誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

21展ー14 企画NO,13 私の淡彩画集より

2009年10月06日 | Weblog

   企画NO,13 「 私の淡彩画々集より」の展示に際して。

    ≪ご挨拶≫
 私は定年後しばらくは、もう何もしたくない、前から夢みていた様に専らのんびり、ぼんやりと何の制約も規制も目的意識も義務感もない、無為といえばこれ以上はないような,目くるめく様な甘美で自由な日々を享受していたものです。

そんな或る日、たまたま散歩で駅前のカルチュアーセンターで、「ハガキ大に描く淡彩画教室」新規開設生徒募集というのが目に留まりました。
やはりそのうちには何かを始めなくてはという気持が、何処か潜在意識にでもあったのでしょう。
絵は好きでよく見ているが、だが描いたのは中学生以来でしたが、それでも新規募集ならば、幾らシャイで勇気のない私でも初歩からやるようだし皆の中に入って行けそうだと私としてはまことに珍しく即断で入門する事にしたのです。
これが1999年の4月のことでした。指示されたワトソン紙と筆(4号)を1本、透明絵の具12色、鉛筆2B1本、パレット、練りゴム等を買い揃えて、いそいそと教室へ行ったのを覚えています。
私より年上の「塚田 稔」とおっしゃる心象画家が先生で素敵な方でしたし、しかもその画風は魔法のように素晴らしいものでした。20名位の同級生の方々も明るく楽しい大らかな人ばかりでした。必ずどんなグループにも1人や2人はいるというグループの壊し屋、ひがみ屋さん、マイペース自己中心のおじさん、意地悪おばさん等が1人も居られず楽しい教室としてスタートしたのです。これは結構大事なことで、今になって考えてみると、その後別種の或いはボランティアのサークルに関係して悩まされ知ったことですが、そんな人の1人も居られず一般の見知らぬ人の募集だったのに全くラッキーな事でした。これが1~2年で頓挫することもなくその後8年も続けられた原因の大きな一つだったかも知れません。
眼を悪くして(片目がほぼ駄目に)辞めざるを得なくなるまでの8年間を、月に2回の教室、年に1度のスケッチ旅行、毎年の展示会などと、それはそれは楽しくやることが出来ました。これは先生と周りの方々に心からの感謝を捧げなくてはなりません。

このブログの美術館の陳列のために、この際とばかりに8年間のを出来るだけ探してみました。ハガキ大が中心で0号、SMサイズ、3号そしてたまには4号、スケッチ版という大きさですが、その枚数の多さには自分でも一寸驚きました。
『絵の上達はその人の描いた枚数に比例する』という名言がありますが、どうやら私の場合は例外だったようです。何時も同じ調子で進歩も変化の様子が感じられません。

この8年間での大半を幾つかのシリーズに分けて陳列致します。
ブログの入力の都合上、最終的には古いものが最後になってしまい、新しいものから昔へ遡りますが、よろしく御承知下さい。本来なら、初期の頃から段々経験を積んで、その変化、進歩があるとすればそれを比較しやすいように展示しようと計画したのですが果たせなかったのが残念です。
さぞ見難いでしょうし、枚数も多くご覧の貴方には、とんでもない根気と倦怠との戦い、馬鹿馬鹿しさとの葛藤、そして体力と時間の浪費をさせてしまいそうです。

まずは当美術館にお入りになってしまった方の運命と思し召しておあきらめ下さい。きっとそのうち、これをご覧の貴方の上には何か良いことがあるでしょうから。せめてもお礼の代わりに、貴方の健康と幸せを祈らせて頂きます。そして何時でもコーヒーの一杯でもご馳走させて頂きます。

 それでは『私の淡彩画々集より』のシリーズー1から御覧下さいませ。                          館主拝

21展ー14 企画NO,13 私の淡彩画集より

2009年10月06日 | Weblog
 
  私の淡彩画画集シリーズの展示について。

  今日も遠いところを当館への御来館、まことに有難うございます。

  この画集は2005年の1月、淡彩画の我が恩師の塚田画伯がPCを駆使して私の
  淡彩画集を作ってくださったものです。00年から04年迄の5年間から  
  抜粋して30点を載せて頂きました。
  まるで私の絵ではない様な、立派で素敵な画集になりました。
  これは私の一番の宝であり、又とない記念になりました。
  先生に心からの感謝を捧げます!

    (上にあるのはその画集の表紙です。)

  今回は其の画集の中の絵を中心に、少し拡げて06までの8年間に先生の教えを守った作品、守れなかったもの、どうしようもなかったもの等を含めて
数多くの作品を思い切って展示してしまいました。何しろ整理整頓の悪い私なので、やがて散逸してしまうのは必至のことです。それならばこの際とばかり、見つかった絵から無選別に年代別に陳列してしまいました。
もちろん全部ではなく、見つからないもっと良く描けた作品も沢山あるのです?という言い訳を付け加えさて頂きます。入場は無料ですので、どうぞどんどん飛ばしてお進み下さい!


21展ー14 企画NO,13 私の淡彩画集より

2009年10月05日 | Weblog


  淡彩画々集シリーズー(1)の1

    2006年
         NO,1  『茅ヶ崎海岸にて』 変形ハガキ大


この06年に、淡彩画教室を残念ながら辞めざるをえなくなりました。全く中途半端で本意ではありませんでしたが、小さな画面に向かって描いていると、よく見えないそしてやがて涙が出て我慢して続けているとその揚げ句には、頭痛や目眩がしてくると言う有様になってしまい、情けなくも諦めたのです。
ハガキ大では描きにくいが、大きければ少しは見えるだろうし、少しは体への条件も良いのではなかろうかと言うことを期待しながら、ハガキ大の淡彩画は終わったのです。
10号、12号辺りの大きさならばまだ少しは見えやすいかも知れぬし、かなり濃い目の水彩画でものんびりぼちぼちやってみようか何んていう気持を、負け惜しみと気休めとして抱きながら決心したのです。

21展ー14 企画NO,13 私の淡彩画集より

2009年10月05日 | Weblog

  淡彩画集シリーズー(1)の2

   2005年
        NO,4  『茅ヶ崎中央公園』

身近なところでも、四季おりおり十分絵を描けるところがあるものです。
旅行や何も遠くまで行かなくとも、身の回りに幾らでもモチーフや対象
になり得る物、場所が幾らでもありそうです。
描く気力、情熱さえあるならば‥。