塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

実力者という名の重しについて

2021-10-13 20:48:27 | 日記
 最新号のワールド・サッカーダイジェストは、マンチェスター・ユナイテッド特集を巻頭で組みましたね。

 僕は衛星テレビの視聴ができないため、指揮官スールシャールは獲得したロナウドを従来同様「左翼」で起用しているとばかり思っていました。

 しかし実際はロナウドを1トップに指名し、その背後にブルーノ・フェルナンデス、左翼にはポール・ポグバを配置する4-2-3-1を用いているのですね。

 これは難しい問題を掲げています。

 ロナウドの実績、体調管理とメインテナンスは誰もが賛嘆する、本当に素晴らしいものです。

 しかし、彼ののように実績も素晴らしく加齢による筋力と体力の低下が微塵も感じられない選手を獲得してしまうと、右翼のジェイドン・サンチョはともかくとして

 イングランド代表 マーカス・ラッシュフォード
 フランス代表 アンソニー・マルシアル

 のせっかくの息吹を消してしまう可能性はあるでしょう。

 プロなのだからポジションは自力でつかめという意見もあるでしょうが、バロンドール受賞5回、2016年欧州選手権優勝、ワールドカップ出場4度の名手から、そんな簡単に出番を奪うことはできませんよね。

 つまり前者と後者では、実力、経験値いずれにおいても「差」がありすぎて、競争の対象にすらならないのではと思うのです。

 オランダ代表のファン・デベーグのように、実力はありながらも入るクラブを間違えた選手は、やはり直に移籍要望を聞いて放出すべき(実際エバートンは打診したようですが)だったと思います。

 彼の苦悩は、ラッシュフォードとマルシアルとは別の形と言えます。

 過去、サイモン・クーパーがやはりワールド・サッカーダイジェストの中で

 「アーセナル時代のティエリ・アンリは、間違いなくロビン・ファンペルシの開花を妨げていた」

 と語っていたはずです。

 よほどのことが無い限り、指揮官とGMは今まさに咲き誇ろうとしている選手がいれば、彼のために実力者を脇に置く、旬の選手を使うくらいの潔さが不可欠かもしれませんね。
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