企画NO,13 「 私の淡彩画々集より」の展示に際して。
≪ご挨拶≫
私は定年後しばらくは、もう何もしたくない、前から夢みていた様に専らのんびり、ぼんやりと何の制約も規制も目的意識も義務感もない、無為といえばこれ以上はないような,目くるめく様な甘美で自由な日々を享受していたものです。
そんな或る日、たまたま散歩で駅前のカルチュアーセンターで、「ハガキ大に描く淡彩画教室」新規開設生徒募集というのが目に留まりました。
やはりそのうちには何かを始めなくてはという気持が、何処か潜在意識にでもあったのでしょう。
絵は好きでよく見ているが、だが描いたのは中学生以来でしたが、それでも新規募集ならば、幾らシャイで勇気のない私でも初歩からやるようだし皆の中に入って行けそうだと私としてはまことに珍しく即断で入門する事にしたのです。
これが1999年の4月のことでした。指示されたワトソン紙と筆(4号)を1本、透明絵の具12色、鉛筆2B1本、パレット、練りゴム等を買い揃えて、いそいそと教室へ行ったのを覚えています。
私より年上の「塚田 稔」とおっしゃる心象画家が先生で素敵な方でしたし、しかもその画風は魔法のように素晴らしいものでした。20名位の同級生の方々も明るく楽しい大らかな人ばかりでした。必ずどんなグループにも1人や2人はいるというグループの壊し屋、ひがみ屋さん、マイペース自己中心のおじさん、意地悪おばさん等が1人も居られず楽しい教室としてスタートしたのです。これは結構大事なことで、今になって考えてみると、その後別種の或いはボランティアのサークルに関係して悩まされ知ったことですが、そんな人の1人も居られず一般の見知らぬ人の募集だったのに全くラッキーな事でした。これが1~2年で頓挫することもなくその後8年も続けられた原因の大きな一つだったかも知れません。
眼を悪くして(片目がほぼ駄目に)辞めざるを得なくなるまでの8年間を、月に2回の教室、年に1度のスケッチ旅行、毎年の展示会などと、それはそれは楽しくやることが出来ました。これは先生と周りの方々に心からの感謝を捧げなくてはなりません。
このブログの美術館の陳列のために、この際とばかりに8年間のを出来るだけ探してみました。ハガキ大が中心で0号、SMサイズ、3号そしてたまには4号、スケッチ版という大きさですが、その枚数の多さには自分でも一寸驚きました。
『絵の上達はその人の描いた枚数に比例する』という名言がありますが、どうやら私の場合は例外だったようです。何時も同じ調子で進歩も変化の様子が感じられません。
この8年間での大半を幾つかのシリーズに分けて陳列致します。
ブログの入力の都合上、最終的には古いものが最後になってしまい、新しいものから昔へ遡りますが、よろしく御承知下さい。本来なら、初期の頃から段々経験を積んで、その変化、進歩があるとすればそれを比較しやすいように展示しようと計画したのですが果たせなかったのが残念です。
さぞ見難いでしょうし、枚数も多くご覧の貴方には、とんでもない根気と倦怠との戦い、馬鹿馬鹿しさとの葛藤、そして体力と時間の浪費をさせてしまいそうです。
まずは当美術館にお入りになってしまった方の運命と思し召しておあきらめ下さい。きっとそのうち、これをご覧の貴方の上には何か良いことがあるでしょうから。せめてもお礼の代わりに、貴方の健康と幸せを祈らせて頂きます。そして何時でもコーヒーの一杯でもご馳走させて頂きます。
それでは『私の淡彩画々集より』のシリーズー1から御覧下さいませ。 館主拝