塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

チェルシーに欠けている存在

2012-11-28 01:27:35 | 日記
 長野パルセイロの新監督にに反町康治氏が就任するようなもの。

 今スタンフォード・ブリッジに漂っているであろう空気を僕の身近な題材で当てはめると、きっと上記の代物に
なると思います。

 熱心なファンでなくとも、鎬を削った宿敵から主力(トーレス)と指揮官(ベニテス)がやってくれば、それは
面白くはないでしょう。

 バイエルンがその常套手段として

 「ブンデスリーガで活躍した選手を引き抜き、優勝争いから脱落させる。」

 事を旨としていますが、皮肉にもリバプールは自らの監督選びと補強策で沈黙しており、チェルシーの
優勝争いを難儀にしている顔ぶれに変化は無いのですが。

 トーレスにアブラモビッチが固執するのは、70億円とも言われる大金を払ったことではないでしょう。

 「私の慧眼に間違いはなかった。」

 という自尊心、言い換えればファンとスポンサーに自分がもはや以前と同じ素人ではない、と言う点を
伝えたいというのが彼の本心だと思います。

 ですからアンチェロッティは4-3-1-2でドログバとの共存を示唆し、ヴィラス・ボアスは4-3-3
でトーレスに空間を与えましたが、思うような形にはなりませんでした。

 クラブ・ワールドカップで優勝したならば、アブラモビッチの自尊心はある一定期間は満たされるはずです
が、何かが彼の癇癪を引き起こす可能性はあります。

 それはリーグの低迷かもしれませんし、チャンピオンズ・リーグからの脱落かもしれません。

 ただ確実なのは、チェルシーには今のところ

 「平穏と忍耐」

 という言葉が欠けているという点です。
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