誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

1.開設の動機のこと

2008年10月07日 | Weblog
 或る日、ふと思い立ってこのブログを立ち上げようとという気になりました。
私は長年、糖尿病や高血圧や高脂血症とは極めて仲良く付き合っておりましたが、3年前からそこに黄班変性網膜症という新しい仲間が加わりました。今では左眼はもうほとんど駄目なのです。
一体私の何処が気に入ったのか、しっかりと私にくっついて離れそうもありません。彼等の好きそうな、酒好き、ウオーキングジョギング嫌い、美食過食癖という三つの事以外には、何の心当たりもないのにです。
 悪いことの覚えもなければ、意地悪などは私の最も嫌いな事です。罰が当たる筈は誓って無いつもりなのです。仕事も自分なりには真面目にやって来ましたし、努力も我慢も人並みにはしてきた筈です。余り果実も求めませんでしたし、どちらかというと謙虚で控えめで、他人には(自分にもでしたが)とてもやさしいという世間の強くて立派な人の生き様とは対極の世界を生きてきたと思います。
自分の性格や人生観、人間性の為せることですから、何の後悔もありませんが、その代わりに何の自慢もありません。

 こんなおとなしい気配りマンで、平凡でこれといった経歴も勲章も才能も特長もない、つまらない私なのに、何故か病クン達だけは慕ってやって来るのです。
そう言えば、子供の頃から、扁桃腺だ、風邪だ、やれ熱だやれ腹だとしょっちゅう病気ばかりしてました。
それでも母親にとても慈しまれて、やっと何とか大人になれた様なのです。

 そんなわけで病は私の故郷みたいなもんでもあるのです。軽い発熱、頭痛、咳、下痢、だるさ、無力感、慢性微熱なんてのは何とも思いません。長い間の付き合いの仲良しと言っても良いくらいです。

 所がそんなある日(8月下旬~9月上旬)のこと、その諸々の古い友人達は、今度はまるで彼等の親分のようなかなりの大物を連れて私の所にやって来たのです。
彼等とはそれこそ長い長い付き合いなのですから、義理もあって断ることも出来なかったというわけです。

 今度ばかりは転げ回るような痛みを伴う狭心症というやつでさすがに困りました、苦しみました。恐怖さえ覚えました。それでも入院、手術で幸い何とか回復する事が出来ました。

 苦痛や弱みや悩みを持つ人間こそが、他人の痛みを悲しみを知り、人を思いやれるものと長年思ってきましたし、実行してきました。
しかし今度の激痛の前には、さすがに私も他人のことも、配慮も、何もかも考える余裕すらありませんでした。ただもう自分が痛みから逃れられればいいとそれだけでした。

所詮、人間なんて小さいもの何も出来ぬもの、ましてや他人様のために何かをなんておこがましい事だと実感しました。特に極限状態に置かれると、人間は自分1人で、孤独なのが人生なのだということを思い知らされてしまいました。

 私はもう何も要りません。ただあまり痛くも苦しくもなく、そこそこ程度でも良いから、もう一寸元気な体が、もうしばらくあればいいと思ったものです。
そうしたら、せめてもっと前向きに何かをやろう、積極的に何でもしてみようという気がしてきたのです。それも自分の気儘に、自分本位に、独り善がりで、今までの自分でない様な人生も面白いのではと考えたのです。

 いろいろこれからでもやってみたい事というのが、病院のベッドでいろいろ浮かんできました。その一つが前から頭の隅にはあったのですが、こんなPC上での遊びの展示会だったのです。
決して自己顕示欲とか自慢とか思い込みとか自己満足だけではありません。
これから何かを覚え、習い、挑戦してみよう、何事でも継続してやってみよう、
楽しんでみよう。他人にも、馬鹿にされたりけなされたり、笑われたり時には褒められたりして、恥をかいてもこんな事が、(何もしないよりは)あるのが充実した人生なのだろう。
常識や見栄やプライドなどをかなぐり捨てて、自分の思った様に、好きな様にやるのも前向きの人生たるものだろうと思い当たったのです。

 これから絵を描き、デジカメに撮り、PCに取り込んで、それでブログに作るという作業に、徐々に挑戦しようと計画しているのです。
 

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1 コメント

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ネットギャラリーオープンおめでとう (京ば~~!)
2008-11-01 12:01:56
遂に立ち上がりましたね。さすがですね。
これからが、楽しみです。素敵な画をどんどんアップ願います。
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