塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

同世代選手の引退、心に感じる寂しさ

2013-11-15 22:49:42 | 日記
 皆さんはどんな時に冬の訪れを感じますか。

 僕は缶コーヒーが自動販売機でホットになった時、コンビニのレジ横で肉まんとあんまんが売られるようになったとき、冬を
感じます。

 げっそりするのは、店の従業員販売案内で、クリスマスケーキとおせち、そして福袋の業務内容が耳に伝わってきたときでし
ょうか。

 僕も来年は38歳です。

 嫁問題に決着を挑まなくてはなりませんし、同時に同世代のサッカー選手は引退を発表することが多くなりました。

 そう、サッカーを通じて一番寂しいのが

 「同世代選手の引退」

 なんですね。

 勿論日本代表が負けた際はその改善点に目が向きますし、ゴールを奪った時はおおいに喜びますが、そこに自分の年齢や世代
を感じる材料が少ない事も確かです。

 翻ってベッカムやスコールズのように僕よりもわずかに年齢が上の選手、シェバやバラックのようにほぼ同世代という形なら
ば、専門誌の表紙を飾り、単独インタビューに答えてきた

 「全盛期の彼ら」

 を知っているわけです。

 ですから1時代の終わりをセンチメンタルに感じてしまうのでしょうね。

 グラルディオラがバルサを去る時、多くの報道陣が詰めかけたように、シャビやイニエスタ、そしてメッシにしてもいつかは
退く時が来ます。

 その際に彼らと同い年のファンは

 「彼も年をとった、それは俺も同じだ」

 と年齢を痛切に感じるでしょう。

 でもそうでなければ、いつまでたっても若手は出番を失ったままですし、いつかは彼らが追い越さなければ、サッカーの歩みが
止まってしまう事も確かです。
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