誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

10月31日の展示

2008年10月31日 | Weblog
           07,11. 晩秋

 今日も分からぬ儘のトライです。大きさは直して貰いました。
 唯、このブログでは1回1枚しか出来ぬらしいので、かといってHPとなると
 多分私の手には負えそうもありません。
 月に数遍、ずらりと何点も展示してみたり、絵のお仲間の作品を展示させて貰っ たり、自分達の展覧会があったらそっくりここに再現しようとか、傾向別、年代 別、又ある時は自分の好みの絵を並べるとか等いろいろ夢を描いているのです  が、まあ当分は一回展示で1枚、せめてそれをこまめにやるしかないようです。 最初から高くを望んでもしょうがないし事は始まりませんから、こんな所でそろ そろ開館させようかと思っております。
 
 それには、まずは案内状から始めなくてはなりません。もちろん、知った方、絵 のお仲間、絵の好きな人、かなりお暇な方、退屈で死にそうな方、絵でもやって みようかなんて目下思案中の定年後まもない方等々に限定して、案内する何か良 い方法はないものかしらん。

 第1番から10番目位のご来場のギャラーの方には、年金を使って素敵な記念品 を差し上げたい位の心境です。

(5)小さな淡彩画に出会う

2008年10月27日 | Weblog
 絵をこれに載せる練習中です。上の絵は昨年描いた10号のものです。昨夜、やっと載せ方を習ったのですが、すぐ忘れてしまいます。しかもまだ一回に一枚しかできません。将来は何枚も展示できるようにしたいものです。慣れるまでこんなスタイルで館長自身も我慢です。

5.小さな淡彩画との出会い。
 趣味探しの(抵抗を覚えながらも)選択基準は、まず今まで或いは現在、いろいろやっている事の中で一番好きな事を第一として、次はそのことが、飽きっぽい私でも続けられそうなものと言うことでした。
そこで私が選んだのが「絵」でした。見るだけは子供の頃から年期が入っていますが、自分でも描いてみようと思った訳です。
手っ取り早く水彩画だとしたのです。とにかく、親が本職の絵描き(油絵)でしたので、子供の時から絵が身近でしたから、まずは一番抵抗がありませんでした。

油絵は準備が大変(道具やら何やら)、後片付けはもっと大変なのは知っていましたから、物ぐさ、片付け下手の私には、水で洗えば簡単な水彩を選んだのは自然だったかも知れません。
中学以来です。道具もあまりありません。しかしとにかく始めました。

何だか趣味を作るために無理矢理ではないのかという不安と引け目も感じて居ました。描き方も技法もありません。暫くは部屋で1人でシコシコやっておりました。
上手も下手もなく、自由気ままで良いのですが、独り善がり、手前味噌、1人合点の1人芝居の自己満足だけのようでした。これでは本当の趣味ではなく、また長続きはしないだろうと感じてきました。
たまに家人に見せても、笑われるか関心も持たれないといった案配です。

 そこで、意を決して駅前のカルチャーセンターに行ったのです。長い古い大勢のサークルは入りづらい、恥ずかしい等で迷っていましたが、丁度「はがき大に描く淡彩画」という教室の新規開講募集をしてました。新設ならば、皆さん新人、同じような初心者がおおいだろう、小さければ描きやすいのではと、これだ!と決めて始めたのが、絵を趣味の一つにした切っ掛けでした。

 幸い先生も優しく、淡い素敵なセンスの絵で気に入りました。同級生はおじさんは4人、おばさん方が10人で、皆さん良い人だったのが何よりでした。絵は好きだが学生時代以来という人ばかりで足並みも揃っています。
シャイで出不精な私でも、いつの間にか馴染んで親しむことが出来ました。月に二回でしたが次回が楽しみな位で、これなら趣味と言えるものになりそうだと実感したのです。
こうして、環境、状況に恵まれてまず「小さな淡彩画」というものを、私の趣味の一つにする事が出来たのです。

(4)六十の手習いを始めるまで。 

2008年10月25日 | Weblog

『小さな淡彩画との出会い』~その1~.
 私が文字通り六十の手習いを始めたのはもうひと昔も前になります。ハッピーリタイアーした1~2年後位の頃でした。すっかり解放されこの上ない自由で、好き勝手に何でも出来るという夢のような毎日で、それはそれはめくるめく様な甘美な生活をしておりました。

 しかし、やがてそんな生活も、朝寝坊に昼寝にも、慣れない海外旅行も、美味い物巡りも寺社仏跡古事巡りもそして温泉旅行にも、スポーツ観戦もTV、映画、演劇鑑賞、ゴルフにハイキングに、ただ漠然と歩くだけのウオーキングに散歩にも段々と飽きてきたのです。何か物足りなさ、虚しさをおぼえるようになったのです。
友人知人の中には、やはりこんな生活の中から自分の心の琴線に触れるものに出会えて、それをそのまま自分の趣味として今も続けて充実した日々を過ごして居られる羨ましい方も居られます。

 飽きっぽくて億劫がりで、積極性もなく行動的タイプでもない、健康体力にはいまいち自信もない等と言った自分の性格等を考えると、なかなかこれぞ!といったものが、これなら一生やれそう、趣味になりそうと言う物が一長一短で、見当たりません。
第二の人生では、特に趣味を持たなければやがていろいろと心身両面の問題がありますよとは、よく言われる事ですが、確かにそうだと思えて来ました。
しかし、趣味のための趣味もどうかと思うし、無理にやるのはもっとおかしい。
本当の趣味というのは「利害損得名誉には一切関係なく、何でも良いのだがそれをやっていれば時間の経つのも忘れて楽しく充実し、生き甲斐を感じられるもの。さらに知らず知らずのうちにさらに深く追求したくなるもの」だといいます。

 なかなかこれぞという物に確信が持てないのです。もちろんやる前にそんなことを言ったり考えるのはナンセンスで、ある程度やってみなければ、或いは相当に踏み込んで見なければ分からないものかも知れませんから、ともかく考えるのでなくスタートしてみなければ何も始まらないと思い極めました。そろそろ御輿を上げなくてはと思ったのです。




10月某日 開館遅れのお詫び

2008年10月19日 | Weblog
 何だかんだで開館準備の作業が予定より遅れています。
デジカメで撮った映像をPCに取り込み、それを当美術館に陳列する方法をまだマスターしていないのです。恥ずかしながら‥‥。
教えて呉れる約束の家族が、テニスのトーナメント戦を勝ち進んでいるので、なかなか教えて貰えません。

私自身の方も、体調のことがいろいろあって、風邪を引いてこのところ咳,痰に悩まされ、昔の前立腺手術の古傷からか尿にかなりの出血がある、心臓の薬の副作用なのかやたらとだるいし、無気力感や息切れが。そこに胃腸の不調で不快感やら吐き気と膨満感と便秘と、数え上げると切りもありません。
悪い方に考え出すと、不安と恐怖とを覚えイライラと焦燥感とで何とも言えぬ悪循環に陥ってしまいます。

日常生活のことでも、家族の誕生パーティが続いたり、孫の運動会、バレーの発表会に七五三。自分だけの事でも、中学時代の古稀の祝いのクラス会やら趣味の仲間の方々がやって呉れた快気祝いの大パーティ、近場だが日帰りスケッチ旅行等あり、結構忙しいものだと我ながら驚きです。その合間には、循環器科、眼科、泌尿器科、内科への通院です。
のんびりの筈の第二のフリーの生活も、この所はかなりハードです。精神的にも疲れもするし、気力が萎えて来るのとも戦わねば為りません。

人生は年取って気楽になっても幾らフリーになっても、何時までも心身共の悩みも苦しみも続くものの様だ。それが人生なのだろうか!
周りを見れば同世代にも、随分と気楽で楽しそうで元気で健康で、考え事も悩み事も何も無いような、若々しい羨ましき人も沢山居られる様ですが‥‥。

もう少し待って下さい。ともすると萎えてしまって、面倒くさい、もうどうでもいいか、なんていう気持ちになってしまうのに、必ずうち勝って当初の思い込みと独り善がりとを支えにして、近々開館を実現させる覚悟です。よろしくお願い致します。

3.開館準備中。もう少し待ってやって下さい。

2008年10月13日 | Weblog
 赤とんぼが乱舞、高い青空にイワシ雲、まさに秋もたけなわと言うのに、まだ
 我が美術館は開館出来ないでおります。
 目下、慎重に準備中ではあります。
 月にどの位の陳列替えをするか、どんな内容にするのか、その他諸々です。
 いろいろ覚えなくてはならない初歩的な事があり大変そうですが、遅ればせなが ら今月中には見切り発車ができればと思っております。
 その節は何卒よろしくご来場下さい。          館主。

    



(2)誠茅庵のこと

2008年10月09日 | Weblog

 ちょうど20年も前になりますが、我が家を立て替える時に私には三つの希望というか、夢がありました。
まずその1は、リビングから庭へデッキを伸ばし、その下から庭へつながる大きめの池を作ること。
その2は、中庭に面した天井から床までの広いガラス窓のある、庭の地面とお湯の高さが面一で、つまり風呂に入りながら庭の緑が充分見える浴室にすること。
その3は、何処かに狭くても隅っこでも良いから、壁面全体に作り付けの書棚がある書斎を作ると言うものでした。

しかし結局、いざ完成した時には、(1)は水気が縁の下に回って建物に良くないと工務店に止められ、(2)は防水排水問題や強度のこと、そして何と言っても如何ともしがたい予算のことで断念させられた。池は庭の隅に昔からのがしょんぼりと、風呂は立てば坪庭は見えるものの、湯船につかれば見えるのは空と石灯籠の頭だけだった。
こうして辛うじて残ったのは書斎だけでした。元々予算上のスペースもなかったのですが、4畳程の西向きの小部屋でした。せめて三面の壁に書棚を配すると言うところだけは何とか必死で堅持したのです。

名前だけでも付けてやろうと、「誠茅庵」と致しました。そして自分で彫って木版の名札を作り扉に掛けました。それが<せいぼうあん>と言うわけです。深い意味も何もありません。名前と地名からで、強いて言えば誠は誠実の誠、茅は茅屋というあばら屋の意味に掛けたつもりと、一人ごちていたのを覚えています。

自分だけの書斎というお城に籠もって、読書三昧、思索にふけり、絵を描いてそれにも飽いたら、ぶらりと散歩にでも出て、というそんな生活を夢みました。しかし現実は、現役時代の10年はとても書斎に落ち着く時間は無く、ほとんどの用事は食卓の自分の席で済ませてしまいました。その間に、とりあえず、とりあえずと言う気休めのような前置詞をつけて、此処に置こう此処に仕舞って置こうと言うことで、やがて書斎は完全に物置と化してしまったのです。

やがてリタイアーすると、そこを片付け復活させるのが、まずは最初の仕事だと思ったのですが、見ればうんざり、明日こそは、いやその内にはと言いながら手に付かず、又も10年が経ってしまったのです。物ぐさ、怠け者、面倒くさがり屋の面目躍如と言うところですが、自慢にもなりません‥。
古なった木彫りの名札を見ると、あの時の意気込みが伺われます。これだけは年月を経て却って味が出た様ですが、しかし今になると、どうもいまいち陳腐で平凡な何とつまらないネーミングだったことかとさえ思います。

私もいつの間にか古稀を迎えました。その直前には狭心症で入院、手術と大変でした。しかしお陰様で何とか無事に生還する事が出来ました。
そこでこれを契機に、20年ぶりのあの時に戻って、整理片付けをし、初期の目的に近い書斎にして、今度こそ好きな時に絵を描き、思う存分の読書三昧それに飽きたら居眠りでも散歩でもと言う世界に入りたいものです。

この長い間、可哀相だった愛すべき物置と、その誠茅庵という名前にも、もう一度光を当ててやり、生命を吹き込み、20年の眠りから目覚めさせてやろうという気持ちからこのブログ美術館の名前にしたのです。物置から心の美術館へと変身させてやるつもりなのです。

1.開設の動機のこと

2008年10月07日 | Weblog
 或る日、ふと思い立ってこのブログを立ち上げようとという気になりました。
私は長年、糖尿病や高血圧や高脂血症とは極めて仲良く付き合っておりましたが、3年前からそこに黄班変性網膜症という新しい仲間が加わりました。今では左眼はもうほとんど駄目なのです。
一体私の何処が気に入ったのか、しっかりと私にくっついて離れそうもありません。彼等の好きそうな、酒好き、ウオーキングジョギング嫌い、美食過食癖という三つの事以外には、何の心当たりもないのにです。
 悪いことの覚えもなければ、意地悪などは私の最も嫌いな事です。罰が当たる筈は誓って無いつもりなのです。仕事も自分なりには真面目にやって来ましたし、努力も我慢も人並みにはしてきた筈です。余り果実も求めませんでしたし、どちらかというと謙虚で控えめで、他人には(自分にもでしたが)とてもやさしいという世間の強くて立派な人の生き様とは対極の世界を生きてきたと思います。
自分の性格や人生観、人間性の為せることですから、何の後悔もありませんが、その代わりに何の自慢もありません。

 こんなおとなしい気配りマンで、平凡でこれといった経歴も勲章も才能も特長もない、つまらない私なのに、何故か病クン達だけは慕ってやって来るのです。
そう言えば、子供の頃から、扁桃腺だ、風邪だ、やれ熱だやれ腹だとしょっちゅう病気ばかりしてました。
それでも母親にとても慈しまれて、やっと何とか大人になれた様なのです。

 そんなわけで病は私の故郷みたいなもんでもあるのです。軽い発熱、頭痛、咳、下痢、だるさ、無力感、慢性微熱なんてのは何とも思いません。長い間の付き合いの仲良しと言っても良いくらいです。

 所がそんなある日(8月下旬~9月上旬)のこと、その諸々の古い友人達は、今度はまるで彼等の親分のようなかなりの大物を連れて私の所にやって来たのです。
彼等とはそれこそ長い長い付き合いなのですから、義理もあって断ることも出来なかったというわけです。

 今度ばかりは転げ回るような痛みを伴う狭心症というやつでさすがに困りました、苦しみました。恐怖さえ覚えました。それでも入院、手術で幸い何とか回復する事が出来ました。

 苦痛や弱みや悩みを持つ人間こそが、他人の痛みを悲しみを知り、人を思いやれるものと長年思ってきましたし、実行してきました。
しかし今度の激痛の前には、さすがに私も他人のことも、配慮も、何もかも考える余裕すらありませんでした。ただもう自分が痛みから逃れられればいいとそれだけでした。

所詮、人間なんて小さいもの何も出来ぬもの、ましてや他人様のために何かをなんておこがましい事だと実感しました。特に極限状態に置かれると、人間は自分1人で、孤独なのが人生なのだということを思い知らされてしまいました。

 私はもう何も要りません。ただあまり痛くも苦しくもなく、そこそこ程度でも良いから、もう一寸元気な体が、もうしばらくあればいいと思ったものです。
そうしたら、せめてもっと前向きに何かをやろう、積極的に何でもしてみようという気がしてきたのです。それも自分の気儘に、自分本位に、独り善がりで、今までの自分でない様な人生も面白いのではと考えたのです。

 いろいろこれからでもやってみたい事というのが、病院のベッドでいろいろ浮かんできました。その一つが前から頭の隅にはあったのですが、こんなPC上での遊びの展示会だったのです。
決して自己顕示欲とか自慢とか思い込みとか自己満足だけではありません。
これから何かを覚え、習い、挑戦してみよう、何事でも継続してやってみよう、
楽しんでみよう。他人にも、馬鹿にされたりけなされたり、笑われたり時には褒められたりして、恥をかいてもこんな事が、(何もしないよりは)あるのが充実した人生なのだろう。
常識や見栄やプライドなどをかなぐり捨てて、自分の思った様に、好きな様にやるのも前向きの人生たるものだろうと思い当たったのです。

 これから絵を描き、デジカメに撮り、PCに取り込んで、それでブログに作るという作業に、徐々に挑戦しようと計画しているのです。