誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

(2)誠茅庵のこと

2008年10月09日 | Weblog

 ちょうど20年も前になりますが、我が家を立て替える時に私には三つの希望というか、夢がありました。
まずその1は、リビングから庭へデッキを伸ばし、その下から庭へつながる大きめの池を作ること。
その2は、中庭に面した天井から床までの広いガラス窓のある、庭の地面とお湯の高さが面一で、つまり風呂に入りながら庭の緑が充分見える浴室にすること。
その3は、何処かに狭くても隅っこでも良いから、壁面全体に作り付けの書棚がある書斎を作ると言うものでした。

しかし結局、いざ完成した時には、(1)は水気が縁の下に回って建物に良くないと工務店に止められ、(2)は防水排水問題や強度のこと、そして何と言っても如何ともしがたい予算のことで断念させられた。池は庭の隅に昔からのがしょんぼりと、風呂は立てば坪庭は見えるものの、湯船につかれば見えるのは空と石灯籠の頭だけだった。
こうして辛うじて残ったのは書斎だけでした。元々予算上のスペースもなかったのですが、4畳程の西向きの小部屋でした。せめて三面の壁に書棚を配すると言うところだけは何とか必死で堅持したのです。

名前だけでも付けてやろうと、「誠茅庵」と致しました。そして自分で彫って木版の名札を作り扉に掛けました。それが<せいぼうあん>と言うわけです。深い意味も何もありません。名前と地名からで、強いて言えば誠は誠実の誠、茅は茅屋というあばら屋の意味に掛けたつもりと、一人ごちていたのを覚えています。

自分だけの書斎というお城に籠もって、読書三昧、思索にふけり、絵を描いてそれにも飽いたら、ぶらりと散歩にでも出て、というそんな生活を夢みました。しかし現実は、現役時代の10年はとても書斎に落ち着く時間は無く、ほとんどの用事は食卓の自分の席で済ませてしまいました。その間に、とりあえず、とりあえずと言う気休めのような前置詞をつけて、此処に置こう此処に仕舞って置こうと言うことで、やがて書斎は完全に物置と化してしまったのです。

やがてリタイアーすると、そこを片付け復活させるのが、まずは最初の仕事だと思ったのですが、見ればうんざり、明日こそは、いやその内にはと言いながら手に付かず、又も10年が経ってしまったのです。物ぐさ、怠け者、面倒くさがり屋の面目躍如と言うところですが、自慢にもなりません‥。
古なった木彫りの名札を見ると、あの時の意気込みが伺われます。これだけは年月を経て却って味が出た様ですが、しかし今になると、どうもいまいち陳腐で平凡な何とつまらないネーミングだったことかとさえ思います。

私もいつの間にか古稀を迎えました。その直前には狭心症で入院、手術と大変でした。しかしお陰様で何とか無事に生還する事が出来ました。
そこでこれを契機に、20年ぶりのあの時に戻って、整理片付けをし、初期の目的に近い書斎にして、今度こそ好きな時に絵を描き、思う存分の読書三昧それに飽きたら居眠りでも散歩でもと言う世界に入りたいものです。

この長い間、可哀相だった愛すべき物置と、その誠茅庵という名前にも、もう一度光を当ててやり、生命を吹き込み、20年の眠りから目覚めさせてやろうという気持ちからこのブログ美術館の名前にしたのです。物置から心の美術館へと変身させてやるつもりなのです。

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