誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

23展ー3 企画展の2 水彩連盟展より

2011年04月29日 | Weblog


 第70回水彩連盟展に行って。

 4月の或る小春日和で爽やかな日に、愛すべき仲間達と六本木の新国立美術館の水彩連盟展へ行って来ました。今回は、その同展から知人5人の方の5作品を陳列致します。
5人の方には当誠茅庵美術館への陳列をさせて頂きありがとう御座います。

さて今回は第70回記念展だそうです。節電協力と言うことで一時は開催も危ぶまれたそうですが、閉館時間を1時間繰り上げる日が数日あったもののまずは多くのギャラリーが入場し盛況だったようです。特に今年は記念展と言うことで又一段と力作が揃っているように感じられました。

同展では何時もその大きさ見事さに圧倒され、よくギャラリーの方に油彩画と見間違えられる程の迫力ある画面、画風、タッチ、そして現代的な美的感覚を取り入れた作品、抽象画、心象画、半心象画に驚き、会場を一回りすると一寸した疲労感さえ覚えるようです。

それでも帰りに寄った毛利庭園の一寸早めの桜と美味しい珈琲やビールに癒されて堪能できた1日でした。余震の不安もありましたが電車も何事もなく、丸の内の「かこいや」の昼食も思ったより美味しくホッとしました。芸術鑑賞とは腹がへるものです。
何事もない平和、平穏というのは、好きな絵を見たり、自然を愛でたり、楽しい人と談笑したり、しかも美味しい物を食べられて、何と良いものなのでしょう。
こういうのも人生の1つの大きな喜びでありましょう。
しかし当地では、あの地震も喉元過ぎて、自分達だけ楽しんでは居られない気もします。

東北にも原発にもそして日本中に、早く暖かい穏やかな平和な時間が来ますように!!

23展ー3 企画展の2 水彩連盟展より

2011年04月29日 | Weblog

 さて第70回記念号の画集を見ると、同会は昭和15年に当時の『日本水彩画会』から、有志委員数名が独立し結成したとあります。その当時の起請文には
『志向を同じくする者8名相寄って水彩聯盟を結成した。吾々は多年、日本水彩画会に合って、水彩画の向上発展の為出来る限りの努力をしておりますが、現在の洋画界を通観した際、水彩画の位置の極めて不安定なことは、斯道に賢明する者にとっては遺憾とする所であります。
ここに吾々は総力を奮ってあらゆる方面から検討し、真に日本の特技たる、民族的性格を持つ次代の水彩画を確立したいと存じます』 (70回記念、水彩連盟展画集より抜粋)とあります。
当時の水彩画壇の主潮に物足りなさや疑問を抱き、改革したいという情熱を持った進取の精神旺盛な気鋭が旗揚げしたことが伺えます。

当時の水彩画界は、数々の昭和美術史書等から推測するに、昔からの日本画の延長線上にあり、極めて細密微細な画風が主流であったようです。加えてもう一つの影響は、西洋のスケッチ画に憧れ尊ぶあまり、簡単に言うと水彩画とは淡くきれいで且つ繊細にして写実的具象的なものという概念が主体だったようです。

一方、油彩画の方は国産の絵の具も飛躍的に品質が向上して、価格も案外安価なものになって、鮮やかな色彩、深みのある、味わい豊かな色彩の表現が可能になってますます発展したのです。そうして多くの画伯が輩出し名画が制作されて人々を魅了したようです。当然ながら油彩画はますます水彩画より上位に確固たる地位を築いたのでしょう。

水彩画ははっきりと油彩画の下にあったのです。
その勢でしょうが私の子供の頃は、水彩は手軽と言うことや画材も手に入りやすいと言う事もあったのでしょうか、水彩は子供の遊びに近く、幼児や小中学生、素人のやるもので、その中から才能があったり、特に絵の好きな人とかがやがて油彩画に進むというのが一般的なコースだったのです。
私も小中学までは学校で水彩をやり好きではありましたが、特に上手でもなかった勢か、油絵はやらずじまいで、そこで絵とは縁が切れてしまいました。
これは日本の絵画教育の問題にもなってしまいますが、このパターンの方が当時の大半だった様な気がします。


今でこそ水彩画と言うジャンルは大いにその存在価値を高めています。
いろんな面で入門しやすい手軽に出来そう、子供の頃にやったことがある(実は正確には当時は不透明絵の具だったのですが)と言った理由があるのでしょう。
今や水彩画は淡彩画教室とかカルチャーなどで、特にシルバー層には大流行なのです。
特にあのきれいな淡い透明絵具の力もあるのでしょうか。

その絵具の関係もあるのでしょうが、その水彩人口の作品の大半が、スケッチ画や淡彩画という範疇のものです。(最もあまり分類するのも意味がないかも知れません。水を使って描けば全て水彩画なわけなのですから)。
それらは淡くてあっさりとそして美しく洒落ていて上品な感じすら漂わせて居るかのようです。透明水彩絵の具の特長を大いに生かした作品です。
忙しさや時間のない慌ただしくて全てに手軽で淡泊で、あっさりが好まれるいささか皮相的な世相や現代社会に即した流行のような気もします。
よく油絵もやった方が、やってみると油絵よりも数段、水彩画の方が難しいと言う声をよくお聞きします。この辺りが面白いところです。

 水彩画展という案内や看板で行ってみると、正真正銘のスケッチ画展であったり、せいぜい淡彩画展ばかりだったというケースに度々出会います。
これも現代的な現象なのでしょうか。
本来の水彩画が、油彩画と同様に変革をしている様に、主に透明水彩絵の具を使ったこうしたジャンルでもこれからどんな変革を進歩をしていくのでしょう。楽しみです。
絵具屋の提灯を持つわけではありませんが、そうした分野の水彩画も、願わくばもう少し絵具を使って欲しいと何時も思ってしまうのも確かです。

長いどうにも長い、館長の他愛のない水彩画論の話でまことに失礼しました。
反省しています。
とても口下手で人前では極めて無口な館長もその反動なのでしょうか、陳列のために
キーを打ち出すと手が自然に動いて、どうしても長くなってしまうのです。
館長の悪あがきと思し召してお許し下さい。
しかし例え長くても嘘は書きませんので‥。どうぞこれからもよろしく。
 

それでは、第70回水彩連盟展からの5作品をご覧下さいませ。











23展ー3 企画展の2 水彩連盟展より

2011年04月29日 | Weblog

  第70回水彩連盟展からの展示ーNO,5

    高橋 嘉子画  『卓上のシンフォニー 11-Ⅱ』


 以上5人の方の5点をご覧いただきました。
 ご高覧ありがとう御座いました。

 次回も企画展を近々予定しております。又のご来館をお待ち致しております。
                            
                           ーー館主拝ーー

23展ー2 特別展示 示現会の田中康雅氏の作品

2011年04月15日 | Weblog

  第64回 示現会展の田中康雅氏作品を1点

六本木の新国立美術館の示現会展に行ってきました。
同展は昔から写実画、具象画中心で、保守的とも言えるほどその路線を守り、堅実に見る人をホッとさせる大きな実力を感じさせてくれます。
それは頑固なまでに揺るぎない自信と表現力で、この会全体の好ましい雰囲気を醸し出しています。
抽象画や心象画とは、一味違ったものを感じます。頑なに追求されている画風に感心致します。胸打たれる思いです。そんな同展にはファンが大勢いるわけです。

田中氏から毎年案内を頂き、病気で行けなかった年を除いて見せて貰ったり、又彼が毎年神田の珈琲館でやって居られた個展にも伺ったことがあります。
実は彼と私とは、その昔同じ会社に勤めて居りまして、彼は管理畑、私は営業畑でしたのであまり仕事での接点はなかったのですが、既に当時から絵を本格的にやって居られて、その才能は知る人ぞ知るで、ピカリと光るものがありました。

しかも私が先にも後にも、絵を買ったのは未だに彼の1枚だけなのです。こうした因縁もあるのです。
当館開設時の自己紹介にも書いたことがありますが、私の父親が洋画家でしたので、我が家にはその絵が残っています。それを季節毎に取り替えて飾って楽しんでいます。
従って絵を売ると言う概念はあっても、人の絵を買うという感覚は私にはほとんど無かったのです。
それがあの頃、示現会で見て彼の或る1点が欲しくなったのです。それは『老いたピエロ』と言う題名の10号の油彩画でした。
その寂しさと悲哀に満ちた老ピエロに、20年後30年後の自分の姿をきっと見たのでしょう。それで買う決心をしたのを覚えています。
そしてその絵を手に入れてとても気に入り、心はとってもリッチな気分に、精神的な豊かな感覚を享受したものです。
あの昔、戦争直後の頃、皆が生活がやっとで、食糧も全ての物資が欠乏していた時代に、私の父親の絵を買ってくれた人達の気持が少し分かった様な気がしたものでした。
「人間はパンのみに生きるものにあらず、空腹はパンで満たせるが、心の空腹は満たすことが出来ない。」と言います。
この飽食豊饒の時代だからこそこんな言葉が大切なのかも知れませんね。

23展ー2 特別展示 示現会の田中康雅氏の作品

2011年04月15日 | Weblog

  第64回示現会から田中康雅氏作品を1点。

   『ボート漕ぎ』  油彩

さてそれでは田中氏の作品をご覧下さい。
油彩画の大作の1点です。作者は昨年大病をなさり、とても療養中とは思えない様な作品です。爽やかな明るさで、希望と幸福感と、生きることへの賛歌のようでもあり、限りない生への憧憬を感じます。さすがです。絵とはこうでなくてはならないのでしょう。
自分の心の思いを如何に、モチーフを借りて表現するか、伝えるかと言うことが絵の大きな要素の1つと言えるのでしょう。
それにしても、ボートの女性は何と可愛いのでしょう!明るい笑い声が聞こえてくるようです。西洋の名画にも通じるようです。ホッと癒される感じです。
作者の心が、病から立ち直って、より清純な世界に到達したと言うことでしょうか。
そうした意味で絵は人を表し人生を表現するという事を改めて確信するようです。

残念ながら今の私の知識では、とても美術論や絵画論ましてや技術論などをすることが出来ません。評論というより、こうした、ただ直感的、感覚的なもので感想の域を出ることが出来ません。まだまだ当分は良い絵は良い、好きな絵は好きと言う素朴な感想に甘んじて、果たして自分に有るのか無いのか分かりませんが、自分の直感や感性だけを頼りに、じっくりと多くの絵を見ることしかありません。

当美術館への陳列を承諾してくれた作者に改めて感謝申し上げます。
又の機会にはぜひその作品集などをやらせて頂きたいものです。

 御来館ありがとう御座いました。   ーー館主ーー

 次回展予告:新国立での『水彩連盟展』からの数点を展示します。