『骨髄バンク』と言う言葉。
テレビのCMやそれを題材にした小説・映画・ドラマ等で1度は耳にしたことはあるのではないでしょうか?
先日、私は骨髄バンクを介してドナーとなり、とても貴重な体験をさせて頂きました。
その時の出来事、思ったことを体験記として残したいと思います。
長くなるため記事を分割して、また不定期になりますが更新していきます。
ご一読頂ければ幸いです。
ちょうど1年前の今日、仕事が休みだったので出かけていました。
用事を済ませて帰宅すると、ポストに1通の郵便がありました。宛名は当然私宛て。
差出人は骨髄移植推進財団(以下、骨髄バンクと呼ばせてもらいます)からでした。
多少前後しますが、私はよく献血をしに行きます。
私がいつも行く献血ルームにある骨髄バンクのドナー登録のパンフレット『チャンス』を読み、登録を決意する。しかし献血終了後だったので、また次回おっしゃってくださいねと言われる始末。
そんなのが2度3度続いてしまいましたが、ようやく献血前の問診のときにドナー登録の申し出をしました。それが骨髄バンクから手紙が来る半年前のことでした。
手紙の封を開けて読んでみる。そこには
『骨髄ドナーコーディネートのお知らせ』と。以下、手紙からの抜粋。
『この度、貴方様と骨髄バンクの登録患者さんのHLA型(白血球の型)が一致し、ドナー候補者のおひとりに選ばれました。そこで、今後、骨髄提供に向け、さらに詳しい検査や面談に進んでいただけるかどうかをお伺いしたく、連絡させていただきました。』と書いてありました。
いつもは骨髄バンクから年に2回ほど機関紙が届くのですが、この日届いた手紙の封筒には
『重要』と『親展』の文字が。
開封する前に『まさか』なんて思っていたらそのまさか。とりあえず続きを読む。
『骨髄提供にご協力いただくには、貴方様のお気持ちに加え健康であること、また、家族の理解と同意などが必要です。』と。
最終的にドナーとなるためには、自分一人の意思だけではできません。
未婚だったら(両)親。既婚だったら夫もしくは妻の同意が必要なのです。
とりあえず今の時点で提供の意思があるかどうかを1週間程度で返信しなければならないので、急遽実家に帰っての家族会議となりました。
次回に続きます。
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これからの更新も、楽しみにしていますね!
私のドナー体験ですが、実は既に終了したことなのです。
適合通知が来てちょうど1年が経った日に、この記事を書こうと思った次第であります。
不定期更新の理由は・・・ただ単に記事が書けていないだけでして・・・
記事を書き次第、随時更新していきます。
さゆりさんのブログ、私も拝見させて頂きます。
さゆりさんの病気が、1日でも早く快方に向かうことをお祈り致します。
ちゃんと読まずにごめんなさい。。。
後で読み返してみたのですが、そう言う意味で取られても仕方ない文章だったなって思いました
もう少し文才があればね・・・
今日は続きを書きました。またご覧頂けると幸いです。
今日、私も骨髄摂取が終わったところデスU+203C
無事に生着して欲しいとただただ願うだけで、自分の痛みU+2047怠さは飛んでいきますね
手紙が来るのを楽しみにして、返事を考えておきますU+203C
ありがとうございました。
今日、私も骨髄摂取が終わったところデスU+203C
無事に生着して欲しいとただただ願うだけで、自分の痛みU+2047怠さは飛んでいきますね
手紙が来るのを楽しみにして、返事を考えておきますU+203C
ありがとうございました。
また、お返事が遅くなりまして申し訳ございません。ドナーとして提供されたのですね、その後の身体の調子はいかがでしょうか。もう退院してご自宅に戻られ、お仕事とかに復帰されている頃でしょうか。
私の時はお手紙をどうこうなんて当時考えが全く浮かばず、後は無事に生着して元気になってもらえれば…との思いでした。麻酔から覚めた時には無事、患者さん側の病院に骨髄液が到着して、今移植していますよとのお話を聞いたのを覚えています。
相手の患者さんとそのご両親からお手紙を頂きましたが、私からは最後まで出せずじまいでした。今でも後悔の念はありますね。
もし2度目の提供をすることがあれば、今度は私からお手紙を出そうと思っています。恩着せがましくならず、かつこれからの治療に向けて前向きな気持ちになれるような文を書けたらなと思っています。