塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

代表の固定化は穿った見方ではあるが、それでも

2013-06-18 18:14:29 | 日記
 ほぼ固定し続けた先発で戦い続けた弊害か、ザッケローニ監督がブラジル戦での敗戦を受け向かい風の中を歩いています。

 しかし歴代の代表監督は、その多くが選手を招集した際に、先発とベンチに明確な区切りをつけてきたのも確かです。

 例外的に見えるのがファルカン体制で、岩本、名塚(どちらもベルマーレ平塚)佐藤(レッズ)前園(フリューゲルス)
などまだまだJで無名だった選手を会見で読み上げると

 「オフトの時に活躍した選手がほとんどいないぞ!」

 と批判を浴びました。

 新顔を招集しても罵声を浴び、固定した顔ぶれで戦っても不安になる。

 代表監督は因果な商売であり、僕たちも監督の胸のうちをもう少し考察して、その招集意図を探る方が懸命なのかもしれ
ません。

 例えばオフトはザッケローニ以上の断層、言い換えれば

 「先発とベンチの線引き」

 を明確にしていました。

 大野、古河(アントラーズ)大嶽(フリューゲルス)山田(マリノス)などは、明らかに頭数をそろえるためだけの存在
であり、代表選手というのは肩書だけという、非常に難しい立場でした。

 加茂監督もカズだけは外そうとしませんでしたし、オシムは

 「ジェフの教え子以外は信用しないのか?」

 と疑問視されるくらい、羽生、佐藤、巻に山岸と自分の教え子を代表招集し、託したものです。

 でも注意深く見守れば、代表監督は間違いなく新顔をデビューさせていますし、常に同じ顔ぶれで戦っているわけではない
のです。

 現在の代表でいればふたりの酒井、ハーフナー・マイク、清武がそうですし、岡田監督は98年には小野、2008年に
は岡崎、内田を連れてきました。

 ですから一概に固定化という見方は厳密にいうとそうではないのです。

 ただ「旬」の選手を使うことは、どの監督も怠ってきたように思います。

 ザッケローニ体制で言えばサガンの豊田、レイソルの田中に近藤、アルディージャの青木など、面白い顔ぶれは確実に存在
するとは思うのですが。
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