誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

11月末日 目下陳列準備中

2008年11月26日 | Weblog
    昭和20年代 会津鶴ヶ城趾にて  蝉取り  30号油彩
    父親の作品です。 網を持ったモデルは小学3年生位の私です。


陳列の準備がなかなか進みません。正式な陳列方法。それに伴う絵の準備や整理。知人友人や絵のお仲間の作品も陳列する為の許可取り等、諸々あってなかなか捗りません。
他人様の作品も陳列させて貰うつもりだから、少しでも良い写真で載せられるようにと、先日、1200万画素のデジカメも購入したのですが、目下その取説と格闘中です。面倒くさくて一寸、私ではその性能を使いこなすことは難しそうです。私にはやはり、針穴写真とか太陽写真、せいぜいバカチョンの押すだけカメラじゃないと駄目なようです。
諦めるのと妥協と、いい加減は私の特技でもありますから、ほどほど適当で、出来るだけ早く軌道に乗せたいものです。



          

館主の紹介ーNO,4

2008年11月17日 | Weblog
    ’07、5。  モデルのデッサン会で

 館主の紹介―NO、4
  絵との接点
 当館の開館挨拶でも話しましたが、定年後まもなくして何かをやりたくなった時 に、自発的にとても自然に絵を選んでおりました。生まれたときから絵や画材に 囲まれ、テレピン油の匂いを嗅ぎながら育った勢かもしれません。
 今でも絵は大小、油彩、水彩と我が家には沢山掛かっております。
 うちの女房も、高校大学と美術部だった様で、育児や舅の世話で中断、やがて子 供たちや旦那に手が掛からなくなった20年前から再開。油絵から今は水彩で、 キャリア、実力とも私とは全く違うレベルです。
 こんな案配で、家中、絵だけには困りません。売る程あって不自由致しません。
 従って、三つ子の魂‥、門前の小僧習わぬ‥、環境への順化とでも言うのでしょ うか、私も中学校の図工の時間以来になる筆を抵抗もなく握ったのです。
 自分では描かずに、見るだけ、言いたい放題の評論家の方が楽しいのではと思っ たのですが、絵に対する良き批評家や理解者になるには、己もやってみてこそだ ろう、自分も少しは描いて見なきゃ、その難しさの表面すらも分からない筈だと いう信念から時々描き始めそして習いも始めたのです。


館主の紹介ーNO、3

2008年11月17日 | Weblog
      ’07、10。 瓶のある風景  8号

 館主の紹介ーNO、3
  館主と絵との出会い
    前述のように、絵描きの家に生まれましたから、絵とは極めて因縁が
    深いとは言えそうです。
    今でこそ、社会の余裕や高齢者やリタイアー組の増加もあってか、
    絵はかってない程に盛んで、絵のグループや教室、カルチャー、
    習う人も教える人も花盛りです。
    しかし、もし絵とか趣味とかがこんなにブームではなかったとしても、
    館長は多分、ハッピーリタイアー後は結局、絵に関心を持ったのではと
    思われます。
    昔は、絵など買う人も習う人も、興味のある人も極めて少なく、絵など
    よりも食べ物で、それが過ぎるとTV,洗濯機や冷蔵庫が先だったので     す。
    あの当時は、一部の有名画家以外は、大半が生活も大変だった様です。
    館長もよく言ってます。子供頃からよく「貴方は絵描きになろうなんて
    間違っても思わないで、堅気のお勤め人になってね」とよく母親に
    言われたものだそうです。
    父親の個展や所属団体の展覧会他、友人知人の展覧会には、子供頃から
    大人になっても、よく観にいって居たようです。
    それだけに観るだけは年季が入って居て、多少は鑑賞力、審美眼が
    鍛えられたのではと言うのが、館長の只一つの自慢話です。
    

館主の紹介ーNO,2

2008年11月17日 | Weblog
         ’07,10 猪苗代湖畔  10号


 館主の生い立ち:
   東京は山の手生まれの山の手育ちです。
   自由が丘や渋谷の町は若い頃には自分の庭みたいなものでした。
   戦争中は家族疎開で母方の親戚のある会津若松へ、小学5年生
   までを過ごし6年生でもどり、以来中学高校大学
   そうしてサラリーマンの3年生までを東京で過ごす。
   昭和40年に、父親の中風治療のため散歩がしやすく
   、かつ景色の良い地を求めて、父母と三人で茅ヶ崎に移って
   現在に至る。
   今や東京っ子というより茅ヶ崎っ子の方が長くなりました。
   しかし今でも懐かしい心に残る私の原風景は、まず昔の東京であり、
   会津の風景なのです。

館主の自己紹介 その2

2008年11月15日 | Weblog


       昭和??年 東京の我が家のアトリエにて。母親と兄と。

 自己紹介ですから何と言っても写真が手っ取り早くて、効果も一番でしょう。
 キリンの縫いぐるみを抱っこしているのが私です。
 あえてこの写真をお見せしたのは他でもなく、今の私の顔も頭もほとんどこの
 写真と変わっていないので、一番分かりやすいのではと思ったからです。
 この顔を覚えて置いて頂ければ、町ですれ違ってもすぐお分かりになるでしう。
 「誠茅庵の館主では?」とどうぞ声を掛けてください。
 喜んでこの町で一番美味しいと言われているラーメンでもご馳走致しますから。

館主の紹介ーNO,1

2008年11月15日 | Weblog
           `07年5月 展覧会出品3点。

 1.館主の紹介
    この美術館の運営、企画、作成をする我が誠茅庵館長の経歴、人物等を
    何回かに分けてご紹介致します。平凡で特技も特徴もこれといった功績も
    輝く功績も何一つない人物の紹介は、結構難しいものです。

   年齢:今日現在で、古稀を2ヶ月と15日だけ越えました。
   住所:神奈川県は茅ヶ崎市。
   名前:愛称「まこちゃん」 本名は誠茅庵のネーミングの由来となった
      誠です。名は体を表すとはよく言ったもので、誠実が服を着ている
      様な人物です。
   趣味:まずは絵を見ること、評論すること。そしてたまには描くことも。
      読書(乱読。系統の違う2~3冊を同時に並行して読むのが好き。
      強いて言うと時代小説(池波正太郎、山本周五郎、藤沢周平、
      司馬遼太郎のファンで全てを読破。)
      現存作家のこのジャンルの本がいまいちなので、病院の待合室用に
      4氏の本を残しておけば良かったなぁと最近後悔する事しきり。

   その他
   運動:若い頃は
      野球、スキー、スケート、空手はセミプロ級?
      ゴルフ、ゲートボールは予選落ちレベル。
      水泳、ボウリング、ハイキング、山登りは苦手で嫌い。
      現在は、卓球ならぬピンポンを楽しむ程度に。やって6年目
      になります。もし市民卓球大会に出れば、多分シニアのCクラスで
      初戦敗退という所でしょうか。

11月15日 臨時の展示

2008年11月15日 | Weblog
 久し振りにペンで描いてみました。
紙が風邪を引いてて、色が上手く出ませんでしたが、変わった感じになりました。
今日も先日のスケッチの時の様に良い天気でしたが、一寸寒いので、紙と同様に本人も風邪を引いてはいかんと、中途にして早々に家に帰りました。

11月15日 臨時の展示

2008年11月15日 | Weblog
 横浜 山手イタリア山公園 外交官の家  08、11,13

 久し振りのスケッチ行でした。寒くてどんよりした日が一週間も続いていたのに、この日に限って快晴の小春日和。果たして誰の行いが良いのやら。
所属しているグループの仲間とその先生との十数人でした。やはり外で描くのは格別な気分です。言い訳ですが、絵のどうのこうの!構図がどう、色がどう、上手いの下手なの等を超越してしまいます。皆で話し、笑い、お弁当を食べて、木々の葉が明るい陽光にいろんな色にキラキラ輝くのを見ているだけで、生きていて良かったという陳腐な言葉が実感として浮かびます。

 本展示の方は目下いろいろ思案、構成等の作業中であります。
絵の探し出し、分類、仕分けなどの作最中です。といってもぼちぼちのペースでなかなかはかどりません。
もう少しはスピードアップしてともかく陳列してみて、いろいろギャラリーさんから、ご批評や、こういう陳列をしたら、こんな内容にしたら面白いのでは等のアイデアや知恵を早く頂きたいものです。

館主の自己紹介 その2.

2008年11月10日 | Weblog
     昭和??年 東京の我が家のアトリエにて。母親と兄と。

 自己紹介ですから顔写真が一番でしょう。やはり家のアトリエでのものです。
キリンの縫いぐるみ(何十年前まではこれを可愛がっておりました)を抱っこしているのが私です。こんな古い写真をお見せしたのは、あえて申し上げれば今の私もほとんどこの写真の顔と変っていないからです。
誠茅庵の小さな小さな美術館の館長は、こんな顔だとどうぞ覚えて居てください。
 
 


館主の自己紹介 その1.

2008年11月10日 | Weblog
     セピア色の写真   我が家のアトリエにて 両親と兄との四人
 
 今日は、恥ずかしながら秘蔵の写真を1~2枚お見せ致します。
何故なら、まずは開館に当たり氏素性をただすために自己紹介が必要だと思われたからです。別なブログで「まこちゃんのピンポン日記」というのを5年ばかりやっていますが、仲間や極く近い友人知人が見て呉れていますが、最近では全く知らぬ方、(いろんな言葉単語からの検索や、或いは偶然に開かれた方々でしょうか)、毎回100人位の人が覗かれます。知った方は別にしてそうした方には、最低限度の自己紹介をするのが、幾らPC上のことであっても1つの礼儀ではないかと思ったからです。

 私の拙い文章でごちゃごちゃ描くより何より雰囲気が分かって頂けるのではと、古い写真を引っ張り出し次第です。
ご覧の通り生まれた時から、絵の環境にはいやと言うほど恵まれていたわけです。当然、絵を見るのは子供のころから大好きです。見るのと描くのは残念ながら違うわけで、専ら鑑賞家、評論家でありました。