塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

自分の心情は自分にしかわからないもの

2018-09-28 00:30:51 | 日記
 アルゼンチン代表DFエセキルシ・ガライの妻が美容整形を行い、術後の姿を裸体で告白した記事が「フットボール・ウエブマガジン」に掲載されています。

 裸体は後ろ姿で撮影されたものですが、僕は不細工ですが美容整形を受けたいと考えたことはなく、そもそもその軍資金がありませんからね。

 僕が思ったこのエピソードは

 「この出来事をガライが取材陣が尋ねられたら、困ってしまうんでないの?」

 というものです。

 ガライ本人が怪我をして、リハビリをしている、その為復帰時期とリハビリ内容、病院内での過ごし方を取材されたなら、やはり答えなくてはなりません。

 でも、僕が彼の立場なら

 「妻の出来事は妻に訊くべきではないかねえ」
 「彼女の本心は彼女にしかわからないよ」

 と思うでしょうな。

 日本では過労死やいじめで命を絶つ事例が一向に減少しません。

 「死ぬくらいなら辞表を欠けばよいのに」
 「誰か相談できる人間はいないのか」

 という批判は短絡的でしょうね。

 僕もよく両親から叱責されますし、相当の負担を強いていることは確かです。

 僕は家庭内で発言をせず、その点が両親からすると実に不愉快のようですが、仮に業務の事だろうが普段の事だろうが

 「俺の心情は俺にしかわからないさ」

 と思っています。

 つまり、いじめや激務で追い込まれている人間は、

 「俺の心情はわからないし、まず誰に相談したところで問題の解決など無理さ」

 と思っている、同時に精神的圧迫が相当ひどいのではないか、と想像します。

 僕のようにどんくさくて小さい人間は思うように行かないことが多いのですが、それでも臆病者で良かったとおもうのは、死のうとは思わないことで、案外生きているうちに日本代表がワールドカップで優勝するかもしれない。

 そう思うと、まあ生きてみようかとも思いますな。

 もしパルセイロが30年、50年経ってアジア王者となり、バルサやシティと真正面から打ち合うような試合をするならば、間違いなく号泣しているでしょうね。
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