この度の寄贈を勧めてくれた友人が、ご自分が内外で蒐集した古美術品と、同氏のお父上
(漆絵作家)の作品を同美術館へ寄贈されたのを記念して本を発行されました。
その際、私が寄贈した絵の写真の掲載と、私に「父に思うこと」(1000字)と「挨拶文}(600字)
という題での寄稿をその本に依頼されました。
そこで恥ずかしながらも、次の如く感謝の気持ちを込めて駄文ながら寄稿させて貰いました。
次の二つの文章はそれをそのままコピーしたものです。寄贈の経緯、経過やそれまでの気持が
一番分かりやすいのではと、あえて書き直すことなく添付してみたのです。
『 父に思うこと 』 高橋 誠
「 父は正真正銘のプロの絵描きとして一途な道を歩みました。
その一生は起伏に富み苦労や苦悩も多くさぞ大変だったことだろうと、特に今の私の年齢になって
胸に響いて参ります。
しかし絵描きに徹したことが、人間としての誇りであり、生き甲斐でもあり、芸術家としての矜持でも
あったのでしょう。
戦時中から戦後にかけては、絵描きなどの生活は受難の時代でありました。
何も絵描きとか芸術家だけのことでありませんが、国民皆がやっと生活していた時代ですから、
絵などよりはまずは食べ物であり着る物だったのです。
絵画上の技術的な悩みなどは私に知る由もありませんが、絵描きの生活上の苦しみも大変だった
のでしょうが、それを真に理解するには未だ幼すぎました。
あれは私が幾つの頃だったか、個展で売れた絵を東京の下町にあった買主のお宅へ届けに
行ったことがありました。この時代によくも絵など買う人が居るものだ、それよりこの家の子供達は
TVが欲しいだろうし、洗濯機や冷蔵庫の方が良いだろうに等と思いながら訪ねたものです。
そのお宅にはその時はまだTVも洗濯機もなかったのです。
この世には物欲だけではなく、本当に絵など芸術を愛し楽しむ方がいるものだ、何と精神的に
豊かな生活をしている人が居るものなのかと、深い感動、感銘を受けたのを覚えています。
その後の私の考え方にも少なからぬ影響を受けた様な気がします。
父はお酒をこよなく愛しておりました。よく絵描き仲間や友人達が集まっては飲んでいましたから、
私は酒を飲むと絵が上手になれるのだと思っていたものです。
しかし私には酒好きが伝わったのは確信していますが、絵の方のDNAが伝わった痕跡は全くない
のです。
母からは「貴方は大人になったら、堅いお勤め人になってね」とよく言われたものです。
これは将来の苦労と生活の不安定を心配しての事だったのでしょう。
勤め人でもお店屋さんでもない他の人とは違ういわゆる自由業という父に、一寸誇らしいのと、
一寸当惑した様な気持を抱いていたものです。
本人は日常の些事や世俗の雑事を超越し、ひたすら好きな絵を描き続け、その人間性、人間味を
多くの人に愛され、作品もそれなりの評価を受けていました。
まずは幸せな人だったのではと思います。
まさに、昔の良き時代の「絵描き」に徹しそれを享受した人であり、平凡な勤め人であった私などから
みると、羨ましい位に自由で心豊かな大きな人であったと思います。
今は、「人間万歳、絵描き万歳そして親父万歳!」と父にエールを贈りたいと思っているのです。