塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

美食の概念からサッカーを捉える

2019-04-19 01:19:28 | 日記
 男性誌「ゲーテ」では、定期的に各界の著名人が集合し、贔屓にしているレストラン、注目しているレストランを紹介しあう号があります。

 幻冬社取締役の見城徹氏、小山薫堂氏に秋元康氏、そしてこの前は中田英寿氏が誌面に登場していました。

 中田氏はイタリアで暮らしていましたから、パルメザンの本場であるパルマ、Tボーンステークで有名なフィレンツェに在住していた際は、ワインとオリーブオイルを軸に
 
 「イタリア料理の奥深さ」
 「郷土料理としてのイタリア料理」

 を肌で感じたに違いありません。

 彼らは収入があるので、外食をしても懐が痛みません。

 個人の多く、そして家庭がまずは食生活を見直す事で、健康と支出を見直すわけですが、近年はレトルトや缶詰に代表される保管商品も、馬鹿にできないほどの人気と味を誇ります。

 それはコンビニで売られている焼き鳥や中華まんも同様で、お金をかけなくても自分なりに美味を追求できます。

 そこで感じるのが

 「レトルト食品やコンビニ弁当がいくら美味しくとも、これらだけで舌は肥えるのか」
 「自分で料理をしない限り、美食は追及できないのではないか」

 というテーゼがあり得るのか、と言う点です。

 僕はレストランやカウンター席に座り、鮨や鉄板焼きを食べることはサッカーでいえば生観戦、コンビニやレトルトはテレビ観戦に相当すると感じます。

 つまり、前者の方が板前を会話が生まれる、従って相手の反応あってこその食事になります。

 生観戦では当日の気象条件、試合の結果で気分は大きく変わりますし、テレビ観戦では簡単に確認できる反則の内容がよくわかりません。

 それでもなお、皆スタジアムに出向くのはそこにしかない「息吹」を感じるためでしょう。

 僕の小遣いでは外食は多くできませんが、贔屓のレストランを持つことは確かに興味深いと枻ますね。
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