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さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

主 われを愛す

2011-01-09 23:59:00 | Sunday 聖書


 「で、曲は決めてあるんですか?」

 と、明日の相方さんから聞かれて、はたっと気づいたキャベツ。
 そうかそうか、こちらで準備しないといけないんだった。


   **************


 帰宅して、新しいほうの「子どもさんびか」(いのちのことば社)を開いてみる。


  「どうしてかわかるかな」
  「まいごのひつじ」
  「12でしのなまえ」
  「じゅうじか」
  「せいしょ」
  「せいしょ めいもくずくし」(←これを歌えたら、聖書66巻1)全部を順に言える♪)
  「ザアカイ」
  「こどものともは」
  「ハレル ハレル」
  「まもなくかなたの」
  「いのちのみずとパン」
  「おほしがひかるぴかぴか」
  「ヨハネ1の12」
  「ふくいんのきしゃ」
  「わたしはちいさいひ」
     ・
     ・
     ・

 よしよし。
 うん。
 私でも、歌える。


     ・
     ・
     ・

 それにしても、おかしいな?


     ・

     ・


     ・



 なんで、「主(しゅ) われを愛(あい)す」が、ここに入ってないんだ?

 と、今更ながら、気づいた。

 ホント、いまさらながら。
 古い青い子ども讃美歌には、載っていたから、こっちにも載っているものだとばかり思っていましたf(^^;)

 この古い古い、日本でも最古の讃美歌「主 われを愛す“Jesus Loves Me”」(←クリックするとYou Tubeで聴けます…画像は気にせんといて下さい
が、無いなんて!!!


・・・というわけで、少々歌詞をば残しておこ。


 …主(しゅ) われを愛す
  主(しゅ)は強ければ
  われ弱くとも 恐れはあらじ

  わが主(しゅ)イェス、わが主(しゅ)イェス、
  わが主(しゅ)イェス、我を愛す。…


 つまり、こういう歌。
 「主 われを愛す」(←クリックすると日本語の歌が聴けます)


  子ども時代、いわゆる日曜学校なるものとあまり縁の無かった私でも、知っている有名な曲である。



                       
 

     神の愛 われらにあらはれたり。
      神は その生み給(たま)へる獨子(ひとりご)を 世に遣(つかは)し、
      我等(われら)をして 彼によりて 生命(いのち)を得(え)しめ給(たま)ふに因(よ)る。

      愛といふは、
      我ら神を愛せしにあらず、神 われらを愛し、
      その子を遣して 我らの罪のために 宥(なだめ)の供物(そなえもの)と なし給(たま)ひし 是(これ)なり。』
                (新約聖書・ヨハネの手紙第一 4章9-10節、文語訳)





                             

 
【注】
1)聖書66巻:

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Q.聖書に、出てくる主とは誰ですか?

2010-08-29 21:12:13 | Sunday 聖書
その昔、キャベツ畑に、こんなものがありました。



         *************


はじめまして、

最近、興味があり聖書を、読んでいます。

そのときに、いつも疑問が、わいて来るんですけど、

主とは、誰なんだということです。

人間だと、ちゃんと名前があるのにな~と思いながら、読んでいます。

主といわれても、混乱してしまいます。

誰のことを、指していて!なぜ?

名前がないんですか!

誰か教えてください。




              **********


 さて、自分だったら、何と答えよう
 あなただったら、何と答えますか?


続く

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聖書に、出てくる主とは誰ですか?(A1)

2010-08-29 21:10:08 | Sunday 聖書
 続き
 ・・・というわけで、その際、いくつか、勉強にさせていただいたものがあるので、今後のためにも、こちらに転記させていただきます(主(おも)な方のものは、許可取得済み。多謝)。


       **************

あるクリスチャンは、こう答えました。

   「 ヤーフェという神を主と呼んでいます。

エホバは発音が違うと聞きました。」



(キャベツ:・・・・・・・・・・


       **************


ある語学に精通しているクリスチャンは、こう答えました。



※結論※
 簡単にいえば 聖書の「主」は、天地の造り主である、神さまを指すのが、ほとんどです。
 そして、文脈により、父なる神様のことも、救い「主」キリストのことも、あります。




--詳細--
旧約聖書の原文、ヘブライ語には、
固有名詞の YHWH や Yahが、神に名前として出てきます。

 日本語では一般的に、
  ・ヤハウェ
  ・ヤーウェ
  ・ヤーヴェ
  ・ヤーベ
  ・エホバなどと表記されます。
Yah は「ハレル・ヤ」の「ヤ」で、ヤハと書かれることもあります。

【エホバは発音が違う】というのは、YHWHに母音を加えて、

       YeHoWaH >>>> エホヴァ >>>> エホバ

 という呼び方がありますが、これは16世紀に始まった誤読(間違った発音・人為的に作り出された発音)だと文献で明らかになっているからです。





それと同時に、数々の「称号」としての呼び名が出てきますが、そのいくつかは、事実上、固有名詞のように使われているものがあります。

  その代表的なものが、'Adonay です。
  これは、神を固有名詞で呼ぶことは、畏れ多いと感じる古代のユダヤ人が、YHWHを避けて、それを置き換える言葉として選んだ「主」を意味する言葉です。
   そのユダヤ人の伝統を受け継いだのが現代語に翻訳された聖書の中の、「主」です。


英語などの聖書では、YHWH ヤハウェの置き換えとしての「主」を LORDと、全て大文字で書き、
 'Adonay アドナイのほうの「主」をLord として、区別しているものもあります。

旧約聖書のイザヤなどでは、二つが並んで出てくることがあります。
'Adonay YHWH または YHWH 'Adonay のように。
  この場合、英語の訳などでは、
「主である主」Lord LORD などとしても、意味がないので、
「至高の主」 Sovereign LORDなどと訳しています。
日本語では、「主なる神」と訳すこともあります。

つまり、翻訳した聖書を読むと、
     ヤハウェという名前を訳した「主」と、
     そもそも「主」という意味の称号であるアドナイという言葉を訳した「主」と、
二つがあるということになります。



もちろん、「主」という言葉で天地の造り主である神さまを指し示す用例が一番多いのですが、
  「主」Lord =「主人(男性の配偶者)」Master「君主」ですから、
女性が、自分の夫をさして「主人」ということもあり、
家臣が王様に対して、「主」ということもあります。

 実際には、「わが主よ!」と、呼びかける言葉で出てくることが多いのですが、これは、
  'adon アドン 「主」
   'adoni アドニ「私の主」「私の主人」 という言葉です。



ひるがえって、ギリシャ語で記された新約聖書にも、このような情況はそのまま持ち込まれています。

 ただ、ややこしいのは、
 旧約聖書では、神さまである YHWHヤハウェ または 'adonay「主」 と、
 人間の「ご主人さま」の 'adon または 'adoni だったのが、
ギリシャ語の聖書では、
天の父なる神様も「主なる神」、
救い主であるキリストも、「主イエスキリスト」などと呼ばれていることです。

ヘブライ語の「主」、'adonay に対応する、ギリシャ語「主」は、 Kyrios キュリオス または キリオスです。


この Kyrios キュリオスの変化した形が、Kyrie キリエで、

『Kyrie eleison キリエ・エレイソン』
(主よ! 憐れみたまえ!)

などという宗教曲のタイトルなどにも使われています。      



(続く) 

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レプタ銅貨 (1)

2010-07-12 12:38:15 | Sunday 聖書
この前、6番目が「レプタ銅貨」と聞いて、きょとんとしていたため、今回子ども部屋にて、こんな会話が繰り広げられた。というメモ。楽しみつつ、聞いてくれればありがたい。

 (参加者は、地元にいる父方の祖母、および
  地元の日曜学校に出ている高校生の5番目のS君と中学生の6番目のMちゃん、
  そして、帰省したキャベツ。)




         *************



キャベツ「んじゃ、はじめるよ~。聖書、持ってき~」
S君   「何の話~?」
キャベツ「レプタ銅貨のとこ。この前、Mちゃんが知らなかったみたいだから」
S君   「ああ~、あそこね~~~。」
キャベツ「じゃあ、S君。そこ、どこの箇所か教えてくれない?」

S君   「民数記!
  (キャベツ:・・・・・・・・)

Mちゃん「エゼキエル!

  (キャベツ:・・・・・・・・)







キャベツ「なんで、そう旧約聖書ばっかりなん?(苦笑)



            

     ・・・ほい、(ぱらぱらとめくって・・・)マルコの福音書12章。」


S&M 「な~んだ、マルコかぁ~~~」(と、いそいそと開く)




キャベツ「ああ、おばあちゃん。
     福音書って、4つあってね。
     たとえば、Aさんから見たイエス様、
     Bさんから見たイエス様、
     Cさんから見たイエス様、
     うちの親父殿から見たイエス様(祖母、笑う)、
     そんなふうに、いろんな面からイエス様の行ったことや話されたことを書いているのが、4つの福音書でね。

     その中でも、一番最初に記されたのが、このマルコの福音書っていってね、シンプルに書かれているんですよ。」

祖母  「へ~」

キャベツ「その中に、この前出てきたレプタ銅貨の話があるんですよ。
     じゃ、S君、12章41節読んでください



S君   「はい。
      『それから、イエスは献金箱に向かってすわり、
     人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。
     多くの金持ちが大金を投げ入れていた。』



キャベツ「次、Mちゃん、42節よろしく」



Mちゃん 「『そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは1コドラントに当たる。』





キャベツ「はい、どうも。
     
     ちなみに、この時代、1日働くと、いくらもらえたか知ってる?」



Mちゃん「ん~~~~、2デナリ?


キャベツ「残念。1デナリ。

     おばあちゃん、この当時ってね、えっと、2000年前なんだけど・・・
     なんで、2000年前というかというと、西暦って、A.Dって書くんだけど、

これ ラテン語で『主の年』という意味で、

イエス・キリストが生まれたとされる年から、西暦が始まっているんだ。

でもって、紀元前は、B.C。Before Christ。

『キリストが来られる前』っていうことでね、実は、これがもとになっているんだよね」

    (実は、note部分は、ゆ~~~~~~~~っくり話してます、ということなので、ゆ~~~~~~~~っくり読んでください


祖母  「へ~~~」


キャベツ「で、その当時、一日の賃金が1デナリっていうお金だったんですよ。今で言うと、6000円から1万円くらいかな。とりあえず、1万円って、しておきますね」



祖母  「ふむふむ」



キャベツ「で、この当時のお金って、お札がなかったんですよ。全部、硬貨。
     大きくて重いほど、大きなお金で、小さくて軽いほどちっちゃなお金。

    だから、この神殿の献金箱に大きなお金を入れると、『ちゃり~~~ん』っていい音がしたかもしれない。
    逆に、小さなお金を入れると、『ちゃりん♪』って、かわいらしい音がしたかもしれない。実物を目にしたわけではないから、どういう音がしたかわからないけれど。」



祖母  「そだな~~~。1円玉と10円玉でも、全然違うもんな~~~~」



キャベツ「うん、今も1円玉と10円玉って、違うよね。
     神殿って・・・たとえば、日本だと・・・・・・神社とかお社(やしろ)?っていうのかな。神様を崇める場所のことなんです。

    で、たとえば、神社のお賽銭(さいせん)箱に、皆お金を入れたりしますよね。

     神殿のその献金箱にお金を入れると、
     お賽銭箱にお金を入れたときみたいに、音が聞こえたかもしれない。ちゃり~~~~~んって。」





キャベツ「でね。S君、Mちゃん。
     ここに出てくるやもめの(たぶん)おばあさんは、皆が、ちゃりん、ちゃり~~~~~んって、いい音を奏でてお金を入れている中、そっと小さなお金を入れたんですよ」





(「レプタ銅貨がなんで今回話題になったかは、→次のページ」)         

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レプタ銅貨 (2)

2010-07-12 12:37:52 | Sunday 聖書
続き


キャベツ「Mちゃん、で、どうして、この前、キャベツがお財布を盗まれたとき、この『レプタ銅貨』っていうことばが出てきたかというとね・・・・






    君たち。

    わかりますか??









    あの日は、土曜日だったんですよ。
    つまり、
    次の日、パン裂きもあったし、
    献金もあるわけなんですよ。
   (私はクリスチャンだからね)



    お財布盗まれて、現金もカードもぜ~~んぶ、なくなっちゃったんだけどね。」




Mちゃん「ええ~~~~~~!!」
S君  「うっそ~~~~~~!! やばいじゃん!!」





キャベツ「土曜日の朝、盗まれたことがわかって、
     午前中、警察やら、お店やら、カードの停止やら・・・で過ぎちゃって、
     午後は疲れて眠っちゃってさ・・・



     家の中にいくらかあるかな~~~~って、探してみたんだよ。
     ほら、いつもなら、何かあったときのために、お金を少しは置いてあるからね。







    がさごそ。




    がさごそ、がさごそ。
    ごそごそごそ。




     ・・・・・・・・・・



    うん、Mちゃん、見つかったよ。」



キャベツは、Mちゃんとにっこりほほえんだ。







    「1円玉、1枚」(にっこり)
 



 


続く

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レプタ銅貨 (3)

2010-07-12 12:36:38 | Sunday 聖書
続き

キャベツ「はい、というわけで、1円玉が1枚、見つかりました。」v(^^;)



S君  「え・・・それって、やばい・・・どうやって暮らすの・・・」



キャベツ「うん。これじゃあ、カードも現金もない状況じゃ、生きていけないからね、
    探したよ。






    でもって、もう少し、見つかった。」 






                





キャベツ「1円玉が、もう1枚。」(にっこり)


S君   「それでも、やばいじゃん!」


(キャベツの心の声「ウン。イクラナンデモ 皆ガ千円札イジョウヲ出シテイル中、1円玉2枚ッテイウノハ 悲シスギルゾ・・・。マジメニサ、悲シスギル・・・orz 千円札ヤ小サクテモ500円玉ノ中、1円玉ガポロリ。・・・考エタクモナイ・・・」



               





キャベツ「うん。ただね、日本円じゃないけど、もう少し見つかったんだ。
     ユーロと
     ドルと
     ポンドが少々・・・。




     そして、夏目漱石



Mちゃん「夏目漱石?」


祖母  「夏目漱石・・・? 1万円だっけかな・・・。確か、英世が千円札で・・・」


S君  「夏目漱石って、な~~に?? オレ、わからな~~い」
 

キャベツ「いい?
     1万円札は、福沢諭吉。
     千円札は、今は、野口英世。

     でも、野口英世にその座を譲り渡すまで、それまでは、夏目漱石が千円札だったんだ!!
     とっても、貴重な、夏目漱石なんだよ!!



     これから先、『こんな千円札もあったんだよ~~~』って見せるために、ピン札の夏目漱石を、キャベツは残しておいたんだ。





    でもさ、だからって、夏目漱石を残しておいて、1円玉を2枚献金。。。だなんて、できるか!!? 2レプタのやもめの女性は、それしかなかったから、神様は評価してくださったんだけどさ、・・・私は、まだあるんだよ?」








Mちゃん「う~~~ん。。。じゃあ、ドルを出すとか」
S君  「それじゃあ、日本じゃ使えないじゃん」



キャベツ「じゃあ、キャベツの立場だったら、S君、Mちゃんは、何を出す?
     おばあちゃんだったら、何にします?」



 

Mちゃん「ドル!」
S君  「2円!」
祖母  「2円、かなぁ・・・」
Mちゃん「だって、あと数日あるんだよ・・・? 千円札でも大変じゃん」










キャベツ「答え、聞きたい?」










 そして、4人は集まった。



 ごにょごにょごにょ。




   (というわけで、直に聞いた人以外は、答えは想像してください


           **********



祖母   「んでも、大変だったな~~。どこで?」
キャベツ 「銭湯で。かぎ付きロッカーだったんだけどなぁ・・・」
祖母   「お金は、番台に預けなきゃ」
キャベツ 「いや、もう番台ってあんまなくて。預けても、責任もってくれないって。




      でもさ、キャベツは、このとき、金がなかったけど、仕事もあるじゃない?
      このときだって、数日後、
      ほんとは、平日の日中仕事で外に出ちゃいけないけど、
      先輩に相談して、
      昼休み、外に抜け出させてもらってさ、
      どうにか、お金をおろしてきたり、カードを作る手続きもできたじゃん?






      でも、このやもめの女性は、このレプタ銅貨2枚しかなかったんだ。
      ほんとに、全財産だったんだよ。




続く) 

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レプタ銅貨 (4)

2010-07-12 12:34:00 | Sunday 聖書
続き


キャベツ「あ、このあたりで、おばあちゃん。ここ読んでみてくれません?」


父方の祖母「ん~~~~。(しげしげ)

       ごめんな。
       こんなこまい(=細かい)字、ちょっときびしいわ・・・」


キャベツ「f(^^;)じゃあ、2節ほど読むね。

     『43節。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。
 「まことに、あなたがたに告げます。
  この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。

 44節。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、
 この女は、乏しい中から、あるだけを全部、
 生活費の全部を投げ入れたからです。」』






         ***************




キャベツ「イエス様は、この人を、こう評価したんだよ。
     このやもめは、どの人よりも、たくさん捧げたんだ・・・とね。

         

     人から見たら『レプタ銅貨なんて!』って、言われるかもしれない。
     今で言ったら、2レプタなんて、150円くらい 1)だし、『子どものこづかいじゃあるまいし!!』なんて、思われるかもしれない。」



キャベツ「だけど、神様は、そのやもめの女性が、どんな状況で、どんな思いでそれを入れたのか、ちゃ~~~~~んと知っておられたんだよ。」




Mちゃん 「え~~~っと確か、やもめって、未亡人って意味だよね・・・?」


キャベツ「そう。だんなさんを亡くした人のこと。

     昔は、女性が働くのは大変だったんだよね・・・。
     今と違って、年金だってないし、
     やもめの女性が生きていくのは、とっても大変だったんだよ。


     仕事ってほとんどないし。」






祖母  「ほんにな~・・・、昔は女が稼ぐって、ほんとに大変だもんなぁ・・・。
     今でも、そうだけんど・・・」(しみじみ)

キャベツ「だから、教会できちんとやもめの面倒をみるようにって、わざわざ新約(の書巻)に書いてあるくらいだからね


     さっきも言ったけど、
     キャベツが、財布盗まれた~~~、金がな~~~~い!、どうしよう~~~~って、言ったって、
     ・・・・・・どうにかなるじゃん?
     仕事もしているわけだし。

     ほんと、その時は青ざめたけどさ。



     でも、この人は、そもそも稼ぐことも難しい状況で、
     ・・・ほんとにお金がない中で、
     このレプタ銅貨をささげたんだよ。




     人は知らなくても、神様はそういうこともすべてご存じで、その上で評価してくださっているんだよ。」



                      

                    

続く


【注】
1)レプタ:1レプタは、1デナリ(=一応、今の一万円)の128分の一。

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レプタ銅貨 (5)

2010-07-12 12:33:26 | Sunday 聖書
続き

キャベツ「ほら、サムエル記も見てごらんよ。」


 (とたんに、S君、Mちゃんは、姿勢を正して聖書に手をかけた)



キャベツ「サムエル記第一」


 (え~~っと、と言いつつ、ぱらぱらめくるMちゃん)


キャベツ「16章6節、7節」


  (S君、Mちゃんが開いている間に、キャベツは、祖母のほうに向かって言った)


キャベツ「この場面って、イスラエルの
     ー今もあるけれど、昔のイスラエルのー
     2代目の王様を選ぶために、神さまが預言者のサムエルさんという人をつかわしたところなんです。


     サムエルさんは、この場面で、最初ある人を、
    「この人は体格もいいし、背も高いし、この人こそ、神様が選んだ人だ! 油を注がれるべき人だ!」

  -ちなみに、「油をそそぐ」というのは、
   「王様」「預言者」「祭司」となるべき人が、頭の上から、油をたらたらたらと流されること、デス・・-

  と思ったんです。
  ですが、そう思ったサムエルさんに対して、
  神様の答えはこうだったんですよ。』」



             


 『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。
  わたしは彼を退けている。人がみるようには見ないからだ。


  人はうわべを見るが、主(しゅ=神様)は心を見る
           (サムエル記第一 16章7節)


             


キャベツ「だから、・・・人って、自分が見えるものしか見えないし、どんなにすばらしい預言者であってもそうだけれど・・・、
     神さまは、すべてをご覧になって、そうして評価してくれているんだよ」


Mちゃん 「ふ~~~ん」


キャベツ「ほら、Mちゃんがどうしていたか、どう思っているか、キャベツは、言ってくれないとわからないじゃない。


     おばあちゃんの人生だってね、どんなだったか、どんな苦労があったのか、私にははっきりいってわからない。
     だけど、いつも、ごはんのとき、孫のうちらさえも食べ始めないと、食事を取ろうとしないことから 1)も、相当、苦労してきたんだろうなって感じる。
 だけど、ごはん、最後にしなくていいからねうちらも辛いし。

 そんなおばあちゃんの苦労だって、神様はすべて知ってくださっている。」



祖母 「・・・・・・・」




キャベツ「あの、やもめの女性が、その後どうなったか聖書には書いていないから、わからない。
     あのようにイエス様がおっしゃったから、誰かが助けたかもしれない。
     そうではなくて、大変な苦労をしたかもしれない。

     でも、神様は、すべてをご覧になって、
     そのうえで、『どの人よりもたくさん投げ入れた』と、おっしゃってくださった。
     人はうわべしか見れないし、
     どういう状況でそうしているのかわかってもらえないこともあるし、
     それが、人には評価されないような小さなことであっても、

     神様は、その人の気持ちも、状況も何もかも知ってくださって、その上で、ああいう風に、評価してくださるんだよ。」



           



キャベツ「以上、『レプタ銅貨』の話でした。
     ちゃんちゃん。」



                


【注】
1))南部(青森の三八地区~岩手の地域。昔の南部藩)の女は、どんなことがあろうと、何があろうと、耐えて従うもの・・・らしい。苦労している方々をよく見聞きする。

  ちなみに、キャベツの父方の祖母は、祖父や父が食事が終わるまで決して食事に手をつけず、皆が食べ終わってから食べていた。今年、キャベツの両親と同居したあとも、やはり同様の様子。。。(なんとか、キャベツの母や孫たちとは食べるようになった気もする・・・)


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渇(かわ)き

2010-05-23 23:04:57 | Sunday 聖書
(絵:ドラクロワの「キリストの磔刑」、1835年)



   「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために 1)、「わたしは渇(かわ)く。」と言われた。

     そこには酸(す)いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。
     そこで彼ら(=兵士たち)は、酸いぶどう酒を含んだ海綿(かいめん)をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。

     イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。
    そして、頭をたれて、霊(れい)をお渡しになった。」

                  (新約聖書・ヨハネの福音書 19章28-30節)






 ー約束したこともあり、簡単に記す。
  つたないが、何かしらの参考になりますように。-



 ある日のこと。


 十字架上で、イエスが発したことばはいくつかあるが、その中に
      「私は渇く」
  ということばがある。(上記参照)


 ご存知のとおり、「渇(かわ)く」ということには、二つある。

   一つは、肉体的な渇き。
   たとえば、ランナーが走っているときに水分補給をしたり、日常で「のどが渇いた」というときのことだ。


   もう一つは、霊的な、精神的な渇き。
   人は、肉体的にだけではなく、心の渇きを感じることがある。

   ・・・昨年、自殺者が3万人強(3万2753人(暫定値))と聞く。
   つまり、一日約90人、
   今、こうして話がされている間(=1時間)にも、日本の中だけで、約4人もの人々が、自ら命を絶(た)っていることになる。
   そこには、さまざまな背景や事情があるわけだが、人は、渇きを覚え、また、絶望して、自らの命を絶つことを選んだ。

  イエスが「わたしは渇く」と十字架で言われたとき、このどちらの意味もあったことを知る。そのとき、肉体的にも渇き、
  霊的にも、父なる神と絶たれていたから、だ。 2)




 さて、少し戻ってヨハネの4章を開いていただきたい。
  そこには、サマリヤのスカルという町の女性が登場する。
  (町の他の人々が来なさそうな、暑~い真っ昼間に、わざわざ井戸に水を汲みに来て、イエス・キリストと話をする場面。)
  話の切り口は、イエスからの「水を飲ませてください」ということばだったが、当時、ユダヤ人はサマリヤ人と口も聞かないような間柄だったことを考えると、女性が驚くのも無理はないことだった。

  だが、あとを読めばわかるとおり、たった一人のこの女性のために、イエス・キリストは、声をかけられた。
  (かなり割愛するが)夫を5人もち、
  今6番目の男性と同棲している、この女性のために。 3)
  渇きを覚えていたであろう、この女性のために。

   こののち、イエス・キリストと話をしたこの女性は、キリストによって変えられたのだ、とわかる。
 というのも、この女性は大切な水がめをそこに置いたまま、町に行き、今まで避けていた人々に話したからだ。
 そして、その町の人々が、その女性のことばでイエスを信じたほどだったからだ。


   ・・・キリストはさまざまな奇跡をなし、その間に、この女性のことがある。
   ここで、キリストは、水をぶどう酒に変えたり、5つのパンで5千人以上もの人々の飢えを満たしたり、・・・そういった華やかな奇跡をなしたわけではない。
   だが、この女性はこころを変えられた。
   こころを変える、というのは、人にとって一番難しいことではないだろうか?
   (そして、信じる、ということは。)
   その奇跡を、わたしたちは味わっている。・・・



 また、-開かなくてもいいが-ルカ伝16章の「金持ちとラザロ」の話の中で、金持ちがハデスで苦しみ、
  生きている間、全身おできの貧乏人だったラザロ、
  金持ちの門のところで寝ていたあのラザロの指先からでいいから、
  自分の舌を水で浸してほしい、と
  願う姿がある。
  (ちなみに、貧乏人のラザロはアブラハムのふところ(=天国)にいた。)

   私達も、こうなるはずだったのだ。





 だが、私達の代わりに、十字架上で、イエス・キリストは、「渇く」ということをも味わわれた。

  本来、そういうことを味わわなくて良かった方が、私たちの代わりとなってくださったのだ。1)
  そして、それを信じるだけで、良し(=義(ぎ))とされるように、天国に入れるように、してくださった。











     どうか、それを、無駄にされませんように・・・






 (このあたりで終わりとします。



  
                        by 要約等を訓練せなあかんと思うキャベツ )


【一言メモ】
1)このキリストの十字架刑(=死刑)については、
   旧約聖書の預言のとおり、私たちの罪の贖(あがな)いのためであった、
  と新約聖書は示していることを記す。詳細は割愛。

 ちなみに、西暦(AD)は、ラテン語の“Anno Domini(主の年)”という意味であり、
 西暦○年=キリストが誕生してから○年、という意味である。
 (とはいっても、聖書に記述されている大規模人口調査があった年などから、実際には、キリストの誕生は紀元前4年頃とも言われている



2)これについては、説明が必要だろうと思う。
  だが、これを書くと、また長くなってしまう・・・。

  というわけで、これまた割愛させていただく。すみません。



3)「心の渇き」を満たそうと、人は何を求めるだろうか。
  生きがい、趣味、仕事、恋愛・・・さまざまなものに求めるかもしれない。

  今、一回離婚していれば「バツ1」、2回離婚していたら「バツ2」という。
  今日(こんにち)でも「バツ5」はかなり珍しいが、2000年前の当時、
  -そもそも、姦淫していたら本来、石打ち刑(=死刑)也。今のアラブのある地域で、今もそうであるように-
  「バツ5」以上の、この女性に対して、町の人々は白い目を向けていただろうと思われる。
  人目を避け、人がこないような時間帯に、水を汲みに来ていたこの女性は、何を求めて幾度となく、そうしてきていたのだろうか。

  「今度こそは・・・」と考え、恋愛で、結婚で、心の渇きを満たそうとしていたのではないだろうか・・・、



  というのは、また別の話。


  ただ、ここにおいて、キリストがこうおっしゃっていたのは有名也。


      「すべてこの水をのむ者は、また渇かん。

      されど我があたふる水を飲む者は、永遠(とこしへ)に渇くことなし。
      わがあたふる水は彼の中(うち)にて泉となり、
      永遠(とこしへ)の生命(いのち)の水 湧きいづべし」
(4章13-14節)



              


 

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あなたの愛する方は・・・

2009-10-04 23:29:07 | Sunday 聖書
 旧約聖書のやや真ん中あたり、「箴言」、「伝道者の書」、と続いて、「雅歌」がある。

 雅歌書は、直訳では「歌の中の歌」。「歌の中の歌(song of songs)」、という表現構造は、ヘブライ語の最上級表現であり、「最高の歌」の意であるという 1)。

 直接的には、ソロモン王と、シュラムの女が中心的に対話している形で描かれており、隠喩的には、今の時代では、キリストとクリスチャン(総体的に教会)との愛を示している。 2)

 そんな中、『エルサレムの娘たち』が、あるとき、夫を探し続ける『シュラムの女』に向かって、こう尋ねる場面がある。



     **************



  「女のなかで最も美しい人よ。

   あなたの愛する方は、ほかの愛人より
   何がすぐれているのですか。
   あなたがそのように私たちに切に願うとは。

   あなたの愛する方は、ほかの愛人より
   何がすぐれているのですか。」


     ・・・・・・現代風にいうと、こんな台詞かもしれない。

     「あなたの恋人(もしくは好きな人)って、いったい、どこがいいの?」


     **************



  その問いに対して、シュラムの女はこう答える。


 「私の愛する方は、輝いて、赤く、
  万人(ばんにん)よりすぐれ、

  その頭は純金です。
  髪の毛はなつめやしの枝で、烏のように黒く、

  その目は、乳で洗われ、池のほとりで休み、
  水の流れのほとりにいる鳩(はと) 3)のようです。

  その頬は、良いかおりを放つ香料の花壇のよう。
  くちびるは没薬(もつやく)の液をしたたらせるゆりの花。 4)

  その腕は、タルシシュ 5)の宝石をはめ込んだ
  金の棒。
  からだは、サファイヤでおおった象牙(ぞうげ)の細工。

  その足は、純金の台座に据えられた大理石の柱。
  その姿はレバノン 6)のよう。杉 6)のようにすばらしい。

  そのことばは甘いぶどう酒。
  あの方のすべてがいとしい。

  エルサレムの娘たち。
  これが私の愛する方、これが私の連れ合いです」



  ・・・え~~~っと、ですね。
  たぶん、真っ正直に、この女性のことばをそのまま思い描こうとすると、たぶん、そう、たぶんですね、人ではない何かになってしまうと思うんですよ。
  ええ、たぶん。いや、おそらく。いえ、十中八九。

  ですが、(当時の物資等を知れば、もう少し面白いんですが、ごめんなさい。すぐには確実な資料を「注」に入れられない・・・)それぞれ、結局、すばらしいもの、最上級のもので、愛している方を表現しているんですよね。

 (牧畜文化ではなく、農耕文化なせいか、こんな表現はなかなかないが)。



 ・・・・・・・私は、こんなふうに、神様を賛美できるだろうか・・・・




     *****************


(そして、いつか、

 相方さんとなる方を、こんなふうに大切に、ほめちぎることができるのだろうか。


 日本だと、あまりご自分の連れ合いを人前で賞賛する方は少ないが。)


(思い出したついでにだが、どこかの兄弟も言っていたが、とくに、男性の場合、
 「彼女(妻)のしたことを町囲みのうちで(=公で、人前で)ほめたたえよ」(箴言 31:31)
 とも、旧約聖書の時点で、実は書いてあったりして・・・・・・それにしても、男尊女卑の凄まじいときから、こう記されているとは。
 







【注・参考】
1)マイケル・マクローン;聖書の名句,創元社,2003

2)新約聖書において、キリストと教会とは、花婿と花嫁として描かれてもいる。 
  人と人との中で、もっとも近しい存在であり一つである、夫婦として。


3)

4)

5)

6)今は見る影もないが、昔、レバノンには「レバノン杉」という立派な杉の大木があったそうな。 

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