日限定。

使用期限もありましたが、もらった当初は2月。行くなら4月以降と決めていましたが、人事異動がどうなるか分からなかったので日にちも決められずでしたが、今年度の勤務サイクルも決まったため嫁と予定を合わせて(休みを取ってもらいました)、子どもたちも保育園を休ませて行ってきました。


道中長いので、適宜休憩を取りながら。嫁が弁当を作ってくれたので、熱海の親水公園でお昼タイム。

子どもたちは飛んできた鳩と一生懸命戦っていました(笑)

長男ははしゃぎ過ぎたのか、途中から『気持ち悪い』と言い出す始末でしたし…

顔色があまり良くなく、ちょっとした熱中症の様な感じに。暑かったですからね。それでも水分取らして車の中で休ませたら元気になりました


道中そんなこともありましたが、無事に到着。



チェックインを済ませてお部屋へ。窓をのぞくとカエルのお出迎え。



バリをイメージしたホテルのようでして、バリでカエルは神様の使者(だったかな?)なのだそうです。夕食まで時間がありましたので、ちょっと休憩した後にホテル内をお散歩。







やっぱりここにもカエル君がいました(笑)ここだけじゃなく、ホントにいろんなところにいましたね。


ホテル内にライブラリーがあって、子どもたちが退屈しないようにDVDを借りて、ずっと観ていました。

夕食を済ませて、お風呂に入って。最初は大浴場に行ったんですが、お風呂のお湯が熱い。大人なら何とか…でしたが、子どもにはちょっと厳しい。

なので部屋風呂に変更。お部屋のお風呂にはテレビが付いており、子どもたちには好評でした。

私も勤務明けの疲れがここで一気に出てきまして、あっと言う間に寝てしまいました。



2日目は車で10分ぐらいで行ける伊豆ぐらんぱる公園へ。

先日止まったホテルが24時間の滞在が可能でしたので、ここでのんびり過ごすだけにして帰る…と言う旅行でも良かったんですが、子どもたちはそれだと退屈するようで(苦笑)

朝はのんびり過ごし、開園する頃を見計らって行ってきました。


駐車場に車を止めて、『自転車』のお出迎え。



日本一大きい自転車と、園内で一番小さい自転車なのだそうです。小さい方、見えるかな?

ちなみに大きい方の自転車は(乗るとしたら)2人でこがないと進まないのか、サドルやベダルが2つ付いています。


やはり平日、園内はお客さんもあまりいませんでした。土日ならばもっとお客さんもいるのでしょうが、ここが平日休みのメリット。

途中にあったローラー滑り台で子どもたちはずっと遊んでいました。ほぼ貸切状態でした



ちなみにこのローラー滑り台、長さが100m以上はあったのかな。滑り終わった後にお尻が痛くなったのは言うまでもありません(苦笑)


滑り台のあとはアスレチックに挑戦。






うっすら雲がかかっていましたが、景色もなかなか良い感じ。




回数券を買って、一通り園内の乗りものも楽しませてもらいました


帰り際に、ぐらんぱる公園の隣にあった旅の駅で昼食&お土産を購入。



せっかく伊豆に来ましたので、やはり魚系を頂く。

消防署と嫁の職場と保育園と、この旅行をプレゼントしてくれた後輩へお土産を購入。帰り道、子どもたちはあっという間に寝てしまいましたので、寝ている間に距離を稼ごうと運転頑張ってみました。


ひょんなことから行くことになった伊豆の旅。あっと言う間に過ぎて行った2日間でしたが、楽しく過ごせました。

後輩には感謝しなくてはいけませんね。あそこで彼が私の写ったチェキを引いたからこそ行けた話。普段は先輩を先輩と思わないような奴なんですけど。彼が私に敬語使ってるの聞いたことないし(笑)

でも、礼儀はちゃんとしている彼。もしかしたらあそこで引いたチェキ、実は私が写っていたわけじゃなかったのかな?なんて思ったりもした。(彼しか見ていなかったですし)

彼なりに私に気を遣ってくれたのかな?とも思ったりした。彼はそんなことやりそうな感じだし。

私の結婚式に来てもらってはいましたが、彼は結婚式を身内だけで挙げたようでした。なのでお返しをする機会がなかなか無かったのです。

で、今回改めてパーティーをやると言う話をもらって、二つ返事で出席の連絡を入れた。他の用事をキャンセルして。

本当に景品とかはどうでも良かったんです。ただ彼に、改めておめでとうとありがとうを伝えたかったがために出席させて頂いた。それが、空気清浄機+伊豆への旅行まで頂いちゃってね。

また彼に、借りをつくってしまったかな。


4月の人事異動で私の勤務サイクルがずれたおかげで、署こそ違うけど勤務サイクルが同じになりました。

今度連絡を取って、お土産とお礼と、昼(夕)飯ぐらいはご馳走しないといけませんね。


明日は仕事です

骨髄バンク、ドナー体験記8 その後

2013-05-07 23:03:28 | 骨髄バンク
久しぶりに、このテーマで記事を書きます。

とは言いましても、最後に書いたのが6年ぐらい前の話。久しぶりとは言いませんかね、ただの怠慢か(苦笑)

(一応)前回の記事はこちらになります。→体験記7


既にお気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、私は骨髄バンクにドナー登録をしています。

その骨髄バンクを介し、ドナーとして骨髄を提供させて頂いた経験があります。その当時の様子は過去の記事をご覧いただければ幸いです。
骨髄バンクと言うカテゴリーを参照


一通り書いたので完結するつもりではいましたが、今でも当時の記事が検索に引っかかるらしく、そこからたどってコメントを残して下さる方々がいらっしゃいました。

それに最近気がついたことなのですが、このブログの人気記事なるものが表示されるようになりました。最新で書いた記事が上位に来ることが多いのですが、ランキングの半分がドナー体験のことを書いた記事で占めることも。

随分前に書いた記事でもこうやって読んでもらっている。そのことにも感謝しつつ、頂いたコメントで触れてはいたけど改めて書いてみようかと。それに、最近職場でも当時の話をする機会がちょっとあったのも、改めて文章にして残してみようと思ったきっかけ。

さすがに曖昧になってしまった部分もあるけれど、今でもはっきり覚えている部分も。今だから書けることと、ちょっとした私の願いも込めて…と言うことで筆を取ります。



退院してちょうど1週間が経った頃でしたかね、職場に復帰しました。

当時はまだ消防署に入って日が浅い消防隊員でした。やったことはともかく、自分の都合で1週間以上の休みをもらっていたためお詫びの様なお礼の様な感じで無事に戻ってきたことを上司に報告。

骨髄採取の際に針を刺した腰の痛みはそれほど気にはならなかった覚えがありますが、負荷をかけるとちょっと…と言う感じ。血液を作る基となる骨髄液を抜いていますので、しばらくは貧血の様な症状が出るとの話。署の事務所で過ごしている分には大丈夫でしょうけど、災害出場がある仕事柄、ちょっと辛いかもよ?との医師談。

大人しく過ごせれば良いなぁ…と思っていましたが、そう言うこと言ってるとダメなもんで…。救急隊支援のために出場し、傷病者を担架で持ちあげ、ストレッチャーまで搬送するだけでも息切れするような感じがあったのを今でも覚えています。

それでも次当直では気にならないぐらい回復。通常の生活するには支障はなかったし、術後の健診時にはもうなんてこと無いぐらいでした。でも、腰に針の痕はしばらく残っていたかな。

人目につくような場所じゃなかったし、私はその傷跡が勲章に思えるぐらいでした。今ではもうキレイさっぱり無くなってしまいましたけど。


術後健診が終わってアンケートに答えたのと、今後のドナー登録の取扱いについての説明書きがありました。

ドナーとして提供した場合、健康管理など様々な事情により1年間は強制的な登録保留期間となります。つまり、この1年間の間は、例え私と患者さんのHLAの型がマッチしたとしても、ドナー候補として選ばれることはない。

1年間の登録保留期間が終わるころに再び骨髄バンク財団から手紙が郵送され、ドナー登録を継続する意志があるかどうかの確認の手紙が来るとのことでした。


術後健診からしばらく経ったある日のこと、郵便局から配達記録だったか書き留めだったでしょうか。私宛に郵便が届いてると郵便配達の方がわざわざピンポン押して届けて下さいました。

中身は国からの感謝状。厚生労働大臣名でドナーとして骨髄を提供したことへの感謝と言うことで頂きました。けど、特段それを飾ったりすることはなく。

収納する筒も一緒に届いたので、それに入れて保管。でもね、この間ちょっと部屋の荷物を整理してて思ったんですが、その筒が見つかりません(苦笑)

たぶん私の記憶が確かならば、(一応)こんなのもらったよって実家に見せに帰って、そのまま置いてきた気も…?記憶が確かならば、実家にあるでしょう。自宅にはありませんでしたから(笑)

国から感謝されることもそうそうありませんので、それはそれでありがたく頂くことにしました。でも、すごい嬉しいとか、そんな感情は湧かなかったかな。厚生労働大臣名で発出された感謝状でしたが、大臣本人(当時の)は私のことなんぞ知らないでしょうし、事務的にもらった感は否めませんでしたので。


そこからまたしばらく経ったある日、またまた配達記録だか書き留めだったかで郵便屋さんが来まして、骨髄バンク財団から私宛への郵便が…とのこと。

まだ1年間の登録保留期間中であったのでドナー選定じゃないな…とは思っていたのですが、中身が全く予想できず。封を開けてみれば、私が骨髄を提供した相手方からお手紙を頂いたので送付させて頂きます、と。

ドナーと患者、双方のプライバシーの観点から手紙の封はされず、財団関係者により拝読させて頂きましたとの一文が。点検じゃないけど、お互い個人が特定できるようなことを書いていないかを確認してからドナーあるいは患者さんに送られる仕組みになっています。

私も早速、拝読させて頂きました。

お手紙の内容を全てご紹介はできませんが、要約すると、私達の子どものために骨髄を提供して頂きありがとうございました、と。

私が提供した骨髄が無事にお子さんの身体の中で働き、無事に退院することができたとのことでした。

骨髄バンクの存在自体は知っていたけれど、ドナー登録を考えたことはなかった。でも、今回お子様が発病し移植に至るまでに色々なことを考えて学び、今後はドナー登録について一人でも多くの方に知ってもらい、登録してもらえるように活動していく決意が綴られていました。

もう少しで元気に走り回る姿をまた見られる。元気な子どもなら当たり前の光景が、また見られる喜びも綴られていました。


そして、そのお子様本人からもお手紙が。

移植して元気になって、退院して。学校にも通えるようになりました、ありがとうございました、と。

ドナー決定の最終同意後にコーディネーターの方から居住地方と年代はお聞きしてましたし、ご両親から頂いた手紙にもありましたが、お子様は(当時)10代とのこと。

10代と言っても、下は小学生から上は大学や専門学生、あるいは既に社会人として働き始めていらっしゃる方もいるでしょう。でも、お子様ご本人から頂いたお手紙の文面や字を見る限り、おそらく10代初め、小学生なのかな?との印象を受けた。

骨髄提供時私はまだ独身だったけど、結婚して父親になった今、このご両親の苦悩は痛いほどよく分かる。最終同意の面談の時に父が言ってた言葉も、私が父親になった今、その気持ちがよく分かるようになった。

その子やご両親は今どうしているかな。あのまま元気に過ごせているだろうか。


ドナーと患者間での手紙のやり取りは提供後1年間で2通ずつ、やり取りができます。でも、私からはお手紙を出さなかった。いや、出せなかった。

ごくごく普通の男の骨髄が、少しでも誰かのお役に立てるのなら…と言う思いもあって骨髄バンクに登録をした。そして同じHLAの型を持つ見ず知らずの人がいることに不思議な縁を感じた。でも、その人は病気で苦しんでおり、手を差し伸べられるのはHLAの型が合う人でないとならなかった。

ドナーの最終候補者として選ばれた時、これは私にしかできないことなんだと思った。それならば、私がその人を助ける手助けをしたかった。提供したことを恩着せがましくしたくはなかったし、私自身も今回のことでたくさんのことを学ばせて頂いたし、貴重な経験をさせてもらった。何よりも無事に生着して元気になり退院したと言うことが本当に嬉しかった。

そんな私の思いをお返事として書きたかったんですが、上手く文章にできなかった。そうこうしているうちに1年が過ぎ、お手紙を出せなくなってしまったのです。

せめて、こちらこそ…の気持ちでも伝えれば良かった。今でも後悔の念が残っています。


やがて時が過ぎて、1年間の登録保留期間も終わった。財団から今後のドナー登録についての意思確認の手紙も届いた。私は迷わず登録継続に○をつけて返送。再び、ドナーとして選定されるのを待つ身となりました。


まだ次男の妊娠が分かるちょっと前ぐらいだったかな、再び私の元にドナー候補に選ばれたと言う手紙が届きました。

断る理由なんぞありませんでしたので、再び提供の意思がある旨を書いて返送。確認検査の日程を決めて、確認検査のため病院へ。

2度目のお話でしたので、ある程度の要領は得ていた。そのせいか、説明もほどほどに確認検査を行った覚えがあります。

しかし、2度目は最終候補者として選ばれるまでには至らず、途中でコーディネート終了となりました。終了の理由については教えてもらうことはありません。

詳しい検査の結果、私とのHLAが合わなかったのか、何か至らぬ点があったのか。願わくば、私よりももっと条件の良い他のドナー候補者がいて、良い方向に進んでいれば…と願わずにはいられない。

2度目は途中で終わりましたが、今は3度目の適合通知が来るのを待っています。


骨髄バンクを通して骨髄を提供できるのは2回まで。1度提供した私は今後の財団の方針が変わらない限り、次が最後となります。55歳の誕生日を迎えるまでにもう1度提供する機会があったなら、その時はちゃんとお手紙を書こう、お返事をしよう。そう心に決めています。

そのためには、いつ声がかかっても良いように健康体でいること。仕事柄不摂生な生活リズムはどうしても変えられないけれど、健康体でいられるように維持していかなきゃと思っています。


今でも時間がある時は献血に行っています。献血に行ったり、ふとしたことで骨髄バンクだったり、白血病と言う単語に触れた時、私が提供した相手は今頃どうしているだろうかって気になっています。

その度に、一目でいいから会ってみたいと言う気持ちも湧く。面と向かって会うと向こうは気を遣うだろうし、私も恩着せがましくしたくはない。

だから、遠巻きに見るだけで良いから、言葉は交わさなくても良いから、元気に過ごしているところを見れたら良いなって思いはあります。

叶わぬ夢だとは重々承知してはいるんですけどね。


長々書いてしまいましたが、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

なかなかできない貴重な体験をさせて頂いた。この経験を通して、良いこと悪いことも、実際に提供してみて思ったこと、感じたことも全部含めて『知って欲しい』との思いからこのシリーズを書きました。

私の怠慢により、数年かかっての完結となりましたことをお詫びして…(苦笑)


ブログでも書いたし、私の周りの方々にもことあるごとにお話をさせて頂きました。

私の話を聞いてくれ、それまで面識のなかった署の先輩から直々にお電話を頂き、『俺も登録してみることにしたよ!』と言われたことも正直、嬉しかった。現にその先輩もやがてドナーとして選定されて、骨髄提供まで至ったとのことでした。

当時の署長や課長、隊長や職場の同僚、上司の理解があったからこそこの話ができたことだし、両親の同意もあったからこそ。私一人の気持ちだけではできなかった。私の提供したいと言う意志を汲んでくれた全ての方々に感謝。もちろん、コーディネーターさんをはじめ、ドクター、看護師さんなど病院のスタッフの方々にも。

もし、2度目の提供することがあったなら、1度目にはできなかったことをやって。後悔のないようにしたいと思います。



最後に、私と同じ骨髄を持つあなたへ。


その後の体調はいかがでしょうか。元気で過ごしておられるでしょうか。

辛く苦しい治療を乗り越えてたあなたなら、この先どんな境遇でも乗り越えられると信じています。

同じHLAの型を持つ人がいる。私と同じ血が流れている人がいると言う不思議な縁を感じながら、私もこれからの日々を過ごしていきます。

あなたのおかげで、私の人生観が変わった。生きると言う意味を知ったような気がします。この言葉が適切かどうかは分からないけど、ありがとう。

お出かけ日和

2013-05-04 22:36:55 | Weblog
今日はお休み。世間はGW真っ只中ですが、私はいつものローテーションの中の普通のお休み。

しかしカレンダー通り勤務の嫁と子どもたちは連休真っ最中。全員揃って休みの日はよほどのことが無い限り出かけるのがムサシ家の決まり事。

そんな今日もいつものごとく、出かけてきました。


昨年のGWは潮干狩りに行った覚えがありますが、今年は予定を組まず。アサリが不漁なところもあると聞きましたし、報道でやってた潮干狩りの激混みの様子を見てすっかり行く気を無くしたと言うのもあって…

この連休が終わったら伊豆への旅行が待ってるという事情もあって、『極力、散財しない』をテーマにこの連休を過ごすことにしていました。

で、行ってきたのがとある自然公園。先日家の中で久しぶりに虫取りアミとカゴを見つけた長男。『虫とりしたい!』の声に応えて行ってきました。


蝉が飛ぶにはまだ早いし、かと言ってトンボもまだ。この時期なら蝶がいるんじゃない?と言うことで蝶を取ることに。

公園について虫取りアミとカゴを持ち意気揚々と歩く長男。次男はその後ろをついて行く。広場に着く前にも数匹飛んでおり、虫取りアミを持って応戦。

上手くいくかな?取れなくとも満足行くまでやらせようと思ってましたが、ものの数分で最初の1匹ゲット。小さい蝶でしたが、ちゃんとアミの中にいました。初めて自分の力だけで捕まえた動物。そりゃもう喜びようはすごかったですね

結局3匹ぐらい自分で捕まえることができました。


お昼近くになって、嫁が準備していたお弁当を食べて。その後もしばらく蝶を捕まえることに精を出していた長男。小さいのばかりでしたので大きいのが欲しくなったようで

しかしなかなか捕まらないので、父親の威厳を見せようとここで選手交代。止まった所を一振りして確保。逃げられないようにカゴに入れて任務完了。

捕れないとカッコ悪いところでしたが、少しばかりホッとしました(笑)


やがて小さな小川がある所まで来ましたので、そこからは水遊び。ザリガニ釣りをしている他のお客さんがいて、興味を持った子どもたち。

最初は近くで見てるだけでしたが、やがてはズボン巻くって川へ入ってました。着替えを持ってきておいて良かったです(笑)

そんな一枚




兄弟は何を語ってたんでしょうね?


ザリガニは残念ながら見つけることはできませんでしたが、子どもたちは満足したようでした。


公園を後にするまで、捕まえた蝶をしばらく眺めてたんですが、どうも1匹だけは止まっている時に羽を広げている。その他は皆、閉じたまま止まっている。

実は私も今日知ったことなんですが、一般的な『蝶』と『蛾』の違いって、静止時に羽を閉じるか開いているか、昼行性か夜行性か。後々調べてみたら触覚にも違いがあるらしい?

例外はあるようでハッキリとした区別はつけにくく、よく分からなかったのですが、思い返してみればたぶん1匹は『蛾』の可能性も捨てきれない。

その『蛾』は、選手交代して子どもに『任せとけ!』と意気込んだ私が捕まえたもの。


『(長男が捕まえたものより一回り)大きいの捕まえたぜ!』なんて威厳を保とうとした自分が情けなく、恥ずかしくもなりました(苦笑)

あれが蝶だったのか蛾だったのかは今でも分からないけど、たぶん、『蝶』じゃなくて『蛾』でしょうね

駐車場に向かう前に返してあげようねって言って、蝶も(おそらく)蛾も再び大空へ飛んで行きました。


子どもたちに自然の中で遊ぶ楽しさを知ってもらったと同時に、私も勉強になった休日でした


明日は仕事です

異動から1ヶ月

2013-05-01 13:28:58 | 消防・救急
前回の当番は9件、2ケタの手前で終わりました。忙しければ10件超えちゃうし、少なくても7件ほど。これがこの署の救急件数の実態なようです。

1ヶ月10当直するとして、1当直当たりの出場が平均して9件とすれば、1ヶ月90件近い出場をこなしています。

1当直のほとんどを救急車内や現場、病院で過ごすことが多く、署にいないことがほとんど。食事もまともに取れず、夜中もやっぱりあるし、朝も延長となることがほとんど。当然ながら報告書の作成も全く手がつけられず、引継ぎが終わってようやく手がつけられる…と言うことがほとんど。

家に帰るのはお昼過ぎになっちゃいますかね。今の署は家から歩いたって20分そこそこで行けちゃうぐらいですので、定時に終われば10時前には家に帰れるぐらいなんですが…

通信勤務も割り当てられていますが、ろくに入ること無く代わりに入って頂いている始末です(いつもありがとうございます


こんな感じで異動から1ヶ月、忙しく過ごして来ました。

やっぱりね、家に帰ると眠くて寝てしまい。夕方ちょっと前に子どものお迎えのために起きるんですが、疲れは抜けず。お風呂入って晩ご飯食べてまた眠って…。

非番がこんな感じで予定を組むのも難しいので、用事は全部休みの日にやる感じ。でも、ようやく新しい消防署での勤務も慣れてきた感じはあるし、生活リズムにも慣れてきたかなと言う思いはあります。


初めて救急隊になった時に配属された消防署もこんな感じだったかな。昔をちょっと思い出しながら日々の勤務をこなしています。


疲労があって早々寝てしまったり、嫁や子どもたちも体調を崩したり。(私も1度ダウンしましたが)

そんなわけで久しぶりにパソコンを開きました。思えば4月、全然更新してなかったですね。

言い訳とお詫びをこの場でさせて頂きます(苦笑)


最近更新してなかったので…と言うのと、私の近況をまずはご報告。

頂いたメッセージもなるべく早めにお返事をさせて頂きます。遅れてゴメンナサイ


近々、ちょっとずつ書いていた記事も公開していきたいと思います。


今日はもう少ししたら、子どもたちを迎えに行ってきます。病院も連れて行かなきゃならないし。

嫁が帰ってくるのが遅いので、寝かしつけは私の役目。男3人、川の字になって寝ることにします