塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

説明責任と言う言葉

2014-12-13 01:49:14 | 日記
 説明責任と言う言葉があります。

 言い換えれば今陥っている状況を周囲に説明する、という形ですがサッカーに限らず日常には、どんな人間にも説明責任が付いてまわります。

 僕もそうですよ。

 例えば業務の最中ですと

 「その商品は傷モノコーナーの商品ですよね。ここが少し汚れているんですよ」
 「実はこの商品、春夏の商品でして、薄手ですが構いませんか?」
 「このスーツはウール100パーセントですから、ブラシで丁寧に汚れを落としてください」

 と言う形です。

 裾直しを受ける際、伝票を記入してお渡しする際も、できるだけ会話をし、疑問点を支払いの前に解除しておく、つまり一つはコミュケーションの用法として、ひとつは

 「リスク・マネージメント」

 という面があります。

 先日、千曲市で震度1の地震があって、休日で家にいた僕もその揺れを感じました。

 翌日、隣町からスーツを買いに来た外国籍のご夫婦に

 「僕、千曲市から来ているんですよ、昨日の揺れは感じましたか?大丈夫でしたか?」

 こういう一言を添えるだけで、海外の方ならば尚更、良い印象をもってくれるように思えます。

 サッカークラブは毎日様々な声がファンから届くと思いますし、成績が悪ければ監督と社長の解雇が要求され、選手の態度やファン・プロモーションにも言及されます。

 「クレームは初期段階で消せ」

 と言われますが、サッカーも大きな批判を避けるためには、やはり初期行動が大切でしょうね。

 ファン・ミーティングをオフ・シーズンだけでなく、シーズン中に行う、新規スポンサーを紹介する場を設ける、地域住民との共同作業など、アナウンスを随時行う事で、説明責任はうまく回る。
 
 そんな気もしますが。
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