≪ 初めに ≫
この日よう会というのは、私(当美術館館長)が只一つ所属している絵画グループです。
それだけに今回のこの当館での陳列でも、いつものように論評や批評めいたコメントを
するのはいささか躊躇したり逡巡したりするものがあります。
あまりに身近か過ぎるし、お仲間に僭越かと遠慮したり、或いは笑われたり叱られたり
するのでは等と書く(キーを叩く)手が思わず止まり、思いは乱れます。
最近では特に自分の眼のこともあり、自分が描くのは程々にして、絵を見て楽しむ、
それを論評したりすることによって,何時までも好きな絵の世界とつながっていたい
という気持ちが強くなりました。
そこで絵を本当に分かるようにと、美術評論とか絵画論の本などで勉強はしては
おりますが、やはりセンスと感性の欠如はいかんともし難く、未だにその浅学と
経験不足によって、素人新米評論家の卵のまた卵という所から一歩も脱皮出来て
いません。今まで何回も当ブログの美術館での陳列の度に、失礼ながらも批評の
真似事をさせ貰って来ました。今回もその練習をしたい所ではありますが、多分
これから陳列を始めていっても、せいぜい素朴な感想か、その作者の人となりの
紹介くらいしか出来ないような気が致します。
ところで、こうした趣味のグループではその上達志向もさることながら、私がそれと
同等或いはそれ以上に大事に思っているのは、そのグループの雰囲気であって、
つまり和気藹々の楽しい空気なのです。
これが第2の人生の趣味の世界には不可欠なものであり醍醐味だと思っております。
全員が対等で仲間であり、威張り屋さんも我が儘さんも、陰険峻険なんて空気の微塵
もない、常識の通じるといった世界が、趣味のグループに求める理想の姿です。
そうでなければ、もう二度と戻ってこない貴重な後半の人生が楽しいものではなくなり、
その人生は砂漠の如しでしょう。
もしもそんな所になってしまったら、あまりの運の悪さに嘆き悲しみ、無駄にした大事な
時間のロスに何とも悔しい思いをするのでしょう。
幸い、この日よう会では大半の方が、心の広い、やさしい、ユーモアを解し、そして
常識と礼節と思いやりとがある方ばかりなのと、先生を初めとして皆さんが一寸した
美人(心の美人も含めて)ばかりなので、有難いことにこの10年有余、楽しく続け
させて貰っているのです。