誠茅庵という名の小さな小さな美術館

絵や写真、そして雑感日記。。
六十の手習い(水彩画、スケッチ等)帖。

24展ー2 企画2. グループ藍・版画展よりー(1)

2012年02月14日 | Weblog

  第41回 版画展グループ藍  (初めに)

 今年も駅前の市民ギャラリー展示場で版画展が開かれていました。
水彩、油彩、写真等の展示会に比べると、版画展は少なく珍しい位で、それだけに興味があります。一種独特な、版画特有の情緒やその雰囲気は味わい深く、とても素晴らしいものです。
特に、同展は41回という歴史が有ります。さすがに皆さん落ち着いたそれぞれの出来上がった、ご自分の作風で表現されています。

お話を伺ってみると、木を彫ることが好きでないとなかなか版画は続かないよう
ですし、何枚も版木を彫り、何回も刷り重ねるというかなりの根気を要する作業だそうです。
それを皆さん、長い間じっくりと研鑚し続けられて、これらの作品を並べたのかと
想像すると、感銘すら覚えて来るような気になってくるのです。

同展では毎年、真弓千枝さんの作品を、当館では陳列させて頂いております。
相変わらずの素敵な作品です。
特に最初の『台風すぎて』は傑作でしょう。台風一過の静けさ、遠近感などを
モノクロの濃淡で、その構図の確かさで見事に表現されています。
その次の2点(浜昼顔とピーマン)と続けてご覧下さい。

 さて、今回はもうお一人の方の作品も展示する事ができました。版画では珍しい様な動きを感じさせるユニークな構図〔安来節)、水彩のぼかしのような表現、半抽象的とも思えるタッチの背景(ぶどう)、その色調、色使いに等に興味を持ってしげしげと見ていたら、たまたまご本人が会場に居られて、真弓さんに紹介して頂きいろいろ話をお聞きしました。その際、これらの作品を当館でも陳列させて頂く許可まで得ることが出来ました。それがお二人目の駒井高雄氏です。
その駒井高雄氏の3点を(ぶどう。安来節。鎌倉)続いて陳列致しました。

  どうぞ御ゆっくりご覧下さい。

21展ー2 グループ藍・版画展よりー(7)

2012年02月14日 | Weblog


   第41回 版画展 「グループ藍」 作品NO-6
 
        駒井さん作品の3/3
     
      駒井 高雄さん作  『鎌倉』



  以上、版画作品6点をご覧頂きました。お楽しみ頂けましたでしょうか。


  本日も御来場有難う御座いました。 次回もどうぞご期待下さいませ。

24展ー1 企画展の1 個展ー小林靖正氏写真展よりー(序)

2012年02月10日 | Weblog

  小林靖正氏写真展の展示にあたって。

いよいよ今年最初の展示です。今年のオープニングに相応しい作品で且つ
当館としては開館以来初めての写真展となりました。
神戸在住の写真家、小林靖正氏の作品です。同氏が数年前に、梅田のニコン
ミニギャラリーで開催した個展『旅の残影ーオホーツク』から、ご本人の許可
を得て展示させて頂くものです。

この作家は、長い海外赴任や日本各地で活躍し、無事その輝かしい職責を全う
されて、その後は宝塚市に安住の地を定められて撮影旅行やグルメ三昧といった充実した幸せな生活をして居られるようです。

同氏とは実は小学1年の時からの長い長い親友なのです。とは言っても
もう長い間手紙だけ、最近ではメールだけというくらいのお付き合いです。
これもひとえに、私の消極性、出不精、外出嫌い、長い体調不良に依るもの
なのであります。

小学時代、共に東京からの縁故疎開っ子同士であり、他にも何人かそんな人が
居たものですが、不思議なもので何とも言えぬ親近感というか一種独特な感情
を抱くものです。
少年の頃から、彼は色白でハンサムなしかもかなり意思の強さを持った文学少年という感じでした。私はどちらかというと体育会系、硬派系だったような気が
しますが、その頃から彼の文才、感受性には感心し認めていたものです。

私の方が早く東京へ戻ったのでよく手紙を貰ったものですが、その文章の素晴
らしさ、感性豊かで文学的であり思索的で美的資質ありだったのを思い出します。
そんなセンスが今日の同氏の作品に表れて居るように感じられます。

今回はその個展の中から7点を陳列致しました。
全ての作品に共通しているのは、詩情であり旅情であり浪漫であり寂寥感でありましょう。
人生の厳しさと時の移ろいの虚しさ、そして自然の大きさと峻烈さを、作者はレンズの
向こうに見ていたのかも知れません。

作者の個展の時の挨拶文には、『オホーツクには厳しい自然とそれに立ち向かう人間のたゆまぬ生活の営みとが、ぶつかり合う風土があり、そこに深く感動して旅を重ねて参りました』とあります。

所で私には写真の事は知識も何もなく云々する資格さえありません。写真は古いデジカメで記念写真かスナップ写真を撮る位なのです。
時々美しい景色に出会うと絵に描きたい、写真を撮りたいという衝動に駆られます。そんな時に、写真と絵の関係は如何にと思うことがあります。
よく分かりませんが、長年絵をやっていて先生の話や上手な方々の会話の中に、よくこんな事を耳にすることがあります。

『そんなに細かく正確に精密に描いても意味がない。どうしたって写真以上には描けないでしょう。それは写真に任せなさい』

『眼に見えるものを全部描かなくて良いのですよ。貴方は一体何を描こうとしているのか。何が描きたいのですか』

『写真と違うことの一つに、絵は自分で作れることがあります。絵とは自由な世界で、木も家も川もそして山さえも動かせるのです。卓上の静物でも頭の中で動かして良いのです。つまり自分で自由に作り上げる事が出来るのです。その方が良いのです。』

『絵をやると自然に構図取りが上図になり、例えスナップ写真の1枚でも今までとは構図やポイントが全く違った写真になって来るものです』
こんな会話があったのを覚えています。

私がここで言っている写真とは、デジカメのオートにセットしたもののことです。
しかし最近の写真は様々な高機能で、背景の処理、ぼかし、主体にポイントを絞る込むなどは簡単に出来ると聞いていますし、更にPC処理では色の調整、変化はおろか被写体の消去や移動も出来るそうで,そうなると写真は見たものをその通りに写すものという昔の言葉はもはや意味がないのでしょうか。

もう一つ私は、絵には感情があり人生があり哲学があるものと信じております。そうしたものを、美しい景色や静物を或いは形や色を通して表現するものと思っています。
これについても今回の陳列作品を見ると、自然の厳しさ美しさそれに立ち向かう心、そして自然の大きさ無情さと人間の小ささや無常観といったものが表現されているという気が致します。

つまりはファインダーを覗いてシャッターを押す時の気持と、モチーフを睨んで筆を動かす時の気持は同じなのかも知れません。

絵の評論の修行中の私には、絵と写真の共通点は大いにあるとは思うものの、その個々の作品へのコメントは至難のことです。
そこでそれを一切省いて、続けて全7点を題名のみで展示させて頂くことに致しました。

どうぞ、ごゆっくりご覧下さいませ。