誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

(4)六十の手習いを始めるまで。 

2008年10月25日 | Weblog

『小さな淡彩画との出会い』~その1~.
 私が文字通り六十の手習いを始めたのはもうひと昔も前になります。ハッピーリタイアーした1~2年後位の頃でした。すっかり解放されこの上ない自由で、好き勝手に何でも出来るという夢のような毎日で、それはそれはめくるめく様な甘美な生活をしておりました。

 しかし、やがてそんな生活も、朝寝坊に昼寝にも、慣れない海外旅行も、美味い物巡りも寺社仏跡古事巡りもそして温泉旅行にも、スポーツ観戦もTV、映画、演劇鑑賞、ゴルフにハイキングに、ただ漠然と歩くだけのウオーキングに散歩にも段々と飽きてきたのです。何か物足りなさ、虚しさをおぼえるようになったのです。
友人知人の中には、やはりこんな生活の中から自分の心の琴線に触れるものに出会えて、それをそのまま自分の趣味として今も続けて充実した日々を過ごして居られる羨ましい方も居られます。

 飽きっぽくて億劫がりで、積極性もなく行動的タイプでもない、健康体力にはいまいち自信もない等と言った自分の性格等を考えると、なかなかこれぞ!といったものが、これなら一生やれそう、趣味になりそうと言う物が一長一短で、見当たりません。
第二の人生では、特に趣味を持たなければやがていろいろと心身両面の問題がありますよとは、よく言われる事ですが、確かにそうだと思えて来ました。
しかし、趣味のための趣味もどうかと思うし、無理にやるのはもっとおかしい。
本当の趣味というのは「利害損得名誉には一切関係なく、何でも良いのだがそれをやっていれば時間の経つのも忘れて楽しく充実し、生き甲斐を感じられるもの。さらに知らず知らずのうちにさらに深く追求したくなるもの」だといいます。

 なかなかこれぞという物に確信が持てないのです。もちろんやる前にそんなことを言ったり考えるのはナンセンスで、ある程度やってみなければ、或いは相当に踏み込んで見なければ分からないものかも知れませんから、ともかく考えるのでなくスタートしてみなければ何も始まらないと思い極めました。そろそろ御輿を上げなくてはと思ったのです。