(初めに。絵は自由で各人それぞれのもの。10人居れば10枚の絵あり)
まだまだ残暑が厳しい時でしたが連日快晴に恵まれて、今年も茅ヶ崎鶴彩会の
水彩画展が市民文化会館で開催されました。連日大勢のギャラリーで賑わって
いました。皆さんが大作を2点、小品を1点という出品で100点有余の陳列です。
それは壮観であり、圧倒される様でした。大きな作品には心象画が目立ち、
小品には具象画がという例年通りの様子でした。
大は80号、小は10号まで、心象あり具象あり、加えて皆さんそれぞれの
個性豊かな画風あり、色使いあり、巧みなデフォルメをしたもの等々と、相変わらず
素敵な充実した作品ばかりでありました。
最近の水彩画展を見て一抹の淋しさ物足りなさを感じる事が多いのですが、
同展は私の好みを十分満足させて呉れます。確実なデッサンに、良く描き込まれ、
色を十分に使った作品なのです。
そこでは。ただ色がきれい形が良い爽やかだというものだけでなく、夢や希望、喜びや
感動、そして悲哀、哀愁や歓喜といった人生の様々なことが感じられるのです。
ただただ美しいというのも、もうそれだけで価値があるでしょうし、見る人を癒して
くれるかも知れないし、喜びを与えるかも知れません。
しかしその感動は刹那的であり、時間的には案外浅く短いものかも知れません。
絵には作者の喜怒哀楽や人生観やその来し方行く末を表現するものでもありたい
ものです。スケッチ画とかペンで縁をとって一寸色を乗せたようなもの、限りなく淡く
淡くてきれいなものは、一見洒落てて素敵そうに見えますが、こんな絵には、絵の
本質の一部でもあるそんなものは期待できないでしょう。
そもそも絵なんてものは自由なものですから、絵というものをどうとらえるか、
どう考えるかによって、様々な見方、考え方そして好みが出来上がるのでしょう。
作者側も見る側もそもそも自由で奔放なもので良い訳ですから、スケッチ画でも
淡彩画的なものももちろん絵でありそれを好むファンも描き手も多いわけです。
反対にこの鶴彩会展のような作品ももちろん絵であり、フアンも負けずに多いわけで
そこが絵の面白い所であり、深い所なのかも知れません。