誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

28年度展示開始のご挨拶

2016年02月23日 | Weblog

 

  長い冬休み、正月休みをしておりました。

  この数年、当誠茅庵美術館では版画の「 藍 」展でその年の展示を終え、デッサングループ「アミーゴ」展

  で新年度の展示が始まるというパターンを繰り返しています。

  今年も当館の恒例の数々の展示会からのを初め、新規企画や初めての展覧会からの展示をいろいろと

  模索し計画を立てております。

  しかし私の写真技術、PCの知識と技術は相変わらずのお粗末さです。何時の日か素人評論家たらんと

  張り切って居た時もあったのに、その陳列作品への感想批評説明等のコメントにもどうにも進歩ありません。

  これも年齢から来る気力体力の衰えによるのでしょうか、年々トーンダウンで面白味もますます無くなった

  ような気がしてなりません

  折角、ご来館頂き見て貰うというのに、まことに汗顔の至りであり、失礼でもあり申し訳なく思っております。

  今年はぜひ初心に戻って、少しでも良い美しいそして面白い見応えがある展示にする事を、お正月に

  お屠蘇を飲みながら硬く誓いました。

  どうぞ懲りずに今年もよろしく度々の御来館をお待ちしております。             -- 館長ー

 

   さて、そのアミーゴ展が始まるまでの間、特別な臨時の展示として、館長(私)の父親であり、

   洋画家の「高橋 亮」の油絵3点を展示させて頂きます。

   昨年の秋に、その絵を喜多方美術館に寄贈すると云うことがありましたので、その顛末や

   経過等をお話しするのを兼ねて展示致しましたので、どうかご覧下さい。

 

 

 


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(1)

2016年02月23日 | Weblog

 

 

            「 喜多方市美術館の建物です。古風なレンガ造りの情緒と風格が感じられます 」

 

     初めに

     昨年11月、芸術大学出身の友人の強いお勧めとご尽力によって、福島県の喜多方市美術館へ

     私の父・「高橋 亮」の古い油絵3点を寄贈すると言うことがありました。

     やはり美術館に所蔵され、末永く多くの方々に見て頂けることは画家、作者にとっては、これは

     何と言っても大きな喜びでありましょう。そして家族にとっても名誉でもあり嬉しいことであります。

     喜多方市は既に皆さんご存じでしょうが、今では蔵の町、そしてラーメンの町として全国的に有名で

     多くの観光客が訪れています。

     新幹線の郡山から磐越西線で80分、若松から20分という交通の便であり車でも若松ICから20分

     というロケーションです。福島県の北西、会津盆地の北に位置し、北西には飯豊連峰の山並みが、

     東には名峰磐梯山を望み、人口5万の落ち着いた風光明美な町なのです。

     私は大分前のことになりますが一度だけ行ったことがあります。

     古い蔵が多く残っており、洒落たお店が多く、森と川とに恵まれた静かで情緒豊かななかなか素敵な

     所でした。

     幾多あるラーメン店もそれぞれ味を競っていて美味です。中でも「あべ食堂」のそれなどは市内でも

     1、2を競う事でしょう。

     市の美術館も、蔵の町に相応しく、クラシックなレンガ造りで落ち着いた芸術の雰囲気が漂う建物です。

 

     当地は父の故郷(郡山湖南町福良)ともそれ程遠いところではありません。その意味では、まあ故郷

     への寄贈と言うことで本人も喜んでいることでしょう。

     何点かの残された作品から、あまり傷んでいないもの、手頃な大きさのもの、会津地方を描いたのを

     一点位は入れたいという等の条件で次の3点を選択ししたものです。、

 

 

 

 

 


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(2)

2016年02月23日 | Weblog

  

                      「 高橋 亮 」 略 歴

            1902(明治35)年  福島県安積郡湖南村福良に生まれる

            1922(大正11)年  福島県立会津中学校を卒業する

                          日本美術学校を卒業する

            1931(昭和 6)年  渡仏、パリで絵画を学ぶ

                          ロンドン芸術大学セントマーテンス美術学校卒業する

            1935(昭和10)年  帰国 東京と若松で帰国記念展開催

            1937(昭和12)年  陸海軍報道班員として中国大陸等に従軍

                  同年、    東京市目黒区平町にアトリエを構える

            1941(昭和16)年  日本美術学校の実技担当教員を務める

            1942(昭和17)年  セレベス、インド、ジャワ、バリ等に滞在

            1943(昭和18)年  会津美術人会結成に参加。出品する

            1944(昭和19)年  「南方戦線従軍展」を開催

                  同年     若松市に家族と共に疎開する

            1949(昭和24)年  東京都目黒区平町に戻る

                          会津美術展への出品

                          銀座での個展を毎年開催

                          第一美術協会展(委員)へ出品を続ける

                          会津美術展、県展、第一美術等の審査員を務める

            1965(昭和40)年  神奈川県茅ヶ崎市に転居する

            1968(昭和43)年  第一美術協会展で文部大臣賞を授賞する

            1974(昭和49)年  神奈川県茅ヶ崎で死去、72才。

 

       高橋 亮の経歴は概略こんなところです。

       この経歴については苦心しました。亮の画歴を大別すると留学時代、従軍画家時代、

       会津疎開時代、東京時代(第一美術時代)の四つに分かれるのですが、その中でも

       私の知っているのは会津と東京の時代だけです。

       しかもあまりに幼かったり、又まことに不肖の息子でありまして、絵に対する関心などが

       希薄であった勢で、父に関する資料はおろかその作品さえも散失したり傷むに任せた

       ままという有様だったのです。経歴書作成などは難しいことでありました。

       平成13年だったか、埼玉県平和資料館の特別展示会にさいして、戦争関係の作品の

       提供のご依頼があり、従軍時代の絵ハガキやスケッチブックや戦争画(油絵)を寄贈した

       ことがありました。

       その際に年譜の作成を求められて困惑したものです。

       今回も私の記憶や昔の絵の刊行物等の資料を総動員して、躊躇しながらお送りしたところ、

       なんと喜多方美術館、後藤館長殿のご尽力でかなり詳細な年譜、画歴を調べて作って

       頂いたのです。

       さすがは美術館だと、その情報力、調査力には驚嘆したものです。

       特に従軍時代から会津の疎開時代の詳細な画歴には、私の完全に空白な部分を埋めて

       頂いた様で大感激でした。上記の表は作って頂いたそれから短く抜粋したものです。

 


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(3)

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             高橋 亮  画  1/3

                『 檜原湖畔 』  F12  油絵  60.6×50   制作 1947年頃

 

        若松時代の作品と思われます。

        その時代、何か心境の変化でもあったのでしょうか。

        かなりデフォルメされて大胆な表現です。

        いつもの作風とはかなり異なったもので、作者の作品集のなかでも

        とても珍しい一点です。


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(4)

2016年02月23日 | Weblog

 

 

      高橋 亮  画  2/3

           『 白浜(野島崎) 』   F10  油絵  49,5×34  制作 1955年頃

 

     晩秋の会津郊外の田園風景とか磐梯山や、そして何気なく人の居る風景や夕方の海など

     が、様々な作品の中でも特に好んだモチーフだったようです。

     そうした風景や静物等の情感を具象的に描き続けたのです。


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(5)

2016年02月23日 | Weblog

 

      高橋 亮  画  3/3

        『 太海の夕 』  F20  油絵  73×61  制作1957年頃

    東京の家から、房総の海へは何度もスケッチに行っていたのを覚えています。

    そこは絵描きが良く訪れる場所で、その海の色、複雑な岩場は絵心をそそられるのでしょう。

    こうした夕方の海、荒れている海をよく描いていました。

    この描き方、この感じが父のいつもの画風です。一生、具象画に徹しきった絵描き人生でありました。


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(6)

2016年02月23日 | Weblog

 

     この度の寄贈を勧めてくれた友人が、ご自分が内外で蒐集した古美術品と、同氏のお父上

     (漆絵作家)の作品を同美術館へ寄贈されたのを記念して本を発行されました。

     その際、私が寄贈した絵の写真の掲載と、私に「父に思うこと」(1000字)と「挨拶文}(600字)

     という題での寄稿をその本に依頼されました。

     そこで恥ずかしながらも、次の如く感謝の気持ちを込めて駄文ながら寄稿させて貰いました。

     次の二つの文章はそれをそのままコピーしたものです。寄贈の経緯、経過やそれまでの気持が

     一番分かりやすいのではと、あえて書き直すことなく添付してみたのです。

 

            『 父に思うこと 』                   高橋 誠

    「 父は正真正銘のプロの絵描きとして一途な道を歩みました。

    その一生は起伏に富み苦労や苦悩も多くさぞ大変だったことだろうと、特に今の私の年齢になって

    胸に響いて参ります。

    しかし絵描きに徹したことが、人間としての誇りであり、生き甲斐でもあり、芸術家としての矜持でも

    あったのでしょう。

    戦時中から戦後にかけては、絵描きなどの生活は受難の時代でありました。

    何も絵描きとか芸術家だけのことでありませんが、国民皆がやっと生活していた時代ですから、

    絵などよりはまずは食べ物であり着る物だったのです。

    絵画上の技術的な悩みなどは私に知る由もありませんが、絵描きの生活上の苦しみも大変だった

    のでしょうが、それを真に理解するには未だ幼すぎました。

    あれは私が幾つの頃だったか、個展で売れた絵を東京の下町にあった買主のお宅へ届けに

    行ったことがありました。この時代によくも絵など買う人が居るものだ、それよりこの家の子供達は

    TVが欲しいだろうし、洗濯機や冷蔵庫の方が良いだろうに等と思いながら訪ねたものです。

    そのお宅にはその時はまだTVも洗濯機もなかったのです。

    この世には物欲だけではなく、本当に絵など芸術を愛し楽しむ方がいるものだ、何と精神的に

    豊かな生活をしている人が居るものなのかと、深い感動、感銘を受けたのを覚えています。

    その後の私の考え方にも少なからぬ影響を受けた様な気がします。

    父はお酒をこよなく愛しておりました。よく絵描き仲間や友人達が集まっては飲んでいましたから、

    私は酒を飲むと絵が上手になれるのだと思っていたものです。

    しかし私には酒好きが伝わったのは確信していますが、絵の方のDNAが伝わった痕跡は全くない

    のです。

    母からは「貴方は大人になったら、堅いお勤め人になってね」とよく言われたものです。

    これは将来の苦労と生活の不安定を心配しての事だったのでしょう。

    勤め人でもお店屋さんでもない他の人とは違ういわゆる自由業という父に、一寸誇らしいのと、

    一寸当惑した様な気持を抱いていたものです。

    本人は日常の些事や世俗の雑事を超越し、ひたすら好きな絵を描き続け、その人間性、人間味を

    多くの人に愛され、作品もそれなりの評価を受けていました。

    まずは幸せな人だったのではと思います。

    まさに、昔の良き時代の「絵描き」に徹しそれを享受した人であり、平凡な勤め人であった私などから

    みると、羨ましい位に自由で心豊かな大きな人であったと思います。

    今は、「人間万歳、絵描き万歳そして親父万歳!」と父にエールを贈りたいと思っているのです。

 


28展ー(1) 洋画家 高橋 亮の作品を喜多方市美術館に寄贈のこと!ー(7)

2016年02月23日 | Weblog

 

       『 ご挨拶  』

   この度の当誌発行にあたり発行者宮村泰明氏へお祝いと共に心からの感謝を申し上げます。

   同氏の企画力と実行力そして芸術への深い憧憬と強い情熱には、この事(館への寄贈と当誌の発行)を

   通じて深く感じ入るばかりです。

   昨年の喜多方市美術館への寄贈に際して、私にも声を掛けて頂き、お陰様で父、高橋亮(洋画家)の

   3点を寄贈させて頂く事が出来ました。

   作者や作家にとっては、その作品を少しでも多くの方々に観て頂きそして喜んで貰えるとしたら、

   しかも故郷とも言える地に末永く残るということは大きな喜びであり栄誉な事でもありましょう。

   さぞ父も喜んでいることと信じております。お陰様で、私までが良い親孝行が出来た様な感慨に

   浸っているのです。

   ここに改めて宮村氏と後藤館長殿をはじめ関係の皆様方に御礼申し上げる次第であります。

   喜多方美術館のより一層のご清栄とご発展を祈りながら…。

                              平成28年2月 茅ヶ崎にて

                                    高橋 誠

                                                     ーー完ーー

   以上、私的な色の濃い展示になってしまい失礼致しました。ご覧頂き有り難うございました。

   そろそろ恒例のアミーゴ展も始まる頃です。次回には同展からの傑作を数点、もう間もなく展示

   できると思いますので、どうぞご期待下さいませ。                  ー館長ー