11月になり少し経ちますが、だいぶ冷え込むようになりました。
ついこの間までは『暑い!』なんて言ってたのに、今度は逆で『寒い!』と。夏は長くて、秋は短かったような。
そんな気がしています。
さて、今日のテーマは『常連さん』。
記事を救急隊の本音のカテゴリーに入れていますので、仕事の話になります。
119番通報などにより、消防機関が救急要請を覚知して救急車が現場に向かっていくわけですが、指令がかかる度、『またあそこか…』ってなる時があります。
指令番地から地図で場所を確認するわけなんですが、指令から流れる住所聞いただけでため息が出ることも。もう住所やら生年月日やら、救急隊から聞かなくとも分かるぐらい、それだけ頻回に行ってる(救急車を呼んでる)人がいるわけなんです。これを俗に『常連さん』と。
救急車を呼ぶ理由が真に救急車で、一刻を争うようならばため息なんか出ません。
救急車じゃなくてもいい、あるいは病院に行く必要すら感じられない。搬送先の病院で度々トラブルを起こすため、受け入れ先も見つからない。
そして病院を指定して収容が無理なら行かない…等々、ほとほと困っている現実があります。
常連さんに関しては我が消防署だけの問題ではなく、おそらくどこの消防署でもそのような人がいるのだと思います。
中には救急隊や病院に暴言等を吐き、病院からはブラックリスト扱い。収容時に名前を告げただけで『うちじゃ無理です!』って切られてしまうことも。
せっかく受け入れてくれる病院があっても、度々問題を起こしブラックリストに入ってしまい、受け入れてくれる病院がどんどん少なくなってしまう。
診察は可能だけど入院はベッド満床で無理。それでも良ければ…との病院からの回答を伝えれば、じゃあ行かない!と言われて救急隊も困ってしまう現実。
経過観察で1日2日入院…ってなっても、治療が気に食わないからって勝手に退院してしまいまた救急要請。入院していたと言う病院に再度収容可能か問い合わせてみても、またまたブラックリストに入ってしまって収容不能。
どんな理由であれ要請があれば我々は行かねばならないし、病院へ行きたいとなれば受け入れ先が見つかるまで探さねばならない。それがたとえ、わざわざ救急車じゃなくたって…って思うようなものでも。
前述したように、どんどん受け入れ先がなくなって、近くの病院は全部ブラック(リスト)になってしまってるので遠くの病院をあたるようになる。
それでもどんどんブラックリストになってしまい、現場滞在時間が長くなる。遠くで見つかったとしても、そこまで行くのに時間がかかるし、帰ってくるのにはもっと時間がかかる。
その間、消防署に救急車がいなくなる時間が長くなり、その消防署管内で救急要請があった場合、よその消防署から救急車がやってくる。例えば3分ぐらいで到着できるはずだったのが、10分以上かかってしまうことも起こりうる。
これが真に救急車を必要とするような事案であって、1分1秒を争うような緊急性のあるような場合、命を脅かすことだってある。
こんな悪循環に陥っていることが今現実に起こっています。
救急車を呼ぶことに対しては料金がかかることはありません。だけど、それだけ病院にかかれば診療代だってバカにならないはず。
でも、生活保護を受けていることにより、医療費はかからない。それもまた、頻回な救急要請に拍車をかける。これもまた、現実。
一時期、マスコミを賑わした生活保護の問題。
国が生存権を保障する制度であり、その制度自体を否定はしません。障害があったり病気など、様々な理由で働くことができずにやむなく受給されている方が多数だと思っています。
だけど、十分な収入があるにも関わらず受給していたり、どうせお金がかからないからとこんな様に救急車を使われたり。
そんなのを見てると正直頭にも来るし、一生懸命やるのが本当にバカらしくなってくる。
今までいた署でも似たようなのはあったけど、ここまでひどいのは初。
今までの出場件数やら概要やら全てデータに残して、消防だけでなく他の機関にもかけあって今解決に向けて動き出してはいますが、まだまだ解決には時間がかかりそうです。
どんなに急いだって、ベストな活動ができたと思ったって、助からない命はある。
その中で、もう少し何かできなかったか?もう少し何か言葉をかけてあげれなかったか?それがたとえ蘇生するには厳しいと思えるような事案でも。そう思いながら、糧にして日々仕事に励むのですが、今日ご紹介したようなことばかり続くと正直心が折れそうにもなる。
職場の人間関係がこじれて嫌な思いした時が小さい悩みに思えるぐらい、そっちの方がよっぽど辛いと思えるぐらいです。無力感に襲われて、使命感が無くなってしまう。そんな思いがあります。
幸いにもまだまだ折れちゃいませんが、こうも続くとさすがに嫌になってくるなって。
以前にも、酔っ払っての救急で受入先が見つからずにいる間に、直近のCPA(心肺停止)事案に出場できず、遠くから救急車がやってきたってことがありました。
報道等では、救急車の不適切な利用により、本当に必要な人に救急車がすぐに向かえなくなる恐れがあります、と。
私から言わせてもらえば、『恐れ』ではなく、もう現実に起こっているんです。安易な救急車の利用によって、誰かが命を落としている。
大げさな表現じゃなく、本当に起こっていることなんです。もしこれが、自分の身の周りで起こったらどうでしょうか?
こりゃ救急車呼ばなきゃ!と思うようなことに遭遇して、近くの消防署の救急車は出場中のため遠くからやってくる。直近の救急車がくれば助かったかもしれないが、その救急車は救急車を使わなくたってもいいようなことで出場していた。
それが分かったとして、果たして納得できるでしょうか。
私だったら、悔しさばかりが残るな。近くの救急車が来れば助かったかもしれないのに…って、諦めきれない気持ちが残るな。
どんな時が救急車が必要で、どんな時に救急車呼ばずに自力で受診、あるいは様子をみて…って、線引きが難しいです。
現に私達が出場した中で、救急車じゃなくたってもいいけどこれは仕方ないよな…って思うのもありますし、急いで病院に行った方がいいこともあったが、結果的に軽症ですぐに帰れたなんてことだってあります。
でも、自分の足でスタスタ歩いて救急車から乗り降りしたり、後から家族が追いかけると行って救急車のすぐ後ろで待ってたり。今日、診察の予定だったってこともあるし、交通事故とかで受傷してからだいぶ時間が経っていて、何で今更救急車?って言うのも。
こりゃ救急車呼ばなきゃ!と思えばためらわずに呼んでもらって構わないものだし、判断に迷ったら呼んだって構わないものです。
来た以上は病院へ行くことを勧めますが、やっぱり自分たちで行くと思えば断ったっていいのです。
でも、とりあえず救急車呼んでおこう…ぐらいの軽い気持ちならば、少し考えて頂きたい。他に手段はないのか、それは今すぐに救急車で行かないといけないようなものなのか。
安易な利用で、誰かの命を脅かすかもしれないし、それが自分の周りに起こるかもしれない。
そんなことは決して、あってはいけない。そんなことを少しでも、理解して頂ければと思います。
長文&駄文になってしまいましたことをお詫びいたします。
半分は愚痴、半分はいち救急隊員からのお願い。本当に救急車の必要な人のところへすぐに救急車が向かえるよう、ご理解とご協力をお願い致します。
ついこの間までは『暑い!』なんて言ってたのに、今度は逆で『寒い!』と。夏は長くて、秋は短かったような。
そんな気がしています。
さて、今日のテーマは『常連さん』。
記事を救急隊の本音のカテゴリーに入れていますので、仕事の話になります。
119番通報などにより、消防機関が救急要請を覚知して救急車が現場に向かっていくわけですが、指令がかかる度、『またあそこか…』ってなる時があります。
指令番地から地図で場所を確認するわけなんですが、指令から流れる住所聞いただけでため息が出ることも。もう住所やら生年月日やら、救急隊から聞かなくとも分かるぐらい、それだけ頻回に行ってる(救急車を呼んでる)人がいるわけなんです。これを俗に『常連さん』と。
救急車を呼ぶ理由が真に救急車で、一刻を争うようならばため息なんか出ません。
救急車じゃなくてもいい、あるいは病院に行く必要すら感じられない。搬送先の病院で度々トラブルを起こすため、受け入れ先も見つからない。
そして病院を指定して収容が無理なら行かない…等々、ほとほと困っている現実があります。
常連さんに関しては我が消防署だけの問題ではなく、おそらくどこの消防署でもそのような人がいるのだと思います。
中には救急隊や病院に暴言等を吐き、病院からはブラックリスト扱い。収容時に名前を告げただけで『うちじゃ無理です!』って切られてしまうことも。
せっかく受け入れてくれる病院があっても、度々問題を起こしブラックリストに入ってしまい、受け入れてくれる病院がどんどん少なくなってしまう。
診察は可能だけど入院はベッド満床で無理。それでも良ければ…との病院からの回答を伝えれば、じゃあ行かない!と言われて救急隊も困ってしまう現実。
経過観察で1日2日入院…ってなっても、治療が気に食わないからって勝手に退院してしまいまた救急要請。入院していたと言う病院に再度収容可能か問い合わせてみても、またまたブラックリストに入ってしまって収容不能。
どんな理由であれ要請があれば我々は行かねばならないし、病院へ行きたいとなれば受け入れ先が見つかるまで探さねばならない。それがたとえ、わざわざ救急車じゃなくたって…って思うようなものでも。
前述したように、どんどん受け入れ先がなくなって、近くの病院は全部ブラック(リスト)になってしまってるので遠くの病院をあたるようになる。
それでもどんどんブラックリストになってしまい、現場滞在時間が長くなる。遠くで見つかったとしても、そこまで行くのに時間がかかるし、帰ってくるのにはもっと時間がかかる。
その間、消防署に救急車がいなくなる時間が長くなり、その消防署管内で救急要請があった場合、よその消防署から救急車がやってくる。例えば3分ぐらいで到着できるはずだったのが、10分以上かかってしまうことも起こりうる。
これが真に救急車を必要とするような事案であって、1分1秒を争うような緊急性のあるような場合、命を脅かすことだってある。
こんな悪循環に陥っていることが今現実に起こっています。
救急車を呼ぶことに対しては料金がかかることはありません。だけど、それだけ病院にかかれば診療代だってバカにならないはず。
でも、生活保護を受けていることにより、医療費はかからない。それもまた、頻回な救急要請に拍車をかける。これもまた、現実。
一時期、マスコミを賑わした生活保護の問題。
国が生存権を保障する制度であり、その制度自体を否定はしません。障害があったり病気など、様々な理由で働くことができずにやむなく受給されている方が多数だと思っています。
だけど、十分な収入があるにも関わらず受給していたり、どうせお金がかからないからとこんな様に救急車を使われたり。
そんなのを見てると正直頭にも来るし、一生懸命やるのが本当にバカらしくなってくる。
今までいた署でも似たようなのはあったけど、ここまでひどいのは初。
今までの出場件数やら概要やら全てデータに残して、消防だけでなく他の機関にもかけあって今解決に向けて動き出してはいますが、まだまだ解決には時間がかかりそうです。
どんなに急いだって、ベストな活動ができたと思ったって、助からない命はある。
その中で、もう少し何かできなかったか?もう少し何か言葉をかけてあげれなかったか?それがたとえ蘇生するには厳しいと思えるような事案でも。そう思いながら、糧にして日々仕事に励むのですが、今日ご紹介したようなことばかり続くと正直心が折れそうにもなる。
職場の人間関係がこじれて嫌な思いした時が小さい悩みに思えるぐらい、そっちの方がよっぽど辛いと思えるぐらいです。無力感に襲われて、使命感が無くなってしまう。そんな思いがあります。
幸いにもまだまだ折れちゃいませんが、こうも続くとさすがに嫌になってくるなって。
以前にも、酔っ払っての救急で受入先が見つからずにいる間に、直近のCPA(心肺停止)事案に出場できず、遠くから救急車がやってきたってことがありました。
報道等では、救急車の不適切な利用により、本当に必要な人に救急車がすぐに向かえなくなる恐れがあります、と。
私から言わせてもらえば、『恐れ』ではなく、もう現実に起こっているんです。安易な救急車の利用によって、誰かが命を落としている。
大げさな表現じゃなく、本当に起こっていることなんです。もしこれが、自分の身の周りで起こったらどうでしょうか?
こりゃ救急車呼ばなきゃ!と思うようなことに遭遇して、近くの消防署の救急車は出場中のため遠くからやってくる。直近の救急車がくれば助かったかもしれないが、その救急車は救急車を使わなくたってもいいようなことで出場していた。
それが分かったとして、果たして納得できるでしょうか。
私だったら、悔しさばかりが残るな。近くの救急車が来れば助かったかもしれないのに…って、諦めきれない気持ちが残るな。
どんな時が救急車が必要で、どんな時に救急車呼ばずに自力で受診、あるいは様子をみて…って、線引きが難しいです。
現に私達が出場した中で、救急車じゃなくたってもいいけどこれは仕方ないよな…って思うのもありますし、急いで病院に行った方がいいこともあったが、結果的に軽症ですぐに帰れたなんてことだってあります。
でも、自分の足でスタスタ歩いて救急車から乗り降りしたり、後から家族が追いかけると行って救急車のすぐ後ろで待ってたり。今日、診察の予定だったってこともあるし、交通事故とかで受傷してからだいぶ時間が経っていて、何で今更救急車?って言うのも。
こりゃ救急車呼ばなきゃ!と思えばためらわずに呼んでもらって構わないものだし、判断に迷ったら呼んだって構わないものです。
来た以上は病院へ行くことを勧めますが、やっぱり自分たちで行くと思えば断ったっていいのです。
でも、とりあえず救急車呼んでおこう…ぐらいの軽い気持ちならば、少し考えて頂きたい。他に手段はないのか、それは今すぐに救急車で行かないといけないようなものなのか。
安易な利用で、誰かの命を脅かすかもしれないし、それが自分の周りに起こるかもしれない。
そんなことは決して、あってはいけない。そんなことを少しでも、理解して頂ければと思います。
長文&駄文になってしまいましたことをお詫びいたします。
半分は愚痴、半分はいち救急隊員からのお願い。本当に救急車の必要な人のところへすぐに救急車が向かえるよう、ご理解とご協力をお願い致します。
先日は午前0時から7時の間に6件の出動がありました。そのうち3件は常連さんによるもので、残りは我々が "BS call" (BS はBullshit の略でナンセンスと訳すのが適当でしょうか。)と呼ぶ、こんなことで911をダイヤルしたのか?というような件でした。その内の1人など、搬送したはずの病院の目の前にあるガソリンスタンドから、一時間も立たないうちに再度我々を呼び、待ち時間が長過ぎるから違う病院へ連れて行けと言ってきました。私から言わせてもらえば、「お前らに常識というものはないのか?」という感じですが、このようなことが頻繁に起こるんですよね。
愚痴を言うためにコメントしようとしたわけではないのですが、結局そうなってしまいましたね。すみません。
それも一人や二人じゃありません。
代わる代わる要請されます。
ホッシーさんも含め、決して愚痴ではないと思います。
救急隊の、何とか命を救いたい、そのための勉強、訓練、実習を積んできています。その『やる気』を折っちゃう・・。
緊急性の無い常連さんに遭遇するとそうなりそうです。
皆さん、同じ気持ちであることにほっとしました。
『自分の知ったこっちゃない』
そう、まさにこれが現代の世の中の嫌なところ。自分さえよければそれでよく、他人がどうなろうがお構いなし。東日本大震災後、少し世の中が他人を思いやるような雰囲気になった気もしましたが、今では忘れたかの如く元通り。
震災で発生した瓦礫の受け入れも、『ふざけんな!』と言う人がいるぐらいです。自分のところが被害を受けた時、同じことされたらどう思うか?
そんな報道を目にする度、本当に悲しいと思うのです。
私の住む地域は直接大きな被害を受けたわけじゃないが、私は絶対忘れない。それが、約束でもありますから。
日本で働く私はそんなことを思い、生きにくい世の中だって思うのですが、そちらでも同じなのでしょうか。
愚痴でもなんでも構いませんよ!同業にしか分からない苦労、愚痴もあるでしょうし。
あまりストレス溜めこまず、適度に発散して頑張って行きましょう。いつの日か報われる日が来ることを信じて!
何度か行ったことある…って言う救急事案もありますが、持病があって体調が悪くなって…って救急要請。常習者と違って、そこに『悪意』はないんです。常習者はやっぱり『悪意』を感じることも多々あります。
非番や休みで行われる研修も、時々は業務命令で行くこともあるけれど、大多数は自主的に行ってるもの。手当なんかつかなくたって構わない。その得た知識で助けられるなら…の思いで、わざわざ遠くまで足を運ぶんです。
失えば元に戻らないもの(命)を相手にする以上、やっぱり悔いは残したくないし、救命のチャンスがあるなら最善を尽くすべくあらゆることをする。そのために、現実を知って欲しい、他人事だと思わないで欲しいとの願いがあります。
救急車なんて一生に一度世話になるかならないか。救急に限らず、災害に遭遇するのも一生に一度あるかないか。それだけにいざ身の周りで起こらないと関心を持たないのかもしれませんが、災害をある意味で身近に感じている私達がもっと声を大にして、伝えないといけないのかなって思います。
その気持ちを忘れず、折れずに頑張りたいですね。
そう言った救急要請とはまた違う。本当は大したことは無いんだろうけど、足が不自由で、同居している方も高齢。そんな方たちを自分たちでって言うのもそりゃ薄情。
緊急性は無いんだろうけど他に適当な手段がないもの、仕方ないよな…って言うのとは違って、この手の常連さんは全く緊急を要しないし、受診の必要すら感じられないことが多々あったりします。
以前、医療事務をされていた方からちょっとお話聞かせてもらったことがありますが、救急で行ったからと言って命に関わるような特別な事が無い限り、+αで料金が加算されることはないと聞いた覚えがあります。
有料も1つの方法かと思いますが、その線引きが難しいと思います。そして、経験上常連さんに共通するのは生活保護受給者。支給日までお金が一時的に無いってことも起こり得ますが、変な話お金には困らないし、医療費は自治体が負担と言う現状。
本人の懐は痛まず、自治体の財政を圧迫する要因にもなっています。
こういう状況が続くようなら有料化はやむを得ないのかなって言うのが私なりの考えですが、やっぱり救急車を呼ぶのを躊躇する、我慢してしまい、病状が進んでしまう人も見てきている以上、有料化には踏み込むのは困難なのかなって気がしてます。
そして現実は、呼ばれればこっち(消防機関)から断ることはできないと言うこと。これが一番のネックでしょうか。搬送することを求められれば変な話、応じざるを得ません。
いつか東京消防庁でやっていた救急搬送トリアージも、あまり効果をなしてない様子に見れました。コールトリアージもいくつかの消防機関でやっているようですが、結論が出て整備されるにはまだまだ先の話しになりそうです。